畑に吹く風

 春の雪消えから、初雪が降るまで夫婦二人で自然豊かな山の畑へと通います。

92年前の「尾瀬紀行」(その2)

2023-07-31 15:42:22 | 登山
   五十年前の尾瀬紀行(その2)現在からは92年前です。

此の時のリーダーは、小出小学校の佐藤直次校長、堀小の品田校長、東小千谷小の大滝校長等であった。一行二十七名で、特に道案内として、湯之谷村桜井儀八郎さん(大湯湯本館の主人)が当たり、一切の面倒も見、又銀山、尾瀬沼の説明役にもなってくれた。

 其の日は栃尾又に一泊して、翌朝は早々と栃尾又を出発、九十九折りの銀山街道を上りつめて、枝折峠に到着、今晩は須原口の一寸先の浪拝の銀山寺に宿泊することになっている。上り下り三里の枝折峠も相当歩きでがあった。徳川の中期、銀山平に鉱山のあった頃は、どれ程の人たちが此処を通り歩きしたものか。又、鉱材や生活物資は全部此の峠を上り下りしたものであろう昔に想いを馳せ、一同感慨を深くした。
 石抱橋から中之岐を経て須原口に出る間に、処々夏の間の、湯之谷村の宇津野部落の人達が養蚕をやったり、ぜんまい取りをして寝泊まりしていた山小屋が転々として五、六軒あった。更に須原口に出ると中之岐との合流点で、只見川沿いに帯状の平地があって居住の農家が七、八戸あった。此処で冬を越すことは大変だ。

 十月の紅葉の季節を過ぎると、翌年の四月、雪の降り上がる迄の半年、湯之谷との交通は一切途絶、平場社会のことは何一つ通じない全く陸の孤島となる。
 住居の周囲にある田には稲が作られていたが、果たして此の稲の実が稔るのかなー。年間の食糧をはじめ、生活物資の殆どが大湯や小出から補給せねばなるまい。大変なことだ。
            (続く)
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92年前の「尾瀬紀行」

2023-07-31 04:20:23 | 登山
 数年前、亡父の部屋を整理していると、堀之内老人連合会発行の会報「年輪」があった、その第3号に昭和6年の尾瀬紀行文が寄せられていた。今回、ご遺族のお許しも得て、紹介させて頂きます。題名では五十年前となっていますが、書かれたのが昭和55年ですから、昭和6年というと今から92年前の貴重な記録になります。

        五十年前の尾瀬紀行
                
 私が尾瀬に行ったのは、昭和六年の夏であったので、そちこち五十年近くになる。今時の尾瀬は珍しいものでもなし、又、難コースであるわけでもない。然し五十年前の尾瀬は、新潟県側から入るのは相当難しいものであった。勿論尾瀬沼をはじめ、湿原地帯や周辺の燧岳、至仏、景鶴の山々を含め自然の景観や珍しい高山植物は実に豊富で、日本一と言っても過言でない、自然の宝庫である。実に素晴らしいものだ。

 私は山が好きで、登山は趣味の一つでもある。だが、登山の基礎知識も無く、勉強もしていない。その為にがむしゃら登りは途中で脚を痛めたり、体調を崩したり、結局中止しなければならなくなった。

 丁度その頃、八月一日に北魚沼の教員会で湯之谷村折立小学校を会場として、夏季登山講演会を開催するということになった。受講者の大部分は教員であった。講師は日本山岳会々員で、来迎寺の大平晃さんで「登山の基礎知識と銀山平と尾瀬」についての講演であった。
 私は勿論喜んで参加した。当日の受講者は引き続いて、尾瀬、銀山行に参加することになっていた。その時の堀之内からの参加者は堀之内小学校長の品田先生、根小屋の星野長蔵さん、堀之内の町田慶一さん、田川の渡辺武雄さん、徳田の星野三吾さんそれに私の七人であった。

                (続く)
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