思わず目をこすって、我が目の視力を確かめた。目に異常はない。ということは、目に入る異様な光景はまさに現実に起きている、そんな感想であった。
10年前の今日。なにをどうしたのか、珍しく昼過ぎのテレビを見るともなしに見ていた。
「おとうさん、これは何?」とテレビ画面を見ながらカミさんが言う。一瞬は何が何だかわからない、初めて目にする、表現のしようがない光景であった。
あの日から10年たった今も、確実に人々を悲しみの淵に誘う悲惨な出来事。あれが「東日本大震災」の姿なのである。
半分地団駄踏みながら「早う逃げんか!」「もっともっと早く!」「危ない!!」などとテレビ画面を怒鳴りつけ、「逃げおおせて!」と手に汗握った記憶は、今も頭の奥に、眼の奥に、気持ちの中に刻み込まれている。
合併によって大きくなった会社は、北海道、東北、岩国、九州と全国ネットで工場は至る所にあった。
関東方面のユーザーの生の声を、生産現場の工場に直接伝えることで、工場のスキルアップや品質向上と、求められる物作りをする。その伝達役「サービス・エンジニア」として本社に赴いた。そこで出会ったのは、石巻、福島県いわき市、盛岡など東北出身者が多くて、初対面から賑やかだったな~という印象が強い。
あれほどの震災など夢にも思わない、若きよき時代であった。文字通り同じ釜の飯を食った仲間となって1年あまり。それぞれの工場に戻ってからのお付き合いもあった。なのに、どういうわけか震災の3年前あたりからほとんど音信が途絶えてしまった。震災のあと、昔の住所を頼りに手紙も何度か出したが、返信はなかった。出した手紙が戻ってくることもなかった。
未曾有の大惨事に直面した人たちは、何年たとうと、どのように復興が進もうと、失ったものの大きさには代えられない気持ちの空白があるに違いない。それも、10人十色とはよくいうが、100人寄れば100通りの、1000人なら1000通りの異なる思いがある。何にも出来ない私ではあるが、ほんの少しではあっても、かつての友に思いを寄せられただろうにと思う。しかしそんな被災地の友も今はいない。この10年の悲しみのご遺族に、合掌。
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