1978年(午年)。32年前のお正月。会社機関誌に随筆なるものを書き始めて10ヶ月。
若かりしあの頃、いったい何を思っていたのだろう。ちょっと振り返ってみたい。
『「ああも言い こうも言いつつ 一年過ぎて 振り向き見れば 夢のまた夢」
正月元旦を迎えると誰しも、長い人生の一里塚として、心あらたまる思いがする。
毎年年頭に当たって、今年こそあれだけはやろう…これだけはモノにしよう…と指を折ってみる。
しかし、実際に身に付いたものと言えば意外に少ない。それでも一年一年を重ねる毎に、新しい場所へ新しい足跡を残し、新しい知識を吸収することで、楽しみ苦しみ喜びそして悲しみを体験し、人間としての幅を広げて行くのだろう。
「自慢は知恵の行き止まり」と昔から言われる。
反省のないところに進歩はあり得ない。謙虚におのれの歩いた足跡を振り返ってみるのも面白い。
そこには、赤面することもあるだろう、その足跡を土台に更に飛躍を誓うこともあるだろう。いずれにせよ、足跡を残したのは自分自身なのだ。責任を取るのも自分しかいない。
そんな意味からも、お正月とは人生のひと区切りとして、ジックリ振り返り、その上で新しい目標を立てる絶好のチャンスである。呑んで食って遊び呆ける為だけのお正月ではいささか物足りなさを感じる。
筆者も今年は午年当たり年。衆目を集め、ファンファーレに乗ってゲートインするサラブレットにはなれなかったし、今更なり得べくもない。が、たとえ農耕馬だろうと雪深い山から木を切り出す木こり馬だろうと、馬に変わりがあるものか。
あの長い顔の鼻先から白い息を吐きながらでも、与えられた今を全うすべく精一杯生きたいと思う。
人生を豊かに、幅広い人間になるよう、この正月をひと区切りに向こう一年、がんばってみたい。』
思えば30才半ばでこんなことを考えていたようだ。ちょっと夢に欠けるし、今もってあの頃と大きく変わっていないことに気付かされる。進歩してないよな~~。
若かりしあの頃、いったい何を思っていたのだろう。ちょっと振り返ってみたい。
『「ああも言い こうも言いつつ 一年過ぎて 振り向き見れば 夢のまた夢」
正月元旦を迎えると誰しも、長い人生の一里塚として、心あらたまる思いがする。
毎年年頭に当たって、今年こそあれだけはやろう…これだけはモノにしよう…と指を折ってみる。
しかし、実際に身に付いたものと言えば意外に少ない。それでも一年一年を重ねる毎に、新しい場所へ新しい足跡を残し、新しい知識を吸収することで、楽しみ苦しみ喜びそして悲しみを体験し、人間としての幅を広げて行くのだろう。
「自慢は知恵の行き止まり」と昔から言われる。
反省のないところに進歩はあり得ない。謙虚におのれの歩いた足跡を振り返ってみるのも面白い。
そこには、赤面することもあるだろう、その足跡を土台に更に飛躍を誓うこともあるだろう。いずれにせよ、足跡を残したのは自分自身なのだ。責任を取るのも自分しかいない。
そんな意味からも、お正月とは人生のひと区切りとして、ジックリ振り返り、その上で新しい目標を立てる絶好のチャンスである。呑んで食って遊び呆ける為だけのお正月ではいささか物足りなさを感じる。
筆者も今年は午年当たり年。衆目を集め、ファンファーレに乗ってゲートインするサラブレットにはなれなかったし、今更なり得べくもない。が、たとえ農耕馬だろうと雪深い山から木を切り出す木こり馬だろうと、馬に変わりがあるものか。
あの長い顔の鼻先から白い息を吐きながらでも、与えられた今を全うすべく精一杯生きたいと思う。
人生を豊かに、幅広い人間になるよう、この正月をひと区切りに向こう一年、がんばってみたい。』
思えば30才半ばでこんなことを考えていたようだ。ちょっと夢に欠けるし、今もってあの頃と大きく変わっていないことに気付かされる。進歩してないよな~~。
今日は、中央図書館で角田さんと三坂さんと秋山さん作品展に行きます。取材ではありません。時間があったら・・・・
あけましておめでとうございます。
昔自分が書いた文集など、
恥ずかしくて読み返せないです。
正月に実家に帰ったとき
昔のアルバムが出てきて
若かりし頃の弟とのツーショットに
甥や姪がキャーキャー騒ぎました。
今年もよろしくお願いします。
明日にでも中央図書館に出向きます。
今年もどうぞよろしくお願いします。
遠い昔に書いた物ですが、基本的には今と全く変わらない…。
進歩がないですねー。