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愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

臭くて怖い自虐的加害はフタをしろ!では再び惨禍はくるぞ!喉下過ぎれば熱さ忘れる国民に未来なし!

2013-08-20 | 日記

2013年、敗戦68年の夏、憲法制定66年の夏、またまた暑くて熱いニュースについて、記事をかかなければなりません!全くもってどうしようもない日本です。 

日本の諺に「雨降って地固まる」「災い転じて福となす」「失敗は成功の基」というものがります。これを政府の行為によって引き起こされた大東亜戦争の「惨禍」を再び起こさないための「諺」として使うのが日本人の文化だと思いますが、それに反する文化が跋扈しています。「臭いものにはフタをしろ」「水に流して」という文化です。 

東日本大震災の悲惨は、もう一方で、以下のような輝かしい教訓を再確認させてくれました。尊い命を犠牲にして刻まれた教訓が、まさに石碑に刻まれていました。 

岩手県の小さな村を大津波から救った石碑」海外でも話題 | Pouch ...

高き住居は児孫の和楽/想(おも)へ惨禍の大津浪/此処(ここ)より下に家を建てるな/明治二十九年にも、昭和八年にも津浪は此処まで来て/は全滅し、生存者、僅かに前に二人後に四人のみ/幾歳(いくとし)経るとも要心あれ

石碑に記された「ここより下に家を建てるな」という言葉は、住民が過去2度も経験した大津波の悲劇をもうこの先味わってほしくないという思いが込められています。これらの奇跡に対し、海外のネットユーザーからは「信じられない」「先祖の声をずっと信じ続けるのは偉い」「世界中のほかの地域も見習うべき」との声が寄せられています。…余震は今なお続いており、再び津波が起きる可能性もゼロではありません。また、今すぐの被害はなくとも、今後数十年の間に同じことが起こるともいわれています。その際に私たちは、先祖の教えを生かし、教訓にして、二度と悲劇を繰り返さないようにする努力をしなければなりません。大津浪石碑による姉吉地区の幸運が、それを証明しています。(引用ここまで 

三陸大津波の教訓、静かに伝えていた石碑たち 写真5枚 国際ニュース ...

エピソード:集落を救った先人の石碑「此処より下に家建てるな」 | 前 ...

三陸の津波後に建てられる石碑類について、NHKの2006年番組から ...

 

愛国者の邪論は、宮古市からリアス式海岸を南下し、塩竈・七ヶ浜、新舞子浜・豊間・鹿島港・波崎・九十九里(旭)まで、津波で被害を受けた被災地の海岸線をみてきました。そこで思ったことは、「二度と繰り返さない」ためには何が必要か、この失敗をどう教訓化していくか、どうやって災害に強い街づくり、共同体づくり、人づくりをしていくか、でした。 

このことは、同時に、大東亜戦争の加害と被害と抵抗と反戦・厭戦と非協力を掘り起こし、その中から平和を創造するエネルギーを如何にして大きくしていくか、という問題意識となって深めていくことでした。そういう意味で、あの石碑に刻まれた日本語の思想は、日本国憲法の思想そのものでした。 

しかし、今、この石碑が「臭いものにはフタをしろ」「水に流せ」という文化によって覆われ、隠され、捨て去られ、海に流されようとしているのです。極めて皮肉な話です。その理由は、津波や戦争の悲惨は、怖いもの、忌まわしいもの、トラウマ感、トラウマ論を根拠にしているからです。 

原爆の悲惨、戦争の悲惨を写真や絵でみることでトラウマになるからという理由で、悲惨を覆い隠すことを正当化することは、実際の悲惨を体験した人たちに対してどう寄り添い考えることができるのか、このことも考えていかなければなりませんよね。これでは他人事になりはしませんか?次の悲惨を起こさないためにはあなたはどうしますか?ということです。ま、戦争の悲惨がトラウマになってしまった人には申し訳ないことですが、戦争や津波の悲惨から目を避けていることはできますか?ということでもある訳です。 

安倍首相は、「国のために貴い命を犠牲にされた英霊に感謝しなければ」と言いました。この奥深いところにある歴史の事実や思想をみれば、トンデモナイことを言っているのですが、この字面だけを読めば、「なるほど」と思う人は、実は多いのではないかと思います。であるならば、本当に感謝するのであれば、どうするか、なのです。答えは明瞭です。 

今日は、安倍首相の「不道徳」を批判するのではなく、この字面に依拠して考えてみると、どのようになるか、考えてみました。それは、津波で亡くなった人々の魂を活かしていくためにつくられた石碑が、忘れられ、海岸線に、海岸線に進出していった結果、すなわち先人の言葉を忘れてしまった結果、でんこに逃げずに、また、まさか津波が来るとは、という思考回路が沈殿してしまっていた結果、悲惨に遭遇してしまったのでした。 

このことを再度確認しておくことは、実は大変大切なことではないでしょうか。あのような悲惨が起こってしまった一方で、石碑に刻まれた思想を実践した人々がいたという事実、釜石の奇跡を作り出した実践があったという事実をどのように考えるか、ということもあるからです。 

この失敗の悲惨を、次に活かしていくためには、津波で亡くなった方々の、死にたくなかったという願いを、今後に本当に活かしていくことでしか応えていくことはできないだろうということです。ということは、今を生きている、また今後生まれてくるであろう人々を生かしていくためには、どうするか、です。この「生かす」ができた時に初めて「感謝」という言葉が腹の底から、胸の奥底から出てくるのではないかということです。 

そういう意味で考えると、大東亜戦争の加害と被害の事実の悲惨の恐ろしさにフタをしてしまうことが、どういう意味をもっているか、明瞭です。これでは加害と被害によって貴い命を奪われた人々の願いは実現できないでしょう。そうとなれば、本当の意味で、「感謝」はできないはずです。そういう意味で、安倍首相の「感謝」の大ウソが透けて見えてくるのです。 

同時に、こうした安倍首相など、大東亜戦争正当化派のネライが、「はだしのゲン」問題、実教出版の教科書問題、原爆資料館の人形問題などで、浮き彫りになってきたように思います。個々においては、自覚されていなくても、その個々が繋がった時、一つの大きな流れとなっていくという意味においてです。一滴一滴の雫が、本流になっていくのです。木を見て森を見ず、森を見て木を見ずです。 

このことは、具志堅幸司神奈川県教育委員会委員長が「『強制』という記述は事実と相いれないため、この教科書を採択すれば県が強制していると思われ、問題がある。事前に再考を促したのは、混乱を避ける意味で、手続きとしてはよかったと思う」と話していることに象徴的です。具志堅氏にとってみれば、「混乱を避ける」程度の認識でしかなかったのです。しかし、産経は、神奈川県のようなことが「他の自治体にも広がるよう期待したい」と明確に政治的意図を述べているのです。ここに注目しておかなければならないことは言うまでもありません。また麻生式民主主義の手口が、ここでも貫徹しているのです。 

このことは、『はだしのゲン』騒動「俺も『容姿が過激で子どもに不適切』ってモザイクかけられちゃうかな」と語った東京都教育委員会委員の乙武洋匡氏は、東京都の日の丸・君が代口パク問題や実教出版の教科書不採択「お願い」事件をどのように意味づけるのでしょうか?見解をお訊きしたいものです。ということにも連動していくのです。 

臭いものにフタをして、考えさせることをさせないのは教育の条理に反する!戦前的思考回路そのもの!これこそ麻生式ナチスの手口に学べ論そのものです。

以下の事件、ご真影礼拝を拒否した内村鑑三を思い出します!NHKと神奈川新聞と産経を読み比べてみてください。これを読んだ国民の反応について、です。 

この文科省の教科書検定を通過した教科書を都・県教育委員会が否定するという手法は、安倍首相の集団的自衛権行使論、憲法97条ハードル降下問題に通じる問題です。全くケシカラン話です。

別の言い方をすれば、蛸が自分の足を食べるのと同じです!全くアホな話です。 

それでは、以下、長いですが、お読みください! 証拠の記事です。

「強制」記述教科書採択されず  8月20日 21時9分http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130820/k10013907621000.html

学校の式典で行われる国歌斉唱などについて「一部の自治体で強制の動きがある」と記述した日本史の教科書を巡り、神奈川県教育委員会が使用を希望した県立高校の校長に検討し直すよう依頼していた問題で、県教育委員会は20日、教科書の採択を行った結果、希望する高校はなかったとして、この教科書は採択されませんでした。神奈川県教育委員会は、「実教出版」の高校の日本史の教科書に、国旗掲揚と国歌斉唱について「一部の自治体で公務員への強制の動きがある」という記述があり、表現が適切でないとして、先月、この教科書の使用を希望した28の県立高校の校長に検討し直すよう依頼し、すべての高校が別の教科書に変更すると回答していました。県教育委員会は20日、来年度から高校で使用する教科書の採択を行った結果、「実教出版」の日本史の教科書については、希望する高校がなかったとして採択されませんでした。県教育委員会の具志堅幸司委員長は「『強制』という記述は事実と相いれないため、この教科書を採択すれば県が強制していると思われ、問題がある。事前に再考を促したのは、混乱を避ける意味で、手続きとしてはよかったと思う」と話しています。この問題を巡っては神奈川県高等学校教職員組合や市民団体が教科書の選定に対する不当な介入だと抗議しています。(引用ここまで 

神奈川 日本史教科書/教委による越権行為だ 2013/8/14 12:05
http://news.kanaloco.jp/editorial/article/1308140001/

 県立高校の日本史教科書をめぐり、混乱が起きている。実教出版の教科書を使用したいとした県立高校28校に県教育委員会が再考を促し、全校が別の教科書に変更したのである。 従来、高校では各校が希望する教科書を選び、管轄教委が学校ごとに採択してきた。希望が覆った前例はないという。義務教育期間の終了後に通う高校は、学校ごとの個性がより際立つ。実情に合わせて現場が選んだ教科書が使われるのは、理にかなっていると言えよう。 ところが今回、高校の決定に県教委が介入し、意向を強引に押し付けた。しかも一部の校長から、再考を求められた際に外圧を受ける危険性を示唆するような発言もあったという批判すら出ている。なりふり構わぬ印象の対応は、いかにも異様ではないか。  県教委が排除しようとしたのは、国の検定にきちんと合格している教科書である。こうした行動は、検定制度を形骸化するものと受け取られても仕方あるまい。  同社の「高校日本史A・B」は、国旗掲揚と国歌斉唱について「一部の自治体で公務員への強制の動きがある」と記す。県教委が問題としたのは、この部分である。  同教委は入学式や卒業式での君が代斉唱の際、起立しなかった教職員名の情報を収集したとして裁判になった。同社の記述が好ましくない内容であることは想像に難くない。  だが、一連の対応に理があるといえるのか。県教委は理由として「国旗、国歌の意義を理解させ、尊重する態度を育てる」とする学習指導要領を挙げている。  訴訟を招くほど強圧的な対応や検定自体の否定を学習指導要領が求めている、と県教委は解釈しているのであろうか。しかし、そうした対応は全国ではむしろ少数派といえる。検定制度の骨抜きを正当化する理由には、とうていなり得まい。教科書の採択を教委が担うこと自体があくまでも慣例であり、法的根拠は一切ないのである。それだけに今回の介入は、明らかに県教委による越権行為と言えよう。この問題で同様の姿勢を示す東京都でも、同社の教科書を排除した。国旗、国歌のために検定教科書を除外し得る合理的な根拠はあるのか。県教委は冷静に考えてもらいたい。(引用ここまで

産経主張 教科書採択 神奈川の判断を広げたい2013.8.20 03:19 (1/2ページ)主張

http://sankei.jp.msn.com/life/news/130820/edc13082003190000-n1.htm

来春から使用される高校の教科書採択で、神奈川県の全県立高校は、日本史の記述に問題がある実教出版の教科書を使用しない見通しだ。 正式採択は20日の予定だが、採択権者の県教育委員会が教科書を内容本位で判断する制度本来の趣旨にかなった動きだ。他の自治体にも広がるよう期待したい。 問題になっているのは、実教出版の1、2年生用の教科書、「高校日本史A」と「高校日本史B」の2冊だ。卒業式や入学式の国旗掲揚、国歌斉唱について「一部の自治体で公務員への強制の動きがある」との記述がある。名指しはしていないが、東京都や大阪府などの正常化指導を指しているのは明らかだ。 神奈川県教委では144校の県立高校のうち、7月の時点で実教出版を希望した28校の学校長に再考を促していた。その結果、全校が別の社の教科書に希望を変え、採択の可能性はなくなった。 実教出版の教科書については、都教委も「使用は適切でない」とする通知を都立高校に出し、同社の教科書を希望しないよう求めていた。大阪府などでも、同様の動きがある。 学習指導要領では、国旗の掲揚や国歌斉唱の指導義務を教師に課している。 指導要領に基づく正常化のための教育委員会の指導は当然の責務であり、「強制の動き」には当たりようがない。 誤った記述の教科書を使用しては、生徒の困惑を招くことになり、学校教育としても首尾一貫しない教育委員会が記述に目を通し、どの教科書が生徒にふさわしいか選ぶことは、これも当たり前のことだ。 教員のなかには、神奈川県教委などの動きを「採択への不当介入」と批判する声があり、一部のマスコミもこれに同調する騒ぎになっている。 だが、公立高校が使用する教科書の採択権は教育委員会にある。神奈川県をはじめとする各地の動きは良識ある権限行使というべきもので、批判は当たらない

 問題の教科書は国の検定に合格しているが、検定を通っていれば何でもいいというわけではない。むしろ、こうした教科書の記述が検定で正されなかったことが問題だ。教科書は、執筆者の自説や政治的見解を述べる場ではない。(引用ここまで) 

「はだしのゲン」鳥取市でも閲覧制限 8月20日 16時43http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130820/t10013896451000.html

中沢啓治さんの漫画「はだしのゲン」を、松江市教育委員会が一部に過激な描写があるとして市内の小・中学校の図書室で子どもが自由に読むことができなくするよう学校側に求めていた問題で、鳥取市の市立図書館も、おととしから本を事務室に移し、自由に読むことができない状態にしていたことが分かりました。図書館では今後は制限をなくし誰でも読めるようにしたいとしています。漫画「はだしのゲン」は、去年12月亡くなった被爆者で漫画家の中沢啓治さんが、原爆の被害を受けた広島で力強く生きていく少年の姿を描いた作品です。この「はだしのゲン」について松江市教育委員会は去年12月、一部に過激な描写があるとして、子どもが図書室などで自由に読むことができなくなる「閉架」の措置を小・中学校に口頭で要請していました。この問題で鳥取市の市立中央図書館もおととし、本を児童書のコーナーから事務室に移し、自由に読むことができない状態にしていたことが分かりました。理由について図書館では、「女性を乱暴するなど性的な描写がある」と保護者から指摘を受けたためとしていて、希望する人の閲覧や貸し出しには応じていたということです。鳥取市立中央図書館の西尾肇館長は「どのような形で閲覧してもらうのがよいのか職員で議論するのをつい怠っていた。図書館として閲覧を制限したつもりは全くなく、今後は一般書のコーナーに移して手にとって読めるようにしたい」と話しています。広島県知事・閲覧制限は適当でない。一方、この問題について広島県の湯崎知事は20日の記者会見で「『はだしのゲン』は広島の被爆の実相を伝える資料として、長年、たくさんの人が読み継いできたものだ。児童や生徒にはこうした資料を通して被爆の実相を理解してもらい、世界の平和と人類の幸福に貢献できる人に育ってもらうことが大事だと思っている。自由に読んでもらっていいと思う」と述べ、閲覧制限は適当ではないという考えを示しました。(印用ここまで 

次は、広島市/平和記念資料館の被爆再現人形の撤去について、です。あのヒロシマで、起こっていることは、「はだしのゲン」問題と、ある意味通じるところがあります。 

毎日記者の目:被爆再現人形=吉村周平(広島支局) 2013年08月07日 00時00分(最終更新 08月07日 00時18分)

http://mainichi.jp/opinion/news/20130807k0000m070122000c2.html

◇撤去は「受け手」の声軽視

 広島市の原爆資料館が2018年度の全面改装に際し、原爆投下直後に市内をさまよう被爆者の姿を模した「被爆再現人形」の撤去を決めたことに、反対の声が強まっている。インターネット上で人形存続を求める署名に取り組む男性をはじめ、自らが強烈な印象を受けた人形が「ヒロシマの伝承」に欠かせないと考える人々が声を上げている。被爆者の遺品など「実物」を中心にした展示で「被爆の実相をありのまま伝えたい」とする資料館の、伝える側の理屈はわかる。しかし、伝承は、受け手の側を無視しては成り立たない。人形存続を願う、受け手の声に、資料館や運営主体の広島市はもっと真摯(しんし)に耳を傾けてほしい。 資料館は、収蔵する約2万1000点に上る被爆者の遺品などの被爆資料や、被爆者や焦土となった広島の写真展示などを通じて「被爆の実相」を伝えている。年間約128万人に上る来館者の感想はさまざまだろうが、大やけどを負い皮膚を垂れ下がらせたまま、燃えさかるがれきの街をさまよう被爆者を再現した人形を、印象に残った展示として挙げる人は多いのではないか。私も、人形の前を通る来館者を何度か観察したが、驚いた表情で足を止め、人形を見つめる人が多かった。子どもにその傾向が顕著だった。

 ◇ネットで反対、7700人を超える

 インターネット署名の発起人で広島市の会社員、勝部晶博さん(43)もそうした一人だ。小学校2年だった長男を連れて訪れた資料館で、被爆再現人形にじっと見入る様子に、原爆の惨劇を伝える力を確信したという。そうした力がある人形の撤去はおかしいと始めた署名への賛同者は既に7700人を超えた。 被爆再現人形は、10年7月に被爆者団体や有識者らで作る検討会がまとめた基本計画で「撤去や代替が望ましい」とされた。それを知った市民から200件を超す反対意見が資料館に寄せられたが、検討会は今年3月、基本計画を踏まえ、人形撤去を盛り込んだ実施計画を決定した。撤去撤回を求める声が大きくなる中、資料館は「検討会を経て決めており簡単には撤回できない。理解を得られるよう説明していくしかない」と見直しには消極的だ。

 ◇等身大だから実相が伝わる

 被爆者の間には人形が被爆実態を再現しているのか疑問視する声が以前からあった。検討会のメンバーで広島県被団協の坪井直理事長(88)も「現実はあんなに生やさしいものではなかった」と話す。ただ、今回の撤去方針は検討会のメンバーから出されたものではない。「実物中心の展示」という方向性の中で事務局(資料館)が盛り込んだものだ。坪井理事長は「少々お金がかかっても、もっとリアルな人形を作ってはどうか」と提案する。 資料館は「遺品など被爆資料の背景にある悲惨な体験に思いをはせてほしい」と実物中心展示に理解を求める。 しかし、署名に取り組む勝部さんは「それは大人の論理。小さな子どもにはそう簡単には想像できない」と批判する。漫画「はだしのゲン」の作者、故中沢啓治さんも生前、「見たとき読んだときに『怖い』『もうやだ』と思わせることが使命だと思って描いた」と語っていたが、私もその通りだと思う。核兵器がもたらす惨禍に対し、感覚的に反応してもらうことも核廃絶に結びつくと考えるからだ。 また、人形を実物ではない「偽物」だとする意見にも反論したい。そもそも、原爆投下直後の熱線と爆風で傷ついた被爆者の状況を記録した写真や映像など「実物」は、ほとんど存在していない。だからこそ、人形や絵画による再現も行われたのではないか。 現在の人形が展示される前の1973〜91年、資料館には「初代」被爆再現ろう人形があった。製作した西尾製作所(京都市山科区)の職人、宮本※吉(しょうきち)さん(71)は、製作に先だち、被爆者から当時の様子を聞き取り、リアリティーを追求したという。今も各地の博物館から模型製作を請け負う宮本さんは「立体で等身大に再現された人形こそ、人の脳裏に焼き付く」と話す。被爆者で市民画家の原広司さん(81)も「人形=偽物」説に疑問という。「人形が偽物なら、被爆者が書いた原爆の絵も偽物ということか」と撤去に反対だ。 署名サイトには「いかに核が恐ろしいかを伝えることが大切だ」「後世に残す必要があるのは『実物』ではなく『被爆の実相、実情』です」との意見が並ぶ。 被爆者の生の声や実物の被爆資料の重みは忘れてはならない。ただ、資料館の最終目標は「核廃絶」なのではないだろうか。「伝える側」が「受け手」に向き合うことがなければ、目標への道は遠いものになってしまうように思う。 ※へんが召、つくりが卩(引用ここまで 

戦争や災害の悲惨とどうやって向き合うか!逃げていられるか!高校生の発言に感動です! 

大震災被災建物」撤去か保存か…体験風化させたくない!中学生たちが募金活動 ... 2013/5/17 15:28

2年余りが経過した東日本大震災の被災地では、廃墟となった建物の解体が進みガレキが撤去されて、新しい街づくりのための広大な土地が広がっている。しかし、更地となっても、多くの命を奪った津波の力のすごさを象徴するような建物がまだそのままの姿で残されている。

犠牲になった親族の辛い記憶がよみがえるので保存すべきでないという声、撤去すれば後世の人に悲惨な震災の教訓を伝えられなくなるという声など、保存をめぐって地元住民の間で議論が続いており、決められないでいるのだ。「クローズアップ現代」は岩手県大槌町の「旧町役場庁舎」と宮城県女川町の横転した3つのビルを例に、風化が懸念される震災の教訓をどうすれば後世に伝えることができるか取り上げた。

職員40人犠牲になった岩手県大槌町庁舎「見るの辛い」「いや、忘れる方が怖い」

残された建物をどう捉え、誰がどのような方法で保存するのか。40人の役場職員の命が奪われた岩手県大槌町の旧町役場庁舎保存の是非をめぐって、有識者や遺族代表など11人による議論が始まったのは4か月前だ。このほど、ようやく周囲を公園にして庁舎の一部を震災遺構として保存する案が決まった。紆余曲折の末の結論だった。

役場職員だった兄を奪われ、遺族代表として議論に参加した倉掘康(29)さんは「あれを見るものも嫌だし、あそこに行くのも辛い」と保存に強く反対した。同じ役場職員だった一人娘を亡くし、遺族代表の上野ヒデ(70)さんは「100年たとうが、200年たとうが、あれを残しておきたい。今の話ではないのです。残したくない気持は分かるんですよ。私自身、見るのは辛いですから。でも、その気持ちを忘れないでねと、私は言いたいのよ」と話す。

議論が進まないなかで、専門家が全く違う視点で問題提起した。岩手県立大の豊島正幸教授がこういう。「昭和27年まで、高台にあった役場を中心に山沿いに住宅が広がっていました。昭和29年に役場が海沿いの低地に移転し、高度成長とともに人口が増加した昭和43年には新しい役場を中心に住宅広がり、平成13年にはさらに住宅地は海へと引き寄せられました。結局は、それで津波の被害が大きくなったと考えられます。その教訓を伝えるためには、今ある場所に残すという選択肢があるのではないでしょうか」

そこで上野さんが17歳のときに経験したチリ地震の津波(昭和35年)を話し、「大槌町でもチリ被害が出たが、すぐに忘れ去られて、その教訓は生かされなかった」という。最終的には、高校生の「周囲を公園にして建物を保存すれば、子どもたちの遊び場にもなるし、震災の記憶も伝えられる」という案がキメ手になり、一部保存が決まった。

女川中学の3年生1000年後の人の命を救うために今できることを

8割の家屋が流された宮城県女川町の中心部に、鉄筋コンクリートの3つのビルが根元から横転したままの姿で残っている。一度は震災遺構として残すことが決まったが、その後に反対の声が高まりまだ結論は出ていない。

そんな中で、女川中学の3年生が中心となって建物を保存する募金活動が始まっている。「1000年後の人の命を救うために今できることを」を目標に、修学旅行で東京に来たときも、浅草寺などの観光スケジュールに大学や企業訪問を加え、「広島の原爆ドームのように残したい」と訴えた。

広島の原爆ドームも戦後しばらくは「取り壊してほしい」という声がほとんどだったという。しかし、昭和30年代に始まった子どもたちによる募金や署名活動が流れを変え、戦後20年目にようやく保存が決まった。

建物被害しっかり残った初めての大津波―記録としての意味

東北大大学院の五十嵐太郎教授は「これまでも津波災害はあったわけですが、基本的には木造の建物で、仮に残そうという議論が起こったとしても残らなかった。その意味で、今回の大震災は近代都市になって初めて起きたことで、コンクリートや鉄骨の建物が被災した。その気になれば長期的に残すことが可能で、これまで議論されたことがない初めてのケースなので複雑になっているのだと思います

国谷裕子キャスター建築物を残す意味をどう捉えたらいいですか

五十嵐教授津波は反復性を持った自然災害です。どこの場所にどの高さまで来るか、深く地形や場所との関係性を持ったタイプの災害です。リアルな形で町の中に建物が残っていることが非常に大きな意味を持っていると思います

縦長の東北地方の地図を見て、以前から漠然と思っていたことがある。福島県郡山から北上して、福島、一関、花巻、盛岡など主要都市はみな内陸の奥深くにある。陸奥といわれた昔から、津波を避けるように内陸に町が形成され発展してきたのではと推測してみたが、記録があるわけでもなし、まして遺構などなく理由は分からない。五十嵐教授が指摘するように、東日本大震災は震災遺構を残す初めてのケースになるのかもしれない。(引用ここまで

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ナチスの焚書が自由と民主主義を価値観に持つ日本で現実化!中国・北朝鮮の脅威は足元の日本にあった!

2013-08-20 | 日記

昨日の記事の最後に掲載しておきました松江市教育委員会の『はだしゲン』の対応について、テレビでは批判的に報道しています。しかし、日本兵がクビを切る描写を紹介しながら、その描写について批判的なコメントも紹介しています。相対化です。 

同時に、こんなビデオが公開されていました。松江市教育委員会に「陳情」した人物でしょうか、自分でビデオを撮って公開していました。

学校図書館から『はだしのゲン』を撤去するよう要求する“歩く有害情報”な ...  

これをみると、この人物のネライが良く判ります。同時に、この人物の背後にある「主張」と「風潮」に迎合した教育委員会の姿勢も浮き彫りになりました。何せ、安倍自公政権の文科大臣は、自由主義史観に立つ下村博文大臣ですから、末端の教育委員会は、上部機関を忖度したのでしょう。校長会に「お願い」という「命令」を発したことが、現在の教育委員会組織のあり様を如実に示していました。以下の記事が、好例です。 

毎日 はだしのゲン:閲覧制限 前教育長、教育委員に諮らず決定 2013年08月20日 07時30分http://mainichi.jp/select/news/20130820k0000m040125000c.html

 松江市教委が故中沢啓治さんが自らの被爆体験を基に描いた漫画「はだしのゲン」の閲覧制限を全小中学校に求めている問題で、当時の福島律子教育長が自身を含めた教育委員(5人)の会議に諮ることなく判断したことが19日、分かった。同市教委は22日の定例会議で委員に説明するが、委員から「少なくとも(委員に)報告するべきだった」との声があがっている。同市教委には19日夕までに1253件の意見がメールや電話などで寄せられ、9割が批判する内容だったという。 古川康徳・副教育長によると、昨年8月に学校図書室からゲンの撤去を求める陳情が同市議会に提出され、当時の前教育長と副教育長2人、同市教委の課長2人の計5人で対応を協議。旧日本軍がアジアの人々の首を切ったり、女性に乱暴するシーンなどを問題視し、12月の校長会で教師の許可なく閲覧できない閉架にするよう口頭で求めた。教育委員に説明しなかったという。 ある委員は「教育委員に報告するなり、会議にかけて決定する話だと思う」。別の委員も「これだけ全国的にも話題になっている。もう1回話し合う必要がある」と批判した。 福島・前教育長は取材に「全教育委員に諮らなければならない事例とは思わなかった。反省している。私も全巻を読んで性描写のショックが大きく、簡単に子供が閲覧できる状況にしてほしくなかった。作品を否定するつもりはなく、見せ方を工夫してほしいというつもりだった」との見解を示した。 一方、同市教委には19日夕までに全国からメールで979件、電話で205件などの意見が寄せられた。9割は苦情や抗議といい、子供の知る権利や表現の自由などを求める声が多かったという。【曽根田和久、金志尚】(引用ここまで

今回の松江市教育委員会の事件については、東京都教育委員会と大阪市教育委員会に前例がありました。すでに記事にしました。以下ご覧ください。 

憲法違反の検定教科書に都教委異論!国旗国歌強制表現にムカツキ!現場の教科書採択権に介入!これ強制! 2013-07-01 13:08:33

都教委の教育の条理に反する違法行為に意見表明できないニッポンをマスコミは何故問題にしないのか! 2013-07-01 14:48:17

「強制・義務化しない」と言って国旗国歌法を正当化した自民党政権のウソバレバレ!国権の最高機関冒涜! 2013-07-01 15:04:01 

君が代斉唱・日の丸礼拝で「愛国心」を、という詭弁が猪瀬都知事の口パク発言で浮き彫りに!不道徳に大喝! 2013-04-13 234406

http://blog.goo.ne.jp/aikokusyanozyaron/e/331c82c324eacebe7fd8527f69c1663c

国旗「君が代」強制こそ、伝統文化の破壊・不道徳の極地、日米軍事同盟派の愛国心教育を断罪する! 2013-04-14 220630

http://blog.goo.ne.jp/aikokusyanozyaron/e/dcca98f5b928e12ae4135e66028936aa

君が代の口パクからイスラム社会冒涜の口カル猪瀬都知事は辞任スベシ!都民・国民の民度が国際的に大喝に! 2013-0430094852

http://blog.goo.ne.jp/aikokusyanozyaron/e/169b3d1278b83f99cbeb7db8e6f44812 

橋下市長の「君が代」斉唱時の「格好」「命令」にみる軍隊の服従精神を狙う超復古調に大喝!2012-04-03 23:46:03

意図的に仕組まれた「ルール違反」の「口元チェック」を正当化する橋下市長の論理を分析してみた! 2012-03-17 11:11:25

職員に「ルール厳守」を要求する橋下市長の「ルール無視」運営はパワハラにもなるという視点をひろげよう 2012-03-15 23:53:37

 

こうした「風潮」が、神奈川にも広がっていました。以下ご覧ください。 

神奈川 副読本改訂/歴史の隠蔽は許されぬ 2013/7/26 12:05
http://news.kanaloco.jp/editorial/article/1307260001/

 紛れもない教育への政治介入であり、権力にとって都合が悪い歴史の隠蔽(いんぺい)である。横浜市教育委員会には、まず肝に銘じてもらいたい。同市教委が、市立中学校に配布している社会科副読本「わかるヨコハマ」をこの春に改訂した。そのこと自体は特段珍しくはない。データの書き換えなどは、これまでにもたびたび行われてきた。だが今回は、子どもたちに配布されていた旧版をわざわざ回収するという念の入れようだ。従来、そのような対応はなかった。その異例さから、市教委が今回、いかに気を使ったかがうかがえるだろう。改訂の最も注目すべき点は、関東大震災時の朝鮮人虐殺に関する項目である。旧版では、軍や警察といった官憲側が朝鮮人虐殺の主体となっていたことを記していた。関東戒厳司令部の公文書にも記されており、争いようのない歴史的事実といえよう。ところが「官憲の関与が横浜であったという公文書はない」(市教委)とし、新版では実行したのは「自警団の一部」とのみ記述した。公権力の関与を示さないことにより、事件の核心が消されてしまった。ちなみに、横浜の民間人が記した官憲による虐殺の目撃談は、複数存在している。また改訂では「虐殺」という言葉を「殺害」に変えた。「朝鮮人虐殺」という言葉は広辞苑にも記され、検定教科書でも使っている。だが市教委は「心身の発達段階に応じた表現にした」とし、担当者は具体的に「先祖による負の行為を子どもに伝えると、傷つくかもしれない」と説明した。一番の問題は、変更点が、改訂の発端となった保守系市議の主張をそのまま反映する内容になっていることだ。この議員は研究者ではないが、昨年7月、市会こども青少年・教育委員会で、この事項の旧版の記述を「歴史認識などに大きな影響を及ぼしかねない」と批判。持論を展開していた。子どもに歴史を伝える目的は、過去を振り返り、今後進むべき道を見極めることにある。良いことからは学び、誤りは二度と犯さないためであって、過去を美化し、満足感を得るためではあるまい。特定の主張に従い教材を変える危うさが分からないというのでは困る。市教委が向き合うべきは子どもであり、許されない改訂と自覚すべきだ。(引用ここまで

 

「臭いものにはフタを」論に立つ自由主義史観勢力の跋扈を博物館に!

愛国者の邪論

この間、すでに明らかにしてきましたが、日本近代史における「臭いものにはフタを」論に立つ教育委員会が、「自由主義史観」勢力の主張を受け入れていることは明らかです。大東亜戦争の加害の事実を教えることを「自虐的」、「自虐史観」とする、この勢力が、跋扈していることは橋下日本維新の会共同代表の妄言や所属議員、自民党の一部議員の国会質疑などに象徴的でした。 

日本人が、日本人として恥ずかしい自虐的行為を行ってしまったのは何故か。ここにこそ、メスを入れること。このことをとおしてこそ、二度と同じ過ちを防ぐことができるのです。こうした発想にたって教育を行っていくことによってこそ、日本が世界から信頼されるのです。こうした思想と手法こそ、彼らが学ばねばならないことです。これこそが、彼らの強調する道徳心そのものです。 

しかし、大東亜戦争正当化論にたち、日本国憲法改悪と日米軍事同盟深化論に立つ彼らには、そのような道徳心は皆無です。だから、難癖をつけて臭いものにはフタをしようと必死になっているのです。歴史学には、研究の到達点があります。間違いがあることは当然です。これは研究によって認識が発展してことで訂正すれば済むことです。しかし、「自由主義史観」の立場を主張する勢力は、全く異なった思想と方法を具体化しようとしています。 

一つは、加害の事実はなかったというウソ。二つは、日教組を悪者にして国民との分断を図ること。三つは、行政を脅して自説を押し付けること。四つは、中国・北朝鮮の脅威を煽り、加害の事実にいつまで付き合わなければならないのか、と不満を煽ること、五つは、憲法の平和主義の改悪を狙っていること。六つは、日米軍事同盟を深化させ、アメリカの戦争に参加させること。そのために靖国神社と特攻を利用していること。七つは、この思想を広げる中心的役割を産経が担っていること。 

日本国憲法の前文に「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」という意味を国民的合意にしていく必要があります。キィーワードは「政府」「再び」です。大東亜戦争を初めとした戦前の「戦争」「事変」は、天皇の「裁可」「命令」によって起こったことを、キッチリと総括することです。以下をご覧ください。 

戦争に関する規定は、以下のとおりです。天皇の権限は絶対的です。戦争責任の根拠は、ここにあります!この部分を抹殺・ゴマカシているのです。

大日本帝国憲法には「天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス」(第13条)「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」(第11条)「天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム」(第12条) とあります。天皇以外は勝手に戦争を起こすことはできません。

天皇の権限に関する規定は、以下のとおりです。最大の特徴は「絶対的」だということです。何故ならば、「万世一系」(第1条)「神聖不可侵」(第3条)だからです。議会も天皇権限の枠内です。天皇の責任は明瞭です。しかし、この部分を曖昧にし、ゴマカシ、スリカエ、ウソをつき、正当化するのです。

「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」(第4条)

「天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行フ」(第5条)、「天皇ハ法律ヲ裁可シ其ノ公布及執行ヲ命ス」(第6条) 

国民(臣民=家来)に関する規定は以下のとおりです。最大の特徴は、天皇の絶対的権限(公益)を侵さないことを条件にしていること。戦争に反対するものは処罰されるのです。家族も、地域で、職場でハブにされるのです。

第20条 日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ兵役ノ義務ヲ有ス

第21条 日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ納税ノ義務ヲ有ス

第22条 日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ居住及移転ノ自由ヲ有ス

第23条 日本臣民ハ法律ニ依ルニ非スシテ逮捕監禁審問処罰ヲ受クルコトナシ)

第24条 日本臣民ハ法律ニ定メタル裁判官ノ裁判ヲ受クルノ権ヲ奪ハルヽコトナシ

第25条 日本臣民ハ法律ニ定メタル場合ヲ除ク外其ノ許諾ナクシテ住所ニ侵入セラレ及捜索セラルヽコトナシ

第26条 日本臣民ハ法律ニ定メタル場合ヲ除ク外信書ノ秘密ヲ侵サルヽコトナシ

第27条 日本臣民ハ其ノ所有権ヲ侵サルヽコトナシ
2 公益ノ為必要ナル処分ハ法律ノ定ムル所ニ依ル

第28条 日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス

第29条 日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ言論著作印行集会及結社ノ自由ヲ有ス

第30条 日本臣民ハ相当ノ敬礼ヲ守リ別ニ定ムル所ノ規程ニ従ヒ請願ヲ為スコトヲ得

第31条 本章ニ掲ケタル条規ハ戦時又ハ国家事変ノ場合ニ於テ天皇大権ノ施行ヲ妨クルコトナシ 

靖国神社に参拝する閣僚や国会議員は、また日本の加害の事実を「自虐」として貶める勢力は、この大日本帝国憲法をどのような目で読んでいるのでしょうか?「英霊」と呼ばれる戦死者たちが、どのように運営されている国家によって殺されなければならなかったか、或いは諸国民を殺さなければならなかったか、この大日本帝国憲法を読めば、よく判るというものです。 

大東亜戦争体験を聞くことのできる最後の世代が、戦争体験を抹殺し、歪曲化している現代社会は、あのナチスの手口そのものです。ナチスの焚書事件が、こと日本では、自由主義史観勢力の妄想と妄動にあることを暴露していくことです。  

以下、関連する記事を掲載しておきます。ご覧ください。

「はだしのゲン」過激描写理由に「閉架」に 松江 8月16日 20時43分

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130816/k10013832591000.html

Listening:「はだしのゲン」 松江市教委、貸し出し禁止要請「描写過激」 2013年08月17日

http://mainichi.jp/journalism/listening/news/20130817org00m040009000c.html

松江市での「はだしのゲン」閲覧制限に抗議するために、市議会に陳情書を提出しました2013年8月19日

http://www.komazaki.net/activity/2013/08/004370.html

【描写が過激と物議】写真で見る「はだしのゲン」の原画

<鳥取市立中央図書館でも>「性的描写などがある」…クレームで事務室に別置き

<はだしのゲン閲覧制限>教育研究全国集会で批判相次ぐ

<生々しい描写もあるが…>ゲンの「生き方」受け継ぐ子どもたち (05月28日 12時49分)

<松江市教委の閲覧制限>教育評論家・尾木直樹さんの話 (08月17日 06時08分)

<松江市教委の閲覧制限>広島の関係者からは怒りや戸惑いの声 (08月17日 12時47分)

はだしのゲン:松江市教委、貸し出し禁止要請「描写過激」 (08月16日 19時22分) 

松江市教育委員会: 「はだしのゲン」を松江市内の小中学校図書館で子どもたちが自由に読めるように戻してほしい。

https://www.change.org/ja/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%83%B3/%E6%9D%BE%E6%B1%9F%E5%B8%82%E6%95%99%E8%82%B2%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A-%E3%81%AF%E3%81%A0%E3%81%97%E3%81%AE%E3%82%B2%E3%83%B3-%E3%82%92%E6%9D%BE%E6%B1%9F%E5%B8%82%E5%86%85%E3%81%AE%E5%B0%8F%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%9B%B3%E6%9B%B8%E9%A4%A8%E3%81%A7%E5%AD%90%E3%81%A9%E3%82%82%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%8C%E8%87%AA%E7%94%B1%E3%81%AB%E8%AA%AD%E3%82%81%E3%82%8B%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%AB%E6%88%BB%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%BB%E3%81%97%E3%81%84?utm_campaign=friend_inviter_chat&utm_medium=facebook&utm_source=share_petition&utm_term=permissions_dialog_true

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