NHKニュースを見ていて、松江市教育委員会も、NHKも判っていないな、と思いましたので、記事にしてみました。判っていない最大の問題は歴史です。歴史から学ばないものがどういうことになるか、その典型が、ここにあります。また、それを検証した資料を掲載しておきましたので、ご覧ください。
まず第一に、国際的合意を自民党政権・安倍自公税権・文部科学省は、一貫して無視しています。以下の抜粋の部分をご覧ください。この言葉の意味、国際的合意の意味、歴史的背景を、日本国政府と国民がどのように受け止めるか、そのことが、今回の問題に、鋭く問われているのではないでしょうか。
ユネスコ総会で採択された勧告一覧/Recommendations:文部科学省
国際理解、国際協力および国際平和のための教育ならびに人権および ...
指導原則Ⅲ
6 教育は、拡張、侵略及び支配を目的として戦争をすること並びに抑圧を目的として武力及び暴力を用いることが許されるべきでないことを強調すべきであり、かつ、平和の維持に対する各自の責任をあらゆる人々に理解させ負担させるようにすべきである。教育は、国際理解及び世界平和の強化に貢献すべきであり、すべての形態及び表示による植民地主義と新植民地主義、あらゆる形態及び種類の人種主義、全体主義及び人種差別政策並びに国民的及び人種的憎悪を醸成し、かつ、この勧告の目的に反する他のイデオロギーに反対する闘争における諸活動に貢献すべきである。
18 教育は、人類の存続及び福祉を左右する主要問題を持続させ悪化させる諸条件(不平等、不正、力の使用を基礎とした国際関係等)の根絶並びにこれらの問題の解決に役立ちそうな国際協力の諸方策の両方に向けられるべきである。この点に関して学際的性質をもたざるを得ない教育は、次のような諸問題を取り扱うべきである。
(a) 諸民族の権利の平等と民族自決権
(b) 平和の維持。諸種の様式の戦争とその原因及び結果。軍備縮小。軍事目的のための科学と技術の使用を禁止すべきこと及び平和と進歩のため科学と技術を使用すべきこと。
国家間の経済的、文化的及び政治的関係の性質と効果並びにこれらの関係のため特に平和維持のための国際法の重要性
(c) 難民の権利を含む人権の行使と遵守を確保する措置。人種主義とその根絶。種々の形態の差別に対する戦い
(d) 経済成長、社会開発及びこの両者の社会正義に対する関係。植民地主義と非植民地化。
開発途上にある国への援助の方法と手段。文盲根絶の戦い。病気と飢餓の防止運動。
生活の質の改善及び健康の水準を可能な限り高めるための戦い。人口増加及びこれに関連する諸問題
(e) 天然資源の利用、管理及び保存。環境汚染
(f) 人類の文化遺産の保存
(g) 前記の諸問題の解決のための努力についての国際連合組織の役割と活動方法並びにその活動の強化及び促進の可能性(引用ここまで)
次は、以上の国際的合意・原則が、どのような歴史的背景があるか、検証してみました。子どもを戦争に引っ張っていく装置は教育は当然のこととして、それ以外にもたくさんあります。以下ご覧ください。
のらくろ帝国主義入門:Norakuro, the Japanese Imperial Army ...
愛国イロハカルタ ~読み札解説~ - [PDF]
こどもたちの見た戦争 はだしのゲンとともに/戦時中の市民生活
子どもの心身に“皇国臣民”を注入 ~学校に残る戦争遺跡~ - [PDF]
次は、日本や韓国が批判する北朝鮮の子どもの「洗脳」の実態です。これが「先軍政治」を支えていると思われます。これは戦前の日本軍国主義そのものです。しかし、日本国民の多くは、北朝鮮の映像を見るたびに、戦前の日本軍国主義と結びつくことはありません。それよりもむしろ、北朝鮮の酷さ、怖さを感じているのではないでしょうか。ミサイルを飛ばす、核兵器を開発し、脅す北朝鮮というイメージが沈殿していくのです。これが「北朝鮮脅威」論です。これが日米軍事同盟容認・深化論を受け入れる要因となっているのです。安倍自公税権の大東亜戦争正当化論と日米軍事同盟下の核の傘における核兵器抑止力論を受け入れる背景となっているのです。これが憲法第9条改正論の口実にもなっているのです。
銃を持って米軍に突進…北朝鮮、幼稚園児に軍事教育 | Joongang Ilbo ...
韓国人「北朝鮮の”こどもの日”をご覧下さい」 : カイカイ反応通信
しかし、以下の事例が、戦前の軍国主義を支え、富国強兵策の一環であったころ、北朝鮮の「先軍政治」と同じであることは、想像できていません。自衛態は軍隊ではなく、災害救助隊であり、中国北朝鮮の脅威に対する保険程度の存在であり、自衛隊祭りの際の出店運営の対象であり、とても兵器を使って人を殺す装置などという想像力は皆無です。ブルーインパルスは、「曲芸飛行」というショーなのです。ここに最大のスリカエがあります。トリックです。自衛隊の主たる任務は、「敵の攻撃」に対して、軍事力というう装備を使って人を殺すことであり、そのことによって日本を守るというのです。
観艦式 海上自衛隊 応募 写真 - 自衛隊イベント情報 アトラスウェブ
米軍基地の子どもたち 小学校に体験入学…佐世保 : ニュース : 教育 ...
自衛隊の「駐屯地祭」/武器操作体験 姿消す/「子に銃さわらせるな」重く ...
戦闘機が飛ぶ!救難へりも来る! 航空自衛隊の奈良基地祭(前編 ...
5年ぶり曲技飛行 静浜基地の航空祭に5万人 | 静岡新聞 - アットエス
自衛隊ニュース2010年9月1日(9) - 防衛ホーム新聞社
航空自衛隊·百里基地で航空祭 アクロバット飛行に歓声 - リアルライブ
以上のような装置を批判する人たちは、以下の主張のように見られているのです。ここに兵器を打たれる側がどのような状態に陥るか、弾丸他ミサイルがどのように飛んできて、どのような状態になるか、想像力は皆無です。
「北朝鮮のミサイルが飛んでくるぞ」「中国が尖閣に攻めてくるぞ」という「脅威」論に影響を受けているにもかかわらず、弾丸を撃つ側からしか、ものを見ることができていないのです。その「脅威」論に対抗するために、米軍と日本の軍備強化を認めているのです。全く不思議な現象が、今日本に席巻しているのです。
dragoner.ねっと: 自衛隊を告発した「自衛隊をウォッチする市民の会」を ...
私の主張 ひとりの日本人として: 「自衛隊をウォッチする市民の会」とは ...
子どもに武器使用をさせない、戦争につながるものを手にさせないという国際的合意と原則、それにもとづく運動、憲法第9条の平和主義の実践は、国家が率先して実行するのではなく、一部の特殊な人たちが行っているという状況が日本中に席巻しているのです。これこそが、原発被害を受けているフクシマを他人事にしてしまっている状況であり、沖縄の普天間などの基地被害を他人事のように思ってしまっている状況であるのです。そこには、具体的な「連帯」行動が起こる余地はありません。
「自衛隊祭」への知事不参加を県に申し入れ | 市民と市政をつなぐ 長野 ...
NHKニュースの問題点は、以下のとおりです。
1.「閉架要請はなぜ行われた」とありますが、「市民が求めた松江市議会への陳情」とありますが、どのような市民が、どのような主張をもって陳情したのか、明らかにしませんでした。
2.「過激な文章や描写が多く見られる」「作品の一部に発達段階の子どもたちにはそぐわない過激な描写がある」などという理由が「口実」となりました。しかし、ここで大切なことを見落としていました。それは発行以来の「実績」が、単に「平和教育を行ううえで価値のある書物だ」というだけで、どのような議論がなされたのか、全く不明だったことです。
3.「教育委員会として書物に何らかの問題があっても、撤去のみならず要請に関しても好ましくない」という「助言」が生かされませんでした。それは、国際的合意と原則、憲法の平和主義、日本の歴史的経験などを重視するよりか、「過激な描写」が「過激な表現から子どもたちを守るということを重視した結果だ」「最終的に、傷ついてしまう子どもが出ないようにと」いう結論に達したのです。
4.しかし、ここに最大の問題、ゴマカシとスリカエがあるのではないでしょうか。それは、
一つには、「陳情者」の主張について、検討したかどうか、一切明らかにされていないこと、
二つは、「過激な表現」を言うのであれば、戦争がつくりだす悲惨な事実は授業できなくなってしまいます。これは、明らかに偏った論調です。悲惨でない戦争などと言うのはないからです。三つは、憲法の「戦争の惨禍」「恐怖と欠乏」「過去幾多の試練」は、美しいものだったのでしょうか?そうではないでしょう。だからこそ、憲法の原則を生かしていくことを子どもに教え、育んでいくのだと思うのです。全く倒錯した視点と言わなければなりません。
四つは、これでは、学校だけではなく、インターネットやマンガ、テレビなど、「過激な表現」は、一部の市民の声と子どもへの影響を口実に、国家や行政の力で排除していこうということになりかねません。人権と民主主義の問題です。
5.こうした視点は、子どもを利用した臭いものに蓋をする思想だと言われても仕方のないことです。これでは、子どもの中に戦争を憎み、平和の尊さを育み、平和のうちに生存する権利を具体化することはできないでしょう。明らかに憲法違反・国際的合意と原則違反、無知と言われても仕方ありません。
6.しかも、「内容上」だけではなく、「今回の事案では手続きに不備があったことをおわび申し上げます」と述べているように、「権力的」に行われたことが浮き彫りになりました。は「校長にとってとらえ方はさまざまだったと思うが教育委員会としては拘束力はないと考えていた」(教育委員会事務局)、「それぞれの自治体の判断だ」(下村大臣)とありますが、「市教育委員会の『要請』を、実際は『指示・命令』として受け取っていた校長がいた」とあるように、教育界における「要請」「お願い」の実態が浮き彫りになりました。
7.ここには民主主義の欠片もありません。人権と民主主義を学び、実践できるようにすべき教育界と学校の実態が浮き彫りになりました。「上意下達」「命令と服従」は、戦前の軍国主義教育行政が行われていると言われても仕方ありません。
8.NHKの松江放送局の後藤匡記者は最後に、「今回の取材で現場の教育者のさまざまな考えに接して『子どもたちの知る権利を守ること』と『子どもたちを過激な表現から守ること』のどちらを優先させるのかは、非常に難しい問題だと感じました」とありますが、これまで述べてきたことを踏まえるのであれば、「非常に難しい問題」になるはずはありません。この記者のレポートがどのような立場から、ものをみているか、現在の日本の状態が浮き彫りになったような気がします。そういう意味からも、憲法と国際社会の合意と原則を立脚点にする視点を広げていくことの大切さを学びました。
この記事に関しては、以下の記事を参考にしていただければと思います。
松江市教委のナチスの焚書的手口を容認した下村文科相の思想と論理を検証すると安倍内閣のナチスぶりが!2013-08-23 09:44:39
安倍政権の「教育勅語道徳教育」に大喝!日本国憲法に基づく新「道徳教育」論の徹底化こそがいじめを解決! 2013-03-18 09:25:
このニュースの記事は、消去されてしまいますので、証拠として全文を掲載しておきます。
「ゲン」閲覧制限の背景は 8月22日 23時55分http://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2013_0822_03.html
今月、松江市教育委員会が中沢啓治さんの漫画「はだしのゲン」を市内の小・中学校の図書室で子どもが自由に読むことができなくするよう学校側に求めていたことが分かりました。この対応について松江市教育委員会には、全国から連日さまざまな意見が寄せられるなど、原爆や戦争の悲惨さを伝える作品の閲覧制限を巡って波紋が広がっています。松江市教育委員会が閲覧制限を市内すべての小中学校に要請した経緯や今後の展開などについて、松江放送局の後藤匡記者が解説します。
閉架要請はなぜ行われた
漫画「はだしのゲン」は、去年12月に亡くなった被爆者で漫画家の中沢啓治さんが、原爆の被害を受けた広島で力強く生きていく少年の姿を描いた作品です。現在は外国語にも翻訳され、世界で多くの人々に読まれています。
去年12月に松江市教育委員会は校長会で市内すべての小中学校に対し、「はだしのゲン」を児童・生徒が図書室などで自由に読むことができない「閉架」の措置をとるよう、要請していました。
きっかけとなったのは去年8月、はだしのゲンが誤った歴史認識を植え付けかねないとして、学校の図書館から作品を撤去するよう、市民が求めた松江市議会への陳情でした。
この陳情は松江市議会の9月定例議会の委員会の中で審議が行われ、そのとき市教育委員会は「撤去の必要はない」と答えていました。市議会では「議員が判断するにはそぐわないテーマだ」などとして陳情は「不採択」になりましたが、審議の過程で「過激な文章や描写が多く見られる」「平和教育を行ううえで価値のある書物だ」という対立する意見が議員から出たことから、市教育委員会では担当者が「はだしのゲン」を実際に読み込み、調査や分析を行いました。
その結果、「平和教育を行ううえで価値のある作品であるが、作品の一部に発達段階の子どもたちにはそぐわない過激な描写がある」として、「最終的に判断するのは各学校の校長である」と説明したうえで「閉架」の措置の要請を市内全ての小中学校に行ったのです。
※この問題については、NEWSWEBのフェイスブックのページにもさまざまなご意見が寄せられています。そちらも合わせてご覧ください。
NHK NEWS WEBのフェイスブック
(NHKのサイトを離れます)
メンバー「悩んだ末の結論だった」
要請の判断は、当時の教育長を中心に副教育長ら5人で決められました。その時の議論の様子についてメンバーの1人だった松江市教育委員会の古川康徳副教育長は、「メンバーからは、制限を加えるのはやはりよくないのではないかという意見や、子どもたちを過激な描写で傷つかないよう守らなければならないので、過激な表現が多い巻だけ閲覧を制限すればいいのではないかなどさまざまな議論が出た。非常に難しい問題だったが最終的に、傷ついてしまう子どもが出ないようにと、このような結論に至った」と話し、要請を決めたメンバーの間でも意見はさまざまで、子どもたちの知る権利を重視するのか、過激な表現から子どもたちを守るのかを天秤にかけ、悩んだ末の結論だったと明かしました。
要請は2度行われた
市教育委員会は、撤去の陳情の取り扱いを決めるに当たって直前の去年11月下旬に、図書館情報学が専門の県内の有識者に相談しました。相談を受けた島根県立大学短期大学部の石井大輔専任講師は、「教育委員会として書物に何らかの問題があっても、撤去のみならず要請に関しても好ましくない」と発言しています。このような助言があったにもかかわらず、要請の判断に至ったことについて松江市教育委員会は、「過激な表現から子どもたちを守るということを重視した結果だ」と説明しています。
また、要請は1度だけではありませんでした。1度目は去年12月に行いましたが、市教育委員会によりますと、閲覧の制限を行っていない学校が複数あったため、ことし1月にも同様の要請を全ての小中学校に出したということです。
2度目の要請を行ったのは、一部の学校から市教育委員会に「閲覧を制限していない学校もあり、現場が混乱しているので対応を統一してほしい」という要望があったためだということです。
閉架に広がった波紋
今月、この問題が、表面化してから松江市教育委員会には、全国から電話やメールなどでさまざまな意見が寄せられるようになり、職員は多くの時間をその対応に取られるようになりました。
この問題に対して「はだしのゲン」の作者、中沢啓治さんの妻のミサヨさん(70)は、「教育委員会が、はだしのゲンを自由に読めないようにしているという話はこれまで聞いたことがなく、大変驚いている。はだしのゲンは、子どもたちが読めるように、描写も抑えている。それでも一部の描写が過激だということだが、戦争や原爆の被害は決してきれい事ではないし、子どもたちに、本当の事を知らせなければ、戦争の悲惨さや平和の尊さについてきちんと伝えられない。松江市教育委員会には、はだしのゲンを子どもたちが自由に読めるようにしてほしい」と話していました。
また、被爆地である広島市の松井市長は、松江市教育委員会の対応について21日、「いいとか、悪いとかいう立場にない」と述べたうえで、「子どもたちが作品に接する機会を排除することに重きを置きすぎた対応ではないか。広島市は『ゲン』の中から場面を選んで小学3年生に世界平和や家族の絆を伝える教材として活用している。ぜひ参考にしてほしい」と述べました。
一方、下村文部科学大臣は21日、「子どもの発達段階に応じた教育的配慮の必要性があり、それぞれの自治体の判断だ」と記者会見の中で述べて、松江市教育委員会の対応に一定の理解を示しました。
その後、隣の鳥取県の鳥取市立中央図書館でも、「はだしのゲン」の閲覧制限があったことが分かりました。理由について図書館は、「女性を乱暴するなど性的な描写がある」と保護者から指摘を受けたためとしていて、希望する人の閲覧や貸し出しには応じていたということです。西尾肇館長は「どのような形での閲覧がよいのか議論を怠っていた。図書館として閲覧を制限したつもりはまったくなく、今後は一般書のコーナーに移して手にとって読めるようにしたい」と話しています。
約半数の校長が閉架を疑問視
22日、市教育委員会は定例の教育委員会会議を開き、初めて教育委員も交えて「はだしのゲン」を学校図書としてどのように扱うべきか議論が行われました。
この要請は市教育委員会の事務局の判断で行っていたことから、市教育委員会は大学の名誉教授などで作る教育委員5人に対して、改めてこれまでの経緯を説明しました。
ことし5月に教育委員に就任した清水伸夫教育長は、「今回の事案では手続きに不備があったことをおわび申し上げます。必ずしも教育長の独自の判断をすることが適切ではなく教育委員の意見をまとめることが必要だった」と謝罪しました。
会議で委員からは、「教育委員会の要請の拘束力はどの程度あったのか」などの質問が出され、事務局は「校長にとってとらえ方はさまざまだったと思うが教育委員会としては拘束力はないと考えていた」と回答していました。
22日の会議では最終的な結論は出ず、今月26日に臨時の会議を行い、再び議論することを決めました。
会議では、教育委員会が今月19日に市内すべての小中学校の校長に行ったアンケートの結果も公表されました。
校長49人のうち制限を維持すべきと答えたのは、およそ1割の5人でした。
また、▽「閉架」の必要性がない、もしくは▽「閉架」の状態を再検討すべきと考えている学校は合わせて24校に上り、全体のおよそ半分を占めました。「はだしのゲン」の閲覧を制限することを疑問視する校長が多い実態が明らかになりました。
アンケートの意見記述の中には、市教育委員会の「要請」を、実際は「指示・命令」として受け取っていた校長がいたことも分かりました。アンケートからは、一部の校長の間で、市教育委員会への不信感がにじみ出ていることもうかがえました。
知る権利と子どもへの配慮の間で
私(後藤記者)は今回、市教育委員会の幹部や松江市内の小中学校の校長などに取材をしてきましたが、このなかである小学校の校長が「小学校の低学年は、どうしても文字ではなく絵に頼って理解をしていくことが多いように思う。そういった子どもたちに過激な描写が強く印象に残り、『はだしのゲン』を読むことで私たち教師が子どもたちに学び取ってほしいと思う『原爆や戦争の悲惨さ』がこどもたちの中で残らないとするならば、それは不幸なことだ。だから、ある程度の制限は各学校の判断であってもいいと思う」と話していました。
今回の取材で現場の教育者のさまざまな考えに接して「子どもたちの知る権利を守ること」と「子どもたちを過激な表現から守ること」のどちらを優先させるのかは、非常に難しい問題だと感じました。松江市教育委員会による閲覧制限の問題は、5人の教育委員の議論にゆだねられることになりましたが、教育委員には、今回実施したアンケートや全国からの意見なども参考にしながら、子どもたちのためになる結論を導き出してもらいたいと思います。(引用ここまで)