
所用で「奥只見」銀山湖周辺に出かけた。
山山はすこし色づき始め、本格的な紅葉シーズンも間近となった様子を見せていた。

「北ノ又川」近くに開けたログなどの宿泊施設がある。
「中の岳」方向に万年雪の雪渓が見えるが「北ノ又川」の源流となっているのでしょうか。
作家「開高腱」が長期逗留し小説を書いたと言われる山の宿「村杉小屋」も移転してここに有った。
そう言えば、青春の一時代、山の友がこの地に知人が多く、良く遊びに来たもだった。

大型のログハウスが有り、これは入浴施設で天然温泉を引き入れて有る。
玄関上の竹垣部分はなんと露天風呂。竹垣が視界を遮り景色は良く見えないのではないか。

次は「荒沢岳」の麓のキャンプ地に向かう。
その昔、家族四人であの険しい「荒沢岳」に登った記憶がよみがえる。

あの険しい山は友人には家族連れでは無理だから止めろ、なんて言われたっけ。
事実、私たちが登った直後、転落遭難死事件が有った。
下が見えないほどの高さの岸壁をトラバース(横断)しなければならない場所が有り、
高所恐怖症気味のスベルべママには、ガス(霧)で下が見えない事が幸いしたっけ。

観光案内図を見ていると、友人と二人で「平ヶ岳」に登ったことなども思い出されてきた。
二人で未舗装の砂利道を走り、麓の「鷹の巣キャンプ場」に泊り、翌長早く出発して日帰り登山。
長い長い尾根道で疲れ果てたことなどが記憶によみがえる。
そして、疲れ果てた末の帰宅途中、砂利道で転倒し皮の手袋が破けて手のひらに大きな傷を負ったっけ。

紅葉が始まる直前の奥只見湖(銀山湖)のダムサイト。
この建設当時日本一の貯水量を誇ったダムも建設されて半世紀以上が経った。
昔、江戸時代に銀を産出し遊郭やお寺まで作られていたと言う「銀山平」も湖底に眠っている。
多くの思い出が胸の内に去来する中、長大なトンネルの「シルバーライン」を通って帰途に就いたのでした。