畑に吹く風

 春の雪消えから、初雪が降るまで夫婦二人で自然豊かな山の畑へと通います。

元日朝の雪は?

2021-01-01 15:51:28 | 自然

 元日朝の駅前通り。

5時半頃でしょうか。出勤した駅舎から見た風景です。

 

 新雪は6~70㎝、いや80㎝はあったのかなー。

膝のかなり上まで積もった雪を踏みながらようやく駅にたどり着きました。

 

 昨日大晦日も今日元日も上越線は全面運休。

考えられませんねー。昔だったら大事件ですがねー。

 

 駅舎から見る上り線ホームです。

 

 

 上りホームは駅舎近くは地下水の消雪ですが、どうも水の出方が悪い。

下り線ホームの駅名標も半ばが雪に埋もれました。雪は止まずに降り続く。

 昨年は80年以上もの昔と同じ小雪でした。昔とは昭和6~7年の事。

その時は、翌7年から8年にかけては大雪で5月いっぱい残雪があったとか。

そんな史実から、今冬の雪害を予想していた私の心配が当たったようです。

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寄稿「母の思い出と只見線と」(その2)

2021-01-01 05:24:17 | 暮らし

     母の思い出と只見線と(その2)

 やがて薮神駅に停車し、そして発車すると目的地の越後広瀬駅です。そこでも、駅員に切符を渡し、歩き出す。今乗って来た小出方向に10数分歩くと母の実家。

 そこから先50メートルほどのところに神社があり、そのすぐ脇が只見線。そして、小さな陸橋があり、走る機関車が勢いよく吐き出す煙が、その陸橋で二つに分かれるところなどが珍しく、飽かず眺めていたものだ。

 越後広瀬駅の一つ小出方の薮神駅も結構利用した。やはり、駅から10数分のところに、母の妹が嫁いでいて、仲の良い同じ年頃の従弟たちが住んでいたからです。

 こんな風に子供の頃から慣れ親しんだ只見線だったけれど、まさかそこで働くことになるなんて夢にも思わない子供時代でもあった。

 昭和41年、高校を卒業後仕事として選んだのが、国鉄だった。長岡保線区に配属され上越線の北堀之内線路班に配属され保守に携わったのが、仕事の始まり。

 その後、水上での勤務を経て長岡保線区に転勤したのは昭和52年の事だ。長岡保線区ではそれまでの線路の保守担当から土木工事の担当になり、只見線は広い担当範囲の一つとして、日増しに馴染み深いものとなっていく。

 転勤したばかりの土木担当の仕事内容も分からぬうちに、梅雨時の大水害に見舞われ、只見線も何か所もの被害が発生したが、越後須原駅近くの「須川」と呼ばれる地域の線路築堤の大崩壊などに驚かされた。

        (続く)

 越南タイムス新年特集号への寄稿です。

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雪の新潟・雪の元旦

2021-01-01 05:17:21 | 暮らし

 皆様、明けましておめでとうございます。(姉から頂いた寄せ植え)

今年もよろしくお願いいたします。(玄関を飾る、門松ならぬ寄せ植えで)

 

 こちらは家の中を明るくしてくれるユリの花。

滝沢種苗さんから頂きました。いつもありがとうございます。

 

 こちらは、昨日の除雪の光景。

予報通りというか、昨夜、大晦日は深々と雪が降っていました。

 一晩中、屋根から雪が滑り落ちる音が聞こえました。

数10センチは積もったのかな。これから家の前の雪かきをします。

 そして、5時半には出勤し、駅ホームの除雪です。

また小型の除雪機が埋まるほどの雪でしょう。上越線は全面運休です。

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