一通の封書が届いた。いかめしい地域活動の肩書が宛名として認められている。おおよその見当は付く。
案の定、謹啓 時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます から始まっている。
「平成16年の初当選以来、参議院議員として二期 衆議院議員として四期 足掛け二十年の長きにわたり国政に携わってまいりました。」
続いて、国家が直面する諸問題を列挙した上で、「健康上の理由によって志半ばで国政から退く無念」が述べられていた。
防衛大臣を務め、今こそ我が国の近い将来のあるべき姿、進めるべき防衛手段など幅広いビジョンを持った人である。無念さや如何ばかりか。
これもやはり活動するには体力が要る。健康体でなければ事はなし得ない。明晰な頭脳も政治力も健全な肉体の上にこそ成り立つ、ということ。
これは政治家に限らず、我々の日常生活も全く同じこと。健康あっての喜怒哀楽である。お気の毒ではあるが、潔く後進に道を譲る決断をされたことを評価したい。
ところで、「一通の封書が届いた」と冒頭で書いてふと思ったのが「一通の封筒が届いた」でもよかったのかな?などと。
ちらっと調べるとやはり違いがあるようだ、というか違いと言えば違いだねーといった程度のことかもしれませぬが。
まず「封書」は、「封が閉じられている、手紙や書状などの郵便物」をあらわしているってこと。
これは封が閉じられているものだけを指しており、封が閉じられていないものや既に開封してしまったものについては「封書」という言葉は使えないということ。
これに対して「封筒」は、「手紙や文書を入れる四角い袋」自体のことなので、封が閉じられているかどうかは関係なし。中になにか入っているのか、なにも入っていないのかなども関係なく、単純に「四角い袋」自体をあらわしているということ。
つまり、「封筒」に手紙や文書を入れ封を閉じたものを「封書」と呼ぶ、ということになるのだそうな。ま、どっちでもいいやってなお話でした!!