「3・3・3」そろい踏み
令和3年3月3日。別に何がどうしたと言うわけでもないが、ただなんとなくいいことがありそうな気がする日であった。が、残念ながら格別いいことはなかった。かといって良くないことがあったわけでもない。つまり、悪いことが起こらなければ、それこそがいい日であったということでもある。
3月3日、桃の節句、おひな様。ここ数年の中で、これほど寂れた思いでこの日を迎えるのは珍しい。県またぎで里帰りしたら、家に帰ってから10日間は自宅待機を命ぜられて、幼稚園にも登園させてもらえないという。そんなコロナ禍の日常では、姫孫たちに「ひな祭りするから帰っておいで」などと言えもしない。ヘタにこちらから押しかけてひな祭りなどとはしゃぐと、それこそひんしゅくものである。
かつては長女の初節句に嫁の里から贈られた、七段飾りの豪華なおひな様も段々日の目をみることもなくなった。箱詰めにされたまま階段下の収納庫で静かにおやすみである。どういうわけか、あのお祝いの雛飾りは嫁入り道具に入れてもらえず、里に置きっぱなしにされるのが何でじゃろう。「今年は出そうか、どうしよう」迷った挙げ句「仕舞うのがね~」ということで、ここ数年みてないね~。
そして今ひとつの「333そろい踏み」の下らぬ思い出がある。「忙しい忙しい」と口では言いながら、やり繰りしてほんのわずかな空き時間を作り、小銭を握ってパーラー(パチンコ愛好者)となって駆け込むパチンコ屋さん。滅多に並ばない3のゾロ目、7のゾロ目を狙って費やしたお足は如何ほどか。でも、あれはあれで面白かったのだ。ストレス解消になって次の仕事を頑張れた。その当時は、次から次へ売り出し中の演歌が流れ、歌を覚えるのに絶好の場所でもあった。遠い遠い昭和の物語。
それにしても、祈念すべき3・3・3のそろい踏みなのに、発想の貧困には困ったモノだ。
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