愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

安倍式集団的自衛権行使正当化論と盧溝橋事件正当化論は似ている!侵略主義は変わっていない!

2014-07-09 | 中国侵略と戦争責任

 盧溝橋事件から全面戦争に連動した歴史から学ぶことは何か!

「不測の事態」を回避する途は非軍事的交流と対話による相互理解こそ!

盧溝橋事件の背景は、1900年の義和団事件の戦後処理をした北京議定書にまで遡ります。この義和団事件も日清戦争が背景となっています。中国の民衆にしてみれば、当然の決起でした。民族解放闘争ですから。

すでに記事に書きましたが、愛国者の邪論が青年の頃、映画「北京の55日」という映画が上映され、主題歌が歌われていました。なかなかのもので今でも口ずさむことができます。しかし、この映画は、実は飛んでもない映画で、中国民衆を野蛮人、欧米列強の民衆を被害者として描くものでした。日本は、新たな極東における憲兵として描かれていました。

というように、同じ事件であっても見る位置によって全く逆の描き方があるものだということができる典型のような映画でした。これはかつてインディアンと呼ばれていた先住民を、野蛮人として描いた「西部劇」と同じスタンスでした。

こうした視点の延長線上に、日本の中国民衆に対する視方は差別と蔑視そのものでした。勿論朝鮮人についても同様です。これも福澤諭吉の「脱亜」論の影響があるものと思います。

この盧溝橋事件の芽は、1901年の北京議定書、事件は1937年、実に36年にわたって、日本は北京に日本人を守るという名目で軍隊を駐留していたのです。その駐留軍が、引き起こした宣戦布告なき「戦争」が、その後の中国の民衆と日本国民を塗炭の苦しみを体験させるなどとは、北京議定書を調印した頃は誰も想像しなかったことでしょう。それは、侵略戦争を反省して制定された憲法九条が、今回のように捻じ曲げられて、海外の武力行使に使われるなどと、1946年の段階では、誰の考えていなかったことでしょう。58年の歴史の推移によって、このようにスリカエが起こるのです。

そうして視点で、盧溝橋事件と集団的自衛権行使論をリンクさせて考えておくことが大切だと思うのです。この盧溝橋事件の一連の事実は、集団的自衛権行使容認論の口実や正当化する詭弁が、実は、この盧溝橋事件の際にも使われていたことが判ります。

今回の偽装・偽造の閣議決定が、撤回される、安倍自公政権が政権の座から引きずりおろされ、憲法を活かす政権ができることで、このようなスリカエに厳しい審判を下し、憲法を活かす、九条の理念を具体化する政策を実行する政権ができるようにしなければ、日本の近代史の負の遺産を克服したことにはならないということです。 

そこで、以下、この盧溝橋事件について、どのような視点があるか、記事にしておくことにしましたのでご覧ください。ポイントは、

1.事件そのものだけを見て、日本の正当性を強調するのではなく、事件に至った背景を見ることが大切であるということ。

2.中国の民衆・軍隊を挑発をしたのは、日本政府と日本軍であること。

3.日本軍が北京に駐留している理由と、1932年の満州事変以後、満州国建国と33年の日満議定書調印が、中国人にしてみれば、自分の土地に泥足で踏み込んできたことを意味しており、日本の理由は、到底認めることができないということ。

4.盧溝橋事件直後の現地における不拡大確認の協定には、「反共」で一致する国民党政権と日本軍の思想が浮き彫りになっていること。

5.この事件を契機に満州国を安泰にするために、満州国周辺の治安を維持しようとしていた

天皇制政府の野望が浮き彫りになったこと。キーワードは「日満支

6.この野望は、現在の「周辺事態法」の「周辺概念」「限定的集団的自衛権行使容認」論と同じ思想が浮き彫りになること。

7.一度戦火が始まると、それをストップすることの難しさが浮き彫りになったこと。しかも、この戦火を正当化する理由は、「盧溝橋事件に関する政府声明」を読むと、現在の中朝に対する言動とよく似ていることが判ります。

8.戦争拡大によって、第一次人民戦線事件などに視るように、言論弾圧が厳しくなっていくこと、産業報告会、大政翼賛会などに視るように、一気に戦時体制が構築されていったことです。こうした時には、国民のムードは戦争に対して無力・無関係感を装うしかなくなっていったこと、もう一つは時流に乗っていく人たちもいることなどもあります。

だからこそ、1937年から1941年までの4年間で、取り返しのつかない方向に日本がどんどん進んでいったことを教訓としなければならないと思います。

9.しかも、こうした動きは、誰もが予想もしていないほどの展開をしていくのです。このことを現代に当てはめて考えると、気づいた時には、もう遅い!今こそ憲法の原点に立ち戻った運動が必要不可欠だということを強調しておきたいと思います。

10.こうした「不測の事態」の前の「準備期間」とその後の「占領の拡大」=「侵略行為」を切り離さず見ることが大切です。「無辜ノ一般大衆ニ対シテテハ何等敵意ヲ有スルモノエアラス」としていたことが、如何にウソか、事実は明白です。

それでは、この盧溝橋事件を「中国人の仕業であり、日本には責任はない」とする記事からご覧ください。

盗人が住人から反撃されたことを逆恨みする典型記事!

「盧溝橋事件」は、共産党による「謀略」だった

「日中戦争」とは、日本が支那に「仕掛けられた」戦争だった

仕掛けられた「日中戦争」 盧溝橋事件の真実

れでは、盧溝橋で先に銃撃したのは、国民党軍だったのか? 実は事件当時、当の国民党軍も、日本軍同様、銃撃を受けているのです。盧溝橋で銃撃を受けた日本軍は国民党軍によるものと思い込みましたが、反対に、国民党軍は日本軍によって銃撃を受けたものと思い込んだ訳です。この事件が発端となって、日本軍と国民党軍は交戦状態に突入したのですが、双方共、腑に落ちない点があり、現地解決・事件不拡大方針で交渉、事件発生後5日目に、日支両軍は停戦協定を結んだのです。つまり、日本軍はこれ以上、事を荒立てたくは無い、と言った訳で、支那との全面戦争等、最初から欲してはいなかった訳です。しかし、それでは、日本軍・国民党軍双方に「銃撃」を加え、双方を戦わせる様にし向けたのは、一体「何者」だったのでしょうか?

7月8日、つまり、「盧溝橋事件」発生の翌日、支那共産党は「対日全面抗戦」を呼び掛けているのです。これは、どう見ても、お膳立てが良すぎます。まるで、「盧溝橋事件」が起きる事を知っていたかの様な手際の良さです。と言うよりも、間違いなく共産党は、事件が起きる事を知っていました。それは、何故か? 実は、「盧溝橋事件」は何を隠そう、共産党による「謀略」だったからです。つまり、共産党の工作員が夜陰に乗じて、盧溝橋付近に駐屯していた日本軍・国民党軍双方に発砲し、両軍が交戦する様にし向けたのです。その証拠に、共産党軍の兵士向けのパンフレットには、「盧溝橋事件は我が優秀なる劉少奇同志(後の国家主席)の指示によって行われたものである」 とはっきりと記述されていました。又、昭和24(1949)年10月1日、「中華人民共和国」成立のその日、周恩来首相も、「あの時(盧溝橋事件の際)、我々の軍隊(共産党軍)が、日本軍・国民党軍双方に、(夜陰に乗じて)発砲し、日華両軍の相互不信を煽って停戦協定を妨害し、我々(共産党)に今日の栄光をもたらしたのだ」 と発言しています。共産党自らが「自白」しているのですから、これ以上の証拠はありません。

「盧溝橋事件」は、共産党による「謀略」だった。当時、国民党に対して劣勢だった共産党は、「起死回生」を図る為、日本軍・国民党軍双方を戦わせて疲弊させ、「漁夫の利」(つまりは、支那全土の支配権)を得ようと考えたのです。結果的に狙いは的中し、日本はその後、8年間の長期にわたって、広大な支那大陸を舞台に「日中戦争」を戦わされる羽目になりました。更に、その後、共産党は国共内戦で国民党に勝利し、遂に支那全土の支配権を獲得、「中華人民共和国」を建国(1949年)したのです。その意味においては、「盧溝橋事件」とは、日本軍が共産党軍(支那)に「填(は)められた」訳で、「日中戦争」とは、日本が支那に「仕掛けられた」戦争だった訳です。(引用ここまで 

盧溝橋事件にみる日米軍事同盟の犯罪性浮き彫り!

日米軍事同盟に反対することは許されない!

盧溝橋事件

詳細を見れば支那のほうから戦争を仕掛けてきたのは明らかである。現在では、研究が進み、最初に撃ってきたのは国民党軍の中に入り込んだ支那共産党のスパイであったことが明らかになっている。要するに蘆溝橋事件は毛沢東率いる共産党軍の謀略だった。事件直後に、「成功せり」という電報が支那共産党の司令部に打たれていた。
当時の共産党軍は国民党軍による掃共戦(共産党掃討)で連敗し、ほとんど壊滅した状態にあり、それを打開するために国民党軍と日本軍を戦わせて漁夫の利を得ようとしたのだ。…よく「なぜ日本軍がそんなところにいたのか。そんなところにいた日本軍が悪い」などと言う無知な者の発言をよく見かけるが、それは北清事変の協定で駐在することになっていたからである。日米安保条約によって横須賀にアメリカ軍がいるのと変わらない話である。

  北清事変(1900年)
…当時の参謀本部作戦部長だった石原莞爾支那とは戦争をしない方針だった。五ヵ年計画を繰り返して機械化部隊を強化しているソ連に対応することが日本陸軍にとって最重要課題であり、支那とは戦争する暇などないと考えていたのである。日本は三週間不拡大方針を維持した。しかし、現地で協定を結ぶと、それが破られるということが繰り返された国民政府軍に入り込んだ共産党分子が日本を戦争に巻き込めというコミンテルンの方針に従って挑発をやめなかったのだ。残念なことに事件はこれで終わらなかった。日本国内では、社会主義改革を目論む新官僚と政治的軍人たちが継戦を訴え、当時の近衛文麿内閣にはそれを抑える力がなかったのである。二・二六事件以来、軍部に逆らえる政治家は、ほとんどいなくなっていたのだ。東京裁判では支那事変について調査したが、途中で中止になった。満洲事変の何年も前の張作霖爆殺は時間をかけて調べているにもかかわらずである。支那共産党の陰謀とわかり、調査が中止になったと考えるのが自然であろう。日本人が支那に対して負い目を感じている人がいるのは、盧溝橋事件は日本が始めたと思っていることが少なからぬ影響を与えている。しかし、盧溝橋事件は日本が始めたものではないことを忘れてはいけない。上海事変勃発後に出された日本政府の「盧溝橋事件人関する政府声明
図らずもこの盧溝橋事件によって対支交戦状態に入った日本は、速やかに戦闘を終結して東洋平和を実現せんとの念願より、様々な対支和平工作を事変当初から試みる。実に昭和20年終戦直前に至るまで様々な形の対支和平の努力が試みられては挫折していくことになる。(引用ここまで

これが安保法制懇談会委員の偽装・偽造の正当化論

岡崎久彦氏の「盧溝橋事件」(『Voice』3月号掲載)についての解説

 盧溝橋事件に関する「政府声明」を読むと、

集団的自衛権行使論を正当化する安倍首相の思想の原点ここにあり!

ネライは「日満支三国間ノ融和提携ノ実ヲ挙ケソトスル」にあり!

盧溝橋事件http://tamutamu2011.kuronowish.com/rokyoujikennseifuseimei.htm

…「暴支膺懲」を口実とした日本の侵略に対して中国では、中国共産党と国民党が協力して抗日戦争をたたかう態勢をとり、国をあげての徹底抗戦にたちあがった。日中全面戦争の始まりであった。昭和天皇も同年9月、「中華民国深く帝国の真意を解せず濫(みだり)に事を構へ遂に今次の事変を見るに至る」と中国側に戦争の責任を押しつけ、「中華民国の反省を促し速に東亜の平和を確立」するための武力行使だと強弁した。翌1938年1月11日、天皇出席のもとで開かれた御前会議は、「支那事変処理根本方針」決定、「1.『満州国』の承認 2.中国北・中部などへの日本軍駐留 3.日本と「満州」、中国の経済一体化」などを中国政府に要求した。…

…ところで盧溝橋事件の前年の1936年、日本は、「支那駐屯軍」の兵力を約1,800人から約5,800人へ3倍もの増強していた。当然、中国は強く抗議したが、それを無視した日本は、増強部隊を盧溝橋にも近い北京近郊の豊台に駐屯させた。ここは北京の守備の要で、すでに中国軍が配備されていました。互いの兵営の距離はわずか300メートル、挑発行為であることは明白であった。

このことは、事件当時、陸軍参謀本部第一部長で、日本が1931年謀略的に仕組んだ鉄道爆破事件(柳条湖【りゅうじょうこ】事件)をきっかけに軍事行動を引き起こした「満州事変」の中心人物の一人石原莞爾が、「豊台に兵を置くことになりましたが、之が遂に本事変(「支那事変」)の直接動機になつたと思ひます」(「石原莞爾中将回想応答録」参謀本部作成)と証言していることからも明らかである。なお、現地の日本兵の間では、「七夕の日は何かがおこる」という噂(うわさ)が飛んでいた(秦郁彦『盧溝橋事件の研究』東京大学出版会)。

「反軍演説」で知られる斎藤隆夫衆院議員(民政党)は、1944年2月に次のように記している。

 「日本の大陸発展を以(もっ)て帝国生存に絶対必要なる条件なりと言はんも、自国の生存の為には他国を侵略することは可なりとする理屈は立たない。若(も)し之を正義とするならば斬取(きりとり)強盗は悉(ことごと)く正義である」(「大東亜戦争の原因と目的」)

 「誰が何と言はうが今回の戦争は日本の軍部が其(そ)の原因を作りたるものである。即(すなわ)ち軍部多年の方針である所の支那侵略が其の根本原因であることは今更議論するの余地はない」(同前)

 

また、靖国神社は現在、盧溝橋事件から日中が全面戦争となった「背景」について、「日中和平を拒否する中国側の意志があった」とし、全面戦争にいたったのも「日本軍を疲弊させる道を選んだ蒋介石(国民党指導者)」に責任があると描いている(『靖国神社 遊就館図録』)。    

盧溝橋事件に関する政府声明(日本政府「断固たる措置」声明) 1937(昭和12)年8月15日

 1937(昭和12)年8月15日午前1時10分発表

帝国夙ニ東亜永遠ノ平和ヲ冀念シ、日支両国ノ親善提携ニ力ヲ致セルコト久シキニ及へり。燃ルニ南京政府ハ排日抗日ヲ以テ国論昂揚卜政権強化ノ具ニ供シ、自国国力ノ過信卜帝国ノ実力軽視ノ風潮卜相俟チ更ニ赤化勢力ト苟合シテ反日侮日愈々甚シク以テ帝国ニ敵対セントスルノ気運ヲ醸成セリ。近年幾度カ惹起セル不詳事件何レモ之ニ困由セサルナシ。今次事変ノ発端モ亦此ノ如キ気勢力其ノ爆発点ヲ偶々永定河畔ニ選ヒタルニ過キス、通州ニ於ケル神人共ニ許ササル残虐事件ノ因由亦茲ニ発ス。更ニ中南支ニ於テハ支那側ノ挑戦的行動ニ起因シ帝国臣民ノ生命財産既ニ危殆ニ瀕シ、我居留民ハ多年営々トシテ建設セル安住ノ地ヲ涙ヲ呑ンテ遂ニ一時撤退スルノ巳ムナキニ至レリ。

顧ミレハ事変発生以来屡々声明シタル如ク、帝国ハ隠忍ニ隠忍ヲ重ネ事件ノ不拡大ヲ方針トシ、努メテ平和的且局地的ニ処理セソコトヲ企図シ、平津地方ニ於ケル支那軍屡次ノ挑戦及不法行為ニ対シテモ、我カ支那駐屯軍ハ交通線ノ確保及我カ居留民保護ノ為其ニ已ムヲ得サル自衛行動ニ出テタルニ過キス。而モ帝国政府ハ夙ニ南京政府ニ対シテ挑戦的言動ノ即時停止卜現地解決ヲ妨害セサル様注意ヲ喚起シタルニモ拘ラス南京政府ハ我カ勧告ヲ聴カサルノミナラス、却テ益々我方ニ対シ戦備ヲ整へ、厳存ノ軍事協定ヲ破リテ顧ミルコトナク、軍ヲ北上セシメテ我カ支那駐屯軍ヲ脅威シ又漢口上海其他ニ於テハ兵ヲ集メテ愈々挑戦的態度ヲ露骨ニシ、上海ニ於テハ遂ニ我ニ向ツテ砲火ヲ開キ帝国軍艦ニ対シテ爆撃ヲ加フルニ至レリ。

此ノ如ク支那側カ帝国ヲ軽侮シ不法暴虐至ラサルナク全支ニ亙ル我カ居留民ノ生命財産危殆ニ陥ルニ及ンテハ、帝国トシテハ最早隠忍其ノ限度ニ達シ、支那軍ノ暴戻ヲ膺懲シ以テ南京政府ノ反省ヲ促ス為今ヤ断乎クル措置ヲトルノ已ムナキニ至レリ。

此ノ如キハ東洋平和ヲ念願シ日支ノ共存共栄ヲ翹望スル帝国トシテ衷心ヨリ遺憾トスル所ナリ。然レトモ帝国ノ庶幾スル所ハ日支ノ提携ニ在り。之カ為支那ニ於ケル排外抗日運動ヲ根絶シ今次事変ノ如キ不祥事発生ノ根因ヲ芟除スルト共ニ日満支三国間ノ融和提携ノ実ヲ挙ケソトスルノ外他意ナシ、固ヨリ毫末モ領土的意図ヲ有スルモノニアラス。又支那国民ヲシテ抗日ニ踊ラシメツツアル南京政府及国民党ノ覚醒ヲ促サントスルモ、無辜ノ一般大衆ニ対シテテハ何等敵意ヲ有スルモノエアラス列国権益ノ専童ニハ最善ノ努力ヲ惜マサルヘキハ言ヲ俟タサル所ナリ。(引用ここまで

 

赤旗 日本軍中国侵略 盧溝橋事件77年 日中全面戦争の発端に 政府が「北支急派」を閣議決定2014年7月8日(火)

盧溝橋事件を扱った愛国者の邪論の記事をご覧ください。

沖縄の「抑止力」金の値段(ムダガネ)を曖昧にする「軍事抑止力神話」信奉 2012年2月21日

石原都知事親子の暴言·妄言、民自代表選と総裁選で日本国民の文化と 2012年9月17日

日中韓朝の友好を前進するために必要なことは加害国日本の歴史認識を 2012年9月30日

戦争に突き進んだ歴史に学ばない国民は弾薬供与貸与事件にみる既成 2013年12月29日

ウクライナ政変とロシアの対応に集団的自衛権行使論を重ねると安倍 2014年3月2日

クリミア侵攻に集団的自衛権行使を適用し日本国憲法を使わない東京 2014年3月13日

戦前の日本の韓国併合と盧溝橋事件を想起させるウクライナ·クリミア 2014年3月19日

浦和レッズ一部サポーターの差別事件でスルーする旭日旗の本質=軍国 2014年3月19日

NHKはウクライナ紛争=民主化闘争、ロシアの介入をどのように報道した 2014年3月19日

ウクライナ問題で輝く憲法平和主義と平和外交!集団的自衛権行使論の 2014年3月20日

北朝鮮の脅威を煽る日米韓こそ力を誇示!ロシアのクリミア軍事介入と 2014年3月26日

自衛隊員は、こんなデタラメ政治家に命を預けることはできないと意見 2014年4月6日

常軌を逸しているのは中国だけ?安倍首相とマスコミこそ!柳条湖 2014年5月25日

侵略戦争と植民地膨張主義の大東亜戦争の責任不問の日本のマスコミ 2014年6月12日

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ヨーロッパのようにアジアで加害国と被害国が一同に介して不戦を誓ういつの日になるか!

2014-07-09 | 中国侵略と戦争責任

 

侵略戦争を本当に否定しているというのであれば!

憲法の平和主義を否定しないというのであれば!

前号まで検証してきた盧溝橋事件における習近平氏の発言にみる東アジアにおける平和の枠組み構築の可能性について、今回はヨーロッパの記事を掲載しておきます。皮肉なことには産経が記事を掲載していることです。侵略戦争である大東亜戦争を「自存自衛」戦争と正当化し、安倍首相の集団的自衛権行使を容認する産経ですから、当然と言えば当然です。

それにしても不思議なことは、侵略戦争である大東亜戦争を「自存自衛」として、また「鬼畜米英」として扇動した天皇制政府でしたが、この戦争を正当化する産経が、今日本国憲法がアメリカから押し付けられたとして憲法「改正」を主張しているのです。鬼畜米英はどうなったのでしょうか。

更にいえば、アメリカから「押し付け」られた憲法の平和主義が、アメリカの世界戦略にとって、今や邪魔になっているのです。それは戦後侵略戦争をしてきたばかりに、財政破綻状態になっていることから、何としても日本にアメリカの尻拭いをさせようとしているアメリカの存在があります。産経は、この「押し付け」については、積極的に、その「行使」を説いているのです。

産経新聞の読者は、こうした産経の無節操さ、不道徳さに気づいていないのでしょうか。この思想と思考回路から何を学ぶか、そのことが解明されれば、憲法が国民の中に浸透していくように思います。そんな問題意識を持ちながら、憲法の平和主義に基づいて、それを具体化するために、アジアにおいて、侵略戦争の加害国である日本が被害国である国々に呼びかけて、不戦の誓いを行う式典が、いつになったらできるのか、考えてみたいと思います。そのためには、まず、

1.侵略戦争の反省の上にたって制定された憲法の平和主義の尊重する政権となることが大切です。

2.安倍政権は、口では憲法を尊重する、平和主義は変わらない、村山・河野談話を守るなどとしていますが、それを証明するために、行動で示すことが大事です。

3.そのためには、柳条湖・盧溝橋・上海・南京・重慶・北京・大連・瀋陽・マレー半島・シンガポール・マニラ・ソウル・平壌・グアム・そしてヒロシマ・ナガサキ・オキナワ・東京・サハリン(樺太)など、激しい戦闘が行われたところで、各国の代表者たちが一同に介して平和を誓う式典の開催を呼びかけるべきです。

4.更に言えば、教育再生会議の内容を、憲法を活かしたものに変えていくべきです。侵略戦争を肯定・正当化するようなものは断固排除していくべきです。戦前の修身=道徳の復活は否定すべきです。

以上のように、安倍政権の侵略戦争に対する曖昧な態度、形骸化する態度を改めていくことこそが、国際社会から信頼を得ていくことになるということを強調しておきたいと思います。

それでは、以下の記事が参考になりますので、ご覧ください。

加害国で敗戦国であるドイツも参加した!

産経 毒ガス戦の地に「平和」のベンチ 1次大戦式典にEU首脳 2014.6.27 01:08http://sankei.jp.msn.com/world/news/140627/erp14062701080001-n1.htm

第1次世界大戦の記念式典に訪れ、握手を交わすオランド仏大統領(左)とファンロンパイEU大統領=26日、イーペル(AP)

第1次大戦のきっかけとなったサラエボ事件から100年の節目を28日に控え、大戦中にドイツ軍が史上初めて毒ガスを本格的に使用し多くの犠牲者が出たベルギー北西部イーペルで26日、欧州連合(EU)首脳らが参加し記念式典が行われた。 EU創設の根底には2度の大戦など惨禍を繰り返さないとの理念がある。今回の式典は、甚大な被害をもたらした惨事に思いをはせ「平和と民主主義実現のプロジェクト」(ファンロンパイEU大統領)であるEUの存在意義をあらためて確認する機会だ。 式典の開催場所は、第1次大戦中に戦死した兵士らを悼む巨大な記念碑「メニン門」。毎日行われているトランペットの追悼演奏のほか、平和を願いEUが寄贈したベンチをお披露目。ベンチにはEUの公用語となっている24の言語で「平和」を意味する言葉が刻まれている。(共同)(引用ここまで

産経 EU首脳、ベルギーで第一次大戦100年記念式典 2014.6.27 09:58http://sankei.jp.msn.com/world/news/140627/erp14062709580004-n1.htm

26日、ベルギー・イーペルで、第1次大戦の戦死者を悼む式典に参加した(左から)キャメロン英首相仏オランド大統領ドイツのメルケル首相(ロイター)

 【ベルリン=宮下日出男】欧州連合(EU)28加盟国の首脳らは26日、第一次世界大戦の発端となったサラエボ事件から28日で100年を迎えるのを前に、大戦の激戦地で毒ガスが初めて本格的に使用されたベルギー北西部イーペルで記念式典を行い、平和への誓いを新たにした。

 式典は大戦中に戦死した兵士らを追悼する記念碑「メニン門」で開催。EUは平和への願いを込め、EUの公用語である24言語で「平和」の言葉を刻んだベンチを寄贈した。 EUのファンロンパイ大統領は「式典は戦争の終わりや勝利のためのものではない。すべての戦線で殺害された数百万人のためだ」とあいさつで述べ、犠牲者らを追悼した。 第一次大戦で、ドイツはフランス侵攻のため中立国ベルギーに侵入し、イーペル近郊で1915年4月に塩素ガスを使用。17年に同じくこの近郊で使われた皮膚をただれさせるマスタードガスは、地名にちなみ「イペリット」呼ばれるようになった。(引用ここまで

毎日 第一次世界大戦100年:激戦地イーペルでEU首脳黙とう  2014年06月27日 12時19分(最終更新 06月27日 13時19分)http://mainichi.jp/select/news/20140627k0000e030198000c.html

第一次世界大戦の発端「サラエボ事件」から100年を前に、「平和のベンチ」に献花するデンマークのトーニングシュミット首相(手前)らEU各国の首脳=ベルギー北西部イーペルで2014年6月26日、ロイター

 【イーペル(ベルギー北西部)で篠田航一、ブリュッセル斎藤義彦】第一次世界大戦の引き金となったオーストリア皇太子暗殺事件から28日で100年になるのを機に、欧州連合(EU)は26日、当時の激戦地ベルギー北西部イーペルで首脳会議を開き、平和を祈念した。首脳らは当時の大英帝国戦没兵の名前が刻まれた門「メニン・ゲート」で黙とう。EUの公式24言語で「平和」の言葉が刻まれた「平和のベンチ」を設置し、和解と連帯の重要性を強調した。

 ファンロンパウ欧州理事会常任議長(EU大統領)は「この式典は、何百万もの死を越え私たちがどう行動していけるかを問うている」と述べた。 イーペルの戦いでは60万人以上が犠牲になった。史上初めてドイツ軍が本格的な毒ガス攻撃を行った場所としても有名で、周辺には約150の戦没者墓地がある。メニン・ゲートは、大英帝国(現英連邦)戦没者墓地委員会が1927年に建立、5万4896人の名を刻む。 連合軍兵士はこの門付近を起点に戦場へ向かった。門にはオーストラリアやインド、カナダなどからの出征兵士の名前も多く、世界中から子孫が訪れる。 EU首脳会議を前に豪州から訪れた主婦、ジャン・スコット・ダークさん(52)は、門に設置されている祭壇に花輪を手向けた。17年に20歳で戦死した大叔父ジェームズさんの追悼に来たという。「今の私の息子と同じ年齢です。壁面に大叔父の名を見つけた時、胸が詰まりました。戦争に意味などない。それを実感できました」

 イーペルでは毎晩午後8時、戦没者の追悼演奏が行われる。26日は特別に時間を早め首脳の前で披露された。式典を主催する民間団体「ラストポスト協会」はトランペット演奏をする楽団を含め、20人以上のスタッフ全員がボランティア。各自、仕事が終わってから門に駆け付け、15分ほどの式典を行う。 協会会長で自動車販売業のベノワ・モトリーさん(49)は「28年以降、ナチスの占領時代を除き毎日続けている。追悼の思いを一日たりとも忘れないためです」と話す。戦没カナダ兵の中には「KOYANAGI H」との日系らしき人物の名前も刻まれていた。 郊外にはドイツ兵の墓地もある。身元不明の遺体は一つの墓石の下に合同で埋葬されている。「不明の4人」。そう刻まれた墓石の前でひとりのお年寄りがじっと黙とうをささげていた。(引用ここまで

国際社会のレベルと大きな違いのある日本!

何故レベルが違うか!侵略戦争の反省感が弱い!

毎日新聞 ノルマンディー70年:ドイツ、式典に出席拒否の歴史 - 2014年6月7日

ノルマンディー70年:ドイツ、式典に出席拒否の歴史. 29日前. 【ベルリン篠田航一】ノルマンディー上陸作戦70周年記念式典には、連合国の当時の敵国だったドイツのメルケル首相も参加した···. 続きを読む. PR ...

Excite  罪を認め尊敬されるようになったドイツ、歴史を否定し批判の的となった日本―中国メディアレコードチャイナ 2014年6月7日

Reuters 盧溝橋事件77年、国民は「心に留めておくべき」=中国首相|  2014年 07月 7日 18:19 JST

[北京 7日 ロイター] - 中国の李克強首相は7日、訪中しているドイツのメルケル首相や記者団に向け、日中戦争の発端となった1937年の盧溝橋事件から77年をこの日迎えたと指摘、「国民が常に心にしっかりと留めておくべき日」だと述べた。首相は、「日本の軍国主義者らが始めた大規模戦争に直面し、中国の人民は全力で立ち上がり、抵抗した」と強調。「われわれは過去に敢然と立ち向かうために、常に歴史を思い出す必要がある」と述べた。中国は第2次世界大戦に関し、頻繁に日本とドイツを比較している。メルケル首相は日中戦争について発言しなかった。

菅義偉官房長官は記者団に対し、中国が歴史問題を国際化することは地域の平和と協力において有益ではないとの見解を示した。(引用ここまで

WSJ 盧溝橋事件から77年、習主席「歴史の否定や歪曲は認めず」 2014 年 7 月 7 日 19:38 JST

盧溝橋事件から77年の7月7日に写真を撮る男性 Agence France-Presse/Getty Images

 7月7日――中国では日本による侵略が始まった日として長く記憶されている日――は今年、中国で大いに盛り上がりを見せている。 77年前に日本軍が中国軍を襲撃し、日中戦争の発端となった盧溝橋事件の現場に、習近平国家主席が他の指導部メンバーを連れてやって来たためだ。習主席は北京郊外の盧溝橋近くにある中国人民抗日戦争記念館で行われた記念式典で演説し、歴史を忘れないよう人々に呼びかけるともに、「侵略の歴史を否定、歪曲、もしくは美化しようとする者がいるなら、中国および世界中の人々はそれを認めない」と述べた。 中国の国名メディアは、元兵士とのインタビューや歴史的な映像、スピーチ、社説などを通じ、この事件を忘れないよう大々的に報道した。 中国共産党の機関紙、人民日報は7日付の社説で「77年が過ぎたが、歴史の傷跡は残ったままだ。歴史の警告も教訓もまだ生きている」と伝えた。 安倍政権が先月、憲法解釈の変更を閣議決定したことを受け、人民日報は最近の論評の中で、ヒトラーと安倍首相を対比させ、日本は「戦争を始めかねない危険な国に再びなりつつある」と断じた。 香港中文大学のウィリー・ラム教授はこれを「世論戦争だ」と指摘する。人民日報は習氏が今年ドイツを訪問した際に第2次世界大戦を記念するさまざまな場所を訪れたことを報道。中国はこの数カ月間、ドイツが過去の侵略の歴史を受け入れ、償ってきたことを称賛してきた。これには、日本はそうしていないとの批判が込められている。引用ここまで

 産経の戦勝国イギリスと戦勝国中国の愛国心の見方の違いは何か!

産経 第一次世界大戦から100年 戦勝国の英国で大規模記念行事 2014.4.19 12:00 [鼓動http://sankei.jp.msn.com/world/news/140419/erp14041912000001-n1.htm

第一次大戦の特別展で、出征する兵士を募る当時のポスターを前に説明する学芸員のマットさん=英マンチェスターにある帝国戦争博物館の北館

 第一次世界大戦の開戦から今年で1世紀。4年余りに及んだ史上初の世界大戦は1500万人以上の犠牲者を出し、参戦国の社会や政治体制に大きな変化をもたらした。戦勝国の英国では、大戦の意味を問い直そうと、政府の支援で大規模な記念事業が動き出した。しかし、その歴史認識をめぐっては100年が経過した今も論争となっている。(ロンドン 内藤泰朗)

 英中部マンチェスター市郊外の池と緑に包まれた静かな地に、「ダナム・マッシー」と呼ばれる貴族の旧邸宅があった。大戦中、負傷兵らのために臨時病院となった屋敷跡だ。邸宅の主人だった女性の提案で、1階を病室などに利用し、主人自ら娘らとともに負傷兵の看護にあたったという。 案内役の若い女性は「貴族が自分の屋敷を開放し、戦争に協力した事実には驚かされた。他にも同じようなお屋敷の病院が各地にできていた」と語った。

 市内の軍博物館にも大戦に関する展示があったが、戦勝をそれほどアピールした内容ではなかった。博物館側は「軍人を募集するため、かつては軍の栄光を強調していた。でも今は地元から出征した部隊がいつ、どこで、どんな戦いをしたのかに力点を置く展示になった。時代とともに変化は必要だ」と解説する。

 市内にある帝国戦争博物館(IWM)北館では、大戦中のマンチェスターの街並みが再現されていた。ドイツに宣戦布告した英国が国民総動員の総力戦に突入し、市民生活が変貌していく過程が分かるように、各種資料が展示されていた。「月曜日に酒は飲むな!」「食料を捨てるな!」といったスローガンの数々。初めて空襲に遭い、出征した男性に代わり女性が工場などで働くようになったのも大戦の影響だ。 IWMの学芸員、マットさんは「大戦によって人々の暮らしに国家が入り、社会は変化した。それによって階級社会や政治も変わっていった」と指摘した。□ □

 英国政府は大戦の記念事業に5千万ポンド(約87億円)を投じ、今後約4年にわたり1500以上のイベントを実施する予定という。 しかし大戦をどう捉えるかをめぐっては、愛国的な歴史教育を推進する保守党主導のキャメロン政権と、批判的な労働党など野党の間で対立している。 ゴーブ教育相は今年初めに保守系紙に寄稿し、左派系学者やメディアが、大戦を「貴族階級が引き起こした帝国主義者たちの戦争」と単純化したことで、戦死者の「愛国心や名誉、勇気」が侮辱されたと批判。当時のドイツの指導者は「攻撃的な拡張主義者」で、英国の参戦は自由を守るという「正義」に基づいていたと主張した。 さらに、大戦について子供たちが過度に否定的に教えられているとして、歴史教科書を、愛国心や誇りを学べるように見直すべきだと強調。これに労働党や野党系新聞が反発している。

英国の著名ジャーナリスト、パックスマン氏は「政権は国民の愛国心を利用して安っぽい政治的得点を稼ごうとしている」と述べ、歴史が政争の具となっていることに懸念を示した。そのうえで、「第一次大戦は近代の英国を形作った最も重要な出来事だ。だからこそ、それを理解し、思い起こすことが必要なのだ」と指摘している。

第一次世界大戦

 1914年6月、オーストリア=ハンガリー帝国によるボスニア・ヘルツェゴビナ併合に反発したセルビア人が、サラエボで同帝国の皇太子夫妻を暗殺。同帝国がセルビアに宣戦布告した。その後、関係国が続々と参戦し、30カ国以上がドイツ、オーストリア=ハンガリー、オスマン(現トルコ)を中心とする同盟国と、英国、フランス、ロシアを中心とする連合国に分かれて戦った。日本、米国は連合国側に立った。戦闘地域は欧州を中心に中東、アフリカ、アジア、太平洋に拡大、毒ガスが初めて使用されたほか、戦車、飛行機も戦闘に使われた。17年にはロシアで革命が勃発。大戦は18年、同盟国側の敗北で終わった。(引用ここまで

 英王子一家に今夏、初の大役 第一次大戦100年式典に出席へ 世代交代印象づける女王の決断2014.5.10 22:41 英王室 http://sankei.jp.msn.com/world/news/140510/erp14051022410008-n1.htm

ウィリアム王子夫妻とジョージ王子=4月16日、オーストラリア・シドニー(ロイター)

 【ロンドン=内藤泰朗】エリザベス英女王(88)がこの夏、欧州で計画されている第一次世界大戦の開戦100周年行事に、自らの名代としてウィリアム王子(31)夫妻を派遣することを決めた。欧州の首脳らが集う歴史的な式典で、王子夫妻が英国の代表という大役を務めるのは初めてだ。女王が重要な外交行事を若い世代に任せる決断を下したことは、英王室の世代交代を印象づけている。

 報道によると、英国がドイツに宣戦布告して100年となる今年8月4日、双方が最初に衝突したベルギーで「追悼と和解」を主目的とした式典が開催される予定で、英国からはウィリアム王子夫妻とヘンリー王子(29)が参列する。

 式典にはガウク独大統領のほか、ベルギーのフィリップ国王らが出席する。女王は参加を検討していたが、王子夫妻の先のオーストラリアとニュージーランド訪問の「大成功」を受け、夫妻の派遣を決断した。自らは同日夜、英国内の教会で行われる犠牲者の追悼式典に出席する。 英国では式典に先立つ7月23日から12日間、英連邦諸国による4年に1度のスポーツの祭典「コモンウェルス・ゲームズ」がスコットランドのグラスゴーで開かれる。女王は開会式には出席するが、ここでも閉会式はチャールズ皇太子(65)に任せるという。

第一次大戦の関連行事について、英紙サンデー・タイムズは英王室筋の話として、「英国人を含む多くの人たちが犠牲となった大戦の意味を問い直す意味がある。(王子夫妻の出席は)女王自身が決断したことで、女王が王室外交の表舞台から退くことを意味するわけではない」と伝えた。

 一方で、今春には女王と皇太子の報道担当チームが合併し、その事務所も女王の公邸であるバッキンガム宮殿に一本化され、皇太子の報道官が責任者に就任した。「皇太子が国王となる日に向けた準備の一環」(英BBC放送)などと伝えられている。スリランカで昨年11月に開催された英連邦首脳会議にも、女王の名代として皇太子夫妻が出席した。「女王の業務を徐々に皇太子らに移行することで、緩やかな世代交代に動いている」との見方が有力だ。(引用ここまで

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「対・反日共闘」論吹聴で危機を煽り安倍政権を応援!日中韓朝共同の不戦の誓いを展望しない新聞!

2014-07-09 | 中国侵略と戦争責任

 

侵略戦争を反省した憲法に違反した集団的自衛権行使を批判しているのに

中国と連帯できない日本の新聞の立場は!

次は新聞が、盧溝橋事件における習近平国家主席発言をどのように報道したか、検証してみます。テレビ・通信社・新聞が、日本国民に垂れ流すイデオロギーによって、日本国民の中にどのような意識をつくりだそうとしているか。ご覧ください。ポイントは以下のとおりです。

1.集団的自衛権行使を賛成している産経・読売・日経は中国の安倍政権批判をどのように位置づけているか?

2.中国の愛国心を批判するのであれば、安倍政権の愛国心教育は批判しないのか?

3.集団的自衛権行使を批判している朝日・毎日は安倍首相の集団的自衛権行使を批判している中国と連帯しないのか?

4.侵略戦争に加担した日本のマスコミは侵略戦争を正当化する安倍首相を批判しないのか?

5.侵略戦争を反省して制定された憲法平和主義を否定する安倍式集団的自衛権行使の口実である対中脅威論とどう向き合うか?

「産経の愛国心」と真っ向対立する「中国の愛国心」!

加害国と被害国の愛国心は同じ言葉でも内容も意味も違う!

憲法平和主義の愛国心こそが、今必要!

産経 「盧溝橋事件」77年で式典 中国、反日宣伝を展開 2014.7.7 07:49 [中国http://sankei.jp.msn.com/world/news/140707/chn14070707490001-n1.htm

北京市郊外の盧溝橋近くで警戒する警察官=7日(共同) 

 日中戦争の発端となった1937年の盧溝橋事件から77年の7日、北京市郊外にある盧溝橋近くの中国人民抗日戦争記念館で記念式典が開かれる。共産党・国家指導者らが出席。中国政府は「77年」を機に全国各地で記念行事を実施し、反日キャンペーンを展開。党機関紙、人民日報など国内メディアは「国辱を忘れるな」と銘打って旧日本軍による暴力行為の特集記事を掲載、反日感情を刺激し、愛国心を鼓舞している。式典は国営中央テレビや新華社のウェブサイトで中継。記念館では2日から抗日戦争に関する写真展も開かれている。

 盧溝橋事件 1937年7月7日夜、日本軍が北京郊外の盧溝橋近くで演習中に銃撃を受けたなどとして8日未明、中国軍を攻撃、8年間に及ぶ日中戦争の発端となった。その後、日本軍は北京や天津を総攻撃、8月には戦火が上海に及び全面戦争に突入した。中国側は国民党と共産党による第2次「国共合作」を9月に成立させた。(共同)(引用ここまで

中国の愛国心がよほど気に入らないのか!

だったら安倍首相の歴史歪曲は止めれば良いのに!

中国の安倍政権批判は二つ!

一つ歴史偽造!二つ憲法平和主義否定!

産経 中国主席、盧溝橋事件77年の記念式典で日本批判を展開 2014.7.7 13:15http://sankei.jp.msn.com/world/news/140707/chn14070713150003-n1.htm

北京市郊外の盧溝橋近くで警戒する警察官=7日(共同) 

 【北京=川越一】日中戦争の発端となった1937年の盧溝橋事件から77年を迎えた7日、中国の習近平国家主席は、北京市郊外にある盧溝橋近くの中国人民抗日戦争記念館で開かれた記念式典に出席し、「中国は侵略の歴史の否定や歪曲(わいきょく)、美化を決して許さない」などと演説、名指しは避けながらも安倍政権を批判した。 中国メディアによると、最高指導者が同式典に出席するのは初めて。節目とはいえない「77年」の式典を盛大に催した背景には、日本政府の“右傾化”を誇張しようという中国側の思惑がうかがえる。 習主席は中国共産党・国家指導者や軍関係者、小中学生らを前に、旧日本軍の所業を強く非難した上で、「抗日戦争と反ファシズム戦争の勝利から間もなく70年となる今日も、依然として、確固たる歴史の事実を無視し、戦時中に犠牲となった数千万の罪のない命を無視する者がいる」と主張した。 中国政府は「抗日戦争勝利」から70年となる来年を前に、党機関紙、人民日報や中国中央テレビなど国内メディアを通じて、反日感情を刺激し愛国心を鼓舞する宣伝を展開している。(引用ここまで 

戦勝国と敗戦国が一同に介したのは何故か!

日中韓朝が一同に介して不戦の誓いを固め合えないのは何故か!

産経の思考回路には、ドイツの事例は見えない!

産経 「日本の侵略戦争に奮起」李克強首相、ドイツとの共同会見でも日本批判 2014.7.7 19:32http://sankei.jp.msn.com/world/news/140707/chn14070719320004-n1.htm

北京市郊外の盧溝橋近くで警戒する警察官=7日(共同) 

 【北京=川越一】中国の李克強首相は7日、訪中したドイツのメルケル首相と北京で会談した後の共同記者会見で盧溝橋事件に言及し、「歴史の教訓を記憶してこそ未来が開ける」などと日本を批判した。 中国の指導者が第三国の首脳との共同記者会見の場で対日批判を展開するのは異例。 李首相は会見の冒頭、自ら盧溝橋事件について発言し、「77年前の今日、日本の軍国主義者が発動した全面的な侵略戦争に対し、中国人民は奮起し、最終的な勝利を得るまで、8年間抗戦した」などと述べた。(引用ここまで

憲法違反の集団的自衛権行使論と侵略戦争をリンク!

内閣打倒を掲げるのは当然でしょう!日本は何をやっている!

中国共産党批判の台湾民衆でさえも!産経には判らない!?

産経 台北でも反日抗議デモ 盧溝橋事件77年で 2014.7.7 19:29http://sankei.jp.msn.com/world/news/140707/chn14070719290005-n1.htm

7日、台北の交流協会台北事務所前で、安倍晋三首相の顔写真を破いて抗議するデモの参加者(田中靖人撮影)

 【台北=田中靖人】日中戦争の発端となった盧溝橋事件から77年の7日午前、台北市内の日本の対台湾交流窓口機関、交流協会台北事務所(大使館に相当)前で反日抗議デモが行われ、約100人が集団的自衛権の行使容認に反対するスローガンなどを連呼した。 抗議活動は、中台統一を掲げる団体などが企画。「抗日戦争77年の今日、日本の侵略の悲惨な教訓を忘れてはならない」とする抗議文を事務所職員に手渡した。参加者らは、集団的自衛権行使容認に反対する横断幕やプラカードも掲げ、「集団的自衛権は侵略参戦権だ」「安倍反動政権を打倒せよ」などと口々に叫んだ。また、安倍晋三首相をヒトラーに見立てた写真を次々に破いて火を付けたが、警備の警察官に阻止された。(引用ここまで 

日本より中国の方が安倍首相をまともに論評をしている!

憲法平和主義をもつ日本のマスコミのだらしなさ浮き彫り!

読売新聞 盧溝橋事件77年、習主席が演説で対日批判 : 国際 2014年07月07日 11時52分

【北京=牧野田亨】日中戦争の発端となった1937年の盧溝橋事件から77年となる7日午前、中国の習近平(シージンピン)国家主席は北京郊外・盧溝橋そばの抗日戦争記念館で開かれた記念式典で演説した。習氏は「抗日戦争と反ファシスト戦争から70年近くなった今日、依然として少数の人々が侵略の歴史を否定、美化し、地域の緊張を引き起こしている」と述べた。名指しは避けながら、昨年12月に靖国神社を参拝した安倍首相を批判したとみられる。 習氏は「歴史は歴史、事実は事実で、だれも変えることはできない。侵略の歴史を否定、歪曲(わいきょく)、美化しようとする者を、中国人民と各国の人々は決して許さない」とも語った。 中国メディアは77年に合わせ、「日本軍国主義復活」への警戒をあおる宣伝工作を大々的に展開。人民日報は7日付社説で、「侵略の否定から靖国神社参拝、集団的自衛権の行使容認と平和憲法の空文化まで、現実は我々に警戒を呼びかけている。日本の右翼勢力が拡大し、軍国主義が復活する危険がある」などとした。Copyright © The Yomiuri Shimbun (引用ここまで 

歴史問題で「日本」をけん制したのではない!

歴史の偽造と憲法平和主義を否定した安倍首相を批判した!

12月南京の式典に安倍首相が参加すればアジアの歴史は劇的に変わる!

日本経済 中国主席、歴史問題で日本をけん制 盧溝橋事件77周年式典で  2014/7/7 12:27

中国の習近平国家主席は7日午前、北京市内の盧溝橋近くの中国人民抗日戦争記念館で、1937年の日中戦争の発端となった盧溝橋事件から77周年を記念する式典に出席した。習氏は演説で「遺憾ながら今日もなお一部の人々が歴史の事実を無視し、歴史の潮流に逆行し、侵略の歴史を美化し、地域に緊張を生み出している」と述べ、歴史問題で日本をけん制した。 中国では抗日戦争に関する記念日を巡り、5年や10年ごとの節目に式典を開くのが通例。今回のように「77年」という節目でない時期に大規模な式典を開き、しかも最高指導者が出席するのは極めて異例だ。中国が今後、対日強硬姿勢をさらに強める可能性がある。 習氏は演説で「侵略の歴史を否定し、ねじ曲げ、美化しようとしても、中国人民は絶対認めない」と強調。名指しは避けたが、靖国神社を参拝した安倍晋三首相ら日本の現政権を批判した。 中国政府は今年2月、9月3日を「抗日戦争勝利の記念日」、12月13日を「南京大虐殺犠牲者への国家哀悼の日」に定めた。両日にも同様に大規模な式典を開く可能性がある。(北京=島田学)(引用ここまで 

「日本側に圧力をかけていく狙い」ではない!

安倍首相の歴史偽造・憲法平和主義否定を批判しているのに!

「対日圧力をさらに強めていく姿勢」だと、安倍首相を応援!

侵略戦争批判の被害国中国と連帯できない加害国の朝日!

朝日新聞 中国·習主席、盧溝橋事件式典に出席 強める対日圧力  2014年7月7日12時57分

日中全面戦争のきっかけとなった盧溝橋事件から77年を迎えた7日、北京市郊外の盧溝橋にある中国人民抗日戦争記念館で開かれた式典で習近平(シーチンピン)国家主席が演説した。最高指導者の参加は極めて異例。歴史問題を巡り、安倍晋三政権に対する圧力を本格的に高めていく姿勢だ。 習氏は演説で「日本の侵略者の野蛮な侵略に対し、全国の人々が命を省みず、偉大な闘争に身を投じた。今も少数の者が歴史の事実を無視しようとしているが、歴史をねじ曲げようとする者を中国と各国の人民は決して認めない」などと強調。中国の抗日戦争を「世界反ファシズム戦争の東の主戦場」と位置づけた。 中国の最高指導者が50周年などの節目の年の終戦記念日前後に同記念館を訪れた例はあるが、7月7日に同記念館を訪れるのは初めて。昨年末の安倍首相による靖国神社参拝を受け、習指導部は旧日本軍による侵略の歴史を改めて内外に強調し、日本側に圧力をかけていく狙いとみられる。一方、李克強首相は6日、訪中したドイツのメルケル首相と会談。「歴史を鏡とすることは未来に目を向け、平和を重んじる助けとなる。中国はドイツを含む各国と、平和な世界をつくる努力をしたい」と発言。名指しは避けつつも、日本を牽制した。メルケル首相は7日夕、習主席とも会談する予定。メディアなども対日歴史キャンペーンを強めている。党機関紙の人民日報は7日、1面に「歴史の悲劇を繰り返させない」との社説を掲載し「日本軍国主義復活の危険がある」などと批判した。歴史資料を保管する中央當(キヘン)案館も戦後、中国で軍事裁判をかけられた旧日本軍人45人の供述書などをサイトで公開し、国営メディアが大々的に報道している。習指導部は来年の終戦70周年を「反ファシズム勝利70周年」として位置づけ、国内外で世論戦を展開していく構え。今月25日を日清戦争の開戦120年の節目として、対日圧力をさらに強めていく姿勢だ。(北京=林望)(引用ここまで

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歴史問題で日本批判を強める可能性などと

安倍政権批判と連帯できない毎日の姿あり!

毎日新聞 中国:盧溝橋事件77年 習主席演説で安倍政権をけん制 2014年07月07日 20時40分

 「依然として少数の者が歴史事実を無視」とも

 【北京・石原聖】日中戦争の発端となった盧溝橋事件(1937年)から77年となった7日、北京市郊外の盧溝橋近くに建つ歴史展示施設「中国人民抗日戦争記念館」で式典が開かれた。習近平国家主席は「依然として少数の者が歴史事実を無視し、侵略の歴史を否定、美化して(中略)地域の緊張をつくり出している」などと演説。名指しこそしなかったが、歴史問題などを念頭に安倍政権をけん制した。 中国メディアによると、「77年」という節目でない時期に大規模な式典を開き、最高指導者が出席するのは初めて。式典は国営中国中央テレビ(CCTV)などが中継。安倍政権が「歴史を歪曲(わいきょく)している」などと批判する識者の見解も伝えた。 中国政府は今年2月、9月3日を「抗日戦争勝利の記念日」、12月13日を「南京大虐殺犠牲者への国家哀悼の日」とそれぞれ制定。「抗日戦勝70年」と位置付ける来年に向け歴史問題で日本批判を強める可能性がある。 式典には軍関係者のほか小中学校の生徒らが参加。7日付の中国紙によると、各地でも記念行事が行われ、江蘇省南京市の「南京大虐殺記念館」は、南京事件などの戦争犠牲者を追悼するウェブサイト「国家公祭網」を開設したり、事件被害者の遺族の登録活動を始めたという。(引用ここまで

FNN 「盧溝橋事件」から77年 習近平主席、式典演説で安倍政権けん制(14/07/07)

日本テレビ 盧溝橋事件から77年·習近平主席が安倍政権を念頭に批判

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