暑い中を、近くに住む叔母に声を掛けたら、母の見舞い同行に気持ちよく賛同してもらった。
叔母、大正元年生まれ96才、独り暮らし。
母は4人兄妹の二番目で、明治41年生まれ100才。その下がこの叔母である。
長兄も末っ子の弟もとうに他界、残されたのは姉妹二人である。
病院に着くと看護士さん達から「まあ、そっくり…」叔母の手を取り、抱き抱えるように迎えてくれる。
叔母には男1人・女3人の子供がいるが、それぞれ独立しており、実家を独り住まいで守っている。
週に二日のデーサービスと、後は畑作りに精を出し、腰は曲がっているものの草取りが趣味というだけあって、元気そのもの。
もちろん認知症は見られない。
母も叔母の年には元気そのもので、二人揃って妙見様や御大師様にお参りしていた。かつて名古屋の「金さん・銀さん」が大ブレークしたのにちなんで、岩国の金さん銀さんと、冷やかされたり励まされたりしたものだ。
後期高齢者制度が現代の姥捨て山だと言われようが、制度の見直しで若干の修正をされようがされまいが、現実に身近なところで二人の高齢者を見守っている。
出来るなら、長年社会に貢献してきたこのお年寄りたちに、もっと優しい世の中になってくれることを願っている。
しかしまあ、何があろうが叔母には元気に暮らして欲しいし、母には与えられた天寿を全うして欲しいと、改めて実感した暑い夏の日の母見舞いである。
(写真:100才を見舞う96才の長寿姉妹。5月撮影)
叔母、大正元年生まれ96才、独り暮らし。
母は4人兄妹の二番目で、明治41年生まれ100才。その下がこの叔母である。
長兄も末っ子の弟もとうに他界、残されたのは姉妹二人である。
病院に着くと看護士さん達から「まあ、そっくり…」叔母の手を取り、抱き抱えるように迎えてくれる。
叔母には男1人・女3人の子供がいるが、それぞれ独立しており、実家を独り住まいで守っている。
週に二日のデーサービスと、後は畑作りに精を出し、腰は曲がっているものの草取りが趣味というだけあって、元気そのもの。
もちろん認知症は見られない。
母も叔母の年には元気そのもので、二人揃って妙見様や御大師様にお参りしていた。かつて名古屋の「金さん・銀さん」が大ブレークしたのにちなんで、岩国の金さん銀さんと、冷やかされたり励まされたりしたものだ。
後期高齢者制度が現代の姥捨て山だと言われようが、制度の見直しで若干の修正をされようがされまいが、現実に身近なところで二人の高齢者を見守っている。
出来るなら、長年社会に貢献してきたこのお年寄りたちに、もっと優しい世の中になってくれることを願っている。
しかしまあ、何があろうが叔母には元気に暮らして欲しいし、母には与えられた天寿を全うして欲しいと、改めて実感した暑い夏の日の母見舞いである。
(写真:100才を見舞う96才の長寿姉妹。5月撮影)
お二人ともお元気なご様子、写真を見、ブログを読んで気持ちが和みます。
これからも穏やかな日々を過ごして欲しいですね。
兎に角一日も長く生きて、顔を撫で・手をさすらせてくれるといいなと思っています。