除雪組合があったころ(その3終わり)
私も入社したばかりの冬に、一人で10人もの臨時除雪雇用員を指揮して和南津トンネルの出入り口まで弁当持ちで出かけたものだった。高校新卒18歳で親よりも年上の人たちを引率指揮するのは辛かった。
また、県内でも記憶にあるだけでも二件の悲しい人身事故も発生した記憶が残っている。普段でさえ見通しの悪い線路は、冬は雪の壁が両側にでき、そして列車の進来音も雪に吸収されて小さくなってしまう。そんな原因で悲しい人身事故(触車事故と呼んだ)も発生したのだった。
いずれにせよ、除雪組合無しでは線路の除雪、安全確保など出来ないと考えていたのだが、それは完全に私の想像力不足、先見の明に欠けていたと言う事だった。
国鉄からJRに移行する少し前に人力除雪は請負会社の仕事となり、そして人力除雪そのものもなぜか減ってしまった。それでも、例外はあるとしても電車は雪の中を走り続けているのだから、昔を思うと不思議な感じもしてしまう。
そして、よほどの年配者でなくては「除雪組合」なんて言葉を知る人も少なくなったであろう。ましてや、地域のお父さんお母さんと言う一般人が線路を雪から守っていたなんて事も。時代とともに国、県道も整備され自動車の性能も向上し、鉄道輸送そのものの地位も低下してしまったこの頃に時代の流れを感じさせられる。
(終わり)