ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

3月、4月に走る大会

2025-02-01 21:48:21 | RUN

昨日は、燕さくらマラソンのエントリー締め切り日だった。

先日、今年もこの大会のハーフマラソンの部にエントリーをした。

 

今日から2月。

この月末には、私も1歳、齢をとる。

60代も、アラSEVENTYと言っていい、68歳になる。

60代前半と違って、体力の落ち込みが激しいと感じるこの頃だ。

走ることは好きなのだし、走っている時間は心地いい。

だけど、私の場合、走った後に体調不良が来る。

直後ではなく、少し後や翌日の午前中などである。

必要以上にドキドキしたり、クラクラしたりする症状が出ることが多いのだ。

だから、走る回数や距離を減らしたりしてきた。

また、出る大会も選ばざるをえない。

レースに出て自分の記録が伸びるのが楽しかったのだが、記録に挑戦する走りはできなくなり、やめざるを得なかった。

そんなわけで、もっぱらファンランなのである。

 

さて、そんな青息吐息の68歳だが、今年も春先のレースは、とりあえずエントリーした。

まずは、3月16日の新潟ハーフマラソンだ。

この大会は、去年はあまりにも天気が悪く気温も低かった。

大会後には、例の新型ウイルス感染症に感染して苦しむはめになった。

今度は十分に気を付けよう。

 

4月には、12日(土)に燕さくらマラソンが、13日(日)には笹川流れマラソンが予定されていた。

ただ、さすがに2日続けてハーフマラソンを走るのは、できない。

(もっとも、去年燕さくらマラソンで会った栃木県の75歳ランナーは、翌日の笹川流れマラソンも出場して、両方完走していたのでビックリだったけどね。私にはできない。)

どちらに出ようかな。

…ずいぶん悩んだ。

 

結局、出場の決定は、アルビレックス新潟の試合に重ならない日にしようと決めた。

当初発表された日程では、第10節ホーム横浜FC戦が12日か13日ということだった。

1月22日に正式な試合日程が発表されるので、そこまで決定を待った。

その試合は、正式に13日(日)14時試合開始と決まった。

最近出ていなかった笹川流れマラソンを走ってみたかったけど、13日では、出場してから帰ってくると、ホームの試合に間に合わない。

…という理由で、笹川流れマラソンを断念し、結局今年も12日(土)の燕さくらマラソンにエントリーすることを決めたのだった。

 

近年は、レースの開催日とアルビレックス新潟の試合と重ならない日を選ぶのは、最重要なことなのだ。

あまり遠方の大会出場は考えず、県内の大会ばかりだけど、今年はいくつの大会に出られるかな。

去年は、3月の新潟ハーフマラソン、(ハーフ)

4月の燕さくらマラソン(ハーフ)

9月のたいない高原マラソン(8.9㎞)

10月の新潟シティマラソン(フル)

の4大会だったな。

11月のごせん紅葉マラソン(ハーフ)は、エントリーはしたが、腰痛で欠場だった。

 

いくら体調がおかしくなりがちだといっても、歩いてばっかりじゃ楽しくない。

しょせんファンランなのだが、なるべくゆっくりでも走ってゴールまで行きたいとは思う。

多少は鍛えておかなくては、と思ってはいるのだけど…。

 

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1月が行く…

2025-01-31 21:18:39 | 生き方

1月最後の日。

年が明けたと思っていたら、もう最初のひと月が終わってしまう。

以前仕事をしていたときに、1年を考えてみると、3月が年度末になるせいか、1月~3月は、過ぎるのが本当に早く感じたものだった。

俗に、

ち月は、く。

月は、げる。

ん月は、る。

などと言って、時間に追われて仕事が慌ただしいことを表現することが多かった。

今は、仕事はしていないから、慌ただしさはないはずなのだが、日々過ぎていくのは早いと感じる。

まあ、齢とともに時間の過ぎるのは早くなったと感じるようにもなったが。

 

1月の上旬には、たくさんの教え子から年賀状をもらったが、時の流れに驚いたことも多くあった。

私が教えたときには、みな小学生だったはずなのに、

「子どもが3人、みな巣立っていき、夫婦二人の生活になりました。」

「下の子も成人式を迎えました。」

なんと時の流れが早いことだろう。

なかには、「孫ができました。」なんて書かれているものもあった。

私には孫はいない。

あっという間に「抜かれた!」

っていう感じだね。

 

年賀状と言えば、はがき代金が急に1枚20円以上も上がったせいもあって、年賀状じまいを知らせるものも多くあった。

年輩の方々なら、負担が大きいことや終活の一環としてと、必要にかられてのものなのだろうけど、年輩ではない40代の人からもあった。

年賀状文化がすたれていくということなのだろうなあ。

ずっとこの文化の中で生きてきた自分としては、さびしく感じる。

また、急に年賀状じまいを告げられると、今までの付き合いをシャットダウンさせられたように感じてしまう。

まあ、そんなのは自分だけかもしれないが…。

 

…ということで、1月が行く。

明日から来る2月も、逃げるように早く過ぎていくのだろうな、きっと。

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「妖しい詩韻」(内田康夫著;角川春樹事務所)を読む

2025-01-30 22:30:50 | 読む

小説家の内田康夫氏が亡くなってから久しい。

彼の書いた浅見光彦シリーズは、たぶん全巻読んだと思う。

もう内田氏の作品は読めない。

残念だ。

そう思っていたところ、図書館で、内田氏のまだ読んだことがない本に出合った。

その書名は、『妖しい詩韻』。2007年に角川春樹事務所から出版されていた本であった。

(後で調べてみたら、文庫本でも2010年にハルキ文庫から出されていた。)

あと先考えずに、借りてきた。

 

あとがきには、こんなことが書かれてあった。

 

いったい人は、死という絶対的な事実に直面したり、どのように思ったり感じたりするものなのだろうか。

 

この本の特徴は、そこに焦点を当てた作品である。

さらに、次のようなこともあとがきに書いている。

 

「死者の独白」を書きたいと思っていた時に、辺見じゅん氏の歌集を贈っていただいた。何気なく鑑賞していて、ふいに触発されるものがあった。かつて萩原朔太郎の「死」という詩を見て、瞬時に巨大なストーリーの心象風景を展望した『「萩原朔太郎」の亡霊』を書いた時と、ほとんど同じような天啓であった。『妖しい詩韻』というタイトルはその瞬間に思いついたものだ。

 

ちなみにタイトルの『妖しい詩韻』は『妖しいシーン』であり『妖しい死因』でもある。

 

内田氏は、自分が浅見光彦シリーズなどでたくさん殺人事件を描いている。

その多くの殺人あるいは命がなくなるシーン、登場人物たちがどんな思いで死んでいったかを想像して書かれた短編集であった。

20のシーンが出てくるが、構成はどの話も同じ。

まずは見開き2ページ分の門坂流氏のイラスト。

次のページに辺見じゅん氏の短歌が一首。

そして、5~9ページで1つのシーンの物語が描かれている。

 

その殺人シーンとなったミステリー作品たちは、

「『熊野古道』殺人事件」「佐渡伝説殺人事件」「朝日殺人事件」「死者の木霊」「平家伝説殺人事件」「風葬の城」「『横山大観』殺人事件」「十三の冥府」「箸墓幻想」「鏡の女」「鳥取雛送り殺人事件」「戸隠伝説殺人事件」「喪われた道」「ユタが愛した探偵」「北国街道殺人事件」「鯨の哭く海」

だとのこと。

数が20に合わないのは、1つのミステリーから2つのシーンを書いたものもあるからだという。

その作品たちは、すべて読んだことがあるが、大半は一度しか読んでいないのであらすじも忘れてしまったから、各シーンがどの殺人事件のシーンなのかなどは、とても考えつかなかった。

だけど、熱烈な内田康夫ファン、浅見光彦ファンなら、

「シーン1は、『ユタが愛した探偵』のシーンだ」

などと当てることができるのかもしれない。

 

ただねえ、私には、やはり殺人シーンや人が死ぬシーンの話ばかりだから、おどろおどろしくて、あまり気持ちのいい作品ではなかったな。

まあ、男女の話だと多少エロスもからんだりしていたけど、薄気味悪くて、もう一度読みたいとは思わなかったなあ。

ほかの人にはお勧めしようとは思わない作品であった。(ここで紹介しているくせに…。)

 

でも、内田氏には、冒険的な凝った作品だったのだろうな、これは。

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雪消し、雪降り、のくり返しから、NSP…(!?)

2025-01-29 20:12:32 | うた

いたちごっこ?追いかけっこ?

 

雪が降って、積もった雪を消す作業をして、そしてまた雪に降られて…。

そんな冬の生活を思っていたら、そんな言葉たちが浮かんできた。

 

当地でまともに(?)雪が降って積もったのは1月16日が最後だった。

それ以降、たまには晴れ間の多い日もあったが、天気はそんなによくなかった。

気温が少しだけ高いので、降ってくるのは雪ではなく雨。

冬に雨は似合わないけど、よく雪をとかす。

だけど、積もって締まった雪だと、とける速度はおそい。

だから、雨などが降ってさえいなければ、外に出て雪を崩し、雪が早くとけるようにする。

これは、運動不足の解消にもなり、一石二鳥だ(と思うことにしている)。

ご近所さんも、晴れていれば、日中外に出てこの雪消し作業をがんばっていた。

 

そんなことで、わが家のすぐ外の道路の雪の状態の変遷を見てみよう。

 

【1月19日】

 

【1月22日】

こんなふうに雪を崩して路上に散らして、雪消しの作業を毎日のようにしていた。

 

【1月24日】

ついに、道路の雪をすべて崩した。

 

【1月25日】

朝、見てみると…やった。

ついに全部とかしたぞ。

春に近づいた気がするぞ。

…っと、思って数日たった今日は、また雪に降られてしまった。

【1月29日】

まあ、3,4cmの積雪だったけどね。

また寒波が来るそうだから、もう少し積雪は多くなるのかね。

 

雪が降って、積もった雪を消す作業をして、そしてまた雪に降られて…。

なんか、終わりのない追いかけっこみたいだな。

春はもうすぐみたいに感じていたのに。

 

こう思っていたら、NSPの故天野滋氏の顔が浮かんだ。

そうか。彼がソロで出したアルバムに「恋は終わりのない追いかけっこ」という曲があったな。

ついでにいえば、自分でここまで書いてきた文中にあった言葉たちの中には、NSPの曲名にあったよなあ。

NSPの初期には「雨は似合わない」とか「春はもうすぐ」という曲もあったっけ。

彼も東北人だったから、雪に対する感覚は似ていたんだな。

…と、そんなふうに心の中の思いが勝手に進んで行った。

 

雪が降って、積もった雪を消す作業をして、そしてまた雪に降られて…。

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「山ぎは少し明かりて」(辻堂ゆめ著;小学館)~辻堂さんの筆力に魅せられた~

2025-01-28 17:54:22 | 読む

筆力のある人だなあ。

今回初めて辻堂ゆめさんの作品を読んでそう思った。

読んだ本は、「山ぎは少し明かりて」。

枕草子から借りてきたタイトルのようだが、この作品は、三世代の母娘を描いた話である。

 

出版社である小学館による本書の紹介は、次のようになっていた。

祖母が守りたかったもの、それは?

瑞ノ瀬村に暮らす佳代、千代、三代の三姉妹は、美しい自然の中をかけまわり元気に暮らしていた。大切な人が戦地から帰ってくる日も、村中から祝われながら結婚式を挙げた日も、家で子を産んだ日も、豊かな自然を讃えた山々の景色が、佳代たちを包み込み、見守ってくれていた。あるときそんな瑞ノ瀬村に、ダム建設計画の話が浮上する。佳代たちの愛する村が、湖の底に沈んでしまうという。佳代は夫の孝光とともに懸命に反対運動に励むが──。

 

定年退職まで営業部で忙しく働く佳代の娘・雅枝と、海外留学先であるイタリアで「適応障害」になり、1ヶ月と少しで実家に帰ってきてしまった孫・都。湖の底に沈んだ瑞ノ瀬への想いはそれぞれにまったく異なっていた。

 

大藪春彦賞受賞、吉川英治文学新人賞ノミネートなど、いま最注目の若手作家・辻堂ゆめの最新刊!

都市開発や自然災害で、瞬く間に変わりゆく日本の古き良き故郷(ふるさと)の姿。私たちが得たものと失ったものは、一体何なのか。若き作家が三世代の親子の目を通じ、変わりゆく日本の「故郷」を壮大なスケールで描いた感動作。

 

三世代なので、描かれた時代は、現代からさかのぼって昭和初期の時代にまでなっている。

その構成は、プロローグ・エピローグにはさまれての3章でできているが、

第1章「雨など降るも」は、娘を巡っての現代での話。

第2章「夕日のさして山の端」は、母を巡っての昭和から現代での話。

第3章「山ぎは少し明かりて」は、祖母を巡っての昭和の初めから終わりごろまでの話。

この中で最も長く詳しく書いてあるのが、第3章。

第2章までで136ページだったのに、第3章は137ページから313ページまである。

一番古い時代の章が、一番長いのだ。

 

作者の辻堂さんは、1992年生まれ。

ということは、平成の生まれである。

それなのに、第3章の昭和初期から戦前・戦中・戦後、高度成長の時代までの人々の暮らしの様子が実によく描かれていた。

作者とは生きてきた時代が違うだろう。

しかも、普通の人でもよく知らない山村の暮らし。

そこに住む人々の風俗や習慣が細部にわたって、実に違和感なく描かれている。

自然の中で見かける多くの植物や虫たちだって出てくる。

私くらいの年代になると、田舎で暮らしてきたからその風俗や習慣は実体験したことも多く、思い出すこともできる。

だが、作者の辻堂さんが生まれ育ってきた環境では遭遇しなかったことが多いだろう。

なのに、田舎の暮らしや山村の風景が見えるようにこんなに詳しく書けるなんて、と驚いた。

 

そして、描いていたのは、ダム湖の底に沈むことになる村。

そのダム建設の話の進展の仕方についてもそうだ。

村人たちの反応や、反対運動に取り組む人たちの行動の変化などについても、非常に具体的だった。

よっぽど取材したり文献をあさったりして、資料を集める必要があるし、その資料を作品に活かせるように自分の中で咀嚼しなくてはいけなかったはずだ。

巻末には、主な参考文献として14冊の書物名が載っていたが、よくぞ自分のものにしたものだ、と感心した。

 

順番が逆になるが、第1章ではあの2019年10月の台風も出てきた。

私ごとだが、あの台風で、私は出場予定の新潟シティマラソンが開催中止になってがっかりしていたのだった。

あのときもし走れていれば、調子がよかったからきっと人生自己最高の記録でゴールできたことだろう。

そして後日、埼玉の川が暴れ狂って河川敷が大被害を受けていた悲惨な跡も見たのだった。

 

台風19号の爪あとがここにも - ON  MY  WAY

台風19号は、全国に多大な被害をもたらした。特に、短時間の豪雨によって堤防の決壊などが起き、多くの人命が失われたり、非常にたくさんの人々の生活がめちゃくちゃになっ...

goo blog

 

その台風被害の最も象徴的なシーンの一つに、長野で新幹線が水に浸かっていたことがあった。

本書の第1章に登場する娘の彼氏は、その台風で被害を受けた長野のリンゴ農家の息子という設定になっていた。

そんな設定からの構想も巧みだなあと感心した。

 

本書の帯には、「三世代の母娘を描いた、感動の傑作大河小説!」と書いてあった。

大河ドラマはよく聞くが、なるほど大河小説か。

言い得ている読み応え、辻堂さんの筆力をたっぷり感じて、魅せられてしまった。

またそのうち、彼女の別な作品を読んでみよう。

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「赤塚不二夫 まんが伝」(赤塚不二夫著;光文社知恵の森文庫)

2025-01-27 21:24:37 | 読む

図書館の新潟県関係の出版コーナーに、本書「まんが 赤塚不二夫伝」を見かけた。

新潟県は、多くのマンガ家を生んだ県として認識されている。

その先駆者のような存在として、ギャグマンガの王様だった赤塚不二夫が上げられる。

だけど、赤塚不二夫は、少年時代に新潟県で暮らしたことがあったということで、純粋な出身者ではない。

そのことは知っていた。

では、彼はどんな人生の軌跡を描いたのかというのは、「赤塚不二夫自叙伝 これでいいのだ」(文春文庫)という自伝を書いているからそちらを読めばいい。

だけど、文字ばかりの本ではなく、マンガ家だったのだからマンガの多いものの方が読みたいなと思ったら、本書「まんが 赤塚不二夫伝」が目に入った。

これを借りることにした。

 

本書は、文庫本であり、内容の大部分は赤塚不二夫本人が描いたマンガでできている。

だが、出版されたのは、彼の死後であり、彼が意図して編集したものではない。

これは、単行本未収録の自伝的まんがを集め、赤塚不二夫の人生をたどろうとしている。

第1章は、自伝的マンガ論。

満州から引き揚げて家族と暮らした奈良県での少年時代の、友人たちとの日常が描かれた連載マンガがあった。

マンガを描くのがうまかったから、それを見せたり描いたりすることによって、ガキ大将からいじめられずに済んだという話は、子ども時代の感覚としてなるほど、と思った。

 

また、手塚治虫のようなマンガ家を目指していた、トキワ荘での生活が描かれた作品もいくつかあった。

その中でも、石ノ森章太郎との関係はかなり濃かったことがわかった。

先にマンガ家として世に出た石ノ森にはずいぶん世話になったようだが、友人としての存在で、ずいぶん頼りになったようだった。

マンガ家になるための苦しい生活でありながら、音楽に夢中になってオーディオ機器を買う話なども、若さゆえの突っ走った逸話だ。

また、マンガを採用してくれるようにと出版社を回り、「手塚治虫のようなマンガ家になりたい」と赤塚は言うが、マンガの編集者からは、ダメ出しの連続だった。

あるとき、「手塚治虫のまねではない、自分にしか描けないマンガを」というようなことを言われた。

それが、後の、個性豊かなキャラクターたちの誕生につながっていったのだった。

 

第2章は、「記念的まんが編」。

中学生の頃に描いた幻の処女作『ダイヤモンド島』の原画が載っている。

現存する20枚の原画に登場する人物たちは、なるほど初期の手塚治虫の作品に出てくる人物たちにそっくりだ。

ほかに、雑誌『漫画少年』に初めて採用された4コマ漫画なども載っていた。

また、新潟県新発田市出身のマンガ家寺田ヒロオのアドバイスで完成した作品「おかあさんのうた」や、ほかのマンガも載っている。

 

読んでみて、赤塚本人が意図的に選んだわけではないし、寄せ集めたものを自伝的に編集したマンガ本だから、特に心に残る自伝マンガ本、とはならなかった。

でも、トキワ荘関係のマンガからは、マンガ家として世に出たい若者の熱意は感じられた。

また、ギャグマンガに登場した個性豊かなキャラクターは、奈良県での少年時代にたくさん遊んだ仲間がいたからこそ生まれたと知ることもできた。

 

実を言うと、私も、子どものころはマンガ家になりたいという夢をもっていた。

真っ白な無地ノートに、定規で線を引いてコマ割して、鉛筆でストーリーマンガのようなものをたくさん描いたものだった。

だから、子どものころ、マンガ家になるという夢を実現した先達のマンガ家たちの人生には引き付けられ、憧れるものがあった。

本書を読んで久々にそんな思いがあったことを思い出したよ。

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全日本卓球選手権大会、けがからの復活Vの早田、弱冠17歳での初優勝の松島

2025-01-26 20:22:35 | スポーツ

全日本卓球選手権シングルスの部も最終日を迎えた。

今回から、シングルスとダブルスを分けて行うことになった全日本。

今日は、シングルスの準決勝と決勝が行われた。

午前10時から午後3時まで、準決勝・決勝の全試合をNHKBSやらネットのライブ配信やらで、全部見ていた。

昨日の準々決勝の結果、勝ち残った張本兄妹が、兄妹同時優勝なるかというところに一般の関心がいっていた。

先に行われた女子の準決勝では、妹の張本美和が強かった。

相手は、昨日の準々決勝で平野美宇に2回のマッチポイントを握られていながら逆転勝ちした伊藤美誠。

しかし、張本美和は、伊藤美誠をまったく相手にせず、4-0で勝利した。

その試合の様子をネットのライブで見ていたが、16歳の張本美和がここまで強くなったかと思った。

 

もう一つの女子準決勝は、全日本2連覇中の早田ひなと、この1年進境著しく世界ランクを7位まで上げてきた20歳の大藤沙月。

パリ五輪での負傷からまだ完全に癒えていない早田だし、両ハンドが振れて、ラリー戦に強い大藤だから、この試合は大藤にチャンスがあるだろうと思っていた。

1ゲーム目は中盤まで7-7と接戦だった。

だが、そこから勝負強さを発揮した早田は、11-9でゲームを先取した。

2ゲーム目も連取した早田は、3ゲーム目は5-9と劣勢に立ったが、そこからジュースに持ち込み、粘り勝った。

ラリー戦の展開になっても、早田のつくコースは大藤を上回っていた。

結局、早田が4-0のストレート勝ち。

前日までの対戦相手には1ゲームは取られていたのに、強敵に対してストレート勝ちする早田の勝負強さ。

試合を経験するごとに以前の力を取り戻しているようだ。

 

男子の準決勝の1つは、王者張本智和対弱冠17歳の松島輝空。

世界での戦いでは、世界ランク3位という張本の方が上位に進出している。

松島は、まだ世界ランク31位で、日本人では5番目だ。

張本の方が上回るだろうと予想した。

だけど、試合が始まると、松島の攻撃的なプレーが目を引いた。

ミスは出ることもあるが、とにかく先に攻めたり強いボールを送ったりしていた。

特に素晴らしいのはバッククロスのフォアハンドスマッシュ。

近年見たことがないような力強いショット。

そのプレーに魅了された。

第1ゲームをジュースで奪うと、第2ゲームこそ接戦で落としたが、第3ゲームもジュースとなったが、これも取って松島が優位に立った。

そうなるのは、思い切った攻め。

要所でのロングサービスも効果的だった。

決めようという強いショットを打ち続ける松島としのごうとする張本。

こういう展開になると、乗っている方の得点が多くなる。

ビシバシと松島のスマッシュが決まった。

最後は、張本がお手上げというような状況に追い込まれ、4-1で松島勝利、決勝進出。

これで、張本兄妹のダブル優勝はなくなった。

 

松島は、決勝では、同じサウスポーの篠塚と対戦。

剛の松島対柔の篠塚。

強打で篠塚の牙城を崩す松島。

コースを突き、ミスを誘おうとする、技の篠塚。

去年の対戦では篠塚が松島を下していたのだが、今回の対戦では明らかに松島が上回っていた。

「粗削り」という言葉があるが、松島のプレーはそれを思わせる。

だが、それだけではない確かな技術力も高めていた。

なんといっても、豪快なスマッシュは魅力的だ。

相手の低いボールに対してもスマッシュを選択し、ノータッチで抜いて行くのを何本見たことだろう。

第4ゲームこそ落としたものの、ゲームカウント4-1で勝利し、初優勝を果たした。

ここ数年続いた、張本・戸上時代。

その間に割って入っただけでなく、それより上にのし上がった感じ。

まだ17歳での栄冠、もっともっと強くなるだろう。

今後の世界での活躍が楽しみだ。

 

さて、女子の決勝は、早田対張本。

早田と同年代で中国からは「大魔王」と呼ばれた伊藤美誠。

彼女を、コテンパンに打ち負かした張本美和だから、早田も危ないのでは、と思った。

ところがどっこい、そうではなかった。

張本の打ち込むボールに対して、もちろんやられるときもあるが、粘り強く返す。

ラリー戦になると、早田の方が得点することが多かった。

早田の懐の広いプレーぶりにため息が出た。

心配していた利き腕の左腕のケガも感じさせなかった。

第3ゲームこそジュースとなったが、勝負強い早田は譲らなかった。

去年のリベンジをねらっていた張本を、堂々4-0ではね返す強さを見せた早田だった。

3年連続4回目の優勝を果たした早田。

日本の女王にふさわしい勝利であった。

今後の早田の活躍が、ますます楽しみだ。

去年のアジア大会で、早田ぬきでも中国に勝った日本。

張本や大藤はじめ、若い選手たちも確実に育ってきている日本。

中国勢を倒せる日も近いと感じた。

 

早田も松島も、五輪のバックアップメンバーの経験後、「バックアップメンバーはもう経験したくない」と言って、本当に努力して力を伸ばしてきたところが共通する。

2人とも、今や日本の王者である。

今年の卓球界は、2人を中心に、世界で活躍する日本人や日本チームのよいニュースが聞けるのではないだろうか。

そんな期待をしてしまうような、今日の全日本卓球選手権であった。

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シルバーコレクター返上ならず⤵

2025-01-25 17:27:26 | アルビレックス新潟

どうして勝てないのだろうなあ。

アルビレックス新潟レディース、延長戦でもドロー、PK戦4-5で敗れる。

PK戦は避けたい、と思っていたが、やっぱりそうなってしまった。

 

絶対スタメンだと思っていた上尾野辺が控えに回っていた。

そして、試合が始まると、圧倒的な浦和ペース。

守勢に回る新潟、どうもうまくいかない。

全然相手陣内に攻め込めない。

それでも、相手の攻め方に慣れれば、何とかなるのだろうと思いながら見ていた。

だが、その期待は裏切られ、前半11分、先制を許してしまった。

そこまでを見ていたら、何点取られて負けるのかな、というような試合序盤だった。

 

でも、その後、新潟も初めて攻め入った後、園田の惜しいシュートがあった。

そしてまもなく、28分、ペナルティエリでパスを受けた滝川が細かいドリブルの後、見事なシュートを決めて、同点に追いついた。

このあたりからほぼ互角の展開になった。

浦和の方がボール支配率は高いが、決定的なチャンスを作らせなかった。

そのまま試合は後半へ。

 

後半の序盤、新潟は2度も決定的なシュートシーンを作り出したが、相手キーパーのナイスセーブで防がれてしまった。

その後は、ピンチもあったが、キーパー平尾の好守備もあってゴールは許さない。

そして後半も押し詰まった82分、新潟側からすると主役の上尾野辺登場。

ボールの受け方やパスの出し方を見ると、さすがだなあと思いながら、見ていたよ。

フリーキックを獲得したときには、同級生の川澄と上尾野辺のアラフォー2人が相談するシーンもあって、絵になるなあと思ったりもした。

 

試合は、90分で決着がつかず、延長戦へ。

そして、延長戦でも得点がなく、入ってほしくなかったPK戦へ。

延長戦に入るときも、延長戦後半に入るときも、PK戦に入るときも、円陣を組んでいた新潟。

川澄がみんなの気持ちを和らげて笑わせていた風景に、いいチームだなあ、負けてほしくないなあ、勝って笑ってほしいなあ…と思いながら見ていた。

 

PK戦では、2人目に出た川澄も、5人目に出た上尾野辺も、さすがのPK成功。

だけど、残念ながら3人目の選手が止められてしまった。

最後の相手のキッカーは、なんとゴールキーパー。

平尾、なんとか止めてくれという願いも空しく、コースは読んだしボールにも触ったのだが、無情にもボールはゴールに転がった。

 

ああ。アルビレックス新潟レディース、皇后杯5回目の挑戦も準優勝。

上尾野辺選手は今回もシルバーコレクターとなってしまった。

うーん、残念。

さ来月39歳と、年齢的にも厳しいから、皇后杯を取らせてあげたかった。

 

しかしまあ、どうしてサッカーの神様は決勝に進んだ新潟のチームを嫌うのか。

こうして、カップ戦6回目(皇后杯5回、クラシエ杯1回)の準優勝となったアルビレックス新潟レディースだけではない。

昨秋11月、ルヴァン杯のアルビレックス新潟、12月の全日本大学サッカーの新潟医療福祉大(7月の全国大会でも)、そして今回。

3か月連続して、決勝で勝てない新潟のチームを見せられてしまっている。

新潟が雪国だから銀世界、銀が似合うってか!?

(なんか、ヤケになってますなあ…。)

タメイキ… 

新潟のチームには、なんとしてもこの分厚い壁を突破してほしいなあ。


上尾野辺選手にとっても、またつらい結果になったけれども、次のチャンスをつかみ取ってくれることを期待したい。

アルビレックス新潟レディースの皆さん、お疲れさまでした。

精一杯がんばった皆さんの姿は、新潟人の誇りです。

準優勝の記念写真も、笑顔がとても素敵でしたよ。

胸を張って新潟に帰ってきてくださいね。

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祈!アルビレディース初優勝!! シルバーコレクター返上へ!!

2025-01-24 21:30:19 | アルビレックス新潟

★2012年1月 皇后杯決勝

 ● アルビレックス新潟レディース 0-3 INAC神戸レオネッサ○

★2013年1月 皇后杯決勝

  • アルビレックス新潟レディース 2-2 (PK戦3-4)INAC神戸レオネッサ〇

★2015年12月27日 皇后杯決勝

  • アルビレックス新潟レディース 0-1 INAC神戸レオネッサ○

★2016年12月25日 皇后杯決勝

  • アルビレックス新潟レディース 0-0 (PK戦4-5)INAC神戸レオネッサ○

★2023年12月 クラシエ杯決勝

  • アルビレックス新潟レディース 0-0 (PK戦2-4)サンフレッチェ広島レジーナ○

 

…なんという決勝戦敗北の歴史だろう。

今まで過去5回カップ戦の決勝に進出しているアルビレックス新潟レディース。

だが、一度も決勝で勝利したことがない。

いつもいつも、準優勝に終わり、完全にシルバーコレクターとなっているのだ。

 

そのアルビレックス新潟レディースが、久々に皇后杯の決勝に進んだ。

 

あっぱれ!!アルビレックス新潟レディース 皇后杯準決勝PK戦を制して決勝へ - ON  MY  WAY

あっぱれ!!よくぞ勝った!アルビレックス新潟レディース。皇后杯サッカー準決勝、日テレ・東京ベレーザとのPK戦を制し、決勝進出!!すばらしい!!!対戦相手の日テレ...

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決勝は、明日の1月25日である。

対戦相手は、三菱重工浦和レッズ。

前季、前々季とリーグ戦で優勝している強いチームが相手となる。

準決勝では、新潟が過去4度決勝で煮え湯を飲まされているINAC神戸を、4-1で下している。

圧倒的な攻撃力をもったチームだ。

 

だが、新潟は、なんとしてもクラブ初のタイトルを手に入れたい。

 

主将である川澄奈穂美選手は、「メグにタイトルを取らせてあげたい」と言っている。

川澄は、かつてINAC神戸に所属して、新潟レディースの優勝を阻んでいる。

だが、昨年度、旧友のメグこと上尾野辺めぐみの願いを聞き入れてくれて、新潟に来てくれた。

川澄に「どのくらいの重さで来てほしい?」と問われた上尾野辺が、「地球3個分」答えたのは有名な話だ。

そして、初年度から新潟の主将としてがんばった川澄の効果もあり、勝利への意欲が高まった新潟は、こうして決勝まで進むくらい勝負強くなっている。

そして、今季のチームの目標は、「本気でタイトルに挑む」である。

そのタイトルまで、あと1勝に迫っている。

川澄だけでなく他のチームメートたちも、「メグさんにタイトルを取らせてあげたい」と口にしている。

なんてったって、横浜市出身なのに、上尾野辺のアルビレックス新潟在籍は、今年で19年目に当たる。

これだけ1チームに長期在籍する選手は、女子選手には稀有だろう。

その上尾野辺めぐみ選手も言う。

「トーナメント戦で決勝戦に出るのはなかなか難しいことだと思うし、私自身、年齢を踏まえて、ラストチャンスというくらいの気持ちで戦いたい」

39歳になった川澄同様、上尾野辺も、3月でまもなく39歳になる。

チャンスが多くないことをよく知っている。

ぜひ、明日の決勝では勝利してシルバーコレクターを返上し、優勝を勝ち取ってほしいと思う。

決勝の会場の広島は遠すぎるから、テレビの前で声援を送ろう。

 

Visca Albirex Niigata Ladies !!

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13日ぶりの9km走

2025-01-23 18:12:15 | RUN

しばらく走っていなかったなあ。

荒天もあったし、積雪もあった。

だが、その後の雨などでだいぶ歩道の雪も消えた。

いつも走るところは走れないが、場所を選べば走れそうだ。

ということで、今年になって2度目、13日ぶりの娘との3kmRUN。

だけど、いざ走ろうとしたら、雨が降ってきて、小止みになるまで20分ほど待ったのだった。

待ちくたびれてしまったから、少しくらい雨にぬれてもいいや、とばかりに走り出した。

 

いつものコースは積雪が残っていたから、違うコースを走った。

場所によっては、まだ圧雪があったり、雪がとけた水や雨が降った水が行き場がなくたまっていたりと、走りにくい場所もあった。

娘との3kmを終えて、6km追加の9km走。

住宅街の歩道は、こんな状況でいくらか走りやすかったが、少し郊外に行くと、歩道は除雪されていなくて走れなかった。

仕方がないので、危なくないように気をつけながら車道を走るしかなかった。

 

雪の田園風景に、すっくと立つ1本の木。

吹きっさらしの厳しい環境の中、堂々としているように見えた。

細かい枝の先まで見えるようで、なんだかとても強い生命力を感じた。

 

そして、12月から花を咲かせていたロウバイの木。

大きく見て3本ほどあるのだが、約2週間見なかったうちに、また咲いている花は多くなっていた。

いやあ、これは元気が出るなあ。

そう思って見上げていたら、軽乗用車に載っていた中高年の女性が車を止めて降りてきた。

私同様にスマホをかざして、写真を撮り始めた。

「すごいですね。もうこんなに咲いていて。」

「ここの花、12月から咲いていましたよ。」

などという言葉を交わした。

「じゃ、失礼しま~す」とあいさつして別れ、再び走り出した。

すると、50mほど行った足元に、ロウバイの細い枝が1本落ちていた。

その枝には、つぼみがいくつもついていた。

誰かが折ったのか、風雪で折れたのか、鳥が運ぼうとしたのか、といろいろ考えながら通り過ぎた。

10mほど過ぎた後、このままだとほかの人に踏まれたりして可哀相だよな、と思ったのだ。

そこで、引き返してその枝を拾って、着ていたウインドブレーカーのポケットに入れて持ちかえることにした。

 

一段と多くの花が咲いたロウバイを見て、晴れやかないい気分になった。

だけど、さすがに約2週間ぶりの帰り道は、足取りが重かった。

走る機会が少なすぎだよな…と反省しつつ、今日は雪のある環境下で合計9km走れたことで満足した。

 

なお、ポケットから取り出したロウバイのひと枝は、小さなコップに入れて、仏壇にお供えしたのであった。

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