佐世保の高1生の殺人事件で欠落している視点は日本国憲法の視点だ!
佐世保の高校1年生が同級生を殺害しました。その殺害の動機、殺害方法など、未だ判らないことがありますが、以下のような社説が出ましたので、検証してみることにしました。
1.このような事件が起こると必ずと言って良いほど「命の大切」が叫ばれること、さらに「動機の解明」についても、同様に強調されることは、この3つの社説をみてもわかります。
2.しかし、度々少年たちが引き起こす凄惨な事件に対して、大人たち、社会が右往左往しているのは、何故か、解決のための糸口は見えてきません。この社説も、同じです。具体的な提案・方向性については、ありません。それが、この種の事件の背景・原因の未解明の困難さと混迷を示していると思います。
3.長崎県では、かつての事件を踏まえて、「県教委は五〜七月の一週間に「心を見つめる教育週間」を設定」して子どもの教育を行ってきたとあります。それでも防ぐことができなかったとあります。しかし、問題は、この学校における取り組みが行われた後に、毎年毎年点検され、その内容について、子どもの反応を含めて検討されてきたかどうか、社説には書かれていません。
4.今回の事件は、長崎で起こったことに特別の意味があるように思いますが、同時にたまたま長崎で起こったという側面もあるかと思います。この種の事件が全国各地で起こってもおかしくない事件と言えます。それは、すでにこの種の凄惨な殺人事件は、大人の事件としてはすでに「全国化」しているからです。
5.「教育の場が、手をこまねいているわけにはいくまい」とありますが、「教育の場」だけでは壊滅できないこことは明らかです。それは、学校における教育がどのような内容で行われているかを観れば明瞭だからです。子どもは学校だけで生活しているのではありません。しかも、その学校に期待されているのは、「命の大切」より以上のものが要求されていることは、誰が見ても明らかなはずです。
6.「人を殺してみたかった」「遺体をバラバラにしてみたかった」という当該生徒の発言、当該生徒の成育歴などから、何を明らかにしていくか、ということは大切・需要なことですが、それ以上に、現在の子どもをめぐる社会状況、「風潮」がどのようになっているか、マスコミは、このことについては、語っていません。「風潮」を形成する伝達手段であるマスメディアの検証は。ほとんどなされていません。
7.「同級生殺害との関係を軽々に論ずることはできないが、大人たちが十分に目配りすべき兆候ではなかったか」という指摘にある「大人たち」が、この当該生徒の関係者たちの「大人たち」を指していることは明らかですが、それにしても、それだけで済ますことができるでしょうか?何故ならば、その「大人たち」が凄惨な事件を引き起こし、その事件がマスメディアによって、日々垂れ流されているからです。
8.子どもをめぐる環境はどうなっているでしょうか?このことは誰もが経験していることです。子どもは大人と社会の、様々な出来事、事件などを観て育ってきていることは明らかです。その際、学校がどのような役割を果たしているか、百人百色です。学校だけで、その子どもの人生が決まる訳ではないはずです。しかも、一般的に言えば、「学校で勉強する目的」は何か。「大人たち」は「命の大切」を学ぶために学校に行っている、行かせている、と本当に考えているでしょうか?
9.安倍首相の教育観はどうなっているでしょうか?第一次政権の時、教育基本法を「改正」しました。その中身はどうでしょうか?そして第二次政権では何を「改正」 しようとしているでしょうか?安倍首相が強調している「教育再生」の目玉の一つは「道徳教育の教科化」です。これらの中身は「命の大切」を中心に据えているでしょうか?
10.戦後自民党政権は、「命の大切」を軸にした教育をしてきたなどとは言えない教育政策を行ってきたことを強調しておかなければなりません。憲法9条を否定することに象徴的です。何故か。憲法9条こそ、「命の大切」を最も集中的に表現したものはないからです。
それは、「国際紛争」を解決する手段として「国家」によっておこされる「戦争」と「武力行使」、そして武力による「威嚇」を「永久に放棄」するということでした。では、「国際紛争」を解決する手段として「国家」が保持しているものは何か、です。それは、「いずれの国家も自国のことのみ専念して他国を無視してはならない」という原則に基づいて、徹底して、どんな国家とも、民族とも、人間とも対等平等に向き合って、「戦争以外の、そして武力行使以外の、さらには武力による威嚇以外の手段」を使って解決するという原則でした。このことを国家運営の、個人間の原則として、多様に使いこなすこと、「不断の努力」を傾けることを、憲法は、政府と国民に要求したのが、憲法に明記されているのです。
ところが、こうした国家と国民への「責務」「責任」「義務」を形骸化してきたのが、前後自民党政権だったことは、国民が、憲法9条について、どのような教育を受けてきたか、自分の胸に手を当てて考えてみれば明瞭なはずです。
11.愛国者の邪論は、「命の大切」と「人間の尊厳」について明記した日本の最高法規である日本国憲法を、あらゆる教科。科目、学校行事など、学校におけるあらゆる分野で具体化していく教育が徹底されていれば、日本の「風土」として、世界に誇れる教育が実現しているだろうと確信しています。
12.ところが、進行しているのは、憲法を活かす学習よりもむしろ、形骸化と変更する内容が全国各地で横行しているのではないかと思っているのです。それは、憲法学習と平和教育が、どれだけ行われているかを観れば明瞭です。
あの侵略戦争で命を奪われた国民の体験がどれだけ教材化され、「命の大切」を学ぶ機会とされているか、これこそが試金石と言えます。安倍首相など、靖国神社に参拝している閣僚が繰り返し述べている「英霊に尊崇の念」は「命の大切」の教材になるでしょうか?下村文科大臣が賞賛した「教育勅語」は、「命の大切」の教材になるでしょうか?勿論、「反面教師」として位置付けるのであれば、格好の教材と言えますが、彼らは、そのような立場をtっているでしょうか?
というように、現在進められている政治の中に、あるいは社会の「風潮」の中に、どれだけの「命の大切」が、子どもに伝達継承されているか、ここが最大のポイントのような気がします。
特に、ナガサキ・オキナワやヒロシマは特別の意味をもっているのです。もちろん各地においても、戦争「犠牲者」がたくさんおられるはずです。この場合は、被害者であると同時に加害者でもあるわけです。教材はたくさんあるのです。しかし、このこのような実践は「自虐的」という烙印が押されてしまうことがあるでしょう。
それにしても、真の戦争加害者と被害者の実相に迫ることで、「命の大切」を学習することに期待してみることにしましょう。こうした視点で実相が明らかになれば、日本の戦争「風潮」は、もっと定まったものになることでしょう!それでは、ご検討ください。なお、この点については、この間度々記事にしてきましたので、そちらの方をご覧ください。
道徳教育教科化に教育勅語復活を企図煽動の産経!侵略戦争正当化・真実隠蔽・教唆煽動罪でレッドカード! 2014年4月12日
http://blog.goo.ne.jp/aikokusyanozyaron/d/20140412
安倍政権の「教育勅語道徳教育」に大喝!日本国憲法に基づく新「道徳教育」論の徹底化こそがいじめを解決!2013年3月18日
http://blog.goo.ne.jp/aikokusyanozyaron/d/20130318
それでは、社説をご覧ください。
なぜ、命が大切か。実感を持たせる努力の中身は何か!
中日/東京新聞 同級生殺害/「命の大切さ」何度でも 2014/7/29 10:00
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2014072902000171.html
加害少女の心に、どんな闇が広がっていたのだろう。伝えられる状況の凄惨(せいさん)さには言葉を失うばかりである。理不尽な事件が続かぬように、命の大切さを実感させる努力を繰り返さねばなるまい。
クラスメートを殺害した容疑で長崎県佐世保市の県立高校一年の女子生徒が逮捕された。事件は社会に大きな衝撃を与えている。遺体は一部が切断され、犯行に使われたとされるハンマーやのこぎりとともに、加害少女が一人暮らしをしているマンションで見つかった。逮捕された少女は「全て自分一人でやった」と犯行を認め、動機については「遺体をバラバラにしてみたかった」という趣旨の供述をしているという。
二人が通っていた高校は「二人の間にトラブルがあったとは把握していない」としている。
なぜ、事件が起きたのか。分からないことはあまりにも多い。警察には、理不尽な犯行に至った経緯の徹底的な解明を求めたい。
長崎県では、二〇〇三年に長崎市で中学一年の少年が四歳の男児を誘拐、殺害する事件、翌〇四年には、佐世保市で小学六年の女児が同級生を切り付けて殺害する事件が起きた。両事件を受けて、県教委は五〜七月の一週間に「心を見つめる教育週間」を設定。佐世保市教委も六月を「いのちを見つめる強調月間」とし、子どもたちに命の尊さを考えてもらう講演会や悩み相談を続けてきた。二人が卒業した中学校でも、命を考える授業の参観や弁論大会などが行われていた。再度の事件発生に、地元の教育関係者の衝撃、動揺は大きい。
なぜ、防げなかったのか。
警察庁によると、一三年に殺人罪で摘発された未成年は全国で五十五人。そのうち二十四人が小中高生だった。一二年は四十七人中二十一人が中高生だった。教育の場が、手をこまねいているわけにはいくまい。今回の事件では、加害少女は小学生時代、同級生の給食に洗剤などの異物を混入させたことがあったという。小動物を解剖する問題行動があったともいう。同級生殺害との関係を軽々に論ずることはできないが、大人たちが十分に目配りすべき兆候ではなかったか。事件を起こした少年少女は、命にどんな感覚を持っていたのだろう。なぜ、命が大切か。実感を持たせる努力は、何度でも繰り返さなければなるまい。(引用ここまで)
少女は勉強好きで知られていたのに何故?
勉強と命の大切がリンクしないのは?
信濃毎日 同級生殺害/心の闇 解明し共有化を 2014/7/30 10:05
http://www.shinmai.co.jp/news/20140730/KT140729ETI090009000.php
「人を殺してみたかった」。長崎県佐世保市の高1女子殺害事件で逮捕された同級生の16歳少女は、こう供述しているという。
同じ理由で殺人を犯した少年事件は過去にもあった。ただ、事件の全体像は明らかにされず、十分な対策にもつながっていないのが現状だ。
今回の事件は、加害少女の心の中にどんな闇が広がっていたのか。解明すると同時に、その結果を社会で共有化し、再発防止を考えることが必要だ。
少女が1人で暮らしていたマンションで見つかった遺体は、首と左手首が切断されていた。腹部も大きく切り開かれていた。少女は「遺体を解体してみたかった」という供述もしている。反省の言葉は聞かれない。
長野県精神保健福祉センターの小泉典章所長は「生と死の境界が薄くなり、死の痛みが分からない状態」とみている。少女は勉強好きで知られていた。一方で、小学6年の時に同級生の給食に洗剤を混入させる問題を起こしている。ネコなどを解剖したこともあったという。これらを今回の事件の兆候ととらえることができるのだろうか。
2000年5月、愛知県豊川市で当時17歳の男子高校生が、見ず知らずの主婦を金づちと包丁で殺害する事件があった。この時も高校生は「人を殺す経験がしてみたかった」と供述している。検察が依頼した精神鑑定では、精神障害はなく、完全な責任能力があると判断された。その後、家裁が依頼した再鑑定ではアスペルガー障害という発達障害があり、療養が望ましいとされた。高校生は刑事裁判に出ることなく、医療少年院に送られた。精神鑑定の内容も家裁の少年審判も非公開だった。少年法が犯罪少年の保護に重きを置いているためだが、詳しい背景や動機は社会に知らされないままになった。事件を取材して本にまとめたノンフィクションライターの藤井誠二氏は、再発防止策を議論や研究しようにも材料がないと訴えている。
佐世保事件の少女は今後、家裁に送致され、少年審判を受けるとみられる。刑事処分相当と判断されれば検察に送致(逆送)され、起訴されて裁判員裁判に出る可能性がある。そうでなければ少年院送致などの保護処分となる。いずれにしても、一連の手続きの中で明らかになったことはプライバシーに配慮した上で公表されるべきだ。それが「命を大切にする教育」の土台になる。(引用ここまで)
命の尊さを繰り返し説いていくことは重要だが、その中身は何か!
沖縄タイムス 高1同級生殺害/命の尊さ説き続けよう 2014/7/30 8:06
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=78268
いったい少女の心に何が起きていたのか。目を覆いたくなるような凶行に走らせたのは何か。あまりにも衝撃的な事件である。長崎県佐世保市でクラスメートを殺害した容疑で高校1年の女子生徒が逮捕された。遺体は逮捕された女子生徒が1人で暮らしているマンションで見つかった。首と左手首が切断され、犯行に使ったとみられるハンマーやのこぎりがそばにあった。女子生徒は「すべて1人でやった」と供述し、遺体切断も認めた。動機について女子生徒は「人を殺してみたかった」「遺体を解体してみたかった」という趣旨の供述をしているという。言葉を失う。警察は、殺害後に遺体を解剖しようとした可能性もあるとみており、精神鑑定を求めることも検討しているという。凄惨(せいさん)な犯行に至る経緯を明らかにするとともに、殺害当時の女子生徒の心理状態を解明することが不可欠だ。
2人が通う高校は「2人の間にトラブルがあったとは把握していない」としている。女子生徒は「会いたいと自分から誘った。殺すために自分の部屋に2人で行った」と供述しているという。一方で被害者に対して「個人的な恨みはなかった」とも話し、警察の捜査でもトラブルは確認できなかったとしている。
不可解なことが多すぎる事件である。識者は「怨念が蓄積されなければ、遺体をこうした状態にするようなエネルギーは出ない」と言う。少女が抱えた心の闇をどう解き明かしていくのか。深く重い課題である。
事件は防げなかったのか。
逮捕された女子生徒は、母親を昨年病気で亡くした。父親は再婚し、生徒は実家を出て1人暮らしを始めた。小学校時代からスポーツに打ち込み好成績を残した一方で、小学生の時、給食に洗剤を混入させる問題行動を起こしている。過去に小動物を解剖したこともあるという。子どもの問題行動は、周囲の大人に対するSOSのサインである場合が少なくない。 女子生徒が通う高校では、生徒が1人暮らしであることや家庭環境は把握していたとするが、生徒は1学期に3日しか登校していなかった。中学時代の担任教諭が週1回程度訪ね、相談に乗ったりしていたという。
事件との関連は不明だが、母親の死などが、女子生徒の大きなストレスになった可能性がある。高校側の対応は十分だったのか、専門家も交えた検証が必要であろう。
佐世保市では、2004年に小学6年の女児が同級生をカッターナイフで切り付け殺害する事件が起きた。市は6月を「いのちを見つめる強調月間」とし、命の尊さを学ぶ行事を続けている。事件から10年を迎えた先月1日には、事件のあった小学校で集会があり、「自分とみんなの命を大切にします」と誓ったばかりだった。
教育関係者や地域社会の衝撃は計り知れない。だが、命の尊さを繰り返し説いていくことが重要だ。今回の事件を起こした女子生徒が、命の大切さに向き合うためにも.(引用ここまで)