畑に吹く風

 春の雪消えから、初雪が降るまで夫婦二人で自然豊かな山の畑へと通います。

寄稿「除雪組合があったころ」(その1)

2021-01-04 04:41:29 | 暮らし

     除雪組合があったころ(その1)

 昔の鉄道除雪、特に駅構内などの除雪は人力に頼るところが大きかった。その他にも、機械、ラッセルなどの除雪車ではできない、トンネルの出入り口なども人力頼みだった。

 ここで、活躍したのが除雪組合と言う組織。雪国魚沼では各集落ごとに一組織。大きな集落では分割して三つの組合などと言うこともあった。私が主に要員の手配をした六日町地域では浦佐第一、第二。薮神第一、第二などと言う区分があり、それぞれ「薮一」「薮二」などと略称で呼んでいた。

 大きなヤード、当時の長岡操車場駅などからは、大雪になると50人もの除雪臨時雇用員の出動要請があった。当時六日町保線支区に技術係と言う職名で勤務していた私は、それぞれの除雪組合に平均に割り振るべく頭を悩ましていた。割り振りを決めると、各駅構内にあった保線検査班に詰めている除雪組合長に出動手配を電話で依頼することになる。

 除雪組合の人たちが従事する除雪作業は色々あった。中間では「雪崩落とし」などと呼ぶ危険な作業もあった。急斜面に雪が降り積もると、雪崩となって線路を埋めかねない。そこで、何十人もの作業員が命綱を頼りに斜面の上から少しずつ切り落とし、下では待ちかねている作業員がその雪をソリで運び出したりしていた。

       (続く)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする