「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「日傘の世話になって!」

2023年06月17日 | 追っかけ爺!

  
       試合開始、両軍整列 あいさつ                     熱戦を展開

  
        試合終了の整列に向かって 勝てば足取りも軽く      挨拶を終え満面の笑顔で、応援席に凱旋報告  

1週間前の土曜日に続いて今日も午前8時30分試合開始。孫君の中学校野球部の山口県大会への出場を掛けた岩国市選手権試合。
先週の予選を勝ち、今日は準決勝、決勝の3試合が行われた。第1試合で勝った孫君たちは次の試合の勝者と決勝戦を戦った。

炎天下の試合はもちろん暑いが、他チームの試合時間を待つのも何かと問題がある。2試合を戦う体力温存と言う面では意外な難敵である。日陰でじっと休んで時間を過ごせばいいのだが、やんちゃな仲間が集まってヒマを持て余す「じっとして体を休めておきなさい」とは言ってもこれがなかな難しい。ついつい走り回って体力を消耗する。

かたや、準決勝、決勝戦と2試合連続で戦うことになる。もっとも、たっぷりの休息時間を与えられるが炎天と言う敵が影を落とす。
それでもはち切れそうなヤングの体力とやる気は、何もかも蹴っ飛ばして若さで乗り切る。疲れなど一切感じさせずケロッとして張り切っている。
何を隠そう、応援に朝から駆けつける追っかけ爺の体力の方がよほど心配である。
野球帽一つで日除けをし、ただただ必死になって一挙手一投足を追いかける。周囲から気が気ではないと心配する目や言葉が突き刺さる。

子どもたちは熱いグラウンドを走り回って真剣勝負をしているのに、応援する人間が日傘をさして涼しくすのは本末転倒じゃない??といういっぱしの理屈を持っていた。ところが、そんな見栄を張っていて熱中症に侵されて救急車騒ぎにでもなったら「じいちゃん、応援に来なくていいよ」などと引導を渡されては困る。ということで百歩譲って日傘を使用することにした。これは効果があった。最初は邪魔に思えたが涼しさには勝てない。そして今ひとつ、氷をたっぷり入れた冷たい水を定期的に飲む。こちらは否応なしに確実に実行した、それには訳がある。

選手や審判、グラウンドボーイなどの熱中症対策として、長くても30分に一度は必ず給水タイムが取られる。そのときはグラウンド上には人っ子ひとりいなくなる。こちらも「そうだ、水を飲もう」ということになる。実に有難い熱中症対策である。
日傘をさし、定期的水分補給をして、延べ7時間に及ぶ応援を快適に過ごした。忠告やアドバイスに感謝。だから孫君たちのチームが優勝できた!!              

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「楽しみな夏・自慢話」

2023年06月16日 | 晴耕雨読

                                                    
                           最初に実を結んだカボチャ
     
                 最初に実を結んだスイカ1号            2号

この年になっていまさら・・・と笑われるかもしれないが、本格的初挑戦のカボチャや例年のスイカ、トマト、ナス、ピーマンなど一連の夏野菜づくりに本腰を入れてチャレンジした。
耳学問のアンテナを広げたり、PC、タブレットの情報をあさったりと、例年にない学習をした(笑)
今までやってきた方法を思い切って変えてみる挑戦もした。

たとえば、それぞれ違う野菜を植える畑という畑の全てにマルチシートという薄い黒いビニールシートを被せてから、苗を植え付けた。早い話が雑草対策である。これまでは、スイカが弦を伸ばして実を結ぶ頃には雑草も負けないほどの勢いで生い茂っていた。スイカに与えたつもりの肥しも大半を雑草に与えていた。そんな愚をマルチシートで防御した。スイカ・カボチャの弦物には植えた直後に刈り取った彼草を敷布団のように敷いてやり、小さな弦を巻き付けやすくしてやった。その他、トマトもキューリもナスもピーマンも植えた2・3日後から根っこ周辺のわき芽や余分な芽を全てむしり取り、本体を一本立ちさせる手助けをした。

邪道か正統か半信半疑ではあったが結果オーライ!!カボチャはこれほど伸びていいのかと思うほどの一気の成長を見せた。スイカも同じように弦の伸びは例年の比ではなかった。カボチャはゴロゴロするほど転がっている。スイカは7月半ばには確実に収穫できる1号2号3号が転がっている。

自慢話になって恐縮だが、年々の経験則によって上達する菜園づくり。先が短いという焦りもあって、思いっきりあれこれやってみた。やりゃー出来るじゃオレだって・・・。これはジジの野菜作りではあってもチャレンジ精神と工夫は、孫君たちに成果を話して聞かせる材料にもなった。やがて、スイカもカボチャも何もかも大喜びで持って帰るお土産のついでに、小さな声で自慢話を聞かせてやろう。いやがるのを承知で(笑)

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「タネをまく」

2023年06月15日 | 季節の移ろい・出来事

                 
                         なんてんの花

正月の門松や玄関の活け花にルビーの息吹を吹き込む南天の実。半年先に紅い実を結ぶためにいま、真っ白い無数の花を咲かせている。
難を転じて福となす・・・と言われる南天。木の実を好む小鳥たちによってどこにでも運ばれ、落とされた排泄物が土に根を張り、それこそどこにでも自生する力強さを秘めている。隣の空き地だけでも大小合わせて数えきれないほどの南天が生えている。愛すべき逞しさ、子孫繁栄の模範を示している。

植物も動物も子孫を残すということは本能的に備え持っているように思える。
あの優しい薄緑のモミジが、子孫を残すために自らのタネに羽を付けて出来るだけ遠くに飛ばして根を生やす。そんな様子をプロペラモミジと呼ぶのを教わったことがある。南天は小鳥のエサとなることで小鳥を媒体として子孫を残す。そこへ行くとモミジは自らの力で幅広い場所に子孫を反映させる。
ウ~~ン、何かを考えさせられる6月の植物繁殖期ではある。

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「渡る世間は???」

2023年06月13日 | ニュース・世相

     三井住友銀行
      【重要】三井住友銀行アカウントの異常通知
     セゾンカード
      セゾンカードアカウント異常ログインのお知らせと認証のお願い
     ETCサービス
      重要:ETCサービスシステムのアップグレードとログイン情報について
     Amazon.co.jp
      アマゾンアカウント異常ログイン-再確認が必要
     ETC利用紹介サービス
      【大切なお知らせ】解約予告のお知らせ(ETC利用紹介サービス)
     税務署 
      未払い税金のお知らせ(自動配信メール)

ご覧頂いているのは、ここ二日の間に個人のパソコンメールに堂々と入って来た、「個人情報詐取」の勧誘メールです。
パソコン個人メールアドレスをお持ちのご同輩は、一度や二度は目にされていることだと思う。そして「世の中油断もスキもならん!」とお怒りのことだと思う。しかもここに掲載したものは年がら年中常習的に入ってくる、ホンモノまがいのニセメールである。オヤ何だろうなどと迂闊にクリックするとうまく誘導されてとんでもない地獄に落とされる。

しかもここに挙げたのは、まさに氷山の一角。他にもパソコン使用中にいきなり「ウイルス感染対策」の画面や、見てもいない配信動画の閲覧請求などありとあらゆる手段を駆使して、パソコンを愛する普通の人から財産の一部を騙し取ろうとする。それがなかなか防げない世の中なのである。防ぐのはガチガチにガードを固めて、知らない相手からのメールには一切反応しない。また発信者の名前は知っていても身に覚えのないメール内容をクリックしない。そういった厚かましさも持ち合わせる能力を自然に身に着けることであろうか。

このところ ❞断て!特殊詐欺❝ の新聞報道で被害の最も多いのが、こういったメールによる個人情報詐取が原因によるものだとも言われる。
人をだます輩がノウノウと大金を集めて裕福に暮らす。騙された側は生きる気持ちまで削がれるほどのダメージを受ける。
渡る世間は鬼ばかりとは言わないが、騙される人が多いと騙す奴はさらに増える。今一度身辺を見直して、このような被害に遭わない生活をしたものである。やっぱり渡る世間は鬼のほうが遥かに多いということか。

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「今こそ、菖蒲園!」

2023年06月12日 | いわくに よいとこ

本日は、人情溢れる城下町『花のいわくに』へようこそお越しくださいました。
400年の歴史を誇る岩国城のふもと、お堀や池をめぐって四季の花咲き乱れる静かな町の佇まいをご紹介しましょう。ごゆっくりご堪能下さい。
などとあふれる観光客には恵まれない岩国を、半分押し売りの如く謳いあげてみましたが、ここ数日は本当に自慢できる見ごろの花菖蒲が、優しく静かに旅の疲れを癒してくれますよ。どうぞご覧あれ!!(これもおしうり)

       
国の名勝「錦帯橋」を岩国側から渡って3分も歩いたところに、戦国の昔を偲ばせる武家屋敷町がある。そこにはお城を守るための人工お堀が数本水をたたえている。そのうちの一本には、職人さんの業を競う花菖蒲が所狭しと植えられ、目を見張る艶やかさを競っている。まさしく淡いピンクから濃い紫、純白に真っ黄色、カメラを向けるのに迷うほどの花盛りである。

       

    

       
往時をしのぶ佇まいは、今も白壁に囲まれた家々が立ち並ぶ錦帯橋奥座敷、ウイークデーともなれば訪れる人も少ない本当に静かな憩いの場である。

       
お堀を改良した菖蒲園も見事だが、吉香公園の奥まった一角に小さな菖蒲園もある。小さな池をあしらって多種多様の菖蒲が花を咲かせている。池の中央には松やつつじの箱庭があり、板づくりの遊歩道で菖蒲の花を間近で鑑賞できるのもまたいい。

       

     
あじさいも見ごろを迎えて、菖蒲の箸休めにピンクや空色の珠あじさいが休息を誘っている。

       
これはおまけです。お堀の菖蒲園の花のないあたりに見慣れぬ花が・・・と思ったらさにあらず。どこからともなく飛んできた大きなアオサギが食を求めて密かに潜伏中であった。かたや色艶やかに咲き乱れる花の根元では、野生の生を賭けた競争が繰り広げられている。鮮やかに小魚を1尾ゲット。自然の営みのの一つを見ながら、また来るね。皆さんも一度はおいでてくださいいわくにへ。

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「風物詩」

2023年06月11日 | 風物詩

                            

中学3年生の野球部員にとっては、最後の公式大会ともなる夏季山口県大会の岩国市予選を戦っている。
我が孫君はまだ2年生なので来年もまだ楽しみが残されてはいるものの、2年生ながら今日の予選もスタメン出場で、3年生に贈るべく県大会切符をかけて必死にボールを追いバットを振っている。岩国市の端っこにある大きなグラウンドのため、8時30分からの試合開始に向けて7時40分には家を出た。

その甲斐あって一次予選を順調に突破する試合を見せてもらった帰り道、久しぶりに同級生の家に寄ってみた。
まさしく日本の6月の風物詩、水面から顔だけを出した早苗が風に揺れている。昨日田植えを終えたばかりの家の前の田んぼで、彼は田植え機では行き届かない部分を手で植える作業をしていた。その作業姿を見てまずは一安心。

5年前に肺の病が見つかって以来、様々な治療や検査に明け暮れて大きな笑い声で話し合う貴重な時間を忘れかけていた。
「お~元気そうじゃねー」「久しぶり、変わりはないかー」から始まった立ち話は久しぶりだけに弾む弾む。地下足袋に濡れた手で身振り手振りしながら、思い出話から同級生の近況など話題は広がる。

植えたばかりの田んぼの縁にたった二輪ではあるがきれいなピンクの花が咲いている。「こりゃなんという花?」「なんかよーわからんが、球根で広がるんよ」といいながらすぐに掘り起こして土産に持って帰らせた。花の名前は今の朝ドラ「らんまん」に任せるとしよう。

彼の病も来月には丸5年の経過観察の満期を迎える、と嬉しそうに笑う。「そうだよねー、元気で長生きしないとねー意味がないよねー」考えることは似たり寄ったり、そりゃそうだ同級生だもの。風物詩の早苗がこっちを見て穏やかに笑っているような半日を過ごした。

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「汗の季節!」

2023年06月10日 | 晴耕雨読

          

6月10日といえば時の記念日。固い話をすると、刻一刻と過ぎ行く時の刻みを大切に、短い一生を無為に過ごすことなく精一杯大切に生きましょう!
という注釈がつけられるこの日。時間などというものは無限にあって、好きなように使えて目減りしないものだと錯覚をした若い時もあった。結構無理をしたり遠回りをしたり、今思えば随分いい加減に生きてきたものだと空恐ろしくなったりする。

特にこの頃は、間違いなく時間には制限があり、こちらの思い通りになってはくれないことを実感している。残された時間が少ないのだものね~。
だからその時、その季節が来たらきっちりやっておかなけれなならいこともある。どうかすると後回しにしたくなることも多くなった。でも結局はこの手で処理しなけりゃならないのだから、溜まりにたまって焦りまくる。そんなときに限って結果があまりうまく行っていないことも多く経験して来た。

6月半ばの恒例行事は、里の小さな梅園の「梅もぎ」である。梅の木が多く植えられている天神様では「梅ちぎり」と言われているが、私的には梅はもぐものであると昔から思って来た。「もぐ」は方言に近いのかもしれないが「もぎり」というっ言葉は広辞苑にもある。映画館や劇場の入場券の半券を切り取って渡してくれる人を「もぎり」という。大昔洋画専門の映画館でもぎりのバイトをしたこともあった。

そんな話はともかく、今年も梅もぎの季節を迎え全身から滴るほどの汗を流した。梅の生り具合も毎年同じではない。今年は裏年で昨年の半分くらいの収穫であった。それでも向こう1年の保存食に事足りる量であり、もしも欲しい人があればもらって頂く青梅外交の季節でもある。
そしてまた一つ宿題が持ち上がる。この梅園をいつまでこの手で管理出来るじゃろうか。自問自答。明快な答えは今のところないのが現実である。

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「時に振り返ることも」

2023年06月09日 | 趣味・・エッセイ

                                                          

普段の生活の中では「老いた」とか「歳を取った」などと考えることはあまりない。皆無ではないがさほど神経質になってはいない。神経質にならないよう努力しているというのが正解なところかも。
健康面や外での活動などで、はむしろ能天気に生きている方だと思っている。飼い葉のお陰もあるし、田舎生活のノンビリ加減もこの身に合っているのかもしれない。

そんな呑気な日々ではあるが、時として自戒を促す言葉やちょっとした反省を求める言葉が意外に目に入ってくることもある。そういうお年頃なのかもそれない。それも流麗な毛筆の言葉となると自然に目が行ってしまう。目が行くとついついウンチクを一筆認めてみたくなる。

今回は『老いの戒め』 義父三十三回忌法要のお寺さんより拝受。

 「紅葉は春の花よりも更に趣(おもむき)あり 若きより老いて後人は円熟す 晩成すべし」

 「昔日(むかし)を自慢すべからず 人の価値は今日(こんにち)に定まる 励むべし」

 「・・・ ・・・ ・・・」

 「・・・ ・・・ ・・・」

 「いまだに死を免れたるものはあらず 迎えのある時は安んじて旅立つべし」  

時にこういった戒めに目を通し、来し方を顧みるのも悪くはない。がしかし、所詮落ち込むことばかりの我が人生なり。
それでも、いまだ死を免れたるものはあらず。やがて往くのだから、せめて一つだけ、横柄に構えても許してもらえる自我が欲しい。それは、自らの終焉を自ら選ぶ権利を与えて欲しいということ。横柄すぎてやっぱり無理かね~。そんなのを「我がまま」というと諭されるのかね~。

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「答えは一つではないことも」

2023年06月08日 | つれづれ噺

近くの小学校で、「もうちょっと努力が欲しいねといった児童の学習応援に行っている。週1回の30分程度。お役に立っているのかどうか。
主に算数と国語、読み方といったごく軽いもので、現在の記憶力でも対応できている。
算数は答えが1つしかない。数字の場合は書き順も特に問題ないに、数字を正しく書くことに重点を置いている。もちろん、本人が焦っていたりすると大きな勘違いもあるので、そこはきちっと正しい答えを出すよう訂正もしている。

問題は国語である。といっても文章を読んで理解するなどではなく、漢字の書き写しや送り仮名の習得と言った程度である。それに国語は答えが必ずしも一つではない場合だってある。特に気になるのは漢字の書き順である。
書き順について調べてみたら、予想していたこととは違う結果の場合も少なくない。つまり私たちが教わったのとは異なる書き順がかなりある。
ハッキリした決まりみたいなものが存在するものと思っていたが必ずしもそうではない。

ただ、何事にも色んないきさつがあり、いろんな人たちが関わってきて今の状態に落ち着いたのかな、などと妥協しようとしているのだが。
時間と言う字を書くのに、まるでビジュアル文字・象形文字にも似た面白い書き方を見せる。「時」の左側は縦長いちょっと丸みを帯びた円を描いて真ん中にちょこんと横棒を入れる。エッ!ちょっと待って・・・と思うが、厳しく指導せず見守りが主たる狙い。本人には指摘せずに置いた。
それにしても、まるで絵を描く感覚で文字にする。ある意味天才的でもある、とほめていいのかな?

しかし、校長先生には「書き順は教えないのですか」と尋ねたら苦笑いだった。鉄を打つのは赤いうちがいいと思うのだが。
兎に角、学校へ楽しく通ってもらうことが第一歩の世の中である。学校も先生も難しい職業だね~。

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「無念の50回忌」

2023年06月06日 | 家族・孫話

                    

長女、長男、二人の子供に恵まれ5人の孫に囲まれるいま、家族と言う点においては何不自由なく暮らしている私たち夫婦だが。
気持ちの奥深くに遺された一つの痛恨は、消えることなく鮮明な思い出の中に確かに息づいている。手応えのある今の生き方の原点にあるのは、あの時失った小さな命のお陰の上にあるような気がしてならない。

たら・ればの話になるので一笑に付されるかもしれないが。私たちにとっては生涯忘れ得ない大きな節目となった出来事でもある。
本来なら長女と長男の間に今一人の男の子が誕生するはずであった。妊娠9カ月目に入って間もないある日の夕方「急にお腹が痛くなった」とうずくまる妻の背を撫でながら「お産は病気じゃないから」と強気に言う彼女の言葉を信じてしばらく様子を見た。痛みはひどくなるばかり、異常と気付いてとっさにかかりつけの大病院の産科に駆け込んだ。それが49年前の6月7日、夕食後の出来事である。

分娩室に続く薄暗い廊下を隔てた部屋で、まんじりともせず数時間を待たされた。いくら耳を澄ませても産声らしい声は聞こえてこない。医師からも看護師さんも何も言って来ない。「おかしいな」という感覚に捉われた後はもう負の連想ばかり。ろくなことは頭に浮かばない。
深夜1時を回ったころやっと看護師さんの声が聞こえた。それは無表情で押し殺した声で「残念でした、男のお子さんでした」と、手のひらにのるほどの小さな肉体を抱かせてもらった。すでに呼吸はない。「手を尽くしましたが30分のお命でした」と。

待たされる時間の長さと音も沙汰もない空しさに、ある程度の覚悟はできていたのかも。「妻の様子は?」「分娩室のベッドでお休みです。奥様に報告するのはお父さん、あなたの役目です」。淡々とした看護師さんの言葉に少しカッときながらも、全く初めての大役。何と言葉をかけるのか、これには迷った。計り知れない辛い思いをしたのは妻である。慰める言葉が見つからない。全てを承知している彼女はただただ涙に暮れて横たわっていた。薄暗い部屋に二人、何をつぶやいたか思い出せない。震える背中を撫でるのが精一杯。せめて窓から差し込む6月の早い夜明けを待った。電灯の灯りではなく太陽の明るさがほしかった。これだけは鮮明な記憶として今も残っている。

そうしてこうして、産後の入院を余儀なくされた彼女の思いを一身に受けて、戒名ではなく菩提寺から頂いた法名で葬儀一式を済ませた。小さなお骨は我が家のお墓に収まっている。法的にも生存ではなく戸籍もないまま仏となってお浄土に召された。その祥月命日を明日に控えた昨日、50回忌法要のお勤めを執り行った。
その後に無事に生まれた男の子が実質的に我が家の長男であり、二人の孫をプレゼントしてくれて間もなく48才を迎えようとしている。

わずか81歳の生涯の中でもこんな経験をしたというお話。忘備録として改めてここに記しておきたい。色んな事があるから人生は愉しいということか。

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