ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

2024年大晦日

2024-12-31 21:18:33 | 生き方

大晦日。

昨日の予定通り、今日は大掃除。

茶の間、神棚、仏壇、床の間は念入りに。

ついでに、トイレやふろの掃除、台所のワゴンの陰や天袋と言える上の棚のほこり取りも。

やったときにはきれいになって気持ちがいいのだが、終わってからよくよく見ると雑に感じられるのは何故だろう…???

 

例年なら厨房は、妻が中心となって娘が助手となっておせち関係の調理をするのだが、今日は妻が不調。

だが、娘が一日中がんばっていた。

それならアタシがやる、と自分で決めて、やろうとする意欲があるのはいい。

もう感覚的なものとか思いとかは、まったく常人だ。

30代は無駄にしてしまったが、もう40代。

でも、人生はまだまだ続くから、前向きに元気でいてほしいと願う。

だから、もう台所は完全に任せて、私は掃除活動に専念していた。

妻も夕方復活できてよかった。

 

毎年恒例の半年分の写真カレンダーも製作した。

写真を見ながら、個人的に今年を振り返りながら作った。

1月は、雪は少なかった。

だから、庭の枯れた小菊を刈る作業なんかしたら、腰痛を引き起こしてしまった。

2月下旬は、年が明けてから初めての埼玉行きで、ジャガイモの種イモを畑に植えた。

3月は、非常に寒い中、新潟シティマラソンを完走したのはいいが、あのCOVID-19感染症についに感染してしまい、苦しい時間を過ごした。

4月上旬、練習不足も甚だしかったが、燕さくらマラソンを完走できたのはうれしかった。

でも、下旬に同様の感染症に陥り、またしても熱と咳に悩まされたのだった。

6月、埼玉の畑を借りたいという人が現れ、ぜひということで話が進んだ。

埼玉で刈払い機を使っての除草作業が、この月で最後となった。

 

ついでに、7月以降でもいくつかピックアップしてみる。

7月、千葉県に住む弟夫婦と久しぶりに会った。

埼玉から千葉まで高速を使いながら行くのは初めてだったが無事に往復できてほっとした。

10月、息子の結婚式があった。

両家の家族だけしか呼ばない形だったが、それは2人とも素直に家族に感謝の気持ちを伝えたいからだというのが分かった。

また、この月には、幹事として高校時代の同級会を催した。

体調不良などで参加者は減ったが、旧交を温め、次回は古稀となる2年後としたのだった。

11月、アルビレックス新潟のホーム最終戦、12月はアウェイで今季最終戦が行われた。

11月初めには、ルヴァン杯の決勝もあったが、準優勝に終わっていた。

まさかの最終節まで残留争いだったが、なんとか来季もJ1で戦えることになった。

まさかの「初のJ1監督」、樹森大介新監督がどんなチームをつくり上げるか、非常に楽しみだ。

 

今年もいろいろあったが、とりあえず、1年を生き抜くことができた。

年越しそばもいただいた。

 

では、来る年が皆様にとってよい年となることを祈りつつ、おやすみなさい(-_-)zzz

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久々の青空の下、風除室等のガラス拭き

2024-12-30 20:50:29 | 自然・季節

当地では、今年の11月、12月は、本当に晴れの日が少ない。

雨の日が異常に多い。

ここ数日間で同じ新潟県でも大雪となっているところがあって、よくテレビ報道されている。

だけど、幸いと言えば、大雪となっている地域の方々には申し訳ない気もするが、当地では、ここまで非常に雪の少ない歳末になっている。

日当たりの悪いわが家の庭でも、積雪はこんな感じ。

多くても、正味積雪2㎝というところだろうか。

雪に負けまいと小菊ががんばっていた。

 

今日の午前は、久々に青空が広がって、いい天気になった。

関東の方では、冬は毎日こんな天気なんだよなあ、とうらやましくなる。

だけど、晴れて違うのは、空気がこちらでは湿っていて冷たい。

 

屋根に積もっていた雪が、陽光に当たって滑り落ちてくる。

あるいは、とけて水となって屋根から雨どいを流れてくる。

ここのところ雨と雪だったから、乾くことのなかった傘を少し天日干し。

 

さて、私がやりたかった仕事は、風除室のガラスの汚れ落とし。

正月前だからね。

ガラスは外側も内側も汚れているから、ぬれ雑巾で高いところから低いところまで拭いて、その後はから拭き。

だけど、悲しいことに、陽の光が当たってみると、乱反射してさほどきれいになったようには見えなかった。

まあ、仕方ないかな。

ついでに、手が届く範囲で1階の窓、2階のベランダの窓とガラス拭きもした。

 

久々の青空の下での気持ちいい作業だったが、それも昼までもたなかった。

午後にはまた雨になってしまった。

雪ではなく、雨。

天が、まるで「正月前の掃除なら今だよ」とでも気づかってくれたような数時間の快晴だった。

 

当地は、新潟県の下越地方なのだが、JPCZ(日本海寒帯気団収束帯)が佐渡より北の方から入り込むと大雪になる。

今回のJPCZは、佐渡の南の方から(能登方面の方から)県内に入ってきている。

そうすると、上越地方や中越地方が大雪となる。

今回はまさにその典型だ。

まあ、もっとその勢力が強ければ、全県雪となるのだろうけれどもね。

とりあえず、今は雪がないことで助かっている。

スキー場の多い地域ではたくさん降ったので、これ以上ひどい雪が降らなくてもいいかな。

 

さて、明日は大晦日。

家の中を大掃除して、新しい年を迎える準備をがんばることにしよう。

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ずいぶん近づいているかも…!?と思う年末

2024-12-29 20:36:38 | 生き方

今年も残すところ、実質あと2日。

今朝のTBS系「サンデーモーニング」では、年末恒例の「墓碑銘」の特集をやっていた。

今年もたくさんの著名人が亡くなった。

その人たちの訃報や生前の功績等を見て、ああ、あの人も亡くなってしまったか…などと、しみじみしてきたのだった。

 

子どもの頃、ファンというわけではなかったが、週刊少年マガジンや週刊少年サンデーに連載されていたからよく読んでいた、ギャグマンガの森田拳次(「丸出だめ夫」など)、恐怖漫画の楳図かずお(「へび女」「おろち」など)などのマンガ家も亡くなった。

子どもの頃、マンガ本を読むのが何よりの楽しみだった私だから、その頃に活躍していた漫画家の訃報は悲しい。

 

また、多感な(何に対して?)学生時代に、「激写」と称して篠山紀信氏が撮ったたくさんの若いコの写真には魅せられたものだった。

水着姿の水沢アキとかアグネス・ラムとかのグラビア写真を下宿の壁によく貼っておいたものだった。

後年その篠山紀信氏の奥様になった南沙織の写真も、水着姿ではなかったが、すごく好きだった。

(健康な青少年だったということにしておいてください (;^_^A💦 )

あの当時出された「激写 135人の女ともだち」という大型本の写真集は、捨てられなかったから、たぶん今でも押し入れのどこかに隠れているはずだ。

 

そして、歌でも、「想い出の赤いヤッケ」とか「私に人生と言えるものがあるなら」などが私は大好きだった、大学の大先輩高石ともや氏。

年齢を重ねるほどに円熟味を増して、聴きたくなっていったのが八代亜紀氏の歌。

近年「舟歌」「雨の慕情」などのよさがだんだん分かるようになってきたのだが…。

 

また、社会人になってから影響を受けるようになった、谷川俊太郎の詩の世界。

難しい言葉を使わずに、それでありながら巧みに表現された詩の数々は、見るたび読むたびに様々な感情を呼び起こしてくれたのだった。

 

例年、そんなふうに自分が受けた影響を思い起こしながら惜しむだけだったのだが、今年は、少し違う感情で著名人の死を受け取った。

たとえば、「Dr.スランプ」や「DRAGON BALL」の作者だった漫画家の鳥山明氏、68歳。

ちびまる子ちゃんの特徴的な声を出していたTARAKO氏、63歳。

今年の春までNHKの「こころ旅」で全国を回っていた火野正平氏、75歳。

「もしもピアノが弾けたなら」の歌や「釣りバカ日誌」の映画などで活躍した西田敏行氏、76歳。

先ほど書いた、歌手の八代亜紀氏、73歳。

口に筆を加えて絵や詩を描いた星野富弘氏、78歳。

 

…こんなふうに、亡くなった年齢を見ていると、自分の現在の年齢と10年と離れていない、あるいはそれに近い年齢で亡くなっている人のことを目にする。

しかも、ちょっと前まで元気な姿や声が、テレビ等の画面を通して見たり聞いたりできていた人たちだった。

なのに、訃報が届くなんて、人の命はなんてはかないものだと思うのだ。

そして、同時に、私自身の寿命ということも考えてしまった。

さらに、健康寿命は、令和4年のデータで男性72.57年、⼥性75.45年だという。

…私も、ずいぶん近づいたじゃないか…!?

 

あと何年生きられるのかな?

あと何年体を動かすことができるのかな?

弱気にはなっていないが、つい、そんなことを考えるようになってしまった。

考えても仕方のないことかもしれないが、父56歳、母75歳が享年だったことを思うと、改めて「終活」はもう少し力を入れておく必要があるのかな、などとも考えてしまう。

こんな思いで迎えている、2024年の年末である…。

 

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インカレサッカー、新潟医療福祉大、惜しくも準優勝

2024-12-28 20:04:46 | スポーツ

インカレサッカー、新潟医療福祉大、惜しかったなあ。

決勝で、東洋大に0-1で敗れ、準優勝。

しかも、その1点はPKによるもの。

判定は仕方ないとは思うが、その1点だけだからなあ。

 

準決勝では、関東リーグで22戦無敗の明治大に対して得点を許さず、延長戦を終えて0-0。PK戦の結果、5-4で勝利したのだった。

反対側の準決勝では、アルビに入団する2人、矛の笠井・桐蔭横浜大と縦の稲村・東洋大という対決だったが、稲村の東洋大が1-0で勝利したのだった。

 

かくして、来季正式にアルビレックス新潟に加入する稲村の東洋大と、新潟医療福祉大の対決という、新潟ゆかり対決の決勝となったのだった。

 

私としては、どちらかといえば、新潟で活動しているからということもあり、新潟医福大を応援していたのだった。

なにしろ、2年前のこの大会で準優勝、今年9月の総理大臣杯でも準優勝だったから、3度目の正直として優勝してほしかったというのが、その理由の一つ。

 

それだけでなく、大都会でない新潟で大学サッカーをがんばっているチームだから、というのもあった。

高校時代に有力校で活躍した選手なら、大学時代も名の知れた関東一部リーグの大学を選んで進学するのが普通だろう。

だけど、地方の新潟医福大を選んだ選手たちは、ここでがんばる、というきっと捲土重来の気持ちがあったと思うのだ。

だから、やったぞ!という達成感を味わわせてあげたかったから、という思いがあったのだが…。

うーん、残念。

 

それにしても、サッカーでは、新潟医療福祉大も、アルビレックス新潟も、アルビレックス新潟レディースも、トーナメント戦の決勝まで行く機会はあったのに、まだ1度も勝てていないんだよな。

新潟県に住む者として、それがすごく悔しいなあ。

悔しいのは、実際に負けた選手たちだということは知っている。

早くその変な新潟ジンクスを破るチームが現れてほしいと思う。

来年に期待しよう。

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2つの「再会」

2024-12-27 21:34:12 | ひと

総身に知恵が回りかねる私が、おこがましくも人を育てる仕事を、およそ40年もすることができた。

その大きな理由は、なあに、教え育てられたのは、目の前の子どもたちでなく、ほかならない私自身が子どもたちからいろいろと教えられ人間的に成長することができたから、というのが一番だったかもしれない。

子どもの頃、ひ弱だった私。

だから、大人になっても、様々な点で力のない私ということを自覚していた、

その分、目の前の子どもたち一人一人にたくましく生きていく力を育てたいと思っていた。

特に、個々が自信をもって生きていけるように、ということについてはこだわって力を入れてきたつもりでもあった。

だから、子どもたちと別れてから、何年も何十年もたってから再会したときには、

おお、ここまで死なずに、ちゃんと生きていてくれてうれしい、と思う。

成長して大人になって、自分の力でたくましく生きているのが分かって、感激する。

…こんな気持ちになる。

昨日、今日とそんな気持ちを味わうことができた。

30数年前にかかわった方2人との「再会」があったのだ。

 

1人目の彼とは、正直言って、会ってはいない。

なぜかというと、私だけが会った気になっているからだ。

その理由は、見たのは、昨夜テレビ画面の中にいる彼だったからだ。

40代の彼の子どもが仕事の都合で日本を出て遠いところに行くという。

帰ってくるのは半年後。

責任ある仕事についている息子と、それを見守る彼とその奥さんが映ったりした。

TVは、それを扱い放送していたのだった。

とてもいい雰囲気の家族だった。

若くても責任ある仕事につくことができるほどの息子を育てた彼らに拍手だった。

 

ところで、彼が結婚するときに、その報告に来て、その時のお願いがふるっていた。

「結婚式には招待しないけど、先生、俺に祝電送ってくれませんか?」

だもん。

ちゃんと贈ってあげたら、数日後、その奥さんと一緒に礼を言いに来たのはさすが。

「お前らしいな」と笑って、2人を迎えたけどね。

あれから20年くらいたっているというわけか。

彼らの息子だってこうして働いているんだものなあ。

いい大人になっているなあ、と思いながら、テレビ画面の彼ら一家を見ていた。

 

2人目、今日会った女性は、昔、隣のクラスにいた子だった。

年末年始の贈り物を買うために店に行って、品物を選び放送を頼んで十数分後、それを取りに行った。

すると、「やっぱり先生だ」という声を上げて、1人の店員が近寄ってきた。

他の店員さんがギフト包装をしているのを見たら、のし紙に私の名前が書いてあったから、もしやと思っていたら、そうだったというのだ。

名札を見て、苗字を確かめたら、すぐに下の名前を思い出した。

「Fさんだよね。」

「そうです。覚えていてもらってうれしいです。」

「いやあ、うれしいのはこっちだよ。声をかけてくれてありがとう。」

「私ね、もう孫もいるんですよ。」

「へえ~、そうかあ。すこしふっくらしていると思ったら、幸せ太りかい?」

「いえ、私バツイチなんです。でも20代の子どもが2人いて、上の子は結婚して子どもが生まれているから、私、おばあちゃんなんですよ。」

…こんなふうに、話が弾んだ。

バツイチと言いながら、孫がいると話す彼女に、今を堂々と生きている自信を感じた。

子どもの頃はエモーショナルな部分が多かった彼女だし、隣のクラスということもあって私に話しかけてきたことなどなかったはずだ。

それが、今はこうして積極的に話しかけてきたし、すっかりたくましく生きているのが分かってうれしかった。

それも伝えた。

「また来てくださいね。お待ちしています。」

別れ際にちゃんと店員らしいその一言を加え、しっかり仕事もしていた彼女だった。

 

こんなふうに、卒業した後、世に出てしっかり今を生きている姿に会えるのは、至上の喜びだ。

昨日、今日とそんな喜びを味わうことができた私であった。

 

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「NHK にっぽん百低山 吉田類の愛する低山30」(吉田類著;NHK出版)を読む

2024-12-26 20:21:50 | 読む

NHKの番組に、「にっぽん百低山」というのがある。

著者の吉田類さんは、民放のBSの番組にも、酒場探訪のような番組に出ていたのだが、NHKのこの番組で見るようになってから、好感を持つようになった。

 

登っているのは、「低山」ということで、あまり高い山には登っていない。

番組では、だいたいは登る山の近くで出身という女性がゲストとして一緒に登っている。

そして、登頂後は、下山してどこかで必ず酒を飲むという構成になっている番組だ。

以前は、地デジで昼の時間帯に放送していたのに、4月の番組改編以来、この「にっぽん百低山」は、BSで毎週金曜午後5時30分からか、毎週月曜正午からの放送となってしまい、見る機会が減ってしまったのが残念なのである。

 

図書館で、「にっぽん百低山」の本を見かけた。

それが、「NHK にっぽん百低山 吉田類の愛する低山30」(NHK出版)である。

なんだか懐かしい人に会ったような気分になって、さっそくその本を借りてきた。

「30」であるから、多くはない。

でも、借りてきて見てみると、新潟県の代表的な低山が2つ紹介されていた。

それが、日本海に面する場所にある、角田山と弥彦山である。

 

この2つの山は、何度か登ったことがあり、懐かしさを感じながら読んだ。

角田山は、「新・花の百名山」にも選ばれているし、いろいろなコースが7つほどある。

そのうち、角田岬灯台コースなら、まさに波打ち際の海抜0mから登って行くという面白さもあるのだ。

本書ではそのコースをたどって登ってくれていた。

かつて私も、3、4度この灯台コースを登ったことがある。

その他のコースを使っても、何度か登った。

でも、近年は、登っていない。

読みながら、そうそう。そうだった、そうだった。…と懐かしさがよみがえった。

せっかくだから、自分が登ったときの写真を上に載せておいた。

 

同様に、弥彦山も登った。

本書で紹介してくれているコースは、弥彦神社の奥から登っていくポピュラーなコースだが、私は、このコースなら16年前の1度しか登ったことがない。

全く違う「西生寺」近くのコースなら、40年ほど前、3年連続の遠足のコースで、6、7回くらい子どもたちや先輩職員と登ったことがあった。

でも、登れば頂上は同じだ。

 

懐かしかったのは、実はこの2山だけではない。

先月行ってきた袋田の滝からは、「月居山」という山に登るコースがある。

双耳峰だということを読んで知り、先月何気なく撮った写真のこの山だということが分かった。

まあ、われわれは登らなかったけれど、その気になれば行けたんだね。

 

あとは、TV放送でも見たことがあった、千葉県の鋸山もあった。

ここは、母が生前元気な時に家族旅行で行き、ロープウエーで登ったことがある。

「地獄のぞき」は横で見ている方が怖かったっけな。

 

また、9合目まで車で行き、そこから登ってぐるっと歩いて回った、花の百名山伊吹山もあった。

あそこは、たしかに、イブキジャコウソウとか、いろいろと美しい花が咲いていたよなあ…。

 

…、とまあ、こんなふうにかつて自分が登った山や知っている山も一部にあって、楽しく読めた。

 

番組では、一緒に登る女性のゲストがいたはずだが、本書ではその実名は出していなかった。

また、下山後にはその地元の店に寄って、地酒で乾杯していたが、放送では店名も酒の名も隠してあった。

だが、本書では、店名も酒の名もしっかり紹介している。

写真が多くて、1つの山について4~8ページなので読みやすい。

その山についてのコラムやアクセスも書いてあって、行きたくなってくる。

70代の吉田類さんが登っているのだから、低山ならわれわれもまだ登れるはずだ。

…なんて思ってしまうから、元気も出た本であった。

 

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新発田市東公園のライトアップ

2024-12-25 18:30:19 | 自然・季節

今日はクリスマス。

クリスマスで、イルミネーションを連想する人も最近は多いかもしれない。

去年までは、これらの写真に見られるように、12月には埼玉・本庄早稲田駅前のマリーゴールドの丘のイルミネーションを楽しんでいた。

 

けれども、今年はそちらを訪れる予定はない。

見られなくてちょっぴり残念だなと思っていたら、昨日の新潟日報紙に「冬のファンタジー 新発田東公園ライトアップ」という記事が出ていた。

新発田駅に近い東公園には、大倉喜八郎ゆかりの蔵春閣があるが、そこをライトアップしているというのだ。

市内の電気事業者でつくる「菖城電設協同組合」というところが企画して、この20日から始めたのだとか。

 

じゃあ、今日は天気も悪くないし、それを見に行ってみようかと、日没を待って出かけてきた。

電飾は、東公園の蒸気機関車が展示してある柵を利用して行われていた。

そして、そのそばの1本の木にも。

さすがに蔵春閣は電飾されていない。

重々しい雰囲気を壊すからね。

 

いろいろな角度から、ライトアップの写真を撮ってみた。

撮り方によっては、光によって、蒸気機関車が走るような雰囲気になっていた。

1本の木にも電飾をほどこしたのがいいね。

ちょっとしたアクセントになっている。

 

欲を言えば、いろいろな色があると、単なる「ライトアップ」ではなく「イルミネーション」になるから、もっといいのだけどね。

それでも、少し離れたところから見てみると、明るいからちょっと近寄りたくなるね。

 

近くの王紋酒造の入口近くにも、1本だけ光っている木があったので、おまけ。

まあ、こんなふうに、さびしい街に明るい灯りが見られるのはいいよね。

本庄早稲田のように、年々華やかなイルミネーションになっていくともっといいのだけどね、どうでしょう…?

 

 

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思い出す、サンザンだった2005年終業式、新潟大停電の日…

2024-12-24 20:55:36 | 「育」業

当地の周辺では、今日が終業式という学校も多かったようだ。

2学期の終業式と言えば、2005年のその日に起こった新潟大停電のことが忘れられない。

私は、その当時教頭だったが、たった一人で暗黒を味わっていたことが忘れられない。

そのときは、気を紛らわせようと、自分のノートパソコンに文章を打っていたのだった。以下に、その時の保存していた文章を起こしてみる。

 

今、真っ暗な学校の職員室で一時間半余りが経った。終業式の午後5時前、今日3度目の停電があった。しかし、今回の停電は長い。今までは、こんなに長くはなかった。よりによって、暗黒の中、たった独りぼっちで冷え込んできたこの職員室で復旧を待っている。ただ今時刻は午後6時40分。

今日は、朝のすごい暴風雪から始まった。子どもたちは、雨風雪で、ずぶぬれになって登校した。終業式をどうするか考えていたら、今度は停電。職員室にも不安を感じた子どもたちが訴えに来た。集団下校にしよう、終業式会場の体育館には大型ヒーターをつけて行おうということになった。幸い電気も復旧した。

しかし、そのまたすぐあと、終業式開始直前になったら、再停電。式は、そのまま続行。2学期を振り返っての発表をする子どもたちも、マイクは使えない。しっかり聞こえた子には大きな拍手が全校の皆から送られた。

幸い、電気はその後復旧した。しかし、今度は、体育館につながる渡り廊下の天井から、バシャバシャと雨漏りが…。これでは集団下校のために、体育館に集まる子どもたちが濡れてしまう。気づいた教員と二人で、シャッターを下ろし、カラーコーンとバーで通行止めの標示をした。

さあ、もうすぐ十一時からの集団下校だ。…というところだが、悪天候で帰りを案じた保護者たちの車が何台も狭い駐車場に入って来ている。これでは、集団下校する子どもたちが危ない。

仕方がないから外に出て、自分が交通整理を始める。ところが、濡れないための下のズボンがない!仕方なく、スーツのズボンの上からジャージをはいてしのぐことにした。

校門の車止めを外し、来る車、出る車を誘導する。しかし、顔に当たって痛いほどの風・そして雨、雪が襲ってくる。みるみるうちに、びしょびしょになってしまった。長靴にもしみてきた。上半身だけは、雨合羽。これは丈夫だった。頭の帽子を飛ばされないようにしながら、やっとかさっとか迎えを終えた保護者たちの車が帰っていったのを見送った。

次は、子どもたちの集団下校。町内ごとに子どもたちを帰す。引率する職員たちも大変だ。時折、ものすごい横風が吹く。とても傘などはさせない。

私も、児童クラブに行く子どもたちの引率である。あらかじめ、介助員の皆さんにお願いしてあったが、人手不足なので同行する。それにしてもすごい風だ。風に押されたり風が向かってきたり。時には顔に痛いあられのような雪が…。あまりにつらくて、ついには、何人かの子が泣き出してしまった。その泣き声を聞きながらも、泣いていたって風はやんでくれないよ、もうすぐだからと励まして、児童クラブのある建物まで連れて行く。途中の押しボタン信号も、停電で消えている。ついたと思ったが、なかなか信号が変わってくれない。足の長靴の中もグチュグチュになってしまった。寒い。

 子どもたちを送り届けた後、職場に帰って、ぐしょぐしょのジャージを脱ぐ。ズボンはところどころびしゃびしゃ。靴下は、もう脱ぐしか道はない。年下の職員の厚意により、彼のジャージと靴下一足を借りる。ズボンを脱いではき替える。なんとか助かった。

 その後、ズボンは、保健室の暖房機の前に掛けておいて、温風で乾かす。だいぶ乾いてきた頃、クレームを付けてきた保護者と、校長室で校長、担任と私で面談。少し生乾きのままのズボンで話を聞き、対応した。

 1日大変な最終日だった。懇談を終え、勤務時間終了になったので校長には早く帰ってもらった。職員たちも帰らせ、教頭の仕事として、職員の冬休みの届をチェックしていた5時直前に終わって、やっと帰れると思ったその時、この停電が起こった。

ラジオでも聴きたいと思ったが、どういうわけか乾電池がない。放送が聴けない。

 今は、午後7時も過ぎた。孤独な2時間が過ぎ、足元が次第に寒くなってきた。早く回復してくれ~と願う今である。トホホホホ…。 

                                         (2005.12.22 孤独な真っ暗な職員室にて)

 

…この40分後くらいに停電が終わって、やっと帰れた私、約3時間の暗闇の中の孤独であった。

20年近くたった今も、強烈な思い出として残っている。

 

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「12月22日」というお気に入りの歌があったなあ ~泉谷しげる「12月22日」~

2024-12-23 19:33:17 | うた

今日は、12月23日。

あと1週間余りで今年も終わりだ。

実は、昨日の日付になるのだが、

「12月22日」

というタイトルの歌がある。

歌っていたのは、泉谷しげる。

あのフォーライフレコードに移ってから初めて彼が出したLPが「家族」というアルバムだった。

その中に入っていたのが、この「12月22日」。

その曲を聴くと、これは泉谷がどこかの会場でギター1本で歌っていたのを録音したものらしい。

アップテンポで、乗りやすい曲だ。

だから、ギターストロークに合わせて、聴衆も拍手をして、会場が非常に盛り上がっているのが分かる。

曲の最初から最後まで、泉谷の元気なボーカルで盛り上がりが続く。

このアルバム「家族」の中で、私はこの「12月22日」が一番好きだった。

アルバムに入っていた歌詞を見てみる。

だが、歌詞を見ても、なぜこの曲が「12月22日」というタイトルなのかは分からない。

当時のラジオ番組では、「12月22日に歌ったから」と、泉谷本人が言っていたように思う。

当時の私の友人の一人は、「別なタイトルを付けて泉谷が歌っていたぞ」と教えてくれたこともあった。

 

もう真偽のほどは分からない。

なにしろ、もう半世紀近くも前に出されたアルバムの中の1曲に過ぎないのだから。

 

まあ、それはともかく、

「良い時ばかりの夢を追うから 隙間だらけのつきあいになる」

「笑うことだけをほしがる人って それほどにやさしくない人さ」

「迷わずに愛せるなんて あまりにも欲がないよ」

このヘンのフレーズ、好きだなあ。

だから、50年近くも前の(1976年のだからね)若いときに聴いていた曲を、それこそ「迷わずに歌えるなんて」、われながら笑ってしまうよ。

 

…ということで、「12月22日」という曲の話でありました。

ところで、この「12月22日」、YOUTUBEで「12月22日 泉谷しげる」で検索してみたら、本人歌唱ではないが、頭部は似ているオッサンがカバーして歌っている映像を見つけた。

だけど、う~ん、これでは乗れないなあ。

今イチなんだけど、泉谷本人ではなくても、どんな歌か分かるから、ありがたい…ということにしておこう。

気になった方は、興味本位でどうぞ検索を。

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アルビ、新潟がらみで応援する、全日本大学サッカー選手権

2024-12-22 20:51:23 | スポーツ

Jリーグの試合が終わって約2週間だけれど、今が非常に熱い試合が行われているアマチュアの大会がある。

それは、サッカーのインカレ、第73回全日本大学サッカー選手権。

12月7日から始まったこの大会。

大学ナンバー1を目指して、全国のリーグ戦を勝ち抜いた大学が戦っている。

 

Jリーグの全試合が終わって、関心は、来季入団する選手たちが気になるところだ。

だから、その選手たちが大学最後の試合でどんな戦いを繰り広げるのか、知りたいという好奇心が湧いた。

また、北信越リーグの代表としては、新潟県の新潟医療福祉大学も出場している。

大学の2大タイトルの1つ、総理大臣杯サッカーで、新潟医福大は準優勝している。

とはいえ、決勝で阪南大に敗れているから、もう1つのこの大学サッカー選手権では、雪辱を期して優勝したいはずだ。

だから、応援したいと思っていたのだ。

 

この全日本大学サッカーの大会も、予選リーグが終わり、決勝トーナメントが始まった。

今日は、その初戦、準々決勝の日。

 

来季アルビレックス新潟に入団が決まっている選手が2人出場している。

笠井佳祐の桐蔭横浜大、

稲村隼翔の東洋大は、どちらもちゃんと予選リーグを1位で勝ち抜けた。

 

そして、新潟医福大も、予選リーグで中京大、桐蔭横浜大、阪南大と同じグループになったが、なんと3連勝で堂々の1位突破だった。

特に、9月の総理大臣杯決勝で敗れた阪南大に対しては、6-2と圧倒して勝ってリベンジを果たしたのだった。

 

さて、準々決勝の組み合わせは、以下のとおり。

来季アルビに加わる選手、笠井がいるから桐蔭横浜大が、稲村がいるから東洋大が、それぞれ勝つといいなあ。

そして、新潟医福大の勝利を期待しよう。

残る1試合は、どちらが勝ってもいいけど、アルビには筑波大出身のGK阿部とDF早川がいるから、そこに勝ってほしいかな。

 

それぞれの試合結果がどうなったかというと、次のとおり。

おお、すごいね、桐蔭横浜大圧勝だ。

もう少し詳しく見てみたら驚いた。

なんと、アルビに入団する笠井佳祐選手が4得点を挙げている!

まるでルヴァン杯準々決勝町田戦第1戦の長倉と一緒じゃないか。

あの試合は、5-0で町田に完勝したが、長倉の4得点が光ったのだった。

いいね、笠井。

来季、大きな期待がもてそうだ。

 

さて、東洋大も勝っているが、稲村は出ていたのかな?

おお、出ていた。勝利に貢献したな、その守りできっと。

 

新潟医福大の試合は、YOUTUBEでライブで見た。

センターライン付近からの、日大の超ロングシュートが入ってリードされたときは、負けちゃうのかと思った。

残り時間も10分ほどしかないのに、よく逆転したよ。

決勝点がPKで運があったとしても、逆転は簡単ではなかったはず。

 

残る1試合は、スコアレスドローでPK戦。

筑波大は、明治大にPK4-5で敗れ、運がなかった。

 

さて、25日の準決勝の組み合わせは、次のとおり。

おお、笠井・桐蔭横浜大 対 稲村・東洋大。

これって、「笠井の『矛』」と「稲村の『盾』」の「ほこ・たて」対決じゃないの?

どっちが勝つだろう?楽しみだ。

 

新潟医福大は、明治大に勝って決勝に進むのだ。

すると、28日の決勝は、笠井か稲村と医福大という「新潟ゆかり対決」になる。

それを期待したいなあ。

 

…まあ、こんなふうに、アルビや新潟がらみで関心を持っている全日本大学サッカーなのであります。

 

コメント (2)
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