マックスにどことなく寂しそうな表情を感じてしまう。
マックスも13歳と7ケ月になり、確実に老いが忍び寄っている。
山の畑の周りを活発に動き回っていた昔日のやんちゃな面影は消え、
畑でもこうして寝ている事が多くなってしまった。
生のさつま芋や、ジャガイモが食べたくて、自分で一生懸命に掘ったものだったが、
今は「マックス!ほら美味しそうな芋だよー掘って頂戴!」なんて誘っても知らんふり。
私たち夫婦が働いていると、自分も何かをしなければならないと思うのか、
左の藪に続く急斜面を降り、時には最大3キロもある、巨大な石を咥えて上がって来て驚かせていた。
今は、そんな遊び?も止めてしまい、私がそっと片づけた石の山と、マックスの折れた犬歯に痕跡を残すのみ。
そこはかとなく、哀れで寂しそうな雰囲気のマックス。
馬鹿なトーちゃんはマックスの視線で見たらどんな風景に見えるのか、ローアングルで写す。
遠くに歩いて行きたいところが有っても、この頃はいつの間にか居なくなってしまうことも無い。
ただ、生きたい方向をじっと見つめるだけ。
スベルべママに「マックスが行きたいみたいだぞ、ちょっと一緒に歩いてあげて」なんて声をかける。
スベルべママは悪戯気を出して、マックスの頭に勲章を着けて帰って来た。
元々、スベルべが帽子などの冠り物を載せてもジッと我慢して付き合ってくれるマックスだけれど、
今も、そんな私たちの他愛の無い戯れに、平気で付き合ってくれるのです。
夕暮れになり、東の空に月が昇ります。
夕方になると、家に帰りたいような素振りはするけれど、おとなしく待っています。
加齢により、耳も随分遠くなり後ろから近づくと、視野に入るようになってから驚くことが多い。
この頃は、なるべく驚かさないように、後方からの接近を避け、横に回って近づきます。
私たち夫婦とマックスの生活も、そう長くは続かないのかも知れません。
実は、犬も猫も今までに何匹も飼ってきたけれど、付き合う時間の長さはマックスほどでは無かった。
長女が誕生する直前に、私の目の前で心筋梗塞のような感じで亡くなった、
猫の「オジ」に付き合ったけれども、そんなに老いを感じたことは無かった。
ペット達の老いの生活と直面した記憶はほとんど無いのです。
耳もともかく、反射神経も衰え、体力も落ちてきたマックスに寂しさを感じるのは己の姿を重ねるためかも知れない。
私も、この春からは「頚部脊柱管狭窄症」で箸を持つのも、字を書くのも不自由な思いをした。
そして、驚異的な回復力だと医者に驚かれたけれども9月には「帯状疱疹」を発症。
両方の病気とも無事に全快し、また、忙しい毎日に埋もれるような暮らしになっているけれど、
私自身にも「老いの影」が確実に迫って来ているように感じてしまう。
近頃のマックスを見ていて、つい自分の姿を重ね、そんな風に感じてしまいます。
「オンリーワン」なんて言葉が流行るけれど最近のマックスは「ロンリーワン」です。
マックスとスベルべの穏やかな日々が一日でも長く続くことを、祈るような日々が続きます。