「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「往時を偲ぶ裏通り」

2025年01月20日 | 健康イチバン!

    

              

日本列島寒さの極限を示す、二十四節季の一つ大寒である。そんな寒さに向かっているというのに、ここんところ気持ちがようやく前向きになったように思う。昨年末から続いた身内やご近所さんのご不幸で気持ちどんより、なんかしら吹っ切れないものを引きずっていた。気持ちとは裏腹に身体が少し運動を要求しているみたいな気がしてきて、近回りではあるが珍しくウオーキングに出るようになった。

同じ歩くのなら、近道となる国道を避けてくねくね路地がある裏道を選んでいる。その昔は「〇〇銀座」と呼ばれた商店街の面影を残している場所もある。見つけた!その昔栄えた豪商の面影を残した「河本百貨店」。中屋根に載せた金看板には「創業明治25年」とある。待てよ、指では足りない、電卓が要る。大正元年が1912年というから、明治25年と言えば1892年の創業と言うことになる。今からおよそ130年前の話だ、いったいいつ頃まで現役で田舎の百貨店を守っていたのだろう。夢は膨らむ。

ちょっと待てよ、我が家からすぐ近くのこの地区で百貨店といえば、高校の同級生にとびっきりの美人がいた、それがこの百貨店のお嬢様であったのを思い出した。高校時代に何人かと一度だけ遊びに行ったこともあった、そんなおとぎ話みたいな現実がここにある。お店は昭和のバブルころまでは高級化粧品と酒・タバコが主流で頑張っていたねー。彼女はどこか遠くへ嫁に行ったという話を聞いたっきり。

裏通りには色んな昔がある。軒先の横長に伸びたサントリーウイスキーの看板は、昔の酒屋さんには必ずぶら下がっていたような。こんな裏通りロマンに浸りながら、しばらくウオーキングに精出してみよう。身体も気持ちも少し軽くなるような気がする。やっぱり ❝健康イチバン❞ !!

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「天皇杯、男子駅伝」

2025年01月19日 | 風物詩

              
              天皇杯、広島男子駅伝。平和大通りを一斉にスタート

今やこの季節の風物詩ともいる、都道府県対抗男子駅伝.、こちらは天皇杯である。先ごろ京都を舞台に行われた同じく都道府県対抗女子駅伝は皇后杯となっている。
ほとんど知らない選手が走る駅伝競走ではあるが、日本全国都市対抗となれば、我が山口県は。お隣広島県は、東北勢のあの県は、九州勢は・・・など色んな興味が湧いてくる。

そして高校駅伝、ニューイヤー社会人駅伝、箱根大学駅伝それぞれに魅力満載だが、この全国駅伝は、中学生も走る、もちろん高校生から大学一般までという幅広い年齢層が7人1チームとなり、タスキをつなぐところに、面白さと残酷さと大きな試練が横たわっているのが魅力である。全学年揃って最高に力を発揮しなければ優勝はない。今大会は、長野県の史上初大会4連覇というすこぶるつきの優勝であった。

メンバーは年々入れ替わるのに、何で長野県は連続して強いのか。どうして他の府県が優勝戦線に名乗り出て来ないのか。これが不思議であり問題である。特に中学生区間などは入れ替わりが激しく、伝統を築くという思いがなかなか思い通りにいかないと、素人は思うのだが、やはり伝統的に強いチームは強い。指導者の長期展望に立った、長い目での選手指導・深い眼力による育成など、技量の多寡が影響するのだろうか。
そうしてみるとやはり、いい指導者との巡り合いという運命も大切な要素なのかもねー。

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「試練への入門」

2025年01月18日 | 家族・孫話

  
  昨年夏県大会ベスト4をかけて大奮闘    結果は敗戦べすと8止まり、涙が止まらない孫君

1月18日土曜日そして明日日曜日。日本列島は共通一次試験一色に染められている。
高校から大学へ。名門校を目指す人、自分の専攻する道を探求する人、それぞれに蓄えて来た学力・知識が問われる、ある意味一生を左右しかねない、厳しい局面に立たされる。などと考えると切迫した緊張に追い込まれかねない。そう視野を狭くして堅苦しく考えない生き方もあるのではないか、などと無責任かもしれないがそう思っている。

人生百年時代、気持ちよくいい人生を長く生きようと思えば、今日明日の共通一次試験で全てが決まるなどと自分を追い込まない方がいい。本人にとっては出来る限りの努力で今日と言う日を迎えている。努力はしたのだ、その結果が世間に受け入れられなかったからと言って、自分の人生が終わるのかい?と訊きたくなる。いずれにしても競争社会であるからには全員が勝者とはならない。だからといってこの時点で敗者などと考えない方が人生の幅が広がって面白いと思うよ。人生における努力の結果が今日明日で判明するものじゃないよ。人間の努力の多い少ないが幸福を分けるものじゃなく、休まずたゆまず努力し続けることこそ肝要。

ま、そんなややこしい話はともかく、間もなく中学校生活を終える孫君の今後が気にかかって仕方なかった。中学3年間の野球部生活が無駄ではなかった証しとして、高校からの誘いも複数受けていた、そんな中某私立高校から「特待生入学」の指名を受けた。高校野球としてはあまり強くない、いわゆる実績はほとんどない地元の普通科高校からのご指名に心動かされたようである。

もって生まれた運動神経の確かさ、強靭な身体能力、そして何より野球好き・サッカー好き、走るの一番。そんな3歳の頃から、ジジのペットみたいに野球を教えた。じきにジジを追い抜くほどに成長した。その間ジジも調子に乗り過ぎて「兎に角野球を上手になれ」それだけ。「勉強しろ」とはあまり言わなかったねー。真面目一本の彼はジジの言葉を信じて、学業はそこそこ、でも野球は人の目を引くものを持っている、とジジバカ丸出し。但し、スポーツマンの厳しさ、チームワークの大切さ、練習することの厳しさ、闘う相手は他人じゃないよ自分だよという哲学も教えている。やってみなはれ好きなように。今野球を抑えたら生涯後悔する。
人生100年時代とは孫君のためにある言葉。先ずは目の前の試練の道へ飛び込めばいい。スンナリ思いが通るほど甘い世界はない。躓いても転んでも立ち上がる気力だけは持ち続ける孫君でいるよう、まだまだ叱咤激励を送り続けなければ。たとえ迷惑がられても。

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「風雪30年」

2025年01月17日 | ニュース・世相

          

何年たっても忘れられない記憶であり、その日が近ずくと思い出さずにはいられない人生の節目みたいな日が何日かある。1月17日は特にその思いが強い日である。
1995年、平成7年1月17日 午前5時46分。記憶から決して消えることのないメモリアルデー。
メモリアルデーとは、単なる思い出の日と捉えがちであるが、それは日本風な解釈であって、アメリカでは真珠湾攻撃の受難、戦争悲劇、9/11世界同時多発テロといったような負のイメージの強い記念の日を言うのよ、と教えてくれたのは、フロリダ半島に長く住んでいた同級生だった。

彼女の言葉を借りると、大きなメモリアルデーとなる1月17日ではある。
特に思い出の深いわけは、ふる里を遠く離れた東京世田谷区三軒茶屋の単身赴任寮で、普通通りの出勤に備えた朝食のテーブルで、神戸の街が炎や煙に包まれた地獄絵さながらの悲惨な画面が眼に入った時の衝撃ある。
何事もなく明けた日常の朝に、こんな悲惨なことが起きるのか一瞬テレビ画面を疑った。

兎に角急いで本社のデスクに付き、岩国工場の情報収集、次いで我が家の状況見聞。これらに直接的な被害がなかったことに取り敢えず安堵の胸を撫でおろしたのを今もよく覚えている。
それからというもの、本社と岩国工場を結ぶ物流の大動脈「JR」が使えなくなった。海上運送に切り替えて対応するのだが、関東方面の大手顧客への製品到着に時間が掛かる。この対応に苦労した。
人的交流も新幹線が使えないため全て飛行機便となった。有楽町から一駅の東京駅に迎えに行けばよかったものを、羽田空港での送り迎えとなった。自らの岩国工場との往復も、羽田まで出て、広島空港到着、乗換という不便を感じてはきた。

但し、そんなこんなは、全てゴミみたいなちっぽけなことで、6000人余の生命が失われ、日本経済を揺るがす大惨事が徐々に現実のもとなった。それらに耐え復興を待ち、30年と言う歳月を経て今を迎えた関西大都市。これからもこの惨事を忘れることなく、つながって、助け合って生き抜く人間の強さを改めて誓う日にしなければ、とこの日を迎えるたびに思う。
そして、発生から1年、今なお復興ままならぬ能登地方の被災者にも、今を耐えて明るい未来が少しでも早く訪れる日を、大きなエールと応援を送りながら一緒に考えて行きたい。そんな1月半ばである。

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「隣の芝は・・・」

2025年01月15日 | つれづれ噺

              

ここんところ週に3~4回、ちょっとしたウオーキングを心がけている。
毎日と言いたいところだがとてもとてもおこがましくてそれは言えない。ただし、自ら歩いてみようと思うようになったこと、思い立ったら身体が自然に外に向くようになったことは、大いなる進歩であり自分に対して自らムチを当てる気持ちになったということか。問題はいつまで続くか。

当面の目的地は1.5km先の郵便局。但し、国道を歩けばこの距離だが、一歩街中に向かうと昔の商店街があり、かつてはバスも通ったくねくね道があるのよ。今の国道沿いより遥かに密度の高い、軒を連ねる商店街の跡がうかがえる。結構歩数を稼げる昔道。

国道から折れて旧道に入るとお寺がある。「新たな年を迎えられたのは偶然ではなく必然、だから大切に生きましょう」と言ったような掲示板を横目に見てふと上を見たら、真っ赤に咲き誇るサザンカに出会った。
「隣の芝は青い」といやっかみが通り相場だが、今日の場合は「隣のサザンカは紅い」である。我が家のサザンカは年季も入っているし背も高いのだが、日照不足で花が付かない。よそ様の華やかさに思わずパチリ。これもウオーキングを愉しむ気持ちのゆとりのなせる業か。

まだ日が高いうちに出かけたのでサザンカの空は青く輝いている。それでも寒さ・冷たさは小寒から大寒に移ろうとする季節、最高潮の寒さ。完全防備でも顔までは隠せない、しゃーないこれ以上無理という防寒対策で出かけたが、そこはうまくしたもので、我が家が近くなるころには頭から湯気が立つほどに。楽しいねなどと思う。勝手なもんだ。やりゃ出来るのよ、本当はやりたくない、やる気になるまで時間がかかる。それでも命を縮めることへの抵抗なら、やるっきゃないね。

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「成人の日」

2025年01月13日 | ニュース・世相

                 

正月明けて早速迎えた3連休。その最終日が今日成人の日である。ただ多くの地区で成人の日のお祝い行事は昨日日曜日に行われたようで、全国的な足並みなど無用論の様相である。
少なくとも私たちの時代は、成人式は1月15日と決められていた。それに合わせるように、都会に住む人が故郷に戻って幼馴染などと久しぶりに顔を合わせる感動シーンも数多く見られたものだが、そんな気持ちの起伏を助長する自治体は少なくなった。それぞれの自治体の都合に合わせて成人式が行われるということかな。

親にとっては子が成人式を迎えることは、大きな意義と感動をもって迎えられる。ただそんな親の気持ちを本当に理解しているかどうかは個人差がおおきいようだ。
私たち世代の多くは18歳で高校を卒業させてもらったら、多くが就職した。大学進学は少数派であった。成人の日を迎える前に、先ずは自立の姿を親や周囲に見せられることが、一人前の成人、いわゆる大人の仲間入りを認められる儀式でもあったように思う。その点では小生など20歳を迎えた時点では、将来的な進路が安定しておらず、どうかすると落ちこぼれの仲間に入りそうだった。

世は移り人は変わる、成人という概念も価値観も変わる。二十歳の分かれ目などなくなってしまった。それは考え方も成長の度合いも含めて、一人一人の自覚がその値打ちを決めることになるのだろうか。考えていたら何が何だか分からなくなった。兎に角今日は成人の日の旗日である。おめでとうと言う日である。

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「今年の年賀状事情」

2025年01月12日 | 風物詩

                  

年の初めの試しとて、元旦に寄せられる年賀状を楽しみに待つ。
はがきの大幅な値上げ、儀礼賀状の廃止、年賀状そのものの見直し、など色んな理由から年賀状が年々減ってきているのはよく承知している。単なる高齢のため賀状を辞めたいといった、分かったような分かりにくい理由でお断りをされる人もある。

私個人の今年の年賀状事情は、これこそ年々減る一方で、100枚ちょっとを出したに過ぎない。もちろんその中には返信を期待しない一方通行発信も数枚はある。予想通り80枚はそれなりの返信が寄せられた。ただ、こちらは同じ出すのなら元旦に届くように準備をした。が、6日以降に届いたものが10数枚もある。今年の賀状の特筆すべきことは「今年をもって年賀状を終いとさせて頂きたい」といった内容が多いことである。それも遥か年の若い後輩から三行半を突き付けられてりゃ世話はない。またその逆に賀状復活という同級生もいる。

中には一切の連絡がないまま正月が過ぎ、オレの出した年賀状が届いていないんじゃないか、郵便局に掛け合ってみようかと思わせる相手もいる。
おもろいというか嗤ってしまうといったものから、心から嬉しかったり「な~んだ生きていたのか」と喜んだり、また今年もお互い元気で頑張ってみようや、といったものまでそれぞれの事情が反映されていて、結局はやはり年に一度のお互いの消息確認、決して無駄ではないなという結論に至る。そして来年も生きていればまた愚直に発信するのだろう。ただ、来年は今年の反省から発信は半分近くになりそうだ。

年を重ねた我々は、大袈裟に言えば1年1年が勝負なのである。「まだ生きて元気にしとるよ」「少し弱ったが、会いたいよ」と伝え合うのは大切な命の絆であり、長い付き合いのエチケットみたいなものだと思っている。やっぱり、古~~い人間なのでしょうかね~。

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「ふる里のとんど祭り」

2025年01月11日 | 風物詩

                                  
                         

私の住む町のすぐお隣には、古くから受け継がれた「とんど祭り」が今も盛んに行われている。
「とんど祭り」は言うまでもなく、年神様を迎え入れるために飾った玄関のしめ飾りや、古くなったお守りやお札、書初めなどを焚き上げて天に返そうという神事で、地域の安定と繁栄を願うお祭である。
今年も地域住民の願いを込めて、地元神楽団の舞い奉納とコラボレーションで、見事な炎の競演が行われた。

知己が沢山いることもあって、我が家のとんど祭りも隣町まで出向いてお焚き上げの便を借りている。もっとも、我が済む地区にそんな気の利いた祭りなど一切ない。そして今ひとつ、地域の活動の広報担当という側面もあって、こういった地域活の写真撮影担当を担っている。
長く続けて見ていると、微妙なところで色んな変化が目につくようになった。良くも悪くも役員さんの入れ替わりの激しい時代で、一つひとつの行事に習熟したベテランがなかなか育たないという弱点はある。

新しいことを取り入れるのは結構。ただそこには伝統として古くから受け継がれた風習や故事来歴を大事にしたうえで、近代感覚を取り込んだ改革は必要である。生活そのものが超便利な時代になったことによって、こういったお祭りやふる里行事まで、簡単便利に走り過ぎると、行事そのものが味気なくなったり、人情味という妙味に欠けたりもする。そんなことを迂闊に注意すると「ならばあんたがやればいい」という短絡な話になり兼ねない。伝統を守るのも容易ではない。新しいことに突っ走り過ぎると周囲の賛成を欠く。

年々実行するのは大変なエネルギーである。だから現代知識を盛り込んで省エネし簡素化するのは大いに結構。そうやって世代を超えた人の集まりが生まれ、人間同士の付き合いが育まれる小地域社会の構成が進むなら、この世の中もう少しは呼吸がしやすくなるかも。マンション単位で餅つきをして住民全員に配ったという新勢力も生まれたと聞く。まんざら捨てたもんじゃないね。                     

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「今年一番寒い日」

2025年01月10日 | 季節の移ろい・出来事

  

1月10日金曜日。年明け早々、この日を「今年初打ちの日」としてG・ゴルフ会員皆さんに参加のお願いラインを発信していた。ところが今日は今年一番の冷え込みという思いがけない極寒に見舞われた。でも早くから発信していた手前苦情を言う人もなく一人だけお休み、他7人は全員元気に参加。新年の挨拶も早々に「早く始めようや」ということで、今年1年のG・ゴルフがスタートした。

かれこれ20日間の冬休みがあった。その間皆さん里帰りの接待やらなにかで大忙しを乗り越えた人ばかり。今日からは自分の時間を持てる喜びに浮き立つ気持ちもあってか、いつもより声も大きくゼスチェアも大きい。クラブ片手に集まってボールを打つかたわら、おしゃべり出来るのが有難いようだ。
お陰で点数も伸びず、普段はあまり取らないほどの豪華なスコアであった。
しかも土のグラウンドはコチンコチンに凍っていて、打ち手の思いとは裏腹な方向へ転がる。そのうち太陽が高くなってグラウンドに満遍なく陽をあて始めると部分的に氷が解けて、今度は雨あがりのようなべちゃべちゃに。

こんな苦労してでも一旦始めたら「最後までやろうや」が共通の胸の内である。手袋していても指先が痺れる。「あまり気過ぎて足が広がりにくくて、スタートマットにボールを置くのが容易ではない女性も。実に面白い仲間である。令和元年にスタートして今年が7年目。あれからみんなが年を七つ重ねたのだが、その意識は誰も持っていないのがまた面白い。

終わって帰って我が家の軒先を見たら、雨だれ受けの大火鉢や石臼の表面が完全に凍っていた。野良猫やヒヨドリなどの格好の水飲み場である。このままでは水が飲みにくかろうと、薄氷を少し壊してやった。

小さな団地の小さな公園の小さなG・ゴルフの話であるが、少人数でこれほどい盛り上がる軽いスポーツ。
是非あなたの町でも如何でしょう。

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「太陽と寒風と」

2025年01月09日 | 季節の移ろい・出来事

                                                              

季節を忘れさせるような、朝からものすごい勢いの太陽が照っていた。がからといって外に出て見れば、とんでもない寒さに縮み上がりそう。足元に生える草を2・3本抜いただけで指先は凍りそうになる。まさに大寒を前にした1年で最も気温の下がる季節には間違いない。太陽の優しさに誤魔化されないようにしないと、すぐに風邪を引いてしまいそう。

甥っ子のあまりにも早い黄泉路への旅立ちに気持ちはどんより。どうあがいても、あがかずゆったり暮らしていても、人それぞれの持って生まれた命というものは、天知る地知る神ぞ知る。我々凡人では計り知れないところで決裁されているのだろうか。
冬枯れの空き地に生き付くススキが、寒風に晒されて枯れた穂を右に左に大きく揺らしながらも、根っこはしっかり生きている。

ススキがこのような姿を見せるこの寒さは、タマネギ・ニンニクなど根菜に肥しを与える季節である。
油粕にもう一つの肥料を混ぜたものを、一株毎に小さなひしゃくで撒いてやる。「大きくなれよ、病気に負けるなよ」と祈るような気持ちにさせられる。
ついつい思いが至るのは甥っ子の母親、つまり義姉の心境である。まさか自分の息子が親より先に逝くとは思っていなかったろうに。

今は、生きた息子の最期を辱めないように気丈に振舞ってはいる。それは私たちへの精一杯の気遣いであり、父親のいない家庭を守り抜いた母親の強さなのだろうか。都会流の一連の流れに乗って葬儀は営まれる。
週明けには連日の大きな病因判断の検査が控えていて葬儀への参列は見送ることになったが、心からの冥福を祈りたい。  合掌

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