川の畔の店を手伝うようになってから 不思議に思うことも多くて 小さな子供のように質問を繰り返した
死んでいるのに 飲んだり食べたりするのは何故なのか
店の材料の仕入れは どうなっているのか
すると日本手ぬぐいをあねさん被りにした女性(ひと)は 困ったように首を傾げながら教えてくれる
優しい女性(ひと)だ
「-んとね~ 死んで間もなくは その食べ物の形を見ると 味がする 食べたつもりになるのだと思うの心がね
だけど だんだん こちらの世界に馴染むにつれ 飲み物も食べ物もどうでもよくなるみたい
匂いも香りもね意味をなさなくなるーというか
食べたいって気持ちも 一つの欲でしょう?
材料については これが必要ーと思うと出せるようになってくるの
面白いんだけど
だから料理しているふりーというなら ふりよね
ひどく漠然としているけれど
この世界がどうなっているのか まだまだ よくは知っていないのよ」
ありあまるほどある時間の中で とりとめなく よく話した
どんなふうに世界が変わっているか また私のことも 私の両親のことも
彼女はしみじみとした表情で話す「たとえ死んでいても 起こることには 何かの意味があるのね」
そんな ある時 私は父を視(み)た
驚いた とうに死んでいたはずー
なんで今頃 ここへ
私 店の奥に隠れてしまった
優雅に頭をめぐらしたあねさん被りの女性は 父に視線を留めた
深呼吸一つしたのが 離れた場所からも見えた
父の方はじっと相手を見詰めている
本当にそうか 思っている相手かと確かめるように 確かめるのが恐ろしいかのように
「写真も無かった 自分の記憶にずっと頼るしか無かった 面影を拾うにはー」
あねさん被りの女性は静かに微笑む「お疲れ様です 乗るべき舟が着いたら 間違えないで お乗りくださいね」
「君はー」と父が尋ねる
その女性(ひと)は そっと首を振った 「此の世とあの世と どちらの世でも もう私達の道が重なることは ありません
あなた様には 案じるべきご家族がいらっしゃる」
父は 苦しげな顔付きになった
「死んで真っ直ぐ此処へと来ることができなかったのは 遺したご家族を案じてのことでしょう 奥様とお嬢様のことが気になってー
人の生きる世界にとどまっていて
今度は事故に遭われた奥様とお嬢様のことが心配で 急いでここへ来られた」
するりと頭のてぬぐいを外した女性の顔は もしかしたら私より年下かもしれないくらいに若かった
「娘は 死んだのか」
「お嬢様は大丈夫です」
「有難う」
父は頭を下げた 「君も元気で」
足早に去っていく 誰かを捜すかのように
急に吹いてきた風に長い髪をなびかせて その女性は 父の後姿をじっと見送っていた
それから店の前の木に近寄っていく
「ご覧になったでしょう 急いで探しに行った相手は あなたです お嬢さんは生きていると知って それで間違いなく妻だったあなたが死んでいるはずと
気にかけて 案じて捜しに行かれた
あれが あのお方の本当の気持ち 心です
何も思わずに 何十年も男と女が暮らしていけるものですか
それが お辛いと言うのなら
お二人の間の親として 父として母としての関わりは 生きていようと死んでいようと切れるものでは ありますまい」
木の陰にいたのはー私の母だった
「憎いはずでしょう 憎いはずです どうしてー」
「あなた様は最後の最期に 母親にお戻りになられた お嬢様に生きてほしいと希(ねが)われたでしょう お嬢様だけは幸せに生き抜いてほしいと
おむつを換えて 夜泣きする子供を抱いて 立派に育ててこられたではありませんか
苦しかったでしょうに
自分が憎んだ女と同じ名前なんて その名前を我が子の名前として呼ばなくてはいけないなんて
長い辛い罰でしたね
どうぞ 急いで追いかけなさいまし
うまくすれば同じ舟に乗れるやもしれませんから」
母の姿から長い年月が抜け落ちていく 若い娘の姿に戻っていく
おそらく父に恋した頃の娘の姿に
両親が死んでからの こんな着地は思ってもみなかった
深い礼をすると 頭を下げると 母の姿は消えた
「では あなたは知っていたのですか?」
「あなたの名前を教えてもらってご両親のことを伺った時にー
だから案内人さんが あなたを店に置いていかれたのだとわかりました
どういう結末を選ぶのか 選ばせてくれたのだと
なんらかの形で決着をつけるようにー
案内人さんは それは親切な方ですから」
その女性(ひと)は ふんわりと微笑んだ
「楽しかったですよ 姉妹のようにあれこれ話して とてもとても このうえなく楽しい時間でした
だけど あなたは生きなくてはいけません
今まで迎えの乗るべき舟が来なかったということはー
あなたの身体は生きています
お戻りなさい
生きるのです」
「前に あなたは どうしても逢いたい人が居る だから舟に乗らずに待っている そう話されました
それはー父では無かったのですか」
私は訊ねずにはいられなかった
「ええ 逢いたいと思っておりましたよ 願っておりました 今一度ーと
だけどね あまりにも長い長い時間が過ぎ去りました
ここで 死なれた方々のお世話をずっとして 多くの方のお話も伺いました
そうした時間の中で
いつの間にか 逢いたいという欲は 思いは綺麗さっぱり消えていたのです
あなたのお父様と逢った時 それが分かりました
不思議なくらいに 何とも思わなかったのです
いっそ 笑いだしそうなくらいでした
心って 面白いものですね」
彼女は繰り返す「生き返っていらっしゃい 幸せな人生を祈っておりますよ 同じ名前のお嬢さん」
「もしも うまく生き返れたとして 私は 覚えていられますか この川の畔のことを」
優雅な仕草で首を傾げると 彼女は言った「 それは わかりません 夢から覚めるときのように そのほとんどを忘れているかもしれません
だけど きっと 生きる勇気を持って目覚めることでしょう 良い人生を」
優しく優しく彼女は手を振る
そして私は 川へ向かう人々とは逆の方向に歩き始めた
さようなら 有難う
川の畔の店の あねさん被りの優しい女性(ひと)よ
「川の畔で」↓
http://blog.goo.ne.jp/yumemi1958/e/1fa38058c74d68d051981e560fc8c334
「昏(くら)い愛」↓
http://blog.goo.ne.jp/yumemi1958/e/dfd11ea11b72259d80f110d60547976b
「空しき意趣返し」↓
http://blog.goo.ne.jp/yumemi1958/e/ecd5e8602c6651c862605181440426a3
「もう一度」↓
http://blog.goo.ne.jp/yumemi1958/e/ef0e182688fc3176853c7437061c949d
「山の宿で」↓
http://blog.goo.ne.jp/yumemi1958/e/83d8f371260bc59078a29f711711a24e
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死んでいるのに 飲んだり食べたりするのは何故なのか
店の材料の仕入れは どうなっているのか
すると日本手ぬぐいをあねさん被りにした女性(ひと)は 困ったように首を傾げながら教えてくれる
優しい女性(ひと)だ
「-んとね~ 死んで間もなくは その食べ物の形を見ると 味がする 食べたつもりになるのだと思うの心がね
だけど だんだん こちらの世界に馴染むにつれ 飲み物も食べ物もどうでもよくなるみたい
匂いも香りもね意味をなさなくなるーというか
食べたいって気持ちも 一つの欲でしょう?
材料については これが必要ーと思うと出せるようになってくるの
面白いんだけど
だから料理しているふりーというなら ふりよね
ひどく漠然としているけれど
この世界がどうなっているのか まだまだ よくは知っていないのよ」
ありあまるほどある時間の中で とりとめなく よく話した
どんなふうに世界が変わっているか また私のことも 私の両親のことも
彼女はしみじみとした表情で話す「たとえ死んでいても 起こることには 何かの意味があるのね」
そんな ある時 私は父を視(み)た
驚いた とうに死んでいたはずー
なんで今頃 ここへ
私 店の奥に隠れてしまった
優雅に頭をめぐらしたあねさん被りの女性は 父に視線を留めた
深呼吸一つしたのが 離れた場所からも見えた
父の方はじっと相手を見詰めている
本当にそうか 思っている相手かと確かめるように 確かめるのが恐ろしいかのように
「写真も無かった 自分の記憶にずっと頼るしか無かった 面影を拾うにはー」
あねさん被りの女性は静かに微笑む「お疲れ様です 乗るべき舟が着いたら 間違えないで お乗りくださいね」
「君はー」と父が尋ねる
その女性(ひと)は そっと首を振った 「此の世とあの世と どちらの世でも もう私達の道が重なることは ありません
あなた様には 案じるべきご家族がいらっしゃる」
父は 苦しげな顔付きになった
「死んで真っ直ぐ此処へと来ることができなかったのは 遺したご家族を案じてのことでしょう 奥様とお嬢様のことが気になってー
人の生きる世界にとどまっていて
今度は事故に遭われた奥様とお嬢様のことが心配で 急いでここへ来られた」
するりと頭のてぬぐいを外した女性の顔は もしかしたら私より年下かもしれないくらいに若かった
「娘は 死んだのか」
「お嬢様は大丈夫です」
「有難う」
父は頭を下げた 「君も元気で」
足早に去っていく 誰かを捜すかのように
急に吹いてきた風に長い髪をなびかせて その女性は 父の後姿をじっと見送っていた
それから店の前の木に近寄っていく
「ご覧になったでしょう 急いで探しに行った相手は あなたです お嬢さんは生きていると知って それで間違いなく妻だったあなたが死んでいるはずと
気にかけて 案じて捜しに行かれた
あれが あのお方の本当の気持ち 心です
何も思わずに 何十年も男と女が暮らしていけるものですか
それが お辛いと言うのなら
お二人の間の親として 父として母としての関わりは 生きていようと死んでいようと切れるものでは ありますまい」
木の陰にいたのはー私の母だった
「憎いはずでしょう 憎いはずです どうしてー」
「あなた様は最後の最期に 母親にお戻りになられた お嬢様に生きてほしいと希(ねが)われたでしょう お嬢様だけは幸せに生き抜いてほしいと
おむつを換えて 夜泣きする子供を抱いて 立派に育ててこられたではありませんか
苦しかったでしょうに
自分が憎んだ女と同じ名前なんて その名前を我が子の名前として呼ばなくてはいけないなんて
長い辛い罰でしたね
どうぞ 急いで追いかけなさいまし
うまくすれば同じ舟に乗れるやもしれませんから」
母の姿から長い年月が抜け落ちていく 若い娘の姿に戻っていく
おそらく父に恋した頃の娘の姿に
両親が死んでからの こんな着地は思ってもみなかった
深い礼をすると 頭を下げると 母の姿は消えた
「では あなたは知っていたのですか?」
「あなたの名前を教えてもらってご両親のことを伺った時にー
だから案内人さんが あなたを店に置いていかれたのだとわかりました
どういう結末を選ぶのか 選ばせてくれたのだと
なんらかの形で決着をつけるようにー
案内人さんは それは親切な方ですから」
その女性(ひと)は ふんわりと微笑んだ
「楽しかったですよ 姉妹のようにあれこれ話して とてもとても このうえなく楽しい時間でした
だけど あなたは生きなくてはいけません
今まで迎えの乗るべき舟が来なかったということはー
あなたの身体は生きています
お戻りなさい
生きるのです」
「前に あなたは どうしても逢いたい人が居る だから舟に乗らずに待っている そう話されました
それはー父では無かったのですか」
私は訊ねずにはいられなかった
「ええ 逢いたいと思っておりましたよ 願っておりました 今一度ーと
だけどね あまりにも長い長い時間が過ぎ去りました
ここで 死なれた方々のお世話をずっとして 多くの方のお話も伺いました
そうした時間の中で
いつの間にか 逢いたいという欲は 思いは綺麗さっぱり消えていたのです
あなたのお父様と逢った時 それが分かりました
不思議なくらいに 何とも思わなかったのです
いっそ 笑いだしそうなくらいでした
心って 面白いものですね」
彼女は繰り返す「生き返っていらっしゃい 幸せな人生を祈っておりますよ 同じ名前のお嬢さん」
「もしも うまく生き返れたとして 私は 覚えていられますか この川の畔のことを」
優雅な仕草で首を傾げると 彼女は言った「 それは わかりません 夢から覚めるときのように そのほとんどを忘れているかもしれません
だけど きっと 生きる勇気を持って目覚めることでしょう 良い人生を」
優しく優しく彼女は手を振る
そして私は 川へ向かう人々とは逆の方向に歩き始めた
さようなら 有難う
川の畔の店の あねさん被りの優しい女性(ひと)よ
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