今年は珍しく、台風が一度も襲って来なかった。田や畑の作物に影響を与える大風も吹かなかった。お陰で、お米もレンコンも柿・栗・ミカンなど一様に豊作の当たり年となっている。
ちょっと田舎道を走ると、至る所に、たわわに実った柿の木が見られる。
桃栗3年、柿8年 という言葉がある。
ご承知の通り、小さな苗を植えてから実がなり始めるまでの期間のことで、桃や栗は割と早くから実を付けるが、柿はなかなか手間がかかる、という意味である。
それに続いて「渋柿や 丸8年の 恩知らず」という狂歌が頭に浮かぶ。
自分の中では、「桃栗3年 柿8年」と「渋柿や……」がセットになっているようだ。
子供の頃、本気ではなかったのかも知れないが、親父さんから「お前は渋柿じゃったのー」と言われた言葉を思い出す。
兄弟同じように手塩にかけたのに、兄貴は甘い富有柿。それに比べて、走るのは遅い・相撲は弱い・字も絵もうまくない……全ての面でハズレの私は、親父さんの期待を大きく裏切ったのに違いない。
でもね、渋柿だってね……と、いつも思っていた。
早くに木からもぎ取るから渋いんよ、もうちょっとそのままおいてくれたら、美味しい熟柿になれるかも知れん。
たとえ早くもいだ渋柿でも、皮をむいて太陽に当てるとか、お風呂の残り湯に一晩漬けてみるとか…、ひと手加えてやれば、渋柿ではなくなり、どんな甘い富有柿より美味しく食べられるのに……などと反発することも忘れなかったのだろう。
特別な商品価値はないとしても、今こうして普通に生きている。
子供の頃から、短距離走は得意でなかったが、長距離走はなんとか人並みに粘ってゴールを目指した。今も止まらず、なんとか走り続けている。
木に残った熟柿をカラスが突っつきにきたり、軒先に干し柿が吊される季節になると、決まったように「渋柿や 丸8年の 恩知らず」を思い出す。 秋ってやっぱり切ないなー…。
( 写真: たわわに実った 渋柿 )
ちょっと田舎道を走ると、至る所に、たわわに実った柿の木が見られる。
桃栗3年、柿8年 という言葉がある。
ご承知の通り、小さな苗を植えてから実がなり始めるまでの期間のことで、桃や栗は割と早くから実を付けるが、柿はなかなか手間がかかる、という意味である。
それに続いて「渋柿や 丸8年の 恩知らず」という狂歌が頭に浮かぶ。
自分の中では、「桃栗3年 柿8年」と「渋柿や……」がセットになっているようだ。
子供の頃、本気ではなかったのかも知れないが、親父さんから「お前は渋柿じゃったのー」と言われた言葉を思い出す。
兄弟同じように手塩にかけたのに、兄貴は甘い富有柿。それに比べて、走るのは遅い・相撲は弱い・字も絵もうまくない……全ての面でハズレの私は、親父さんの期待を大きく裏切ったのに違いない。
でもね、渋柿だってね……と、いつも思っていた。
早くに木からもぎ取るから渋いんよ、もうちょっとそのままおいてくれたら、美味しい熟柿になれるかも知れん。
たとえ早くもいだ渋柿でも、皮をむいて太陽に当てるとか、お風呂の残り湯に一晩漬けてみるとか…、ひと手加えてやれば、渋柿ではなくなり、どんな甘い富有柿より美味しく食べられるのに……などと反発することも忘れなかったのだろう。
特別な商品価値はないとしても、今こうして普通に生きている。
子供の頃から、短距離走は得意でなかったが、長距離走はなんとか人並みに粘ってゴールを目指した。今も止まらず、なんとか走り続けている。
木に残った熟柿をカラスが突っつきにきたり、軒先に干し柿が吊される季節になると、決まったように「渋柿や 丸8年の 恩知らず」を思い出す。 秋ってやっぱり切ないなー…。
( 写真: たわわに実った 渋柿 )
果物の秋ですね。俳句にも多く。
せっかく百日咳でやせたのに、元の体重に。
今日の新聞にタウンレポート出ています。
お世話になりました。
今夜は、年に一度の大切な会合がありまして、観光ホテルに出向きました。実は、そこで初めて「新聞に出ていましたよ…」と言われ、今読み返したら、素敵なタウンレポートが掲載されていました。有り難うございます。
お礼が遅くなって申し訳ありません。
どう細工しても渋くて苦い私と違います。
道元禅師は
「あなたとの出会いは生きてゆくごほうび」という言葉を残されているそうです。
間接的に知ったのですがね。
この言葉をいただいて、本当に感謝とともにyattaro-さんに贈らせていただきたいと感じています。
渋柿ですか…
昨日から何度か読ませていただいてます。(暇?、ではないけれど、です)。
ちょっと真面目過ぎて書いてしまいました、でも、本当の気持ちですよ~。
keiさんへの愉快なコメントを拝見しながら、いつか
ご本家へ忍び込みたいと思っておりました。
「yattaro-」で検索しましたら、意外にも簡単に鍵が開きましたよ。こじ開ける事無く「どうぞ」と言う感じで楽な気分でお邪魔することができました。
なんと、今日は渋柿のお話。渋柿の渋は甘さの原型です。渋ければ渋いほどちょっと手をかけて時を待つと
甘くおいしくなります。
yattaro-さんの豊かな感性とお幸せそうな毎日をブログで拝見するにつけ、かつての渋みがたっぷりと甘みのある柿に変わったようにも思えます。
「秋って切ない」ですか。keiさんとのきわどい言葉のやり取りを拝見するとそんな風にも見えませんが。
今日「天声人語」で目にした、詩です。
果物
秋になると
果物はなにもかも忘れてしまって
うっとりと実ってゆくらしい
(八木重吉)
「世の中、ちょっとやぶにらみ」をお気に入りに入れました。これからも拝見させてください。楽しみです。
せっかくお友だちからもらった渋柿、ちょっと手をかけて日に干したら、それはそれはおいしい干し柿が出来るから楽しみね。
ヨーッシャ、これまで通りの渋柿でええのだ!と思わせて頂きました。
細工も何も要らない、最初っから甘柿のロードスターさんにこれからも付いて行きますよ。
「あなたとの出会いは生きてゆくごほうび」
実は、私の方からもkeiさんに差し上げたい言葉の一つです。
渋柿に違いはありませんが、これからもつたないブログに臆面もなく挑戦しながら生きていきます。どうぞお暇があってもなくても適当にお付き合い下さい。
いずれに致しましても、こじ開ける必要のない表門からのご訪問、有り難うございます。
matsuさんの言われるように、渋みが取れて本当の甘さが出てくれればよいのですが……。
keiさん始め、多くの方のブログやエッセイなどを拝見しながら、勝手なコメントを差し上げたりして、自分磨きの研磨剤になってくれると有り難いな、と思っている毎日です。
そして、切ない秋も、厳しい寒さの冬も、出来れば気持ちだけでも温かく過ごせたらいいな…なんて考えています。
どうぞおみかぎりなく、お茶の一つも差し上げられませんが時々はご訪問下さい。よろしくお願い致します。