誰の目にも止まらないうちに静かに息を引き取っていたすぐ上の姉。4つ違いなのでよく考えてみれば、「いつ、どこで、何事が起きても不思議ではない」お年頃だったのだから、今少し注意深く接していたらまた違ったお別れの仕方があったのではないか。などと悩んだあの時から1年近く過ぎた今日、一周忌法要を営んだ。
6人いた姉弟の上3人が早くに逝き、残った3人の一番年上だったのだから順番としては間違っていないのだが。あまりにもあっけない突然の別れに今も何かしらすぐそこにいて「こんなお惣菜作ったので食べてくれる?」などと電話をかけてくるような錯覚に襲われる。
遺された弟と妹、長姉の姪・甥夫婦などわずかな参列の、文字通りささやかな一周忌法要ではあったが、なうらいのお食事会も思い出話が途切れることを知らず、にぎやかに和やかに続いた。
姉の生きて来た84年の生きざまが、常に我々の近くにあり、良くも悪くも影響を与え合って生きて来た、つまり血縁のつながりの深さを思い知らされている。そして年が近かった弟しての尽くしたりなさを悔いたり、もう少し生きたかった痕跡が残り過ぎる切なさを思ったり、あれこれ思う一周忌。
アレンジフラワーを供え、姉の好きだった果物を供え、お香をくゆらせる。今私たちに出来るせめてもの供養であるが、様々に思い返し、在りし日を偲んで笑い、憎まれ口をたたいてはまた笑い、やはりいいところを探して誉めて笑ってお開きに。
礼服に黒いネクタイの胸の奥で「あんたはあんたなりに精いっぱい生きてきたんだよね~」と黒髪の頭を撫でた1年前を思い出して手を合わせた。
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