畑に吹く風

 春の雪消えから、初雪が降るまで夫婦二人で自然豊かな山の畑へと通います。

寄稿「母の思い出と只見線と」(その4終わり)

2021-01-03 04:36:02 | 暮らし

 上越線、越後堀之内~北堀之内間のDD14による除雪。

 

 日本で三台しか作られなかった幻のモンスターマシン「DD53」

二十歳代で3,000馬力もあるロータリーの操縦責任者をしていました。

 

 上越線石打~大沢間で下り線の除雪中のDD53です。上り線を越えて投雪。

昭和50年ころでしょうか。自衛隊が災害出動したシーズンでもありました。

 

       母の思い出と只見線と(その4終わり)

悪天候、吹雪に視界を遮られたり、鉄道マニアの写真撮影に邪魔をされたり、投雪に追われて逃げるキツネを見かけたりと、そんな面でも思い出多い只見線。あの「56豪雪」と呼ばれた大雪の年には只見線が一週間近く全面運休になったことがあった。

 その、豪雪の中で大白川・只見間のロータリー除雪車の乗務員として、初列車で雪の壁突破の仕事を指示された。誰にも言わなかったけれど、生きて帰られないかもしれない、と、言う不安な気持ちが頭の中をかすめる。降り続き大量に斜面に積もった雪が、何かの衝撃で雪崩となって崩れ落ちる恐れも有ったのだから。

 DD14型ロータリー除雪車がすっぽり隠れてしまうような雪の壁の中を進み、緊張に震える気持ちで、何とか除雪を終え「六十里越トンネル」に入った時は本当に全身の力が抜けるような感覚だった。

そして、只見駅に到着すると、開通を待っていたディーゼルカーが小出に向けて発車したのです。駅長に「初列車のお客さんは何人でしたか」と聞くと、こともなげに「お客さんはいらっしゃいませんでした」と答えられ少し落胆。何日も止まってしまった列車を期待して待っているお客さんなど居なかったのです。

 そんな、懐かしい只見線も先年の「新潟福島豪雨」の際に、福島県側で大きな被害が発生し、鉄橋も何か所かが落ちてしまい、不通になってしまった。バスで代行運転をしてしのいでいるが、全線復旧が待ち遠しいこの頃だ。

       (終わり)

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夜が明けて除雪も本格的に

2021-01-03 04:21:27 | 暮らし

 歩道除雪車が去って、空が明るくなってくると次の除雪車が。

タイヤドーザーです。先ずは路面の雪を押して片側に寄せるのです。

 

 大型タイヤドーザーの排土板、前方も雪に隠れるほど。

4輪にタイヤチェーンをしっかり装着していてスリップすることなど無い。

 

 道路上の雪は先回もお話したように7~80㎝。

もちろん、道路全面を覆うわけだから、雪の量は凄まじいことに。

 

 駅前広場に入ってきました。

ここも広い場所、駐車場の雪を片側に押し付けます。

 

 線路も懸命の除雪。

モータカーロータリーと呼ばれる小型のロータリーがやってきました。

 昔のようなDD15ラッセル車やDD14ロータリーは無くなってしまった。

これだけの雪量になると、大型除雪車両でなかったら除雪は無理です。

上越線は31日から全面運休。今日3日の午前中は運休が続くようです。

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