6月、雨の合間に植え付けたサツマイモ。5ヶ月たった。どれほどの成長を見せるのか期待を込めて芋掘りをした。孫2人は大きな歓声を上げて、芋づるを引き抜く。中には1人では抜けないほど根が張ったものもある。たいていは兄の掛け声に弟が同調して力を合わせる。結局つるが千切れて地面から芋が顔を出す。そこからはライバル意識丸出しの取り合いとなる。
この歓声を聞きたくて、このいさかいの仲裁役をやりたくて、サツマイモを1年間買って食べる値段以上の苗代を払って、200本も植え付けたのである。
今年は、肝心な芋が育つ時季にほとんど雨が降らず、水道の水遣りが必要な夏だった。
9月も半ばを過ぎてかなりの雨が降ったために、芋掘り直前で茎が青々と勢いを増したが、時すでに遅し、芋の根っこが太るには至らず、茎の生い茂った割には収穫そのものは不作の年になった。
ただ、出来不出来に関係なく孫達の歓声は響き渡るのがせめてもの慰みである。
このように農作物は、天候に大きく左右される。サツマイモは不作だが、特産岩国レンコンは豊作であった。
ところが、天から降って湧いたような話で、豊作の岩国レンコンが泣いている。産地偽装問題である。
毎年、お歳暮には岩国レンコンを贈ってきた。しかも今回偽装発覚のお店から、発送伝票1枚の信用取引でお願いしてきた。但し、今回の偽装発覚は、加工場で細かく切ってパック詰めなどにした加工品に中国産を混ぜた、ということで、お歳暮に使用した節の連なった長い物は大丈夫だという説明にひと安堵している。
おまけにテレビで「申し訳ない…」と頭を下げる社長とは浅からぬ知り合い。
周囲では、生産農家が集まって、岩国レンコンのブランド化を推進しようと言う動きの中でのこの不始末。
全国数カ所に発送し、岩国特産を自慢してきたこの立場をどうしてくれるの??
こうなったら、ハス田の1枚も借り入れて、サツマイモ同様レンコン作りに挑戦するか。オット…レンコン作りはそれほど甘くない。なめちゃーいけないよ。土の中から真っ黒い長いレンコンを取り上げて、孫が歓声を上げる前に、ジジが悲鳴を上げるだろう。アーア、今年のお歳暮は何に???
( 写真: 手作りの安心・安全の芋掘りに興じる孫兄弟 )
この歓声を聞きたくて、このいさかいの仲裁役をやりたくて、サツマイモを1年間買って食べる値段以上の苗代を払って、200本も植え付けたのである。
今年は、肝心な芋が育つ時季にほとんど雨が降らず、水道の水遣りが必要な夏だった。
9月も半ばを過ぎてかなりの雨が降ったために、芋掘り直前で茎が青々と勢いを増したが、時すでに遅し、芋の根っこが太るには至らず、茎の生い茂った割には収穫そのものは不作の年になった。
ただ、出来不出来に関係なく孫達の歓声は響き渡るのがせめてもの慰みである。
このように農作物は、天候に大きく左右される。サツマイモは不作だが、特産岩国レンコンは豊作であった。
ところが、天から降って湧いたような話で、豊作の岩国レンコンが泣いている。産地偽装問題である。
毎年、お歳暮には岩国レンコンを贈ってきた。しかも今回偽装発覚のお店から、発送伝票1枚の信用取引でお願いしてきた。但し、今回の偽装発覚は、加工場で細かく切ってパック詰めなどにした加工品に中国産を混ぜた、ということで、お歳暮に使用した節の連なった長い物は大丈夫だという説明にひと安堵している。
おまけにテレビで「申し訳ない…」と頭を下げる社長とは浅からぬ知り合い。
周囲では、生産農家が集まって、岩国レンコンのブランド化を推進しようと言う動きの中でのこの不始末。
全国数カ所に発送し、岩国特産を自慢してきたこの立場をどうしてくれるの??
こうなったら、ハス田の1枚も借り入れて、サツマイモ同様レンコン作りに挑戦するか。オット…レンコン作りはそれほど甘くない。なめちゃーいけないよ。土の中から真っ黒い長いレンコンを取り上げて、孫が歓声を上げる前に、ジジが悲鳴を上げるだろう。アーア、今年のお歳暮は何に???
( 写真: 手作りの安心・安全の芋掘りに興じる孫兄弟 )
昨日、取材でハロウィーンの祭りにいきました。
子供は、外で元気に遊ぶのが一番ですね。
その、子供達を守っていかなくては。。。。
偽装は許せませんね。
実は、あの時まだいろいろ考えたりしていたのでした。
お父様はどんなおつもりで口にされたのかなー、
子供心にyattaro-さんはそれをどう聞いたのかなー…なんて。
いずれにしても、親はふと漏らした言葉であっても、子供はずっとそれを抱えて生きているってことがあるんですね。
詩歌で「切ない」という語を英訳する時、「pain」(痛み)と訳すそうです。ニュアンスがわかるような。
そうしたものを内に、否応なしにでも抱えて来られたお方の、柔軟な、豊かな人間性に触れられているのかな?幸せなことかもなあ?…と勝手なことを考えています。
ゆっくり熟せば良いとお考えだったのではないでしょうか…
この思い出が「切ない」のですよね?
あまり「切ない切ない」とおっしゃらないでないでくださいませね。
兄弟一緒の姿もいいですね。
ジジも元気になります。明るい話を求めて行こうね。
と言って、親父や兄貴を恨めしく思ったことなどもありません。むしろ「ヨーシッ、俺の生き方は俺が決める!」みたいなエネルギーが溜まって行ったように思ってます。
60代も後半に踏み込んだ今思うのは、生涯渋柿でいいんだ、ということです。熟した甘い柿になりたいという、柿本来の目標を忘れることはないと思います。が、俺は熟したよ…などと思い上がるのは厳に慎みたいというのが渋柿のプライドなんですよ。
熟したか、熟さないまま終わったかは、一握りの灰になったとき、周囲の人が判定してくれるものだろうと思っています。今はただひたすらに、したたかに「今を生きる」ことに精を出しています。
切なさは少し抑え、楽しさや喜びと手をつなぎながら……。
楽しくて年取ってる暇などありませんね。お孫さんの歓声を聞くためにたくさんの苗を買い、植え付けの労を惜しまず・・・・・素敵なジージ様です。ちっとも
「やぶにらみ」じゃないじゃないですか。
うちの亭主も10年程前までは庭にじゃがいもを植え、夏休みに町内の子ども達に掘らせたものでした。一昔前の懐かしいシーンです。今は町内に子どもが居なくなり、歓声も聞こえなくなりましたが。
孫はあっという間に大きくなります。今のうちにジージ様のありったけをインプットしておいてくださいね。。
この前TVで千葉のレンコン掘りをみました。大変なものでしたよ。深い泥の中から片手で空気圧を送り、片手でレンコンを探していました。趣味で出来るものじゃありませんでしたね。悲鳴はいけませんもの。
いつも遠目に・はすかいに睨んでいたら目が疲れますし、単なる偏屈者と思われるのも癪ですから、普段は一見大真面目・時々やぶにらみ…です。