秋の陽差しに映えるお祭りの一つとして、「島彩る朝鮮通信士行列」の見出しにカラー写真入りで、お隣、広島県呉市下蒲刈町の様子が、中国新聞の一面に載っていた。
我が「いわくに祭り」の記事はどこを探しても見あたらなかった。やはりその程度か・・・?
江戸時代、朝鮮通信使が島民らのもてなしに最も感動したと伝えられる呉市下蒲刈町で、住民ら約250人による通信使再現行列があった。一行は、みこしに乗った正使や副使、旗手、楽人などに扮して行進。伝統音楽や女性の華やかなチマ・チョゴリ姿も沿道の客を魅了した。 と書いてある。
朝鮮通信使そのものは、1370年代、室町時代の足利義満の頃に始まったとされている。その時代・その時の為政者によって紆余曲折ありながらも江戸時代まで続いた。とものの本に書かれている。
通信使を接待する側も、徳川幕府の命令により動いたのであろうが、九州・中国・四国諸藩がそれぞれ、工夫をこらした接待ぶりが窺える。
広島藩・浅野氏は、安芸・蒲刈での接待。長州藩・毛利氏は周防・上関での接待というふうに、通信使が寄港したり、江戸への旅の途中に立ち寄った場所で、それぞれの歓迎行事を催した歴史が刻まれている。
それほどまでにお隣の朝鮮半島とは永く結ばれているようだ。その歴史の長さの割には、何かもう一つしっくり来ない感じは一体なんなのか。
我が岩国も通信使の歴史とは無縁ではない。
錦帯橋の奥座敷、間もなく紅葉が見頃を迎える紅葉谷公園の木陰に、正装した通信使が向かい合って立つ「文人石」がひっそりと立てられている。その昔、岩国に立ち寄って休息されたのに違いない。
そんな奥深い歴史にも、たまに目を向けながら、国と国とが仲良くするも反発するも所詮人間の気持ちの赴くままなのだから、出来れば仲良く、お互い繁栄の道を歩むことを祈りたいなー。何かそのお役に立てるといいなーなどと、つい思ってみたくなる秋の夜更けである。
( 写真: 紅葉谷公園の木陰にひっそりたたずむ、文人石 )
我が「いわくに祭り」の記事はどこを探しても見あたらなかった。やはりその程度か・・・?
江戸時代、朝鮮通信使が島民らのもてなしに最も感動したと伝えられる呉市下蒲刈町で、住民ら約250人による通信使再現行列があった。一行は、みこしに乗った正使や副使、旗手、楽人などに扮して行進。伝統音楽や女性の華やかなチマ・チョゴリ姿も沿道の客を魅了した。 と書いてある。
朝鮮通信使そのものは、1370年代、室町時代の足利義満の頃に始まったとされている。その時代・その時の為政者によって紆余曲折ありながらも江戸時代まで続いた。とものの本に書かれている。
通信使を接待する側も、徳川幕府の命令により動いたのであろうが、九州・中国・四国諸藩がそれぞれ、工夫をこらした接待ぶりが窺える。
広島藩・浅野氏は、安芸・蒲刈での接待。長州藩・毛利氏は周防・上関での接待というふうに、通信使が寄港したり、江戸への旅の途中に立ち寄った場所で、それぞれの歓迎行事を催した歴史が刻まれている。
それほどまでにお隣の朝鮮半島とは永く結ばれているようだ。その歴史の長さの割には、何かもう一つしっくり来ない感じは一体なんなのか。
我が岩国も通信使の歴史とは無縁ではない。
錦帯橋の奥座敷、間もなく紅葉が見頃を迎える紅葉谷公園の木陰に、正装した通信使が向かい合って立つ「文人石」がひっそりと立てられている。その昔、岩国に立ち寄って休息されたのに違いない。
そんな奥深い歴史にも、たまに目を向けながら、国と国とが仲良くするも反発するも所詮人間の気持ちの赴くままなのだから、出来れば仲良く、お互い繁栄の道を歩むことを祈りたいなー。何かそのお役に立てるといいなーなどと、つい思ってみたくなる秋の夜更けである。
( 写真: 紅葉谷公園の木陰にひっそりたたずむ、文人石 )
スマート??……ええと…あんまり変わらないですよ。
人間、みてくれではありません!!ハートが全てでーす。
そんな気まぐれにお付き合い頂いて、いつにない時間を遊ばれたこと、嬉しく思います。
やはり近くて近い国同志で、共に栄えたいですよねー。
何があるのかは定かではありませんが、先ずは仲良くしたい…という気持ちを持つことから始まるのでしょうね。
毛利元就「三矢の訓」、まさにその通りです。一人では無理なことでも、兄弟力を合わせて、一つ一つに立ち向かえば乗り越えられる、という教訓です。カッコイイ……。
仲良くしていかないとねー。
見に行きます。
なんだかスマートそうだね。
はるか昔の、いわゆる“渡来人”と称される人たちから続く関係だろうなあと思って。この頃の歴史は、やけに興味もあり…で。集鬼室の事やらも聞いたことあります…・。
戦国時代の毛利氏の事を見ていたら、
「三矢の訓」に目がとまりました。これって、1本の矢は簡単に折れるけれど、3本一緒になれば折れにくいという話ですよね?
3人、姉弟仲良く…と、父の得意なお話でしたっけ。
長いかかわりのある両国なのですよね…。takeko さんが言われるように、仲良くできることがベストと思います。が、現実は、いろいろあって?ですね。
「何かお役に立てる…」こと、あるんでしょうね、きっと・・