日本が土台から崩されています。それは愛国者の邪論の近くにも忍び寄ってきています。それは生活保護受給問題と子どもの貧困、高齢者の認知症、若者、と言っても20台、30台の若者の就職問題、未婚問題などなどです。これらの社会現象が、どのような歴史的経過で形成されてきたか、分析する能力をもっていません。
昨日のテレビ朝日の「臨場」は、そういう点で、自公政権がすすめてきた政治と経済政策の結果形成された現代社会の病魔とそれに対する人間力を描いていたように思いますし、NHKの「島の先生」は、自公政権のすすめてきた政治経済教育政策の結果、失われてきた教育の力、共同体の力の威力と人間力を描いていたように思います。NHKの大河ドラマ「八重の桜」は「尊皇」をキィーワードに、サムライとは日和見主義の典型なりという歴史的事実のなかで、会津と薩長という対立の狭間で揺れる人間力のベクトルをどのように描いていくか、楽しんでいます。
そのような問題意識を持ちながら、生活をしていますが、昨日の社説を読んで、改めて思ったので、記事を書いておくことにしました。まず確認しておかなければならないことは、9日において、この生活保護と認知症問題を社説にしたことそのものは、大いにアッパレです。しかし、手放しで評価するというのではなく、期待を込めた喝!も入れておかなkればなりません。ポイントは、以下のとおりです。
生活保護・認知問題を憲法問題として位置づけていないことは問題です。
日本国憲法は、前文で以下のように述べています。
「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。…われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とあります。生活保護を必要としている人々に対して、この人類普遍の原理が適用されているでしょうか?「水際作戦」は、「恐怖と欠乏」からひとしく免れるように国民の代表者が権力を行使し、「福利」を「享受」させているか、かどうか、が問われなければなりません。
更に言えば、憲法第二十五条は、以下のように述べています。
「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と、「国」に対して、「すべて」の「国民」の「すべての生活部面について、努めなければならない」と義務付けているのです。
これは、憲法第99条が「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と、国家権力を行使する国務大臣や国会議員、裁判官、公務員に「義務」を課してしていることと深い関係があります。憲法は一貫して主権者である国民の生活と権利を擁護する責任・義務を課しているのです。
ところが、今回の生活保護支給制限はどうでしょうか?「改正」と言えるでしょうか?社説を見ても、とても「改正」とは言えないものです。しかし、はっきりと「改悪」と書いているでしょうか?ここに日本のマスコミの問題があります。何故「改悪」と書けないのか、いや書かないのか、です。それは、憲法的視点が欠落しているからです。
憲法第九十八条は、「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」とあります。
しかし、社説は、今回の「改正」が、先のあげた条文に違反しているとの認識にないことが判ります。以下の文書をみれば憲法的視点の欠如は明瞭です。
河北 支援策が機能しなければ生活困窮者をさらなる苦境に追い込みかねず、受給回避への「誘導」が先行することも懸念要素…必要な人に迅速に行き渡る。生活保護制度の基本を踏まえた対応が望まれる。 本来、生活保護を受ける状況にありながら、受給していない家庭や個人はかなりの数に上るとされる。後ろめたさを抱えている受給者も少なくないだろう。法改正が自尊心を傷付け、申請をためらわせる風潮をあおることになってはいけない。
神奈川 不正受給への監視を強めるあまり、ハードルを上げ過ぎては本当に生活保護を必要としている困窮者を遠ざける。…日本には恥の文化が根強い。困窮しながら自ら孤立する人も多いのではなかろうか。…厚生労働省によると、2月時点の生活保護受給者は約215万人。10カ月連続で過去最多を更新した。 (引用ここまで)
これでは土台から憲法を根付かせることは困難です。こうしたマスコミの「思想」「風土」が、憲法という権力者を「規制」する装置をないがしろにさせてきたと言うべきです。
このことは、今回の「ハードル」論でも言えます。国民には、とりわけ弱者には「ハードル」を高くしておきながら、自分たちは「ハードル」を低くしている安倍自民党政権を告発しなければなりませんが、そのような文言はどこにも見ることができません。あるのは「要望」と「期待」です。
更に言えば、「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する」(憲法第二十二条)という権利が保障されているでしょうか?職業を選択できない「自由」しか与えられていないのではないでしょうか?
また「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ」とありますが、国家は、この権利と義務を保障する義務を履行しているでしょうか?更に言えば、「賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める」(憲法第二十七)とありますが、労働三法をないがしろにしていないでしょうか?非正規労働は、この規制を緩和する最大の事例ではないでしょうか?
以上のような無法地帯を放置していれば、「国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ」(憲法第三十条)ことすらできません。この義務は、実は権利行使であることを強調しておかなければなりません。納税の権利行使は、参政権の最大の根拠だった歴史を再度確認しておく必要があります。
河北 自立を促す方向性も理にかなう。鍵を握るのは就労支援や生活改善をいかに進めるかだ…NPOや企業の協力が欠かせない。官民挙げた体制づくりに向けて、国が財政支出を渋るようでは理念が空回りするだけだ。 法改正によって、国や地方はより重い責任を負うことを忘れてはならない。 (引用ここまで)
人生の最終章を迎えている高齢者問題の深刻さは、人数と各人の事例に象徴されています。この人数の背景に、どれくらいの人々が存在しているか、このことも忘れてはならないことでしょう。それと「孤独」問題です。この問題がクローズアップしてきた背景に何があるか、解明されていません。
愛国者の邪論の思うには、これらの高齢者は、戦前・戦中を生き抜き、とりわけ戦後の高度経済成長を支えてきた人たちです。特徴的なことは、核家族社会、個と個々のつながり、連帯が崩れてきた時代を支えてきた世代でもあります。人と人のコミュニケーションの欠落現象が顕著になってきた時代を生きてきた世代でもあります。「孤独死」「無縁社会」などという言葉に象徴的です。
別の視点から言えば、新しい人権としてプライバシー権を享受してきた世代でもあります。
「Face to face」が弱まってきた社会の結果、人間の脳の退化が早まったのではないかという仮説を強調しておきましょう。ということは、逆のことを、急いで具体化することです。アベノミクスとは真逆の政治と経済の創出です。
これには共同体の衰退と破壊があります。都市でも農村でも、90年代後半、構造改革という名の政治経済改革の進展とあわせて、特に顕著になってきたように思います。これは90年代の大型店の進出によって都市部のシャッター街が形成されたこととも関係しています。一方、小泉構造改革前後には、限界集落が全国各地で顕著になってきました。
目に見えるところでは、華やかで、ものが溢れているように見えています。ポケベルから携帯電話の契約件数の飛躍的伸張などは、その最たる事例でした。現在はスマートホンです。スポーツ選手の成功事例も華やかさを象徴しています。
しかし、その目に見える部分と違う見えない部分でどのような深刻な事態が進行してきたか、スポーツで言えばレギュラーばかりに目が奪われ、イレギュラーには、目もくれない事態がありました。サッカーで言えばフォワードばかりに目がいきますが、ディフェンスも重要な役割を担っているのです。しかし、テレビの画面は、なかなかディフェンスに注目はされません。ましてやベンチに座っている選手、いやベンチに入れないイレギュラーはどうでしょうか?
社会のイレギュラー、ベンチにも入れない人たちへの思いを、憲法的視点で光を与えていく作業が大切ではないかと思います。これらの人たちが、社会のなかで、堂々をものを言えるようになる事態をどのようにつくりだしていけるか、かつてのムラ社会の積極的側面を活かした新しい共同体、コミュニティー、コンミュンーの再生復活です。
これこそが、認知症問題、生活保護支給問題、いじめや不登校問題、ワーキングプワー問題を解決するのではないかと思うものです。そのためには、以上の問題を抱えている国民の諸要求を実現する運動の展開しかありません。これらの人々の要求を、「臨場」の倉石検視官ではありませんが、根こそぎ拾い上げるのです。何故ならば、これらの人々の生活実態の奥深いところにある背景に自公政権の政治経済政策があるからです。
これが可能になれば、歴史は大きく転換していくのではないでしょうか?以下の社説やテレビ、昨今の世相を見ていて、本当に思います。
神奈川 真面目に生きる意志を持ちながら、ある事情から困窮に陥った人たちが再挑戦できるような社会。それを確かに支援できるよう3法案を活用できれば、生活保護が社会に活気を取り戻す一助となるのではないか。
岩手日報 65歳以上の高齢者4人に1人が、認知症と認知症になる可能性がある軽度認知障害。厚労省の研究班は、2012年時点で認知症が約462万人と推計…軽度認知症も約400万人と推計。発症前の対策で進行を遅らせなければ、認知症患者はさらに増えることが懸念…特に目立つのは、訪問販売や電話勧誘による販売。健康食品や利殖商法など、高齢者の健康や老後の不安などにつけこんだ形で商品を売り込む例が多い…町ぐるみで高齢者の社会的孤立を防ごうという試み。担い手は自治会や町会だ。それを可能にするため、高齢者の個人情報を自治会や町会に提供できるようにする条例を制定した。 プロジェクトでは孤独死や犯罪など、地域社会が直面する問題への対応も目指している。消費者トラブルを防げる仕組みは、高齢化社会でお年寄りが安心して暮らせる地域づくりにもつながる。総合的な取り組みが欠かせない。(引用ここまで)
ここでも、あるのは、国家の責任と義務より自立・自助優先論です。期待と要望論です。今日の事態をつくりだしてきた要因解明は曖昧です。あの一億総ざんげ論のやきなおしです。
それでは本文を掲載しておきます。ご検討を!
河北 生活保護法改正/利用の妨げにならないか 2013年06月09日 日曜日
http://www.kahoku.co.jp/shasetsu/2013/06/20130609s01.htm
生活保護法改正案が先日の衆院本会議で可決し、今国会で成立する見通しになった。 1950年に制度が始まって以来の大幅改正となる。 増え続ける保護費抑制のため支給を引き締める。併せて受給中に働いて得た賃金の一部を積立金とみなし、保護を抜け出した際に生活資金として渡す「就労自立給付金」を新設するなど自立支援の強化を図る。 受給前の人を支える生活困窮者自立支援法案と合わせ、貧困対策が保護から自立を重視する方向にシフトした格好だ。 高齢化や雇用情勢の悪化などで生活保護受給者が増え、財政負担は重くなるばかりだ。対策として、8月から2015年4月にかけて3段階で支給を減額することが決まっている。 不正受給が相次ぎ、芸人の親族が保護費を受け取っていた事案の発覚もあって、制度に対する国民の不信感が高まった事情も改正を後押しした。 改正案は保護申請の厳格化と扶養義務のある親族への連絡を徹底。罰金の引き上げなどによる不正受給対策も盛り込んだ。 現役世代を中心とする自立支援策は就労など万般の相談体制の整備が柱。ただ、支援策が機能しなければ生活困窮者をさらなる苦境に追い込みかねず、受給回避への「誘導」が先行することも懸念要素となる。 「必要な人に迅速に行き渡る」。生活保護制度の基本を踏まえた対応が望まれる。 本来、生活保護を受ける状況にありながら、受給していない家庭や個人はかなりの数に上るとされる。後ろめたさを抱えている受給者も少なくないだろう。法改正が自尊心を傷付け、申請をためらわせる風潮をあおることになってはいけない。 申請時に「書類提出を求める」との政府案を野党の要求で修正し、「口頭でも認める」とした。そうした配慮は当然だ。 資産や収入などをまとめた書類の提出について、法律に明記し前提とすることで、敷居の高さを感じ申請を敬遠してしまう可能性があるからだ。 自治体が窓口で申請を容易に受け付けない「水際作戦」に利用するようなことがあってはならない。 法案は自治体の調査権限を広げ、扶養義務のある親族が「扶養できない」と回答した場合、説明を求めることができるとした。この規定も申請に二の足を踏む要因にならないよう運用に留意する必要がある。 財政難の状況を考えるまでもなく、審査は適正に行われなければならない。自立を促す方向性も理にかなう。ただ、受給回避や受給からの卒業は、十分な自立支援策を講じてこそ関係者の理解を得られよう。 鍵を握るのは就労支援や生活改善をいかに進めるかだ。NPOや企業の協力が欠かせない。官民挙げた体制づくりに向けて、国が財政支出を渋るようでは理念が空回りするだけだ。 法改正によって、国や地方はより重い責任を負うことを忘れてはならない。
神奈川 生活保護法改正案 再チャレンジに生かせ 2013年6月9日
http://news.kanaloco.jp/editorial/article/1306090001/
不正受給への対策を強化する生活保護法改正案が今国会で成立する。生活困窮者自立支援法案と併せ、2法案が4日に衆院を通過した。 同法案には、不正防止策として罰金の引き上げや調査権が盛り込まれた。しかし、野党や支援団体が反発していた申請手続きの厳格化については修正を施した。申請時に資産や収入を記載した書類を提出するよう定めた条文があったが、事情があれば口頭でも申請可能とし、保護決定までに提出すればよいとの解釈に変えた。 書類が必要となれば、例えば配偶者の暴力(DV)から身ひとつで逃れてきたような女性にとり、受給が難しくなるケースもある。不正受給への監視を強めるあまり、ハードルを上げ過ぎては本当に生活保護を必要としている困窮者を遠ざける。修正案は、むしろ前向きな発想ととらえたい。 生活苦から心中を図り母親を殺害、承諾殺人罪に問われた札幌の女性が5月、地裁で保護観察付き執行猶予判決を受けた。病弱な母親を抱えながら仕事に恵まれなかった女性は「お金だけもらうのが心苦しかった」と、生活保護を辞退したという。 日本には恥の文化が根強い。困窮しながら自ら孤立する人も多いのではなかろうか。母親を殺害した女性について、弁護士も「監視されているという被害妄想から精神的に追い詰められた」と語っている。 生活保護を人生のステップアップへの手段にできる道筋を探りたい。 その点で、今回の2法案が就労支援に配慮した点に注目する。受給者が仕事をして得た収入の一部を自立した際に受け取れるようになったことは、再出発へ踏み出す支えとなる。 ボランティアへの参加をうたった項目では、近隣とつながることで孤立を防ぎスムーズな就労へと導く社会性を育むことにもなるのではないか。 厚生労働省によると、2月時点の生活保護受給者は約215万人。10カ月連続で過去最多を更新した。こうした状況で、与党と野党が提出した、教育支援などを柱とした子どもの貧困対策推進法案も成立の見込みだ。 真面目に生きる意志を持ちながら、ある事情から困窮に陥った人たちが再挑戦できるような社会。それを確かに支援できるよう3法案を活用できれば、生活保護が社会に活気を取り戻す一助となるのではないか。
岩手日報 高齢者の消費者被害 認知症増加への備えを (2013.6.9)
http://www.iwate-np.co.jp/ronsetu/y2013/m06/r0609.htm
65歳以上の高齢者4人に1人が、認知症と認知症になる可能性がある軽度認知障害。こんな衝撃的な推計が、厚生労働省研究班の調査で明らかになった。 医療や介護対策を急がなければならないのはもちろん、心配なのは高齢者を狙った消費者トラブルの増加だ。「老後の資金を根こそぎだましとる被害」(河田英正日弁連副会長)の防止策が急務となっている。 厚労省の研究班は、2012年時点で認知症が約462万人と推計した。厚労省が介護保険のデータに基づき、昨年発表した305万人を大きく上回る。 軽度認知症も約400万人と推計。発症前の対策で進行を遅らせなければ、認知症患者はさらに増えることが懸念される。 高齢者の消費者トラブルはまさに、こうした認知症患者の増加と比例している。 国民生活センターのPIO-NET(全国消費生活情報ネットワーク・システム)の消費者相談件数をみると、70歳以上は02年度に7万件台だったが、11年度は倍増の約15万件に急増した。 特に目立つのは、訪問販売や電話勧誘による販売。健康食品や利殖商法など、高齢者の健康や老後の不安などにつけこんだ形で商品を売り込む例が多い。 同センターは、判断力や身体機能の低下で強引な勧誘を断り切れないと分析。いったん契約すると、別な業者のターゲットになる「次々販売」が被害を拡大している。 消費者庁は4月、高齢者トラブルを防止するため、13年度に集中して取り組む施策の方針をまとめた。事業者、高齢消費者それぞれに対して省庁を超えた対策を打ち出したが、肝心なのはやはり現場での対応だ。 介護保険制度と同時に、認知症高齢者らを支えるためにスタートした成年後見制度の普及が進まないだけに、地域での見守り体制の強化が求められている。 6月初めに日弁連が開いた高齢者の消費者被害の予防と救済シンポジウムでは、東京都足立区が13年度から始めた「孤立ゼロプロジェクト」を紹介した。 町ぐるみで高齢者の社会的孤立を防ごうという試み。担い手は自治会や町会だ。それを可能にするため、高齢者の個人情報を自治会や町会に提供できるようにする条例を制定した。 プロジェクトでは孤独死や犯罪など、地域社会が直面する問題への対応も目指している。消費者トラブルを防げる仕組みは、高齢化社会でお年寄りが安心して暮らせる地域づくりにもつながる。総合的な取り組みが欠かせない。(引用ここまで)