「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「夢のあとさき!」

2021年09月06日 | つれづれ噺

          

TOKYO2020オリンピック・パラリンピックその全てが幕を閉じて一夜明けた。
思い出の場面、感動にむせんだ場面、地元出身選手の活躍など、ニュース番組の中で目にすることはあるが、あの必死な形相で世界の頂点を目指す闘いを目にすることはなくなった。テレビ画面を見る時間が減った。これをオリ・パラロスとでも言うのだろうか。

アスリートにとっては、自己最高の記録に、自己最高の力を出し切ることに、がむしゃらに挑戦した結果、晴れ舞台に立つ出場権を得ること。それが最初に見る夢なのであろう。その夢を叶えたら次なる夢が生まれる。それがメダル獲得であり、表彰台に立つことなのだろうと思う。もちろん「オリンピックは参加することに意義がある」これも一理はある。しかし、現代の選手にとってはもっとシビアな闘いが望まれ、結果への期待の大きさが課せられている。

その夢は、最初はアスリート個人のものであったはずなのに、周囲の期待が段々膨らんでいく。そしていつしか、ふる里や出身校の夢になり、種目別団体の夢になり、結果日本の国の夢になる。この「夢」という一つの言葉がアスリートをどれほど昂揚させるのであろうか。その裏を返せば「勝つことが当たり前」になってしまう。これは計り知れないプレッシャーにもなる。言うなればもろ刃の剣である。

全ての夢を叶えた人には、これ以上ない祝福の拍手を贈り、新たな人世航路の船出を祝いたい。
一方で信じられないほどの努力で復活を成し遂げて、最初の夢は手にしたが、次なる夢に一歩及ばなかった多くのアスリートにも惜しみない拍手とエールを贈り、再びのチャレンジにこちらの夢を託したい。

様々な思いを残して一つの夢舞台は去った。でも、真っ新な夢舞台が3年後のパリで待っている。

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「感動この上なく!」パラ・オリ閉幕!

2021年09月05日 | ビッグニュース

                                     

簡単な言葉では言い尽くせない、心の奥底から湧き上がる感動をもらったTOKYO2020パラリンピック。その日程の全てを終えた。
勝者の感涙そして笑顔。敗者の唇を噛む口惜し涙そして最後に見せる笑顔。勝って感謝の言葉を述べ、敗れて改めて周囲の心強い応援に感謝をする。パラ・アスリートひとり一人の人間性がキラリ!随所に輝きを見せる。

これ以上ない最高のステージで、肉体のあらゆる部分を鍛え上げ、その蓄えたパワーを全て出し切って競技を重ねる究極のパフォーマンスは、見ている私たちの五感を通して身体の中にストンと溶け込む爽快感を味わう。
水泳・陸上競技・車いすテニス・車いすラグビー・車いすバスケットボール・ボッチャ等々。どれを取っても一旦見始めたら手に汗握り、肩に力を込めたまま終わりまで見てしまう。まるで自分が戦ったように疲労感を覚えることもたびたび。

42.195kmを走る女子フルマラソン。伴走者というこの上ない頼りにする人と一緒に3時間を走り続ける。練習に次ぐ練習で慣れているとは言え、伴走者の声と、手と手をつなぐロープを頼るしかない。路面やカーブなど見えない状態で走り続ける。少なくとも私の常識では、怖くて怖くてとても走れるものではないと足がすくむ。それをものの見事に目標通り「金メダル獲得」という。山口県下関市出身の道下美里選手の快挙、そしてあの素晴らしい笑顔に、どんな讃辞を贈っても足らないような気がしてならない。

   

  

胸に突き刺さるような数々の名勝負をいっぱい見せてもらって、心からの感謝とともに、聖火が静かに消えた。そして3年先にはパリの地で。

パラ・アスリートの努力を思うとき、人間に不可能という言葉は当てはまらないのではないかとさえ思わされる。とても真似の出来ない生き方だけど、残された人生の中で「ここ一番」という局面に出くわすことがあったら、今日を含めた過去12日間を思い起こし、判断を下す基準にしてみたい。

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「秋、移ろい」

2021年09月04日 | ビッグニュース

                                        
              ❝ 秋茄子の ぷっちり不揃い 母の籠 ❞      倉田 たへ子

煮ても焼いても、味噌田楽にしても 酢の物にしても美味しい茄子。特に秋の茄子は美味い。「秋茄子は嫁に食わすな」と云われるほどだ。
ところでこの、身が引き締まって美味しい旬の茄子を「嫁に食わすな」とはいったいどういうこと?。

一つには、「こんな美味しいものを、憎らしい嫁になど食わせてやるものか」という『嫁いびり説』。
二つ目は、「茄子は体を冷やすから、大事な嫁が体を壊してはいけない」という『嫁思いやり説』。 さらに今ひとつyattaro-流に付け加えると、
三つ目は、「秋の茄子は灰汁(あく)が強いので嫁に食べさせず、いつまでも灰汁の強くない可愛い嫁でいてね」という『哀願説』である。 さてあなたのお宅では、どちらかな??

ま、いずれにしても秋と言う季節と女性との深いつながりは、色んな言い回しで表現されている。
代表格が「女心と掛けまして、秋の空と解きます」その心は、どちらも急に変わりやすい。などと言われていますね~。私が勝手な説を述べているわけではありませぬ。世間一般の話ですよ。セクハラだのパワハラだの、ややこしい話に発展させないように、笑って許して!!

現代では、それも言うなら「男心と秋の空」かも。秋初めの昨日、いきなり総理大臣を辞めてコロナ対策に専念するというビッグニュースが流れた。
もちろん、一日も早いコロナの終息。経済活動の復活。安らぎある国民生活、等々。努力して頂かなければならないことが山積み。しかも衆院議員の任期切れなど、政局混迷の中で旗振り役が交代する政変劇。

あ~あ、この先どんな秋の空になるのだろう。
『総理大臣辞任』というニュースが流れたとたんに、新たな総理大臣による経済政策に期待して、株価が一気に高騰する始末。これを見ても、やはり任期1年で交代する宿命をもって、コロナ禍真っ最中の総理大臣就任であったのかも。その点ではお気の毒な人でもある。さて次なるリーダーはどんな人か、どんな期待をかけるのか。我々国民も、秋の空に倣って変わり身の早さで気持ちを変えて、新たな流れに乗るしかない。これって、積極的なの?それとも投げやり的なの?

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「9月スタート!」

2021年09月01日 | 季節の移ろい・出来事

                                                   

9月1日「防災の日」。新聞一面トップも防災意識調査結果がデカデカと報じられている。
一方で9月ついたちは、立春から数えて210日目でもあり、「農家の厄日」と恐れられた台風襲来の多い日であることは、ご承知の通り。
明治生まれの母から「そろそろ二百十日が近いから台風備えを」と急かされた言葉は今も耳に残る。

今日の一面トップ記事の内容は、数日前に新聞社発信でパソコンに「あなたの意見を聞かせてください」と入ったメールに答えた内容が反映されている。まさに、居住地域のハザードマップ確認状況や実際の避難経験の有無を問われたものであった。また近年の大雨被害や土砂災害、河川氾濫による水害など、災害規模の大型化に備えて、個人が自身の安全や保身に対して、どの程度の関心と意識を持っているか、の実態調査であった。

思い起こせば27年前、生涯2軒目の家を建てるに当って、土地探しの段階でかなり厳しい条件を持っていた。それらは、若干26歳で「何が何でも我が家を持つ」と焦って建てた1軒目の立地条件や家の建て方など、マイナス要因となる実体験が広く参考になっている。
先ずは浸水被害の心配はないか、山崩れの危険はないか。アプローチ道路の広さはあるか、国道への出入り状況は。そして住環境面は空気の良さと風当たりの大小など、シビアなチェックをした。今考えると、何事が起きてもすぐに非難しなくても持ち応えられる立地条件、ということだったのであろう。
そのために、ついつい「避難場所への移動」に腰が上がらない。そうは言っても、自らの命を守るための行動することに逆らっているとは思っていない。こんな天邪鬼がいっぱいいるのかもねー。

孫君の新学期も始まった。ということは「じいちゃん学校」も休校となった。彼ら児童生徒の間でも、コロナ感染は拡大中である。気がかりこの上ない。
防災の日に限ったことではなく、9月=秋という季節に向かって、災害からも身を守り、季節の移ろいによる大気の変化からも身を守り、気持ち豊に佳い季節にしたいと思っているのだが。

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