新型コロナウイルス感染拡大防止策の一環で、学校の臨時休校が始まってかれこれ3週間になる。
人それぞれに事情は異なるであろうが、学校にも行けない、友達とも会えない、出かけるわけでもないなど、ないない尽くしになれば、一番の被害者は子供たちである。あの有り余るエネルギーをどこかで発散させないと、本当に可哀想である。
近くに住む小4の孫君は、幸いにも毎日じいちゃんちに来ればなんとかなる。
特に、じいちゃんが仲間と遊ぶグラウンド・ゴルフにのぼせ上がっていて、集まってくる隣近所のじいちゃんばあちゃんのアイドル的存在で可愛がってもらっている。それもこれも、普段がジジババと接することに慣れているから、よそのじいちゃんばあちゃんとも話を合わせるコツが自然に身についているようだ。1年に1度か2度しかジジババに接しない核家族では、そう簡単に仲間に入れないだろう。
そんな意味でも、今回のコロナウイルス騒動は、家族の有り様までも見直す問題提起をしている気がしてならない。
小さな団地にも、行き場のない子ども達が結構いる。私たちがグラウンド・ゴルフで遊んでいる公園に、多いときは10人ばかりの子供がやってくる。それも一人ひとり竹刀を持ってくる。そしてリーダーの掛け声に合わせて、ステップを踏みながら素振りの練習をする。
これはいい心がけだと、我々も歓迎する。そして、狭い公園をお互いが譲り合うこと。邪魔にならない位置取りを教えたりする。
本当は、彼らも学校の講堂で、ちゃんと道着を付けて練習したいに違いない。でもそれさえ許されない現状では、工夫が要る。
ジジババと一緒になって、小さな団地公園で交流する機会に恵まれるのも、コロナウイルス騒動の功罪の一つなのかもしれない。
それにしても、この子らを見ていると、竹刀を振り下ろすことにはキレを見せるが、その後のボール遊びとなるとからっきし。
これはいったいどういうことなんだろう。一つに秀でることは素晴らしいこと。でも全体的な身体能力というのはなんともお粗末に感じる。
これも、幼いころからジジに鍛えられる生活様式の欠如によるのかも。核家族生活は、子ども達の心を貧しくさせるのではないかねー。
この緊急事態の臨時休校に遭遇して、ふとそんな気がした。
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