なんだかんだと忙しさにかまけていたら、春ジャガ植え付けや夏野菜用の畑作りがすっかり後手に回ってしまった。畑の入り口にある沈丁花も、大方で盛りを過ぎそうな勢いで咲いている。部分的につぼみの集団を見つけて「無沙汰をしたね、まだ間に合ったね」とぺこり。
沈丁花の咲く頃の大きな思い出といえば、44年前に認めた「やぶにらみ随筆その1」なるものがある。久しぶりに振り返って、蔵出ししてみたくなった。
『春の断面』
厳しい寒さが峠を越し、女性の白粉を思わせる沈丁花の香りに載って、ようやく春が姿を見せようとしている。長い冬眠から醒めようとする虫や動物たちに代わって、今度は我々人間様がなかなか目を覚ましにくい季節になってくる。
子を持つ親にしてみれば、入園、入学、進学、就職・・・・・・なんとなく落ち着かないのもこの季節の特色でもある。
ある者は、合格発表の校庭に土下座して感謝感激を身体いっぱいに表し、またある者はグッと下唇を噛みしめ、次の機会へ、あるいは他方へ夢を馳せ、静かに校庭に背を向ける。悲喜こもごも、まさに春のひとつの断面を見る。
しかしながら、いずれにせよ両者とも本領を発揮するのはこれからであり、結果をみるのはまだまだ先のことである。人生模様にどのような色を添えるかと言うことの方がはるかに大切になってくる。
我々はいま、その絵筆を握っている最中である。
情報過多と言われ、綿密な管理体制の中ではあるが、菜の花に舞う蝶を愛で、四季折々に移り変わる花を愛する気持ちのゆとりを忘れず、一歩一歩を確かな足取りで生きていきたいと思う。
44年前、若干35歳。目的はきちっとしたものがあって、それを少し柔らかく相手に伝えたくて、回りくどくなったのかもねー、などと苦笑いしている。若かったんだねー。こんな時もあったのだ。
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