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第二次大戦・日本軍の初期快進撃に隠されていた驚きの事実

2013年02月14日 16時30分20秒 | 国際・政治

 イギリスの高度機密情報が60年、80年の年月を経て順次公開され、驚愕の事実が明らかになった。イギリスにとっては取り返しのつかない痛恨の極みだった。

 日露戦争開戦時は日英軍事同盟が有ったのでイギリスなどが日本の外債を引き受けてくれた。日本は資金を得て203高地を攻め落とし、バルチック艦隊も撃破できた。

 1920年代、日本はイギリスに空母などの技術情報提供や戦闘機パイロット訓練などを要請していた。イギリスでは慎重な考えも有ったが外務省や軍の一部が協力的で退役軍人などを日本に派遣することになった。日本に空母などの技術を提供しても脅威にはならないと考えられていた。そのリーダーが貴族であり将校だったウィリアム・フォーブス・センピルだった。

 

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 アメリカによって日英軍事同盟は解消させられるが、センピルはその後も日本に対して空母や戦闘機の技術、水平爆撃方法、航空魚雷、アメリカやイギリスの軍事状況などの情報を提供し続けた。当時、イギリスの戦闘機や航空母艦の技術は世界最高峰だった。

 もし、センピルらの協力がなかったら、日本軍は短期間でアメリカやイギリスに並ぶ戦力を得ることはできなかった。

  イギリスは1920年代日本の通信暗号を解読していた。MI5(軍情報部5課)はセンピルに疑いを抱き、センピルが日本に送った手紙の写しを取得した。そのため、センピルが日本に送った通信や手紙の内容は全て分かっていた。

 また、フレディック・ジョセフ・ラトランドは日本軍パイロットの指導訓練を実施し、航空母艦の戦闘機発着、格納など運用方法の技術情報を提供した。後に日本軍のスパイとして活躍し、動画(16mm)を含む真珠湾の詳細な情報(艦船毎の映像など)を提供した。

(別の話だが、日本は軍事同盟を結んでいたドイツにも幅広く技術情報の提供を求めている。当時のドイツ人が日本から技術情報についてしつこく、繰り返し提供を懇願されたと述べている)

 イギリスのMI5はこれらの事実を掴んだ上で、起訴を検討してきたが、センピルが貴族であったこと、および情報入手法自体が秘密であったため、決めかねていた。裁判になると情報入手方法を明かす必要があり、暗号解読の事実を日本にも知られてしまう。

 

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 チャーチルがアメリカ大統領のルーズベルトと秘密会談を実施した際の内容が日本に伝えられており、その犯人は身内のセンピルかラトランドと推察された。チャーチルはセンピルのスパイ行為に対して逮捕し糾弾する手も考えたが結局、人事異動に留めた。チャーチルは自ら国家的犯罪を封じ込めた

 日本軍はシンガポールを陥落させ、真珠湾の艦船軍に決定的な打撃を与え、イギリスの戦艦プリンスオブウェールズおよびレパルスを撃沈させる。皮肉な事に真珠湾やプリンスオブウェールスを攻撃したのはセンピルが育て上げた機動部隊だったし、センピルの供給した情報が役立った。つまり、身内のセンピルのお蔭でイギリスおよびアメリカは大打撃を受けたのだった。

 例えば、センピルは小さな戦闘機に大きな爆弾を抱えて、敵艦に落とすことを教えている。プリンスオブウェールズはまさしく、そのような爆弾一発が命中したことにより撃沈したのであった。

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 特に、日本軍がマレーシアの英軍基地を攻撃した際には、真珠湾からアメリカ海軍が支援に来ると期待していたが、2日後に真珠湾攻撃が有ったため、英軍は単独の戦いを強いられた。シンガポール陥落により東南アジアにも展開していた大英帝国は力を失った。

 なおチャーチルは日本軍の通信の暗号解読から真珠湾攻撃が計画されている事をルーズベルトに連絡しているが、ルーズベルトは何ら対応策をとらなかった。アメリカが日本軍の通信を解読出来なかった訳ではない。その証拠に、真珠湾攻撃後、アメリカは日本軍の通信解読を大々的に開始している。

 日本軍が真珠湾で攻撃、破壊した戦艦はポンコツで、航空母艦は含まれていなかった。航空母艦の重要性が認識されたのは真珠湾攻撃後だから、「アメリカ軍が日本の通信を解読した上で航空母艦を退避させたことは当たらない」との説がある。然しながら、イギリス軍でも航空母艦の可能性に対する期待が高まっていた。アメリカでも同様であり、新鋭航空母艦を失いたくないとの思いが有って当然だ。

 アメリカ首脳は国民の厭戦気分とは反対に日本を叩く機会を伺っていた。出来れば日本軍から先に攻撃して欲しかった。そんな時、あまりにも期待通りに日本軍が真珠湾攻撃を計画し、実際に攻撃してきた。しかも、宣戦布告は攻撃が済んだ後だった。前にも書いたが、日本は攻撃前に宣戦布告する気は全く無かったと推測する。そんな事をすれば、真珠湾攻撃は成功しない。

 

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後の人間がどうこう言うのも何だが、およそ武士道にも反するこのような行為が、日本にとって不幸な歴史を背負い込むことになった。

 センピルは勲三等旭日中綬章を受けている。それだけ日本への貢献度が高かった。センピルは三菱から報酬を受けていたが、スパイというよりは自らの経験や知識を誇りたかったようだと言われている。ラトランドは本国に送還された後、貧困で自殺したとされているが暗殺された可能性もある。

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