「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「ちっちゃなトラウマ」

2021年09月18日 | 思い出話

              
                 気軽に見ていられる、地元小学校の運動会

福岡県に直接上陸する初めての台風。ということで、これまでにない珍しい進路をとった台風14号。大いに心配して、サッシ雨戸も完全に閉めて、宵のうちしばらくはガタゴト・ギシギシに加えてビュ~~という音に少し怯えた。

それがなんと、夜半にはピタッとやみ、雨も上がった様子だった。
朝起きたらもうギンギラ太陽が眩しく、予定されていた地元小学校の運動会も実施となった。そうなると役目柄、運動会スナップを撮りにいく作業が待っている。但し、私のような、児童の保護者でもない、単なる地元広報紙の写真取材などは、コロナ感染対策で来場お断りの筆頭である。それでも一応会場に赴き、校長先生に事情を述べたら「どうぞどうぞ、是非よろしく」ということでやっとこさ、あちこちにカメラを向けられる。

昨年に続いて、コロナ対策縮小バージョンで、約2時間の淋しい淋しい運動会である。そんな中でも「よーい、ドン」の駆けっこだけは全学年行われる。
この「よーい、ドン」が私にとっては生涯頭から離れない、ちっちゃなトラウマとなっている。
瞬発力もない、持久力もない小学生の私はいつもみんなの背中を見てゴールに入った。どん尻である。
一方で、勉強は出来る、足は速い兄貴と比べられて、いつも親父を嘆かせたものである。「今日は生卵を飲んで元気出してガンバレ」と、70年前には貴重品だった生卵を飲まされて背中を押された。それでも効果なくどん尻はいつもの通りだった。

敗戦国の悲哀がまだ色濃く残る時代では、たとえ運動会のかけっこであっても、勝つ子が偉くて、どん尻は評価が下がったのかもしれない。どん尻は淋しいものだという思いが強くなり、運動会はきらいになった。どうかすると当日お腹が痛くなったこともあったのかな、なかったのかな。

そんな遠い過去がふとよみがえるのか、よその子の駆けっこにカメラを向けるのは、一緒に走る子が固まって走るシーンにシャッターを押す。1位と最後尾が離れすぎているシーンはシャッターを押す指に力が入らない。そして「遅くてもいいんだよ、最後まで精一杯の力で走って」と応援している。
こんなのをトラウマというのどうか判断に迷うところであるが、70年前が今も頭をよぎる運動会シーズンである。

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「不得手の部類」

2021年09月17日 | つれづれ噺

              

台風14号襲来に備えて、家の周りをわずかに整理整頓した。今回も我が住む町に大した影響はないことを祈りつつ。
午後3時半を回っても未だそれらしい兆候のないまま、コーヒータイムに入ろうとしたとき、固定電話が鳴った。
近くに住む姉から。「この前アンタからもらったお米に虫が湧いている。買ったお店と交渉したいので大至急連れて行って」とひどい剣幕である。

お中元代わりに渡した中の、こしひかり5kgのお米の袋に虫が湧いていて食べられない、食べる気もしない。とおカンムリ。
かれこれ7週間前に買ったもので、保管状態はどうだったか。封を切ったのはいつか。など先ずはこちらに落ち度はないのか。買ったお店に持ち込んでも、すでにレシートなど残してはいない。「お店が交渉に乗ってくれるのか?」。姉の剣幕とはまるで反比例にこちらは腰が引けている。

「冗談じゃない、お米なんてものは2ヵ月3ヵ月おいても平気なのが当たり前。ワタシが交渉するから」と。スーパーで一人で買い物することなどない買物素人に対し、買い物の超ベテラン、しかも独り住まいで気持ちだけは勝っている後期高齢者が詰め寄(笑)。
兎に角お店に連れて行って「これこれしかじか、店長さんとお話がしたい」と。先ずはこのアタシがやんわりサービスカウンターの女性と交渉。「どんな店長が出てくるんじゃろか。交渉がうまくいくんじゃろか」。一番不得手な部類といっていいこんな交渉ごとに気持ちは沈む。

小柄な男性がにこやかに現れた。店長である。先ずは買った私がちょっと事情を説明する。姉も「こんなモノを売ってどうするのよ」といった勢いで抗議したくて意気込む。「時々こういったことがあるんですよ・・・」と言うが早いかレジのお姉さんに「返品、お代を返して」と言うことで、交渉も何もない、先方は心得たもので、あっという間に一件落着。大型スーパーの経理事情なんてこんなものか、と驚く。と同時に金さえ返せばことが済むのか。

「店長、7月に精米したコメに虫が湧くのは当たり前のことなのか」「お客はそのたびに交換に来なけりゃならんのか」「虫の湧かないコメを売るべきじゃないのか」。それがこの季節はよくあるんですよ、仕入れ先に注意しておきましょう。その程度だ。今回はコメだったので、ご飯にして頂く前に異常を発見したからいいようなものの、返品慣れしてしまうと、恐るべき大型スーパーのお店事情ではある。
皆さんもどうぞご注意あれ。信頼などという言葉はこの世から消え失せるのかねー。いつかどこかで改めて問題提起してみたくなっている。

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「小さな使命を抱えて」

2021年09月16日 | 地域活動

                                                               
                      年3回発行される、地区社協広報紙

現在はどこの町でもそうであるように、住民生活の小さな部分で、行政を頼りにする「公助」が期待薄である自治体が多いようだ。その分、自治会・町内会などが主体性を持って、自主的に住民同士の助け合いを推進する「共助」が、じんわり浸透しつつある。そして自分のことは出来る限り自分で処理する「自助」も多く見られる。

我が住む町も多くの自治体と似たようなもので、自助努力を支える共助体制の充実を目指して、色んな地域活動が展開されている。
その中の一つ地区社会福祉協議会に誘い込まれてから何年になるのだろう。知らず知らずのうちにベテランと呼ばれる域に達した。これは自慢話でもなんでもなくて、ただ見様見まねで長くやって来た分、アウトラインや輪郭が少し見えてきて、オタオタすることが少なくなったのかな。
逆にその分、愚痴をこぼしたくなるときもあるということかも。

年3回発行している地区社協広報紙の、明年1月1日発行第53号の広報委員会をスタートさせた。例年に比べると約1か月早い。何故か。一つはコロナ禍、今ひとつはこのところの天候不順である。
8月~12月の間は、地域の環境対策事業、高齢者福祉事業、青少年育成活動、住民の健康増進などなど、広報紙の格好のネタとなる事業・活動がひしめいている。これらが順調に行われれば何の問題もなく広報誌は出来上がる。

ところが、事業・活動によってはコロナ感染対策の観点から「中止」に追い込まれ可能性は十分にある。また海岸清掃など屋外活動の数々は、雨や台風襲来で、直ちに「中止」になる可能性大。つまり、紙面を割り振り、事業・活動のはめ込みなど完璧な準備をしても、中止を予測して多くの活動の代替記事を考えておかなければならない。これは大変な苦労である。などと、勝手な愚痴をこぼしたくなる広報委員会でもある。

社協活動の原資は住民皆様の賛助会費という寄付金が全てといっても過言ではない。原資を頂く住民の皆様に、資金の使途や活動実績を報告しなければならない使命が広報紙にのしかかっている。だからこそ遣り甲斐というエネルギーに背中を押されるのではある。小さいながらも我らの使命を果たすためにも、コロナよ、邪魔しないでおくれ。雨よ台風よ、屋外活動が出来る程度におとなしくしておくれ。と祈りたい。

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「怨親平等」

2021年09月14日 | ニュース・世相

           
              織田信長 肖像画         明智光秀 肖像画

「天下布武」を提唱し、天下統一を目指した偉才な武将織田信長。織田信長の命令で、比叡山延暦寺焼き討ちを指揮するなど有能な家臣であった明智光秀。やがて家臣光秀の逆襲によって果てる信長。光秀は信長に代わる天下統一の夢を果たせないまま、豊臣秀吉に討たれる。
日本の長い歴史に横たわる、討つ者、討たれる者の怨念の川はとどまることを知らなかった。

そんな歴史の1ページである比叡山延暦寺焼き討ちから450年という歳月を経て、大津市の比叡山延暦寺で法要が営まれたというニュースが目に留まった。
法要には織田信長の子孫と明智光秀の祖先が招かれたという、粋な計らいの一大イベントであったようだ。なんでこういった法要になったのか。

今年は、延暦寺を開いた天台宗の開祖・最澄師の1200回忌にあたることもあって、最澄師の教えでもある『怨みをもって怨みに報ぜば怨み止まず、徳をもって怨みに報ぜば怨み即ち尽く』を引用し、かつての怨敵同士の織田子孫、明智子孫を同席させて、「怨」を葬り「親」を生み出そうということでもあったようだ。
いまひとつは、現在も世界中至るところで起きている、怨みが怨みを呼ぶ民族紛争を早く終結させたい。そんな思いを込めて、法要導師を務めた延暦寺の水尾寂芳執行がこの言葉を述べられたということであった。

「怨親(おんしん)平等」とは、怨敵も親しみある者も平等にみなければならないという、仏教の根本精神「大慈悲」を説いたものである。つまり、憎い敵だからといって憎むばかりではいけない。逆に親しい者だからといって特に執着すべきではない。どちらをも平等にいつくしみ憐れむべきである。という教えだとのこと。

仏教にも神道にも精通していないグータラ男が、「織田子孫と明智子孫が同席法要」という見出しに惹かれて、新聞報道の受け売りを記したまでのことである。
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「メダカの学校」

2021年09月13日 | 季節の移ろい・出来事

                                                     
                 メダカの学校は甕(かめ)の中・・・

朝夕の涼しさ・肌寒さはすっかり秋本番。夜明け近い薄明かりの中で、肌布団1枚余分に欲しくなる季節となった。

暑さに煮え返りそうな水温を日除けでカバーし、冷たい新鮮な水を足しては守って来たメダカさん。今年は早くから順調に産卵し、うまく孵化させて大量の新一年生を迎えた。一時は「こりゃメダカの佃煮でも出来そうじゃ」と冗談を言わせるほどにウヨウヨしていた。
孵化した時期ごとに4つの容器に分けて、毎朝眺めては「早く大きくなれよ」と声を掛けてきた。

ああそれなのにそれなのに。明らかに季節の変わり目を感じさせる今日、3年生・2年生そして1年生それぞれに容器を洗って水垢を落とし、新鮮な水に戻した。3年生2年生は出席順番の通りおおむね元気に夏を越した。ところが、肝心な新1年生は60~70尾生まれたというのに、なんと半数以下30尾そこそこに減っているではないか。さてはメダカの世界もコロナ禍で、三蜜のるつぼにはまって大量死か、と嘆くばかり。

いやいやそうではない。なんでもかんでもコロナのせいにしたがるが、我が家のメダカ大量死は紛れもない『熱中症』である。水が濁り、水中酸素欠乏という、稚魚にとっての致命的な手抜きを、この飼い主がし出かした結末である。云うて行くところもない失態をしてしまった。
兎に角残された30尾そこそこを、滅菌として投与される塩素を完全蒸発させた真新しい水道水を使って元にに戻した。気持ちよさそうに泳いでいると思っている。
完全に生き残れるか、結論は2・3日先の話である。それにしてもメダカは呑気でいいよねー。誰が生徒か先生か分からないまま気楽に泳ぎ、集合写真を撮ろうとしてもなかなかうまく並んではくれない。

ところで、我が孫君たちは2学期の始まりも特に時差登校などもなく、さすが田舎の小規模校。普通通りというかむしろ1学期の遅れを取り戻すべく尻を叩かれている様子。でも都会や大規模の学校では、時差登校も止む無くされ、子供たちの情操教育に大きな影を落とすコロナ禍ではある。
そんな現実を背負う苦難の2学期ではあるが、何としてでも感染拡大を抑えて、三蜜もほどけ、大声も許される日が来ることを待ち望むばかり。

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「長夜の夢を覚まされて!」

2021年09月12日 | つれづれ噺

             
               子育て大変、三兄弟を!

9.11。の続きを今一筆。
まさか・・・・・・の夢が現実となり、幸せな普通の生活が一変。底知れぬ不幸に襲われた、中東テロリストによる無差別テロ攻撃の標的となったニューヨーク、世界貿易センタービル。そこには当然、各国の商社マンが働いていた。もちろん日本人もそこにいて、一瞬にして命を奪われた犠牲者、そして悲嘆に暮れる犠牲者家族がいた。

20年前のその日、3人目の子をお腹に宿した女性のご主人が、標的となったビルの中にいたという。約3週間たってようやく本人確認が出来て、手許に届いたのは、身につけていたペンダントと親指だけという哀れな結末だった。事件から3ヶ月後に誕生した男の子と併せて3人の子供を育て上げた。あれから20年の歳月、三男君は元気に大学生となっていた。

その女性にマイクを向けて「悲しみのどん底から3人を育て上げた20年の思いとは何っだたのか」の問いに「テロになど負けてなるものか。必ず立派に育て上げる、その一心だった」という答えだった。さらに続けて「3人の子育てはとても楽しく、そのお陰で元気に生きてこられた。主人にこの楽しさを味合わせて上げられなかったことが悔やまれる」と。まるで現代版肝っ玉母さんである。

もちろん、この世から一掃しなければならない憎しみの連鎖「テロによる報復」である。そんな現代にあって、このような日本女性の強さと清々しさを見せられると、世界の中で我が日本国の果たす役割が自ずと見えてくるような気がする。そんな、あれから20年である。

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「長夜の夢を・・・」

2021年09月11日 | ニュース・世相

9月11日。思い出すのはあの、ニューヨーク世界貿易ビルへの旅客機衝突のショッキングなニュースである。
映像はと言えば、まるで夢か、SF動画でも見ているような、信じられない光景が20年前のテレビ画面に映し出された。何の罪もない人たちが搭乗した旅客機2機が、当時のテロリスト集団によってハイジャックされた。そのまま、旅客機2機は世界貿易ビル目がけて体当たり。無残にもビルは崩れ落ちた。
3000人近い人の命が一瞬にして奪われたあの、アメリカ同時多発テロから今日で20年になる。その後間もなく始まった、アメリカを中心とする連合軍対テロリストの泥沼の戦争は、大きな犠牲や爪痕を残して曲がりなりにもひとまず終結した。

正義とは何か。この戦争によって明るい未来を迎えられた人がいるのか。答えが出ないままである。ということは、対テロ戦争が完全終結したとは思い難い。再び20年前に戻る可能性は秘めているのではないかと気に掛かる。

20年前の9月11日が第1回目の「長夜の夢を覚ます」であったのだ。つまり、思いがけない大事件が平和に慣れた人を驚かすことを、事実として目に前に知らしめた。
今後第2回目の「長夜の夢を覚ます」ようなことは、絶対に起きないで欲しいと願うばかりであるが、確かな保証などどこにも見当たらない。

多くの犠牲者を悼む20年目の追悼式典は、本当の意味で「世界の人類の平和」を祈る式典になって欲しい。

かつてフロリダ州に住んでいた同級生から、当時の生々しい写真を数多く送ってもらってはいるが、PTSD等の問題もあり、今回は画像の添付を遠慮させて頂きます。

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「救急車事情」

2021年09月09日 | カープ一喜一憂

            

9月9日といえば、誰が考えても9と9で救急の日ということになる。それに倣ってというか、敢えて逆らわず救急救命の話題に触れてみたい。

ピーポーピーポーピーポー、けたたましいサイレンを鳴らして、すぐ近くの国道を西へ東へ駆け抜ける救急車。急な病気やけがで119番に通報して救急車を呼ぶと、近くの消防署から救急車が無料で駆けつけてくれる。これは日本の大きな特徴なのだと言われている。

例えばパリでは医師が同乗した救命装置つきの救急車が駆けつけると、2万3000円ほどが後日請求されるし、ニューヨークでは救急車を呼ぶと約300ドル、つまり基本料金2万5000円+走行距離1マイルにつき約600円が加算される。ドイツも同様に日本円に換算して約2万〜7万円が請求されるという話。そのほか中国、オーストラリアなどでも救急車を呼ぶとその費用が請求されのだそうな。こうした救急車を取り巻く国別の実情を見ても、日本の救急事情というか医療体制が、いかに安心で優れているかが伺い知れる。
但し、このたびのコロナ対策の一連では必ずしもそうでなかったので、我が国の医療体制の貧困を嘆いてみたが、あながちそうばかりでもないということも認識したいものだ。

こういった救急体制を理想的に使いこなすのも、善良な国民の義務なのだが、中にはそこまで考えずに身勝手な行動で救急車本来の活用を阻まれることもあるようだ。
■病院に行きたいけれど、家族が留守なのでタクシー代わりに呼んだ。
■紙で指を切った。血は止まっているけれど心配だから救急車を呼んだ。
■持病のくすりがなくなってしまったから救急車を呼んだ。
■日焼けして皮膚がヒリヒリするから救急車を呼んだ。
■心臓がドキドキするから救急車を呼んだ。

こんなケースはあくまで一部ではあるが、過去の実績を見ても、普通の常識では考えられない救急出動が40%を超えた時期もあり、実際に救急出動が必要な人を救えなかったケースもあるという。そのため「病院に行ったほうがいいか? 救急車を呼んだほうがいいか?」判断に迷ったら、安心センター「♯7119」に電話して、まずは相談するようにしてほしいと、救急車の適正利用を消防庁は広く呼びかけているという。
「♯7119」という電話番号はあまり聞き慣れないが、全国的に普及しているのか、確かめてみたい。
いずれにしても、出来るなら救急車のお世話にならない早めのケアを心掛けたいものである。

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「欲を満たす季節」

2021年09月08日 | 季節の移ろい・出来事

      
日の暮れ時刻になると、そぞろ吹いていた風がピタッと止んで、30・40分間イヤな蒸し暑さに悩まされる「瀬戸の夕凪」。瀬戸内海沿岸独特の夕方の凪ぎ状態。そんな状態も秋の訪れとともに段々遠のいていく。いい季節の到来ではある。

そうなると少しずつではあるが欲が湧いてくる。先ずは食欲かな。暑さを避けるために昼ご飯など自然に冷たい系を好んで来た。つい量を過ごしたりして胃の腑に負担をかけて、全体的な食欲減退を感じてきた。そんな今日、ふと目にしたのが「バランスある食事のスタンダード」『まごわやさしいヨ』である。
ま=豆類。ご=ごま、ごま油類。わ=わかめなど海藻類。や=野菜類。さ=魚・肉類。しいたけ(キノコ類)。いも類。そしてヨーグルト(乳酸菌)。こういった食材が健康長寿には欠かせないということだった。これらをバランス良くしかも腹八分目で食欲を満たしたい。

次に、暑さボケやオリ・パラ観戦で、それでなくても空っぽに近くなっている頭の中を少し活性化させたい。そこで、秋の夜長を燈火に親しみ読書にいそしむ欲が少しではあるが湧いてくる。つまり、弱りかけた体力を食料で補い、薄くなりかけた知能を読書で補う。そんなささやかな欲を満たす秋になったらいいと思ってはいる。

未だ衰えを知らないコロナ禍で、地域活動も児童生徒の支援活動も、多くが中止になったり多人数の接触制限が厳しく求められている。これ幸い、そちらに費やすエネルギーを蓄え、しっかり身体を休めな自らの自らのわずかな欲を満たす季節にしてみよう。出来るかな~?

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『白露降寒蝉鳴』

2021年09月07日 | 季節の移ろい・出来事

             
                  今日、初冠雪の富士山

日本のシンボルである富士山に、平年より25日も早い初冠雪を見たという。
時あたかも、二十四節気の一つ「白露」に合わせた初冠雪。いよいよ夏とのお別れなのだねー。あの灼けつく暑さ、熱波。続く長雨による洪水被害。どれを取っても息苦しい思いをした夏が行く。

そして『白露降寒蝉鳴』。秋の露が草花の葉に宿るころとなってもまだ蝉が鳴いている。朝晩の冷え込みは少しずつ増してはいるが、残暑はまだまだ厳しいものだ。いわゆる季節の変わり目、体調の変化に気を付けなさいな。という戒めが込められているのかも。

いまひとつ、「 夕月夜 心もしのに白露の 置くこの庭に 蟋蟀(コオロギ)鳴くも 」

空には夕月が出ていて、庭には秋の露が光りコオロギが鳴いている。その鳴き声を聞いていると、心がしおれてきて、ひとりぽっちの寂しさがたまらなくなってくるねぇ。という、その昔の佳人が人恋うる気持ちをあらわしたものだ、とある。

昔も今も変わらず、秋の初めとはなんとなくもの悲しくなるものだ。というが、果たして現代人はどうなんだろうねーご同輩。

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