JRA日本中央競馬会、この一年を締めくくるG-1レース「有馬記念」が明日開催される。当たりはしないが、話のタネに参加してみたくなる。銀行に組んだ購入資金口座も、ジリ貧でいよいよ底を突いた。
取り返そうなどという大それたことを考えると深みにはまる。ほどほどに楽しむことに徹している。
昔昔のその昔、片田舎の少年が、サラブレッドを疾走させる競馬騎手、今で言うジョッキーにあこがれていたそうな。 住んでいるところが田舎ゆえ、近所の農家には農耕用の馬を飼っている家がたくさんあった。
馬に新鮮な草を食べさせることは、農家の一つの仕事でもあった。小さいときから馬と親しんだ少年は、中学校の頃には、農家の馬小屋から勝手に馬を引き出して、乗りまわりながら、新鮮な草を食べさせるのが日課になった。
あるとき、農家の一軒が、血統証付きの競走馬を購入して、少年を騎手にして草競馬に出場することを決めた。その頃少年は帽子に白線が入った高校生になっていた。どこかの厩舎に所属して本格的に騎手になる夢をふくらませておったそうな。
来る日も来る日も、馬と一体となって調教して腕を磨いていた。草競馬の出場枠も決まった直前になって、調教中の馬が突然路面に躓いた。前足の両膝を、皮がむけるほど擦り傷を負ってしまった。乗っていた少年は、稲穂の実りかけた田んぼの5㍍も先に放り出されたそうな。 少年はかすり傷一つなく無事だったが、馬は、一端膝を突いたら競走馬失格である。農耕にしか使えなくなった。
ついに少年の草競馬デビューが夢と散った。高校を卒業したら、一家の働き手を切望され、厩舎入寮の夢もついえたそうな。 人間、何が幸で何が不幸か分からないが、節々に運命のいたずらというのは付いて回るようである。
「人には添うてみよ、馬には乗ってみよ」と言われるように馬は自分の勘で人を見る。馬になめられたらなかなか乗せてもくれない。そこは午年生まれで、馬とのウマが合ったのかも知れない。
高らかなファンファーレに乗ってゲートインするジョッキーは夢に終わった。責めて今、G-1レースくらいは興味をもって眺めたい。 そんな昔もあったのだ……。
( 写真:思い出のアルバムから拾った、遠い昔話の一コマ )
取り返そうなどという大それたことを考えると深みにはまる。ほどほどに楽しむことに徹している。
昔昔のその昔、片田舎の少年が、サラブレッドを疾走させる競馬騎手、今で言うジョッキーにあこがれていたそうな。 住んでいるところが田舎ゆえ、近所の農家には農耕用の馬を飼っている家がたくさんあった。
馬に新鮮な草を食べさせることは、農家の一つの仕事でもあった。小さいときから馬と親しんだ少年は、中学校の頃には、農家の馬小屋から勝手に馬を引き出して、乗りまわりながら、新鮮な草を食べさせるのが日課になった。
あるとき、農家の一軒が、血統証付きの競走馬を購入して、少年を騎手にして草競馬に出場することを決めた。その頃少年は帽子に白線が入った高校生になっていた。どこかの厩舎に所属して本格的に騎手になる夢をふくらませておったそうな。
来る日も来る日も、馬と一体となって調教して腕を磨いていた。草競馬の出場枠も決まった直前になって、調教中の馬が突然路面に躓いた。前足の両膝を、皮がむけるほど擦り傷を負ってしまった。乗っていた少年は、稲穂の実りかけた田んぼの5㍍も先に放り出されたそうな。 少年はかすり傷一つなく無事だったが、馬は、一端膝を突いたら競走馬失格である。農耕にしか使えなくなった。
ついに少年の草競馬デビューが夢と散った。高校を卒業したら、一家の働き手を切望され、厩舎入寮の夢もついえたそうな。 人間、何が幸で何が不幸か分からないが、節々に運命のいたずらというのは付いて回るようである。
「人には添うてみよ、馬には乗ってみよ」と言われるように馬は自分の勘で人を見る。馬になめられたらなかなか乗せてもくれない。そこは午年生まれで、馬とのウマが合ったのかも知れない。
高らかなファンファーレに乗ってゲートインするジョッキーは夢に終わった。責めて今、G-1レースくらいは興味をもって眺めたい。 そんな昔もあったのだ……。
( 写真:思い出のアルバムから拾った、遠い昔話の一コマ )
競走馬を購入した農家の方は、小学校4年生頃からのアタシの乗馬才能を認めておられたようす。これだけ、唯一これだけ、他人が認めてくれた才能です。
一つくらいはあってもいいですよね~~。
ウマって、人間と付き合うくらいの優しさと情熱を求めて来るんですよ……。
なのに?
なんかちょっとイメージが狂うのですが…
頭を下げて…
すごいですね!へえ~~~っ!
「恐怖」を感じながらも、慣れていらした。
すごいもんですね。(なぜか、ひたすら感心!)
ぜひ聞いて下さい。これは絶対にお勧めですから。
遠い遠い昔話ですが、これらが重なり合って今の私があるのかなーなんて一人悦に入っております。
これからも、色々積み重ねられるといいですね。
ピッタシのいい歌を思い出されましたね。今度は徳永英明を捜してみます。
ちなみに、競走馬は頭を上げて、尾っぽを立てて飛びます。農耕馬は、走り始めたら段々頭を下げます。自分の前に何にもなくて、風がもろに当たります。恐怖です。手綱を引いても引いてもなかなか止まってくれません…。そんな乗馬にも慣れていたんですよ。
真ん中の写真などは、お馬様までポーズをとっておられます。
「馬と少年」というタイトルでもつけたいような昔々のお話、面白いです。怪我がなくてほんとによかったですね。
ジョッキーの夢はついえたとおっしゃっておりますが
yattaro-さん、ジョッキーになるには、背が高すぎや
しませんか。私の知る範囲の名ジョッキーは小柄で華奢な人ばかり、yattaro-さんではお馬さんが可哀そう。
夢と憧れを抱き胸を熱くしていた時代、人生の宝物ですね。敗れることの方が多いんですけど。
ところで、昭和17年のお生まれですか。失礼しました。
すぐにこの歌詞が、メロディーが浮かびました…
「時代」
・
・
そんな時代もあったねと
いつか話せる日が来るわ
あんな時代もあったねと
きっと笑って話せるわ
……
まわるまわるよ時代は回る
喜び悲しみくり返し
……
生まれ変わって
“再びジョッキーへの夢”と
めぐり合うよ~
夢を追っていた高校生。
「運命のいたずら」があって、今がある…んですね。
思い出とともに、大切な、貴重なお写真だなと感じています。
ちなみに「時代」、
徳永英明バージョンで聞いています。
お父さんもカッコよかったんですね。裸馬に乗れるのは相当の腕と経験がいるんですよ。
なかなかの出で立ちでしょ。そんな昔もあったのでーす。
私のは、由宇の学校を利用する草競馬に出走予定でした。例のいかちウマと一緒に走るのが楽しみだったんですよ。
高校生の時に亡くなった父を思い出しました。
馬大好きで高田の馬場でも乗ってたみたい。
勿論岩国に疎開してきてからも裸馬を乗りこなしていた姿がうっすら。道に馬糞があった頃の事です。
ジョッキー?今のgからは想像できないけどなかなかのいでたちですね。
あらためて尊敬いたします。
乗馬する詰襟と学生帽の少年、何か昔の映画の1場面から抜き出したような写真に驚きです。
錦帯橋の上流で見た草競馬を思い出しました。