♪待てど暮らせど来ぬ人を 宵待草のやるせなさ 今宵は月も出ぬそうな♪♪
1910年、竹久夢二 27才の夏。実らぬ恋を憂う気持ちを詩に託したと言われている。
宵待草・・正式には「待つ宵草」という。大待宵草・荒地待宵草・月見草などがその仲間で、いずれも、太陽の沈む夕方に花開いて、朝にはしぼみ始めるという。まさに夏の終わり、ひと夜のはかない夢物語を想わせる清楚な花ではある。
宵待草=月見草と単純に思い込んでいたが、花の世界にもそれぞれ色んな事情があるようで結構ややこしく細分化されている。
“月のしずくを吸って咲く 夢のお花の月見草”と言われる本当の月見草は、夕方に純白で開花する。夜中に薄ピンク色に、そしてピンク色に変わり朝方にしぼむ。
このように、はかない命の割には花言葉は「永遠・永久」だそうである。
ちなみに、大待宵草は「ほのかな恋・愛の祈り」。荒地待宵草は「ほのかな恋・浴後の美人」。誰が言ったか知らないが、何となくそれらしい花言葉である。
秋の訪れを待つ気持ちを先取りするように、直径3㎝ばかりの黄色い清楚な花が夕方一斉に開く様子は、お盆を過ぎる頃からの見馴れた風景ではあるが、心和むものがある。
遣る瀬ない釣鐘草の夕の歌が あれあれ風に吹かれて来る
待てど暮らせど来ぬ人を 宵待草の心もとなき
想うまいとは思えども 我としもなきため涙 今宵は月も出ぬそうな
歌い継がれた宵待草の詩の原型だそうである。
宵待草の歌があまりにも世に出たために、作詞家の西条八十氏が2番の詩をつけたのが
暮れて河原に星一つ 宵待草の花のつゆ 更けては風も泣くそうな という。
現実に戻って、我が愛唱歌「吾亦紅」の花言葉は“感謝・移ろい行く日々”だそうな。
( 写真:我が家のすぐそばに群生する、荒地待宵草 )
1910年、竹久夢二 27才の夏。実らぬ恋を憂う気持ちを詩に託したと言われている。
宵待草・・正式には「待つ宵草」という。大待宵草・荒地待宵草・月見草などがその仲間で、いずれも、太陽の沈む夕方に花開いて、朝にはしぼみ始めるという。まさに夏の終わり、ひと夜のはかない夢物語を想わせる清楚な花ではある。
宵待草=月見草と単純に思い込んでいたが、花の世界にもそれぞれ色んな事情があるようで結構ややこしく細分化されている。
“月のしずくを吸って咲く 夢のお花の月見草”と言われる本当の月見草は、夕方に純白で開花する。夜中に薄ピンク色に、そしてピンク色に変わり朝方にしぼむ。
このように、はかない命の割には花言葉は「永遠・永久」だそうである。
ちなみに、大待宵草は「ほのかな恋・愛の祈り」。荒地待宵草は「ほのかな恋・浴後の美人」。誰が言ったか知らないが、何となくそれらしい花言葉である。
秋の訪れを待つ気持ちを先取りするように、直径3㎝ばかりの黄色い清楚な花が夕方一斉に開く様子は、お盆を過ぎる頃からの見馴れた風景ではあるが、心和むものがある。
遣る瀬ない釣鐘草の夕の歌が あれあれ風に吹かれて来る
待てど暮らせど来ぬ人を 宵待草の心もとなき
想うまいとは思えども 我としもなきため涙 今宵は月も出ぬそうな
歌い継がれた宵待草の詩の原型だそうである。
宵待草の歌があまりにも世に出たために、作詞家の西条八十氏が2番の詩をつけたのが
暮れて河原に星一つ 宵待草の花のつゆ 更けては風も泣くそうな という。
現実に戻って、我が愛唱歌「吾亦紅」の花言葉は“感謝・移ろい行く日々”だそうな。
( 写真:我が家のすぐそばに群生する、荒地待宵草 )
確かに日本にいたときにどなたかのうちに”お月見”に招かれたことがあります、今でもその時のことを鮮明に覚えて懐かしく思っています。そちらお孫さんと楽しんでくださいますように。
いろいろな角度から拝見しています。
今日は、太宰のあの一文が、名前と色つきできとんと額入りしたことにホッとしました(?)。
でもこうして、花にまつわる話一つとっても、あれこれ色んな隠された物語や秘話があるものですね。
お互いこんな話も交換できるのはブログのご縁ですね、大切にしたいですね。
黄色い花は「待宵草」のグループに属し一般の人はこれを誤って月見草と呼んでいると。そう呼ばせてしまう仕掛けをつくったのは太宰のこの一文にあるそうです。
白は野生化することなく、30~60㎝、めったに見られないとのこと。
時代からしても、「富士」と「オオマツヨイグサ」の取り合わせと考えられます。
これなら納得。(簡単でしょ、私の納得は)
富士を背景に1・2~1・3m程の高さで咲く黄色い花を夕刻に添えて・・・一枚の絵が出来上がります。
ごめんなさい、一人勝手に納得してしまいました。
疑問に思ったこともなかったのですが、一つ新しいことを知りました。おかげさまで。yattaro-さん、ありがとうございます。
もっと面白く書くように考えてみるね。飽きずに目を通してね。
「仲秋の名月」と呼ばれるお月見は、今年は9月の12日です。
孫と共にお団子でも供えて名月を楽しみましょう。
はかないからこそ「とわに」胸に刻む…さすがです。
ところで、私たちには耳慣れた宵待草、正式名はアカバナ科の待宵草(マツヨイグサ)と言うそうです。
竹久夢二の詩によってヨイマチグサが広く知られるようになったのですが、学名はちょっと違うようですね。月見草も夕方に花開いて朝方にはしぼむことから、待宵草の一種と見られているようです。少しややこしいですね。
語感もいいですよね、よいまちぐさ。
「富士には月見草がよく似合う」というこの「月見草」は「宵待草」とは違うのでしょうか。
(太宰治の「冨嶽百景」)別名ではないわけですかね。