私たち子や孫・ひ孫に多くの思い出を残してくれた母。
満100歳7ヶ月10日という天命を全うし、穏やかな笑みさえ浮かべているような優しさで黄泉路へと旅立った。
2008年11月10日17時26分。生涯忘れられない日となった。
母がお世話になった療養型介護施設。入所から2年8ヶ月、家庭用電話では何度か治療やリハビリの方法などのお話をしてきた。今まで携帯電話に一度も掛かってきたことはなかった。
11月10日17時23分、初めて掛かってきた携帯電話の内容が「大至急来て下さい」であった。
12㎞ばかりある施設へ吹っ飛ばした。到着したとき、看護士さんたちが涙顔で迎えた。電話から3分後には事切れていた。最後の最後を見届けられなかった口惜しさは残る。それほど母が急いでいたのかも知れない。頭を顔を撫でて上げると体温が伝わってきて、言葉よりも何よりも通じ合える二人だけのお別れをした。
その時の安らかな寝顔は、これぞ仏の顔……「あんたの生きざまがそのまま顔に表れたようじゃね」と、今更ながら褒めて上げたくなる優しさのまま目を閉じていた。
それからというもの、頭の回線はこんがらかって、ほどこうにもほどけない。神経はビンビンとんがりっぱなし。記憶力が飛んでしまって、ただただ右往左往。少し落ち着いた頃には「喪主」というそれこそ今までに経験したことのない、冷静な判断力が必要とされる立場に。
当面目標の100歳をクリアーしたのだから半分はお祝い気分だよねーなどと、たかをくくっていた自分自身が、声を出せば涙も一緒に出てきそうで無口になる。
それでも通夜式・告別式ともに挨拶がまわってくる。思いっきり母を褒めて上げよう、と言うより、母のこれまでの生き方を普通に話すだけで褒め言葉になる。だからあれも話そう、これも聞いて頂こう…と精一杯欲張って準備して臨んだ。
柄にもなく、予定していたことの10分の1も言葉にならない。喉がカラカラ音を立てるよに渇く。「おふくろ、ごめんね、何にも言えなくて……」
多くの皆さんのお力添えで、何とか葬送の儀は無事終了した。身に余るほどの多くのお見送りも頂いた。
斎場では、ひ孫のカー君が、大声で泣きながら大粒の涙を流して棺に手を添えるのを見るのが辛かった。
このような繰り言を述べると2000字や3000字は軽く突破する。敢えてとどめることにしよう。 そして早く正常に戻ろう。誰もが経験する道なのだから。それにしてもやっぱり最後があっけなさ過ぎて悔いが残るなー。
そして今日は早くも初七日。哀しみに打ちひしがれてばかりはいられない。
( 写真:不謹慎と叱られるのを覚悟で。「お見送りの祭壇」 )
満100歳7ヶ月10日という天命を全うし、穏やかな笑みさえ浮かべているような優しさで黄泉路へと旅立った。
2008年11月10日17時26分。生涯忘れられない日となった。
母がお世話になった療養型介護施設。入所から2年8ヶ月、家庭用電話では何度か治療やリハビリの方法などのお話をしてきた。今まで携帯電話に一度も掛かってきたことはなかった。
11月10日17時23分、初めて掛かってきた携帯電話の内容が「大至急来て下さい」であった。
12㎞ばかりある施設へ吹っ飛ばした。到着したとき、看護士さんたちが涙顔で迎えた。電話から3分後には事切れていた。最後の最後を見届けられなかった口惜しさは残る。それほど母が急いでいたのかも知れない。頭を顔を撫でて上げると体温が伝わってきて、言葉よりも何よりも通じ合える二人だけのお別れをした。
その時の安らかな寝顔は、これぞ仏の顔……「あんたの生きざまがそのまま顔に表れたようじゃね」と、今更ながら褒めて上げたくなる優しさのまま目を閉じていた。
それからというもの、頭の回線はこんがらかって、ほどこうにもほどけない。神経はビンビンとんがりっぱなし。記憶力が飛んでしまって、ただただ右往左往。少し落ち着いた頃には「喪主」というそれこそ今までに経験したことのない、冷静な判断力が必要とされる立場に。
当面目標の100歳をクリアーしたのだから半分はお祝い気分だよねーなどと、たかをくくっていた自分自身が、声を出せば涙も一緒に出てきそうで無口になる。
それでも通夜式・告別式ともに挨拶がまわってくる。思いっきり母を褒めて上げよう、と言うより、母のこれまでの生き方を普通に話すだけで褒め言葉になる。だからあれも話そう、これも聞いて頂こう…と精一杯欲張って準備して臨んだ。
柄にもなく、予定していたことの10分の1も言葉にならない。喉がカラカラ音を立てるよに渇く。「おふくろ、ごめんね、何にも言えなくて……」
多くの皆さんのお力添えで、何とか葬送の儀は無事終了した。身に余るほどの多くのお見送りも頂いた。
斎場では、ひ孫のカー君が、大声で泣きながら大粒の涙を流して棺に手を添えるのを見るのが辛かった。
このような繰り言を述べると2000字や3000字は軽く突破する。敢えてとどめることにしよう。 そして早く正常に戻ろう。誰もが経験する道なのだから。それにしてもやっぱり最後があっけなさ過ぎて悔いが残るなー。
そして今日は早くも初七日。哀しみに打ちひしがれてばかりはいられない。
( 写真:不謹慎と叱られるのを覚悟で。「お見送りの祭壇」 )
「声を出せば涙も…」
合掌
yattaro-さんの優しい思いは「コスモス」からも感じたばかりで、お別れはさぞかし辛かっただろうと思いました。
ご挨拶にはたくさんの言葉を用意されていたのですね。私にはお母様の人柄が偲ばれる穏やかなご挨拶に聞こえました。
今日までとてもお疲れでしょう。ゆっくり日常を取り戻していかれたらと思います。どうぞ、お体にはお気を付けて。
傍らに寄り添い、お別れを心に刻んでいたいのに、
残された者にはせかされるような時間が過ぎ去ってしまいます。
たくさんの思い出の中で涙したり笑ったり、ご自身・ご家族にはこれから静かで温かな時間が訪れるのでしょう。
お疲れが出ませんように… kei
通夜の挨拶を聞いた時、私も一緒に涙が流れだしました。いいお話でした。語りきれないお母さまとの思いで、これから時間をかけてゆっくりと又思い返してあげてください。
100歳を超えられたとか。
きっと心・技・体兼ね備えられた
素晴らしいお方だったのだと想像いたします。
yattaro-さんの一言一言から素晴らしいお方であったとお察し申し上げます。
寂しさは尽きないと思いますが、ひ孫さんにまで見送られ、お苦しみもなく、お幸せのうちに旅立たれたことでしょう。
これからは何かにつけ、いつでもどこでも、暖かい目で見守っていてくださることを感じられるのではないでしょうか。
初めての喪主を勤められたyattaro-さん、亡きお母上のためにも早く立ち直られることが一番です。
「元気でいるよ。これからも頼むからね。」とお祈り出来ることを願っております。
折々の書かれるお母様への優しい思いやりの文章からyattaro-さんの心情は読むものへも伝わっておりました。
ゆっくり時間をかけて思い出に涙したり語ったりしながら日常へお戻りください。
でも、これまでもこれからも自分の生活の中で感じたこと、直面したことを正直に書き残そうという主旨から考えれば、やはり、包み隠しなく悲しい時は悲しい・嬉しいときは嬉しい…と言うために今回も敢えて偽らざる心境を述べました。
少しずつ頭の回路がつながりつつあります。
早く完全に戻って、楽しいブログに改めて挑戦したいです。どうぞおみ限りなく……。
友人知人の皆さんの思いやりと、姉弟や甥・姪みんなの協力を得て、100歳の長寿にふさわしい見送りが出来たことを嬉しく思っています。
21日例会には、シャンとして出席します。モタモタしていたら気合いを入れて下さいね。
大きなお心遣い、身にしみています。そして、熱い友情を深く肝に銘じました。
母上の件では、ロードスターさんは過去のこと。私は現在進行形という立場の違いがありましたが、これからはお互い思い出話の中で母を語り合うことになりました。
母に叱られないよう、変わり身の早さを前面に出して、21日例会には参加させて頂きますよ。