特攻は志願の名を借りた無責任・身勝手な人殺しだった!
殺されれば「ご英霊」!生きて帰れば「面汚し」!
愛国者の邪論が指摘しているのは、安倍首相の70年談話ですが、村山談話では、日本国民への「お詫び」もありましたが、この問題はスルーするつもりでしょうね。マスコミも、臣民である国民に対して、以下の記事にあるような事実に対して、70年談話問題として位置付けたものはないように思います。
ここに70年問題が侵略戦争の反省の上に制定された日本国憲法を形骸化し否定する目論見が透けて視えてきます。このことは安倍首相派の『未来志向』論とリンクしていることを視れば、いっそう明らかになります。侵略戦争を教訓化しない安倍首相が狙うことは何か!向かうところは同じです。現代版「大東亜亜共栄圏」論です。今風に言えば『地球儀を俯瞰してアメリカとどこまでも!』
それでは、安倍首相が絶対に語らない事実をあげておきます。ご覧ください。
今日の一言 上官は 出撃しない。 上官に目をかけられている者は 指名されなかった。http://ryuma681.blog47.fc2.com/blog-entry-1238.html
琉球新報
毎日 特攻70年:「神風」犠牲4000人 9機に1機だった命中率 2014年10月24日http://mainichi.jp/feature/news/20141024mog00m040005000c.html
70年前の1944年10月25日、日本海軍の「神風特別攻撃隊」がフィリピン沖海戦で米海軍艦艇に初めて突入した。生還を許さない航空特攻の始まりで、終戦までの戦死者は約4000人ともされる。この体当たり攻撃の効果を、大本営は「9機に1機の命中率」と冷徹に試算。「大型艦に対しては致命的打撃威力を発揮できない」との査定も下していた。ノンフィクション作家の保阪正康さん(74)は「特攻は日本の恥部。美化することは、それを命じた軍当局と変わらない」と指弾する。【高橋昌紀/デジタル報道センター】
旧防衛庁防衛研修所戦史室が編さんした「戦史叢書」によると、沖縄戦(1945年3〜6月)での戦果を基に、海軍は終戦間近に特攻機の予期命中率を算出。対機動部隊で9分の1(約11%)、対上陸船団で6分の1(約17%)と見積もったという。特攻作戦が始まったフィリピン沖海戦時は約27%としており、実際の命中率は大幅に低下していた。
このことは▽搭乗員の練度の低下▽航空機材の品質低下▽米海軍の対策向上−−などが影響している。零式艦上戦闘機(ゼロ戦)をはじめとする日本機の弱点は防弾性能の低さにあり、生還率に直結した。開戦当初のベテラン搭乗員の半数以上は44年前半までに戦死。45年3月時点で、主力航空部隊の搭乗員(偵察員を含む)計2661人のうち、技量未熟で錬成が必要な「技量D」の搭乗員は4割超にものぼった。
最高速500キロを超えるゼロ戦であっても、特攻用に爆装をすれば性能低下は避けられない。最高速200〜300キロ程度の練習機や偵察機となれば、なおさらだった。米軍艦艇の警戒レーダーに探知され、米艦載機の統制された迎撃を受け、未熟な搭乗員と劣悪な機材では被撃墜率が高まるのは当然だった。命中しても、上部構造物の破壊だけでは大型軍艦は通常沈没しない。大本営海軍参謀部が「現有特攻機の装備と攻撃法では貫徹力不十分」と認識しながらも、特攻出撃は終戦の日まで繰り返された。
航空特攻で撃沈された連合軍の正規空母、戦艦、巡洋艦はゼロ。「『海軍のバカヤロー』と叫び、突入した隊員もいる」。保阪さんは自身の取材に基づいた秘話を明かす。隊員を思うと涙を禁じ得ず、軍司令官や参謀らには怒りを感じるという。「エリートは前線に行かず、戦争を美化する。十分な検証が無くては、同じような過ちを繰り返してしまう」と警鐘を鳴らす。(引用ここまで)
ご英霊に尊崇の念、哀悼の誠を捧げる前に
この無責任に一言を!
日本海軍 400時間の証言 第一回 開戦 海軍あって国家なし http://www.nhk.or.jp/special/detail/2009/0809/index.html
『日本海軍400時間の証言: 軍令部・参謀たちが語った敗戦』(NHKスペシャル取材班著、新潮文庫、2014年)をご紹介し 投稿者 五月晴郎 日時 2014 年 8 月 13 日 11:14:06:
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/814.html
NHKオンデマンド Nスペ 日本海軍 400時間の証言 https://www.nhk-ondemand.jp/program/P201200100800000/
日本海軍400時間の証言―軍令部·参謀たちが語った敗戦 - 新潮社 2014年8月1日https://www.shinchosha.co.jp/book/128373/
第165回『終戦と放送』【13】「海軍反省会」の衝撃(09・12・4記)http://www2u.biglobe.ne.jp/~akiyama/no165.htm
治安維持法で虐殺した「国賊・非国民」には
事実に責任と反省とお詫びはなしか?
毎日 小林多喜二:最期、隣室収監の学者が書簡に記す 拷問受け、一言も口利けず
小林多喜二:最期、隣室収監の学者が書簡に記す 拷問受け、一言も口利けず 多喜二が獄死する前後の様子を記した書簡。左上の図は監房の見取り図=北海道小樽市で プロレタリア作家、小林多喜二が1933年に築地署(東京都)で獄死する前後の様子を、同時期に収監されていた...2015年02月17日