はじめに再稼動ありきには、ムリがある!
再稼動賛成論の矛盾隠しは許せない!
再稼動賛成論にみるフクシマ風化論の本質は
「死の商人利益共同体」の利権優先主義!
次は全国紙です。賛成論を掲げる読売・産経と日経の違い、反対論を掲げる朝日・毎日・中日東京の違いを検証してみました。共通することは、前号で強調したように、原発の事故を前提とした様々な「基準」や「計画」の是非を論ずることそのものが、憲法で保障されている「生存権」の否定になるということを、どの社説も論じていないことです。福井地裁で論じた「人格権」の否定を国家が率先して行うという不道徳が許されるのなら、人権尊重主義を土台とした憲法そのものが揺らぐということです。まさに地震の巣となっている日本列島に原爆を設置していることと同じです。
原発「必要悪」論の奥にあるものは!
ここに最大のゴマカシとスリカエ・トリックがあります。そのトリックの種あかしは、未だ原発が経済に必要不可欠という発想です。「原発必要悪」論です。このことは日米軍事同盟を「抑止力」として容認することと同じ思想構造です。唯一の戦争核兵器被投下国=いわゆる従来の言い方をすれば唯一の被爆国であるにもかかわらず、核兵器の廃絶を迫れない思想構造と同じです。非核三原則の立法化を実現できない思想構造と同じです。この問題については、黒か白かしか有り得ないのです。グレーゾーンは有り得ないのです。何故か。命の問題、国民の生活の安心安全の問題だからです。
「死の商人利益共同体」の思想と論理は国民の立場ではない!
安倍首相は、集団的自衛権行使論を正当化するために、対中朝・テロ「脅威」論を口実にして、「国民の命と安全を守る責任がある。閣議決定と法案によって、日本への攻撃を思いとどまらせることができる」などと言っています。しかし、ここにスリカエがあります。それは、対中朝テロ「脅威」を、非軍事的手段を使って切れ目なく除去するのではなく、放置し、泳がせながら、軍事的手段を優先して、切れ目なく対抗するということで、死の商人=軍事利益共同体の利益を保障するのです。
原発も同じです。原発の、そもそもの危険性・脅威を、取り除くのではなく、様々な「基準」「事故対策」「脅し」などを口実に、地震大国という決定的条件を無視して、また放射性廃棄物の危険性と脅威を野放しにして、死の商人=原発メーカー=原発利益共同体の利益を保障するのです。
両者とも、地元自治体や地域住民・国民の要求などは黙殺するのです。この思想と論理は、死の商人の利益を守ることは、国民の命と生活・暮らしの安全を守ることではないことを浮き彫りにしているということです。安倍首相が国民の命を生活・暮らしを守るというのであれば、国民の意向に沿った丁寧な説明と取り組みができるはずです。しかし、実際にやっていることは世論に逆行しているのです。そこに安倍式国家運営の本質が浮き彫りになるのです。
安倍首相が言うように、「あってはならない」という視点にたつのであれば、国民の命と暮らしの安全安心を守るのであれば、「脅威」の「除去」にこそ、その努力を傾けるべきです。武力行使や戦争、原発の事故が何をもたらしたか、普通に考えれば、その対策は明らかです。そのための「ものさし」は日本国憲法です。
そういう視点にたって、安倍首相の運営について、各紙が何を論じているか、検証してみました。
これが読売の問題・自己矛盾の記述部分だ!
読売の頭ではフクシマは風化している!
「万一、事故が起きた場合」などと、よくも言えるものだと思います。本来は、あってはならないことです。しかし、事故を想定した対策をたてなければならないという自己矛盾に陥っているのです。だから、「避難計画についても、住民への周知徹底が求められる」などと、その自己矛盾を正当化するための方策をもっともらしく立てなければならないのです。「事故が起き」れば、どのようなことになるか、福島の経験は活かされていません。再稼動が前提だからです。
「一方、地震や津波の想定に関する判断の理由は、ほとんど記述されていない。規制委は根拠を明示する責任があるのではないか」と、その無責任さを指摘しているのです。それでも読売は再稼動に賛成するのです。それは最初から再稼動賛成だからです。
「電力供給は綱渡りで、料金高騰が生活と産業を直撃」というのであれば、一刻も早く国内の再生可能エネルギーに転換すべきです!また料金高騰の原因に対する手をうたないのです!
以上の思考回路は、集団的自衛権行使論を正当化する時と同じです。「脅威」を口実にしていること、結論が最初から決まっているのです。だから、結論を正当化するために非現実的な事例を持ち出すのです。そこに破綻は浮き彫りになります。
この場合は、事故が起これば、福島の県民のように生活そのもの、命そのものが失われることになるのです。南九州、鹿児島県ばかりか、西日本から東日本にかけて、どのような悲惨なことが起こるか、「万が一」の場合でも、あってはならないことに対する想像力と創造力が全く欠落していることが判ります。
読売新聞 川内原発「合格」/再稼働への課題をこなそう 2014/7/17 2:00
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/20140716-OYT1T50180.html
原子力発電所の再稼働に向けて前進したが、実現への課題も多い。地元の同意取り付けなどを着実に進めることが重要である。 原子力規制委員会が、九州電力川内原発1、2号機について、新規制基準に「適合している」との審査書案を了承した。 川内原発は、再稼働の前提となる安全審査に、事実上合格したことになる。九電は、今秋にも再稼働を実現したいとしている。新規制基準は、東京電力福島第一原発事故を踏まえ、厳格な安全対策を求めている。川内原発が国内の原発として初めて新基準をクリアし、安全性が確認された意義は大きい。
安全審査でポイントとなったのは、どれくらいの規模の地震や津波を想定するかだった。九電は、備えるべき津波の高さを従来の1・5倍、地震の強度は1・15倍に引き上げた。これに基づいて、浸水対策や設備の耐震補強を進める。もう一点は、福島第一原発事故のような冷却機能の喪失による重大事故を防ぐため、どのような対策を取るかである。非常用電源の増設や取水ポンプの補強、冷却用配管の多重化などの対応策が評価された。規制委は今後、こうした機器や設備の工事計画や、保守点検作業の規定を審査する。工事後の検査も含めれば、最低2~3か月を要する見込みという。地元自治体の理解を得ることも重要だ。川内原発の安全性と再稼働の必要性について、九電はもとより、政府が責任をもって関係者に説明すべきである。
万一、事故が起きた場合の避難計画についても、住民への周知徹底が求められる。
川内原発の審査の経験を、他原発の審査の円滑化に生かすことが大事だ。川内原発以外に11原発17基が安全審査を申請しているが、合格のめどは立っていない。規制委が電力会社に次々にデータの追加提出を要求するなど、非効率な審査をしてきたためだ。川内原発の審査書案は、事故対策の審査経緯を詳しく記述している。これを参考に、電力会社は的確な審査準備に努めてほしい。
一方、地震や津波の想定に関する判断の理由は、ほとんど記述されていない。規制委は根拠を明示する責任があるのではないか。 電力供給は綱渡りで、料金高騰が生活と産業を直撃している。安全審査を加速させ、原発の再稼働を軌道に乗せねばならない。2014年07月17日01時24分 Copyright©TheYomiuriShimbun
産経お得意のウソにちりばめられた主張!最悪最低!不道徳!
矛盾だらけ倒錯した思想と論理を強弁することでゴマカス!
国民世論も、産経の世論調査では国民の9割が「原発廃止」を望んでいる 2014年7月8日
産経 川内原発は、敷地内に活断層もなく審査の難しさが少ない発電所
中日・東京 九州電力川内原発では、大噴火の恐れもある
朝日 川内原発で注目された火山噴火対策については、火山学者が疑問を投げかける
産経 米国の原子力規制委員会が、組織の独立性とともに効率性を重視している
NHK アメリカでは、国が自治体の避難計画を審査し、認可しないかぎり、原発を運転できない制度を取り入れていて、日本でもそうした制度を求める意見が出ています。
産経 規制委の対応は、国力の低下や大規模停電の発生といった社会的リスク
朝日 福井地裁判決は、「原発停止は貿易赤字を増やし、国富流出につながる」という指摘に対し、「豊かな国土に国民が根を下ろして生活していることが国富だ」と断じた。
「規制委の対応は、国力の低下や大規模停電の発生といった社会的リスクの増大は、一顧だに値しないとするかのような印象を与えている。国の行政機関がそれでは責任を果たせまい」という思想には、福島の経験は一顧谷値しないと言っているのです。再稼動優先主義には、原発の社会的リスクより、「国力の低下や大規模停電の発生」の方が優先されるのです。
「原発停止で余分にかかる火力発電の燃料輸入代が年間3・6兆円に達している現状」「毎日、100億円の札束を燃やして電気を得る」などという日本語の奥にある思想は、日本の自然を壊してきた戦後の対米従属を総括でできない産経の思想。日本の自然を資源として、日本の産業を再生していくなどという思想は微塵もありません。あるのは戦前の「鬼畜米英」論を正当化しながら、戦後は対米従属を正当化するという不道徳に気づかない産経の思想が浮き彫りになるだけです。
産經新聞 川内再稼働/早期実現でリスク減図れ 2014/7/17 6:00
http://sankei.jp.msn.com/column/topicslist/../../life/news/140717/trd14071703350002-n1.htm
九州電力川内原子力発電所1、2号機(鹿児島県薩摩川内市)の安全性は、福島事故を教訓とした厳格な新規制基準を満たす水準に達していると原子力規制委員会によって判定された。昨年7月の新規制基準の施行以来、9電力会社が計19基の原発の安全審査を規制委に申請しており、その中での一番乗りだ。国内の全原発48基の停止が続く状況下で、再稼働への扉が開かれようとしていることについては歓迎したい。だが、大規模停電が心配されるこの夏に再稼働が間に合わないのは重大な問題だ。1、2号機に対する規制委の肯定見解などを示した「審査書案」は、これから30日間の意見公募にかけられた後、正規の合格証に相当する「審査書」に昇格する。 このお墨付きを得た上で、地元了解などの手続きが求められるため、実際の再稼働は早くても10月以降の見通しだ。川内原発は、敷地内に活断層もなく審査の難しさが少ない発電所だった。にもかかわらず、合格内定までに1年以上を費やした。当初は半年ほどで終わる見通しであったはずだ。規制委と電力会社間のコミュニケーションの乏しさが最大の原因だろう。審査の長期化を電力会社のせいにしていては規制委の自己改革は進まない。米国の原子力規制委員会が、組織の独立性とともに効率性を重視していることを学んでほしい。
自民党の国会議員の間でも規制委に対し、審査の迅速化を求める声が上がっている。原発停止で余分にかかる火力発電の燃料輸入代が年間3・6兆円に達している現状を考えれば、当然の要請だ。毎日、100億円の札束を燃やして電気を得るという国富の流出に思いを致すべきである。 規制委の対応は、国力の低下や大規模停電の発生といった社会的リスクの増大は、一顧だに値しないとするかのような印象を与えている。国の行政機関がそれでは責任を果たせまい。原発立地地域を含めて、規制委への信頼感が高まらなければ、原子力の安全文化は育たない。今回の審査書案作成の経験を、後続する原発の審査加速に生かすべきだ。関西電力高浜3、4号機や四国電力伊方3号機などへの再稼働の連鎖を期待したい。国も原発の必要性の説明に多くの汗を流すべきことは当然だ。(引用ここまで)
これほど問題を指摘しているのに賛成とは!
起こってはならない原発論が全く欠落している!
福島に責任を持たない国がどうして川内に責任を持てるのか!
「再稼働にはなお多くの課題が残っている」のに賛成するのか!
「国がやるべきことは多い」というのに賛成するのか!
「事故が起きることも想定」するのは有り得ないことではないのか!
「被害を最小にする態勢づくりも国の責任だ」ということも矛盾ではないのか!
「だがこれが模範になったといえるのか」と言っておきながら賛成する無責任は何か!
日本経済新聞 川内再稼働へ国は避難計画で責任果たせ 2014/7/17 4:00
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO74365490X10C14A7EA1000/
原子力発電所の「稼働ゼロ」の解消へ前進といえるが、再稼働にはなお多くの課題が残っている。 原子力規制委員会は九州電力川内原発1、2号機(鹿児島県)の安全審査について、事実上の合格とする「審査書案」を了承した。東京電力福島第1原発の事故を受けて昨年7月に定めた新規制基準に照らし、合格第1号となる。 審査書案自体は妥当だろう。規制基準は重大事故を防ぐため最低限の対策を電力会社に求めた。九電は津波に備えて高さ10メートルの防護壁や非常用電源を設け、火災対策などもほぼ終えた。基準の大枠を満たしているといえる。 だが審査合格は再稼働の必要条件のひとつにすぎない。再稼働には地元の自治体や住民の理解が欠かせない。安倍政権は安全性が確認できた原発の再稼働について「国が前に出て地元の理解を得る」とした。電力会社まかせにせず、国がやるべきことは多い。 まず規制委の説明責任は重い。鹿児島県や地元市町は住民向けの説明会を予定している。そうした場に委員が出向き、審査経過を丁寧に説明するのは当然だ。
政府も再稼働がなぜ必要か、国民に説明を尽くすべきだ。事故が起きることも想定し、被害を最小にする態勢づくりも国の責任だ。 福島の事故後、原発30キロ圏内の自治体は防災計画が義務づけられ、川内では周辺9市町すべてが計画をつくった。だが高齢者や子どもらが安全、迅速に避難できるのかなど、課題が多い。 全国16カ所の原発周辺の135市町村をみても、避難計画がまだない自治体が4割弱にのぼる。自治体には防災の専門知識をもつ職員がほとんどいない。国の中央防災会議が専門家を派遣するなど、政府がもっと支援すべきだ。 規制委は川内のほか11原発17基の安全審査を進めている。川内原発は九電が地震や津波を厳しめに想定し、規制委は優先的に審査してきた。だがこれが模範になったといえるのか。 審査が大詰めの段階で規制委が九電に再三、書類の出し直しを命じるなど、手際の悪さや時間がかかりすぎた印象はぬぐえない。 審査体制を見直し、規制委と、事務局である原子力規制庁の役割分担を明確にする必要がある。審査官の増員も真剣に考えるときだ。原発の安全性をないがしろにすることなく、審査を迅速化することはできるはずだ。(引用ここまで)
愛国者の邪論
どうだったでしょうか。再稼動賛成論の立場に立つ読売・産経・日経の主張の違いと共通点は明らかになったでしょうか?全く無責任極まりないと言っておきましょう。事故が起こり、故郷を失う国民が出た場合、これらの新聞はどうやって責任を取るつもりでしょうか。国民の生活を保障するとでもいうのでしょうか?
これらに共通することのもう一つの側面は、如何なる理由があろうとも、最初から再稼動賛成の立場から論理を組み立てるという屁理屈の塊であるということです。あってはならない原発事故という当然のことをスリカエ・ゴマカシ・トリックを使うのです。全くのデタラメ・大ウソです。こんなマスコミが大手を振って闊歩する日本を、成熟した民主主義国と言えるでしょうか。