「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「静かなスタート」

2025年01月28日 | 今が旬

             静  謐(せいひつ)

一人では生きて行くのが難しいと感じた82歳の一年間であったような、昨日まで。
口では今までと何一つ変わらず、夫唱婦随を通して来たし、今日からもこのまんまで行くのだ、と自分に言い聞かせてはいるつもりなのだが、新たな病気診察や医師の注意事項の早口説明には、一人では付いて行けていないものを感じる時がある。どんな説明だったのか、どんな指示を出されたのか、後で復習するときにこの耳とババ殿の耳とでは大きな開きがあったりする。

それでもオレが所帯主で、遠く深い思考と判断力は、経験の深さが違う。などと、別に威張るわけではないがその立場を続けさせてもらっている場合もある。飽くまでも「そんな場合もある」であって、いつもかつもそうばかりではないこともある。少しずつ自信喪失が押し寄せているというのが現実かも。

それにしても何にしても、昨年の誕生日から無事1年を過ごし、次なる誕生日を先ず先ずの元気さで迎えられたことは、考えてみればこれ以上目出度いことはない。
何かと生きづらい世の中ではあるが、生かされている以上もっぱら生きるのが人間というもの。

静謐とは、静かで穏やかな時を言う。どなたかの誕生日の祝い言葉にあったように、これからの日々、一つでも多くの楽しいことを見つけながら、穏やかにゆったりと、やり残している自分のことに時間を向けて行きたい。そんなたわいもない83歳の初日である。

コメント (2)
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