ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

冬と母の命日と

2013-02-13 22:18:39 | 生き方
真白き世界。
小田原方面から帰って来る時、東京はあんなにきれいな青空だったのに、群馬県内を新幹線が走るうちに少しずつくもり空に変わっていった。
そして、国境の長いトンネルを抜けると、そこは、まさに雪国であった。
急に白と黒の世界になり、白が圧倒的に多くなった。
わずかの距離で、天候がこうも違うのか、と改めて冬の違う現実を見せられた気がした。

今朝のこちらの風景も、雪だ。
田んぼが真っ白だ。

近くの山々も、大して標高は高くないのに、低い雲に飲み込まれている。
まさに冬の天候そのものの風景だ。


こんな冬の2月は、母の命日と自分自身の誕生日がある。
今日は、母の命日。
8年前の亡くなる寸前の頃も、よく雪が降っていたっけ。
母は、太平洋側の出身である。
だから、こうして雪だらけの新潟の冬は、相当つらかったことだろう。
生前、私らにしてみれば大した量の積雪とは思っていない日でも、電話で母の実家の方と離す時は、「大雪だよ~。」と言っていた。
大げさに言っているなあと思っていたが、実は、あれは、太平洋側出身の母の本音だったのかもしれない。
母の実家の方では、冬に雪が降るのは数度、まして積もることは珍しいのだから。
何年たっても、新潟の冬には慣れないままだったのかもしれない。


今日は、曇りが中心で、雪が降るシーンは少なかった。
ただし、積雪があるのと、平日で仕事が忙しいのとで、墓参りは、なし。
代わりに、墓地に近い従姉夫婦が先日の休み中に行ってきたとのメールが入った。
感謝の返信を送った。

母が命の灯が消えようとしていたあの頃は、その従姉の母、つまり伯母も同じ病院に入院中だった。
伯母は、母の後の翌年12月に亡くなったのだった。
母が亡くなってから、まだわずか数回の冬を越したようにしか思えないのだが、8年が過ぎたのである。
早いものだ。
自分の人生の7分の一くらいは、すでに母なし子になっているという訳だ。
さすがにこの歳だから、母がいなくて寂しいということはないが、父や母の人生を思うと、これから自分があと何年生きるのだろうか、などとも考えてしまう。

悔いなく、今を大事にしなくては。
今月にはこの後、自分の誕生日も迎え、新たな齢を加えるのだから。
コメント (2)
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