我が家の裏の水田での光景です。
ほとんどの水田の稲刈りは終わったけれど、ここ一枚は残っています。
そこへ喜んで集まるのがスズメたち。
豊年じゃ、万作じゃ♪とばかりに賑やかに、喜びの声で食べている。
持ち主は特に慈善家でも無いでしょうが、稲刈りの遅れはどうしたのかな。
地主は魚野川を挟んで反対側の集落の男。中越地震対策で耕地が潰れた代替え地だとか。
べったりとまでは行かないが、稲はかなり倒伏していますね。
完全に倒伏すると、雨の降り具合によっては発芽してしまう事さえあるらしい。
食事を終えたスズメたちは隣家の立ち木に群がります。
米の話ですが、我が家と娘家族は、私の従弟が作るコメが供給源です。
彼は、一反歩当たり7俵半ほどの収穫を目指し、その通りになっているという。
肥料の施し方で、もっと採ることも出来るが、そうすると不味くなったり倒伏するという。
そして、何カ所もの水田を所有したり、委託も受けて何町歩もの耕作をしている。
水田の場所によって、土質・日当たりが違い、味に微妙な違いが出るのだという。
もちろん、従弟である我が家には最も美味しくて、ネオニコチノイド系農薬不使用の魚沼コシヒカリが届くのです。
稲穂に群がるスズメ、居る居るー、たくさんいますね。今はスズメが減って絶滅危惧種になりそうだとかTVで言っていました。確かにウチのあたりは田んぼも遠いし家の造りも今の家は軒下も無いし巣は作れないでしょうね。スズメなんていつも普通に見ていたのに不思議な事です。昔の事ですが畑で遊びで麦を作って刈ったのをハゼ掛けにして置いたら町中のスズメが来たのかと思うくらい集まったことがありました。今年も虫篭を作ろうかと麦を作って掛けて置いたのですが全然来ませんでした。今でも利根川の河川敷にはスズメがたくさんいます。近くはずっと田んぼだからでしょうね。
スーパーの棚に新米が並び始めて米不足は解消ですね。値上がりもしていますが見慣れない名前の新顔も並んでいますね。美味しいお米でおいしいご飯がいちばんです。
以前はスズメ避けのテープをしたり、カーバイト?と呼んだスズメ威しはなくなりました。その代わり獣避を田圃を囲っています。適度に降る雨の為に、稲架掛けしたものの脱穀出来ずにいる家もあります。このままだと稲架掛けの稲から芽が出そうです。良い時に出来た我が家はやれやれ。
山間地の自家用の米、野菜を作っているのは高齢者が多く、機械が壊れたら米作りは辞める
と言う農家ばかり。トラクターやハーベスターが壊れた時は我が家も断念するかもしれません。わずかながらも国の農産物の自給率を支えている山間地の高齢者の百姓も絶滅危惧と言えるかもしれません
総裁選の中では、まともかと思っていた石破さん
にはがっかり。どうなっていくのか?野菜やコメも作りにくくなっているのに、
私が、元気なうちは身内の食料位は確保したいです
美味しいお米を作ってくれる方がいるスベルベさんは、安心ですね。山間地では、スズメばかりか百姓をする人間も絶滅危惧です。
スズメが減ったというと、中国が毛沢東時代に国策で行った雀駆除の話を思い出します。
スズメがいなくなった結果として、害虫がはびこり凶作になったって暗示的な出来事。
日本全体がおかしな方向に進まないことを祈るのみですよね。
新潟魚沼のスズメたちは不憫ですよ。冬になれば、大地全てが雪に覆われ餌探しどころでは無くなるからです。
そして、雪の自然落下式を採用し、トタン張りの屋根が増えて営巣場所が無くなりました。
以前作ったように、空き箱を使ってスズメのアパートでも作ってあげましょうかね。
国が亡びる前兆かな。なんて大げさかもしれませんが、本当に考えなくてはなりませんね。
そうそう、スズメが減った代わりに増えてきたのが害獣とも呼ばれる動物たち。
魚沼では、昔話にさえ出てこなかったイノシシや日本鹿が表れ始めています。
これはもう原因ははっきりしています。温暖化による降雪量の減少ですね。
たまに、大雪状態になると春には餓死したイノシシが見つかることもあると聞きます。
お話しのように、まさに中山間地の農業も岐路に立っていますね。
今の若い皆さんは、農業、食べ物の生産という一次産業には興味が無さそう。
我が地域は、水田は少なくても河岸段丘の上畑は花卉栽培で賑わっていました。
こちらもご多分に漏れず後継者難。江戸時代どころか平安奈良時代の昔に帰りそう。
お話しのように私の代は食べ物にはかろうじて困らずに暮らせそうです。
それ以降、子々孫々に何が残せるのか。農地ばかりではなくて生き方も残していかなければなりません。