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巨大ブラックホールの衝突が新宇宙を形成⇒循環宇宙論、有機物質から人間への進化メカニズム(循環論理の評価)⇒戦略的進化論

出向して新規事業を立ち上げるのはただ事ではなかった 最後は倒れるか死ぬかと思った

2015年04月30日 11時11分07秒 | ビジネス
 一般の会社でも新規事業立ち上げ難しい。このため社長レースは3番手が良いなどと言われている。何故なら、1番手、2番手の本命は新規事業を命じられ、必ず失敗するからだ。

 ましてや、公務員体質の電力会社で実質的な新規事業立ち上げは不可能に近い。私がメーカー子会社の研究所に出向したのは45歳ごろだった。現状の2本柱では経営が安定しないから、3本目の柱を立てて欲しいとの要望だった。

 話も期待も大き過ぎるし、指示されたのは機械製造業で、私は半導体やソフトしか知らず、出来るはずもないから断った。失礼な話だが、電気利用商品の営業部門を立ち上げて、電力に戻ろうと考えていた。営業は失敗を重ねながら自己流で身につけていた。

 ところが、2回断ったところで、3回目はまずいぞと脅しが入った。やむを得ず引き受けることにしたものの、機械の事は全く分からない。さらにまずい事に子会社は電気制御関連だった。同じメーカーと名前がついても電気と機械ではまるで異なり基本もノウハウも無かった。

 難しい問題は山のようにあった。研究所のスタッフが集まり電気以外は分からない。それ以上にプロパーから見て親会社から来た人間は敵であり、協力が得られにくい。毎日、夕方になるとあんたにはついて行けないと突き上げられた。

 プロパーの部長、課長クラスからは何度も怒鳴り込まれましたね。ある部長が大声を出すと窓ガラスがびりびり震え、長時間怒鳴りっぱなし。研究部門の部長(電力出身)が上司だったがその上司は硬直し、会議中、ものが言えなくなった。

 味の素関連会社への営業に行く事になり、全く会話が通じないので、食品関連の鉄工所社長の同行を求めた。味の素の次長が質問する。私の左に座った鉄工所社長が答える。2回目になると、私も理解でき始めた。

 最初のハンバーグ連続焼きラインはお客様から技術指導を得ながら、スペックを固め何とか収めた。トンベルトで動かしつつ1時間に5電気で焼く本格的なもので、幸い成功した。ロボットによる木材研磨にも取り組んだ。

 研磨ロボット開発に取り組んでいるメーカーに声をかけ、共同開発を申し込んだがメリットが無いと断られた。その時、「当社は国内の3%エリアしか考えていない。貴社は残り97%を対象にできるのだからメリットが有る」と伝えた。

 先方の常務から面白い事を言う奴がいるとお呼びがかかった。研磨の話は進まなかったが、曲がった間伐材から柱を切り出す設備の相談が有り、アイデアが出された。私は簡単ですよと回答、貴社すると部下が「課長は出来もせんものを安請けした」とボイコット。

 ソフト開発の下請けを探していたところ、営業部の世話で社内の別部門で開発する事になり、その後の安定した受注製品になった。

 鰻かば焼きにも取り組んだ。毎日山の様な鰻を焼いた。2匹食べるともう入りませんね。当時の日本では赤外線がまるで魔法の杖の様に認識されていたが、誤解が有り、産業的には近赤外線が効果的であることを実験で掴んでいた。この近赤加熱は様々なヒットを生んだ。

 鰻かば焼き工場を受注し収めた段階で、会計の部長が社長に独立させたほうが良いと進言し組織として独立、私はリーダーとなった。その後、会計も分離され、まるで独立採算の様な管理体制となった。出向して1年半経過したところだった。

 私はかなりの自信家だったが機械製造業の立ち上げは相当きつかった。取締役以上は電力OBで世の中の事もビジネスも、それ以上に機械製造をご存知ない。プロパーの一部は敵愾心に満ちている。

 私は誰もが嫌がる営業と開発を引き受け、当然全体責任も負った。かつ、電力に戻りたかったから、自分がいなくなった後も成長を続ける組織を目指した。課題が重かった。製造業として最も大変だったのはトラブル処理だった。

 ちょっとした機械でも開発品は意図した通りには動かない。従って、生産ラインは設置後、1か月以上の調整期間を置く。その上、一流企業でも「契約に関係なく、満足できる商品が生産出来ない限り払わない」と言い切る。

 開発がらみの生産ラインはトラブルがあって当たり前。池袋のホテルで営業を終え、やれやれという時、突然電話でトラブルを知らされる。営業予定を全部キャンセル、朝4時起きで、羽田までタクシーを飛ばし、第一便で客先に直行しひたすら頭を下げるなんて事が有る。


続く
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