愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

テレビも新聞も4.29英国における安倍晋三首相の記者会見のデタラメを何故糺さない!首相を辞任しなければならない会見だろう!官邸のHPには質問掲載もせず!記者の堕落を糾弾し中身を検証する!簡単なことだ!

2017-05-02 | 安倍語録

19世紀から20世紀大英帝国の歴史的犯罪を隠蔽し美化!

北朝鮮「脅威・危機」論を扇動しながら対話と交流をサボる!

憲法平和主義と非核三原則を全く無視する外交!

安倍晋三首相の言動を見れば

北朝鮮の「危機・脅威」は、実はウソ!

千島放棄=アッツ島の『玉砕』皇軍兵士=『英霊』冒とく!

靖国参拝の偽善!

明恵夫人の関与を話した籠池氏発言を質すことなく隠ぺい!

森友学園の8億円『勉強』問題に関与した場合

「議員辞職する」と発言しているのだ!

平成29年4月29日 内外記者会見

http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/statement/2017/0429kaiken.html

【安倍総理冒頭発言】
1年ぶりにロンドンにやってまいりました。いつも変わらぬ、イギリス国民の皆さんのおもてなしに改めて心から感謝したいと思います。まず冒頭、先般、正にここロンドンで発生したテロ事件により犠牲となった方々に、改めて心より哀悼の意を表します。罪のない人々の命を無残に奪う、非道、卑劣なテロは断じて許されない。断固非難します。日本はこれからも、イギリスを始め国際社会と手を携えて、テロとの闘いを続けてまいります。
自由、民主主義、人権、法の支配。悠久の歴史を刻んできたこのロンドンの地に立つ時、こうした普遍的な価値をつくり上げ、そして堅く守り続けてきたイギリス国民の皆さんの数世紀にわたる努力に、深甚なる敬意を表します。そして、これらの普遍的な価値こそが、イギリスのみならず世界の平和と繁栄の礎となってきたこうした価値を共有する私たちG7は、これまでも、今も、そしてこれからも、世界の平和と繁栄に大きな責任をもつ、国際秩序のけん引者であります。

愛国者の邪論 イギリスの植民地主義が世界にどんな不幸をもたらしたか!隠ぺいしています。日本の恥!世界史を再学習することを要求します。同時に、このようなデタラメを吐く首相に対して、各社の記者は黙ったいたのでしょうか!何故正さなかったのでしょうか!堕落極まりなし!

しかし、今、こうした価値、国際秩序が脅かされている。世界の平和と繁栄が、重大な危機に直面しています。国際社会の強い警告にもかかわらず、北朝鮮が本日またも弾道ミサイルの発射を強行しました。我が国に対する重大な脅威であり、断じて容認できません。強く非難します。更なる挑発の可能性も十分に考えられることから、引き続き、同盟国である米国とも緊密に連携しながら、高度の警戒態勢を維持し、国民の安全確保に万全を期してまいります。我が国として、毅然として対応してまいります。北朝鮮は国際社会の制止を無視して、この1年間で20発以上もの弾道ミサイルの発射を強行し、核兵器の開発を続けています。国連安保理決議への明確な違反であり、国際社会に対する明白な挑戦であります。今こそ、基本的な価値を共有する国々が結束しなければならない。国際社会は一致団結しなければなりません。昨日の日英首脳会談では、メイ首相とその強い決意を共有しました。

愛国者の邪論 いつもの北朝鮮脅威論と危機論です。それほど緊張しているのであれば、夜な夜な会食などできるはずはありません。安倍首相が「脅威・危機」を叫べば、叫ぶほど、そのデタラメを追及すべきです。ここでも各社の記者は何をしていたのでしょうか!まったくケシカラン話です。

日本は強い英国、強い欧州を支持します。欧州全体の結束がしっかりと維持されながら、英国のEU離脱が円滑かつ成功裏に実現することが必要です。そして、国際社会が直面する諸課題にグローバルな英国が積極的な役割を果たすことを強く期待しています。

愛国者の邪論 英国のEU離脱を支持!ホントか!ドイツ・フランスには何と言うのでしょうか!ここでも場当たりその場しのぎのデタラメ首相が浮き彫りです

北朝鮮には、安保理決議を遵守し、危険な挑発行為をやめ自制するよう強く求める。この点で、一昨日、ロシアのプーチン大統領とも一致いたしました。そして、北朝鮮と国境を接するロシア、中国、さらには日米韓が緊密に協力して、この事態に対処しなければならないとの認識でも一致しました。モスクワでは、北朝鮮情勢のみならず、シリア情勢など世界の諸課題について率直な話合いを行いました国際的な課題の解決に、ロシアの建設的な関与は不可欠であります。私は、これからもプーチン大統領と対話を続け、こうした課題に共に連携していく考えであります

愛国者の邪論 全くのデタラメです!金正恩氏・習近平氏とも「対話を続け、こうした課題に共に連携」していくべきです。各社の記者は、この点を糺さなかったのでしょうか!

そうした中で、戦後70年以上がたった今でも、日本とロシアとの間には、平和条約が締結されていない。これは極めて異常な状態であります。日本とロシアの協力には無限の可能性が眠っています。しかし、平和条約がないことが、長年、そうした協力を深化させる上で大きな障害となってきました。私とプーチン大統領とで、この平和条約問題を解決する昨年末、長門会談で合意した、その真摯な決意の上に、今回の日露首脳会談では平和条約交渉を着実に前進させることができたと考えています。平和条約交渉の一環として、北方四島における共同経済活動、そして、島民の皆さんの自由なお墓参りの実現に向け、今回は大きな一歩を踏み出すことができました。共同経済活動の具体化に向けて、来月中に官民による現地調査団を派遣します。6月には、島民の皆さんが身体的な負担の少ない飛行機を利用して、択捉島や国後島でのお墓参りに行けるようになります。どの島に行くにも、まずは国後島の沖で出入域手続をしなければならなかった島民の皆さんの不便も解消します。島民の皆さんの平均年齢は、既に81歳を超えています。もう時間がない。そう語る島民の皆さんの切実な思いを、深く胸に刻みながら、今後とも具体的な結果を積み重ねていく決意であります。平和条約を締結する上で最も重要なのは、日露両国民の信頼関係であります。相互の信頼なくして、双方が受け入れ可能な解決策を見いだし、平和条約締結というゴールにたどり着くことはできません。そのためにも、北方四島、さらには北海道、サハリンなど、広く極東地域の人的な交流も拡大していきたい。8項目の経済協力プランについても更なる具体化を進めていきたいと考えています。

愛国者の邪論 決定的な欠陥が、ここでも浮き彫りなりました。「千島列島」論は、全く破棄しているのです。これではアッツ島で「玉砕」を強いられた『英霊』は怒るでしょう!何のための『防衛』だったのか!何のための「戦死」だったのか!『英霊』『尊崇の念感謝』論のデタラメが、ここでも浮き彫りになりました。日本の『保守』を自認している人々、靖国信奉者の皆さんは、怒らないのでしょうか!全く理解できません!如何に『靖国信奉」がデタラメか!糾弾しなければなりません!『英霊』に対する冒とくそのものです。不道徳極まりなし!恥を知れ!ということです。

北朝鮮とも平和条約を締結すべきです。いやいや朝鮮戦争の休戦状態に終止符うつべきです。それが戦前植民地としてきた日本の責務です。朝鮮半島の非核化を言うのであれば、憲法平和主義を使った対話と交流を多様に発展させること、非核三原則を具体化することです。朝鮮半島を含めた東アジア全体を非核三原則と憲法平和主義を具体化した非核地帯にすべきです。そのためにも非核地帯条約を締結すべきです。それを提唱できるのは日本政府だけです。安倍政権ができなければ安倍政権に代わる政権が実行すべきです。

さて、日本では、今日からいよいよゴールデンウィークが始まりました。休日返上でお仕事という方もいらっしゃるかもしれませんが、今年は3日から7日まで5連休もあります。安倍内閣は、現在、働き方改革を進めています。仕事の生産性を上げるためにも、めりはりをつけてワークライフバランスを確保することが極めて重要です。こうした機会を生かし、時には仕事を忘れて休日を楽しんでいただきたいと思います。政府も常に課題山積ではありますが、そうした課題にしっかりと対処していくためにも、このゴールデンウィークは私も十分に英気を養いたいと考えております。私からは以上であります。(引用ここまで

愛国者の邪論 「更なる挑発の可能性も十分に考えられることから、引き続き、同盟国である米国とも緊密に連携しながら、高度の警戒態勢を維持し、国民の安全確保に万全を期してまいります」という言葉が、全くのデタラメ、ウソ、詭弁であることが、記者会見の中で浮き彫りになっています。安倍晋三首相の思考回路には、前段の自分の発言と最後の自分の発言は、全くつながっていない!異常です。記者は何故、質問しなかったのでしょうか!

しかも、異常なことは、官邸のホームページには記者の質問の記録が全く削除されていることです。ケシカラン話です。このことを各社は問題にしているのでしょうか!?少なくともテレビのニュースは、この事実を全くスルー・黙殺・隠ぺいしています。

情報伝達手段のテレビとしての責任全くなし!国民に情報を伝達する責務の自覚全くなし!

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「終戦の詔書」を読むと安倍晋三首相の『道半ば』論が浮き彫りになる!絶対に自らの誤りを臣民・国民に認めない!責任を回避する!

2017-05-02 | 安倍語録

これが敗戦の詔書のキーワードだ!

「朕カ帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応セシムルニ至レル所以」

大元帥・現人神としての自己責任回避に徹す!

「時運」のため!と正当化!

責任は「残虐なる爆弾の使用」と正当化!

であるならば「核兵器抑止力」論は絶対に容認できない!

朕の考えは皇祖皇宗の遺範に従っているので間違いはなし

国体ヲ護持シ得テ神州ノ不滅ヲ信シ国体ノ精華ヲ発揚シ

堪へ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ヒ

太平・大道・世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ

朕カ意ヲ体セヨ

万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ

帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾ルニ出テ他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス

敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル

交戦ヲ継続セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス人類ノ文明ヲモ破却スヘシ

 

斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ

終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス

五内為ニ裂ク

朕ノ深ク軫念スル所ナリ

尋常ニアラス

臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル

時運ノ趨ク所堪へ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス

国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ

為ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム

神州ノ不滅ヲ信シ

国体ノ精華ヲ発揚シ

世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ

爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ体セヨ

「米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書」を読むと、現在に日朝関係が浮き彫りになる!安倍晋三首相!金正恩労働党委員長!米英は現在の常任理事国! 2017-05-02 | 安倍語録

 

 

終戦の詔書(口語訳付き)『別冊正論』 24号「再認識『終戦』」

http://ironna.jp/article/1855

朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク

朕(ちん)深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑(かんが)ミ 非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ 茲(ここ)ニ忠良ナル爾(なんじ)臣民(しんみん)ニ告ク(ぐ)

朕深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み、非常の措置を以て時局を収拾しようと思い、ここに忠良なる汝(なんじ)ら帝国国民に告ぐ。

朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ 其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ

朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ 其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ

朕は帝国政府をして米英支ソ四国に対し、その共同宣言(ポツダム宣言)を受諾することを通告させたのである。

抑々帝国臣民ノ康寧ヲ図リ万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所

抑々(そもそも)帝国臣民ノ康寧(こうねい)ヲ図リ万邦共栄ノ楽ヲ偕(とも)ニスルハ 皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサ(ざ)ル所

そもそも帝国国民の健全を図り、万邦共栄の楽しみを共にするは、天照大神、神武天皇はじめ歴代天皇が遺された範であり、朕は常々心掛けている。

曩ニ米英二国ニ宣戦セル所以モ亦実ニ帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾ルニ出テ他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス

曩(さき)ニ米英二国ニ宣戦セル所以モ亦 実ニ帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾(しよき)スルニ出(い)テ(で) 他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ(が)如キハ固(もと)ヨリ朕カ(が)志ニアラス(ず)

先に米英二国に宣戦した理由もまた、実に帝国の自存と東亜の安定とを切に願うことから出たもので、他国の主権を否定して領土を侵すようなことはもとより朕の志にあらず。

然ルニ交戦已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海将兵ノ勇戦朕カ百僚有司ノ励精朕カ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ尽セルニ拘ラス戦局必スシモ好転セス

然(しか)ルニ交戰已ニ四歳(しさい)ヲ閲(けみ)シ 朕カ(が)陸海将兵ノ勇戦 朕カ(が)百僚有司ノ励精 朕カ(が)一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ尽セルニ拘(かかわ)ラス(ず) 戦局必ス(ず)シモ好転セス(ず)

しかるに交戦すでに四年を経ており、朕が陸海将兵の勇戦、朕が官僚官吏の精勤、朕が一億国民の奉公、それぞれ最善を尽くすにかかわらず、戦局は必ずしも好転せず

世界ノ大勢亦我ニ利アラス

世界ノ大勢亦我ニ利アラス(ず)

世界の大勢もまた我に有利ではない。

加之敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル

加之(しかのみならず)敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ 頻(しきり)ニ無辜(むこ)ヲ殺傷シ惨害ノ及フ(ぶ)所(ところ) 真(しん)ニ測ルヘカラサ(ざ)ルニ至ル 

こればかりか、敵は新たに残虐な爆弾を使用して、多くの罪なき民を殺傷しており、惨害どこまで及ぶかは実に測り知れない事態となった

而モ尚交戦ヲ継続セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス

而(しかも)モ尚(なお)交戦ヲ継続セムカ 終(つい)ニ我カ(が)民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス(ず)

しかもなお交戦を続けるというのか。それは我が民族の滅亡をきたすのみならず、

延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ

延(ひい)テ人類ノ文明ヲモ破却(はきやく)スヘ(べ)シ

ひいては人類の文明をも破滅させるはずである。

斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ

斯クノ如クムハ(ごとくんば)朕何ヲ似テカ億兆ノ赤子ヲ保(ほ)シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ

そうなってしまえば朕はどのようにして一億国民の子孫を保ち、皇祖・皇宗の神霊に詫びるのか。

是レ朕カ帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応セシムルニ至レル所以ナリ

是レ朕カ(が)帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応セ(ぜ)シムルニ至レル所以ナリ

これが帝国政府をして共同宣言に応じさせるに至ったゆえんである。

朕ハ帝国ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス

朕ハ帝国ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対し遺憾ノ意ヲ表セサ(ざ)ルヲ得ス(ず)

朕は帝国と共に終始東亜の解放に協力した同盟諸国に対し、遺憾の意を表せざるを得ない。

帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内為ニ裂ク

帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ(じ)非命ニ斃(たお)レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ(ば)五(ご)内(ない)為(ため)ニ裂ク

帝国国民には戦陣に散り、職場に殉じ、戦災に斃れた者及びその遺族に想いを致せば、それだけで五内(ごだい)(玉音は「ごない」。五臓)引き裂かれる。

且戦傷ヲ負イ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ

且(かつ)戦傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙(こうむ)リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ 朕ノ深ク軫(しん)念(ねん)スル所ナリ

且つまた戦傷を負い、戦災を被り、家も仕事も失ってしまった者へどう手を差し伸べるかに至っては、朕が深く心痛むところである。

惟フニ今後帝国ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス

惟(おも)フニ今後帝国ノ受クヘキ苦難ハ固(もと)ヨリ尋常ニアラス

思慮するに、帝国が今後受けなくてなたない苦難は当然のこと尋常ではない。

臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル

爾臣民ノ衷情(ちゆうじよう)モ朕善ク之ヲ知ル

汝ら国民の衷心も朕はよく理解している。

然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪へ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス

然レト(ど)モ朕ハ時運ノ趨(おもむ)ク所堪(た)ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ(び)難キヲ忍ヒ(び) 以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス

しかしながら朕は時運がこうなったからには堪えがたきを堪え忍びがたきを忍び、子々孫々のために太平を拓くことを願う。

朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ

朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ 忠良ナル爾臣民ノ赤誠(せきせい)ニ信倚(しんい)シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ

朕は今、国としての日本を護持することができ、忠良な汝ら国民のひたすらなる誠意に信拠し、常に汝ら国民と共にいる。

若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ乱リ為ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム

若(も)シ夫(そ)レ情ノ激スル所濫(みだり)ニ事端(じたん)ヲ滋(しげ)クシ或ハ同胞排擠(はいせい)互ニ時局ヲ乱(みだ)リ 為ニ大道(だいどう)ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ(が)如キハ朕最モ之ヲ戒ム 

もし感情の激するままみだりに事を起こし、あるいは同胞を陥れて互いに時局を乱し、ために大道を踏み誤り、世界に対し信義を失うことは、朕が最も戒めるところである。

宜シク挙国一家子孫相伝ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ

宜(よろ)シク挙国一家子孫相伝へ 確(かた)ク神州ノ不滅ヲ信シ(じ) 任(にん)重クシテ道遠キヲ念(おも)ヒ 総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ 道義ヲ篤(あつ)クシ志操ヲ鞏(かた)クシ 誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運(しんうん)ニ後(おく)レサ(ざ)ラムコトヲ期スヘ(べ)シ 

よろしく国を挙げて一家となり皆で子孫をつなぎ、固く神州日本の不滅を信じ、担う使命は重く進む道程の遠いことを覚悟し、総力を将来の建設に傾け、道義を大切に志操堅固にして、日本の光栄なる真髄を発揚し、世界の進歩発展に後れぬよう心に期すべし。

爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ体セヨ

爾臣民其レ克ク朕カ(が)意ヲ体(たい)セヨ

汝ら国民よ、朕が真意をよく汲み全身全霊で受け止めよ。

御名御璽

昭和二十年八月十四日
内閣総理大臣 男爵 鈴木貫太郎
海軍大臣 米内光政
司法大臣 松阪広政
陸軍大臣 阿南惟幾
軍需大臣 豊田貞次郎
厚生大臣 岡田忠彦
国務大臣 桜井兵五郎
国務大臣 左近司政三
国務大臣 下村宏
大蔵大臣 広瀬豊作
文部大臣 太田耕造
農商大臣 石黒忠篤
内務大臣 安倍源基
外務大臣兼大東亜大臣 東郷茂徳
国務大臣 安井藤治
運輸大臣 小日山直登
 
天皇の戦争指導責任不問は
現代日本の「無責任文化」として継承されている!
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「米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書」を読むと、現在の日朝関係が浮き彫りになる!安倍晋三首相!金正恩労働党委員長!米英は現在の常任理事国!

2017-05-02 | 安倍語録

 

これが開戦の詔書のキーワードだ!

安倍晋三首相の発言の原点はここにあり!思考回路はそのままま!

もう一人いる!

かの国の委員長様!

いずれも「平和」を語って大義名分としている!

征戰ノ目的ヲ達成スルニ

東亞ノ安定ヲ確保シ以テ世界ノ平和ニ寄與スル

萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ之亦帝國カ常ニ國交ノ要義ト爲ス所

東亞ノ平和ヲ攪亂シ遂ニ帝國ヲシテ干戈ヲ執ルニ至ラシメ

米英両國ハ殘存政權ヲ支援シテ東亞ノ禍亂ヲ助長シ平和ノ美名ニ匿レテ東洋制覇ノ非望ヲ逞ウセムトス

政府ヲシテ事態ヲ平和ノ裡ニ囘復セシメムトシ隠忍久シキニ彌リタルモ

彼ハ毫モ交讓ノ精神ナク徒ニ時局ノ解決ヲ遷延セシメテ此ノ間却ツテ益々經濟上軍事上ノ脅威ヲ增大シ以テ我ヲ屈從セシメムトス

東亞安定ニ關スル帝國積年ノ努力ハ悉ク水泡ニ帰シ

帝國ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ

帝國ハ今ヤ自存自衞ノ爲蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破碎スルノ外ナキナリ

 

太平洋戦争 開戦の詔勅  (米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書

http://www.geocities.jp/taizoota/Essay/gyokuon/kaisenn.htm

<原文>読み下し文<現代語訳文>

天佑ヲ保有シ萬世一系ノ皇祚ヲ踐メル大日本帝國天皇ハ昭ニ忠誠勇武ナル汝有衆ニ示ス

天佑(てんゆう)を保有(ほゆう)し、万世一系(ばんせいいっけい)の皇祚(こうそ)を践(ふ)める大日本帝国天皇は、昭(あきらか)に忠誠(ちゅうせい)勇武(ぶゆう)なる汝(なんじ)、有衆(ゆうしゅう)に示(しめ)す。

神々のご加護を保有し、万世一系の皇位を継ぐ大日本帝国天皇は、忠実で勇敢な汝ら臣民にはっきりと示す。

朕茲ニ米國及英國ニ対シテ戰ヲ宣ス

朕(ちん)、茲(ここ)に米国及(およ)び英国に対して戦(たたかい)を宣(せん)す。

私はここに、米国及び英国に対して宣戦を布告する。

朕カ陸海將兵ハ全力ヲ奮テ交戰ニ從事シ朕カ百僚有司ハ勵精職務ヲ奉行シ朕カ衆庶ハ各々其ノ本分ヲ盡シ億兆一心國家ノ總力ヲ擧ケテ征戰ノ目的達成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ

朕(ちん)が陸海将兵(りくかいしょうへい)は、全力を奮(ふる)って交戦に従事し、朕(ちん)が百僚有司(ひゃくりょうゆうし)は、励精(れいせい)職務を奉行(ほうこう)し、朕(ちん)が衆庶(しゅうしょ)は、各々(おのおの)其(そ)の本分を尽(つく)し、億兆(おくちょう)一心(いっしん)にして国家の総力を挙げて、征戦(せいせん)の目的を達成するに遺算(いさん)なからんことを期(き)せよ。

私の陸海軍将兵は、全力を奮って交戦に従事し、私のすべての政府関係者はつとめに励んで職務に身をささげ、私の国民はおのおのその本分をつくし、一億の心をひとつにして国家の総力を挙げの戦争の目的を達成するために手ちがいのないようにせよ。

抑々東亞ノ安定ヲ確保シ以テ世界ノ平和ニ寄與スルハ丕顕ナル皇祖考丕承ナル皇考ノ作述セル遠猷ニシテ朕カ拳々措カサル所

抑々(そもそも)、東亜(とうあ)の安定を確保(かくほ)し、以って世界の平和に寄与(きよ)するは、丕顕(ひけん)なる皇祖考(こうそこう)、丕承(ひしょう)なる皇考(こうこう)の作述(さくじゅつ)せる遠猷(えんゆう)にして、朕(ちん)が拳々(きょきょ)措(お)かざる所(ところ)。

そもそも、東アジアの安定を確保して、世界の平和に寄与する事は、大いなる明治天皇と、その偉大さを受け継がれた大正天皇が構想されたことで、遠大なはかりごととして、私が常に心がけている事である。

而シテ列國トノ交誼ヲ篤クシ萬邦共榮樂ヲ偕ニスルハ之亦帝國カ常ニ國交ノ要義ト爲ス所ナリ

而(しか)して列国との交誼(こうぎ)を篤(あつ)くし、万邦共栄(ばんぽうきょうえい)の楽(たのしみ)を偕(とも)にするは、之亦(これまた)、帝国が、常に国交の要義(ようぎ)と為(な)す所(ところ)なり。

そして、各国との交流を篤くし、万国の共栄の喜びをともにすることは、帝国の外交の要としているところである。

今ヤ不幸ニシテ米英両國ト釁端ヲ開クニ至ル

今や、不幸にして米英両国と釁端(きんたん)を開くに至(いた)る。

今や、不幸にして、米英両国と争いを開始するにいたった。

洵ニ已ムヲ得サルモノアリ

洵(まこと)に已(や)むを得(え)ざるものあり。

まことにやむをえない事態となった。

豈朕カ志ナラムヤ

豈(あに)、朕(ちん)が志(こころざし)ならんや。

このような事態は、私の本意ではない。 

中華民國政府曩ニ帝國ノ眞意ヲ解セス濫ニ事ヲ構ヘテ東亞ノ平和ヲ攪亂シ遂ニ帝國ヲシテ干戈ヲ執ルニ至ラシメ茲ニ四年有餘ヲ經タリ

中華民国政府、曩(さき)に帝国の真意を解(かい)せず、濫(みだり)に事を構えて東亜(とうあ)の平和を攪乱(こうらん)し、遂(つい)に帝国をして干戈(かんか)を執(と)るに至(いた)らしめ、茲(ここ)に四年有余を経たり。

中華民国政府は、以前より我が帝国の真意を理解せず、みだりに闘争を起こし、東アジアの平和を乱しついに帝国に武器をとらせる事態にいたらしめ、もう四年以上経過している。

幸ニ國民政府更新スルアリ

幸(さいわい)に、国民政府、更新するあり。

さいわいに国民政府は南京政府に新たに変わった。

帝國ハ之ト善隣ノ誼ヲ結ヒ相提携スルニ至レルモ重慶ニ殘存スル政權ハ米英ノ庇蔭ヲ恃ミテ兄弟尚未タ牆ニ相鬩クヲ悛メス

帝国は之(これ)と善隣(ぜんりん)の誼(よしみ)を結び、相(あい)提携(ていけい)するに至(いた)れるも、重慶(じゅうけい)に残存(ざんぞん)する政権は、米英の庇蔭(ひいん)を恃(たの)みて、兄弟(けいてい)尚(なお)未(いま)だ牆(かき)に相鬩(あいせめ)ぐを悛(あらた)めず。

帝国はこの政府と、善隣の誼(よしみ)を結び、ともに提携するようになったが、重慶に残存する蒋介石の政権は、米英の庇護を当てにし、兄弟である南京政府と、いまだに相互のせめぎあう姿勢を改めない。

米英両國ハ殘存政權ヲ支援シテ東亞ノ禍亂ヲ助長シ平和ノ美名ニ匿レテ東洋制覇ノ非望ヲ逞ウセムトス

米英両国は、残存政権を支援して、東亜(とうあ)の禍乱(からん)を助長(じょちょう)し、平和の美名(びめい)に匿(かく)れて、東洋制覇(とうようせいは)の非望(ひぼう)を逞(たくまし)うせんとす。

米英両国は、残存する蒋介石政権を支援し、東アジアの混乱を助長し、平和の美名にかくれて、東洋を征服する非道な野望をたくましくしている

剰ヘ與國ヲ誘ヒ帝國ノ周邊ニ於テ武備ヲ增強シテ我ニ挑戰シ更ニ帝國ノ平和的通商ニ有ラユル妨害ヲ與ヘ遂ニ經濟斷交ヲ敢テシ帝國ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ

剰(あまつさ)え与国(よこく)を誘(さそ)い、帝国の周辺に於(おい)て、武備(ぶび)を増強して我に挑戦し、更に帝国の平和的通商に有(あ)らゆる妨害(ぼうがい)を与へ、遂に経済断交を敢(あえ)てし、帝国の生存(せいぞん)に重大なる脅威(きょうい)を加う。

あまつさえ、くみする国々を誘い、帝国の周辺において、軍備を増強し、わが国に挑戦し、更に帝国の平和的通商にあらゆる妨害を与へ、ついには意図的に経済断行をして、帝国の生存に重大なる脅威を加えている。

朕ハ政府ヲシテ事態ヲ平和ノ裡ニ囘復セシメムトシ隠忍久シキニ彌リタルモ彼ハ毫モ交讓ノ精神ナク徒ニ時局ノ解決ヲ遷延セシメテ此ノ間却ツテ益々經濟上軍事上ノ脅威ヲ增大シ以テ我ヲ屈從セシメムトス

朕(ちん)は、政府をして事態(じたい)を平和の裡(うち)に回復せしめんとし、隠忍(いんにん)久しきに弥(わた)りたるも、彼は毫(ごう)も交譲(こうじょう)の精神なく、徒(いたづら)に時局の解決を遷延(せんえん)せしめて、此(こ)の間、却(かえ)って益々(ますます)経済上、軍事上の脅威(きょうい)を増大し、以って我を屈従(くつじゅう)せしめんとす。

私は政府に事態を平和の裡(うち)に解決させようとさせようとし、長い間、忍耐してきたが、米英は、少しも互いに譲り合う精神がなく、むやみに事態の解決を遅らせようとし、その間にもますます、経済上・軍事上の脅威を増大し続け、それによって我が国を屈服させようとしている。

斯ノ如クニシテ推移セムカ東亞安定ニ關スル帝國積年ノ努力ハ悉ク水泡ニ帰シ帝國ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ事既ニ此ニ至ル帝國ハ今ヤ自存自衞ノ爲蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破碎スルノ外ナキナリ

斯(かく)の如くにして、推移(すいい)せんか。東亜安定(とうああんてい)に関する帝国積年(せきねん)の努力は、悉(ことごと)く水泡(すいほう)に帰し、帝国の存立(そんりつ)、亦(またこ)正に危殆(きたい)に瀕(ひん)せり。事既(ことすで)に此(ここ)に至る帝国は、今や自存自衛(じそんぼうえい)の為、蹶然(けつぜん)起(た)って、一切の障礙(しょうがい)を破砕(はさい)するの外(ほか)なきなり。

このような事態がこのまま続けば、東アジアの安定に関して我が帝国がはらってきた積年の努力は、ことごとく水の泡となり、帝国の存立も、まさに危機に瀕することになる。ことここに至っては、我が帝国は今や、自存と自衛の為に、決然と立上がり、一切の障害を破砕する以外にない

皇祖皇宗ノ神靈上ニ在リ朕ハ汝有衆ノ忠誠勇武ニ信倚シ祖宗ノ遺業ヲ恢弘シ速ニ禍根ヲ芟除シテ亞永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝國ノ光榮ヲ保全セムコトヲ期ス

皇祖皇宗(こうそそうそう)の神霊(しんれい)、上(かみ)に在(あ)り、朕(ちん)は、汝(なんじ)、有衆(ゆうしゅう)の忠誠勇武(ちゅうせいぶゆう)に信倚(しんい)し、祖宗(そそう)の遺業を恢弘(かいこう)し、速(すみやか)に禍根(かこん)を芟除(せんじょ)して、東亜(とうあ)永遠の平和を確立し、以って帝国の光栄を保全(ほぜん)せんことを期(き)す。 

皇祖皇宗の神霊をいただき、私は、汝ら国民の忠誠と武勇を信頼し、祖先の遺業を押し広め、すみやかに禍根をとり除き、東アジアに永遠の平和を確立し、それによって帝国の光栄の保全を期すものである。

  御 名 御 璽

   平成十六年十二月八日

東條英機 內閣總理大臣兼內務大臣陸軍大臣

橋田邦彦 文部大臣

鈴木貞一 國務大臣

井野碩哉 農林大臣兼拓務大臣

小泉親彥 厚生大臣

岩村通世 司法大臣

嶋田繁太郞 海軍大臣

東鄕茂德 外務大臣

寺島 健 遞信大臣

賀屋興宣 大藏大臣

岸 信介 商工大臣

八田嘉明 鐵道大臣

 

このとき、すでに「不戦条約」を批准していた日本帝国!

だが、これを使わず!

使った手段は先制攻撃・敵基地攻撃だった!

謀略爆破事件の満州事変以来の矛盾を解決するためだった!

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「連合国軍総司令部の憲法も国際法も全くの素人の人たちが、たった八日間でつくり上げた代物」だと憲法制定過程を貶めた安倍晋三首相の大ウソを官邸宣伝部NHKが暴いた!

2017-05-02 | 安倍語録

憲法第97条を見れば日本国憲法は日本の歴史2千年の水脈を継承したお宝!

憲法9条導入は天皇の戦争責任回避とリンク!

紛争を軍事力・武力ではなく

非軍事・話し合いで解決する手法は日本の歴史に脈々継承されてきた!

勿論国際社会の戦争違法化の歴史も継承しているが!

日本国憲法の草案はメイドインジャパン - YouTube

https://www.youtube.com/watch?v=PyfIDlaLGLA

NHKスペシャル「憲法70年 “平和国家”はこうして生まれた」 2017.04.30

http://o.x0.com/m/481923

うだるような暑さに包まれた国会に14人の議員が集まりました。
初めにちょっと申し上げる事が…。
日本国憲法の誕生前夜憲法改正案の審議を進める秘密の小委員会です。
議論が白熱。
焦点となったのが戦争放棄を定めた第九条でした。
戦後日本の国のあり方を定めた日本国憲法。
第九条で平和の理念がうたわれます。
「国際平和を誠実に希求し」。
実はこの冒頭の条文はもともとの憲法の改正案にはありませんでした。
憲法の草案を作成したGHQ。
マッカーサーは「戦争の放棄」「戦力の不保持」を規定しますが条文に「平和」の文言は入れなかったのです。
では憲法九条の平和主義はどのように生まれたのか。
その経緯をたどる極秘の資料が発見されました。
昭和天皇が敗戦後間もなく勅語で初めて「平和国家」を掲げたのです。
平和国家の理念が広がる焼け跡の日本。
昭和21年1月天皇陛下が6年生だった時の書には「平和国家建設」とありました。
「平和」の文言はどのようにして憲法九条に盛り込まれたのか。
一人の議員が国会で提案した事が分かりました。
平和国家日本の出発点となった日本国憲法。
新たに発掘された資料から憲法第九条が誕生するまでの1年8か月に迫ります。
日本国憲法が施行されてから70年を迎えようとしています。
「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」を掲げた憲法。
中でも大きな柱である平和主義はどのようにして生まれたんでしょうか。
最近資料の公開が進み新たな事実が次々に明らかになってきました。
平和主義を定めた日本国憲法。
その第九条です。
この3つが規定されています。
そして冒頭に「日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」という条文があります。
この部分は憲法の基になったGHQ連合国軍総司令部の草案にはありませんでした。
では70年前焼け跡の広がる日本で平和の考え方はどのように誕生し憲法に盛り込まれたんでしょうか。
番組では平和国家の出発点となる重要な資料を堀り起こしました。
敗戦から間もない昭和20年9月の出来事です。
日本は降伏文書に調印します。
ポツダム宣言を受け入れ非軍事化民主化を進める事になりました。
2日後9月4日戦後最初の国会が開かれます。
日本は新たにどのような国家を目指すのか。
国会を召集したのは明治憲法で統治権の全てを握っていた昭和天皇です。
天皇は開院にあたって自ら勅語を読み上げました。
「平和国家を確立」。
新たな日本の建設に向けて昭和天皇が「平和国家」という目標を初めて掲げたのです。
歴史学者の和田春樹さんはこの「平和国家確立」の勅語が敗戦から間もない日本に大きな影響を与えたと考えています。
天皇の「平和国家」の勅語はどのようにして出来たのか。
重要な資料を私たちは去年発見しました。
勅語が出来るまでの極秘の草案です。
何度も修正を繰り返して作成された事が初めて明らかになりました。
草案は第1案から第4案まであります。
その第1案。
ここに「平和国家」の文言はありませんでした。
示されていたのは「国体の護持」です。
国体天皇を中心とする国のあり方を護る事は政府の最大の課題でした。
ところが第2案では「国体の護持」が消されます。
続く第3案で加筆されたのが「平和的新日本を建設」。
ここに「平和」が初めて登場します。
書き加えた人物も分かりました。
首相の東久邇宮稔彦です。
戦後最初の首相となった皇族の東久邇宮。
内閣や宮中に諮りながら草案を編み出しました。
なぜ「平和」の文言を勅語に加えたのか。
東久邇宮は「平和国家」の勅語が示された同じ国会で演説しています。
日本がポツダム宣言に従って非軍事化民主化を進める事を強調しようとしたのです。
昭和天皇の「平和国家」の勅語にいち早く反応した憲法学者がいました。
勅語を報じた記事を切り抜いて大学の講義に用いていました。
東大教授の宮澤俊義です。
後に政府の下で憲法改正に取り組む宮澤は平和国家に着目。
敗戦直後の9月「武装解除と平和主義」について講義を行っていました。
「原子爆弾のようなものが発明された今日戦争を行うという事はどう考えても無意味である」。
宮澤は「武備なき国家」を戦後日本の姿として思い描いていました。
焼け跡の日本に広がる平和国家の理念。
文部省は9月15日に「新日本建設の教育方針」を発表します。
その柱が「平和国家の建設」でした。
昭和天皇が掲げた目標は敗戦から僅か1か月で教育現場でも大きな方針となったのです。
長年憲法の制定過程を研究してきた古関彰一さん。
「平和国家」の理念は新しい天皇の姿を世界に伝える重要な意味があったと言います。
戦前の大日本帝国憲法いわゆる明治憲法では天皇は陸海軍を統帥する大元帥であり国際社会から厳しい目を向けられていました。
昭和天皇は海外に平和国家のメッセージをどのように伝えたのか。
戦後初めて天皇と会見した外国人がいます。
クルックホーンさんの叔父は新聞記者でした。
従軍記者だったフランク・クルックホーン。
9月25日昭和天皇に会見しました。
家族のもとに残した回想録が非公開のまま眠っていました。
回想録には宮中の表拝謁の間で会見した時の天皇の言葉が記されていました。
この会見の記録が宮内庁に残されていました。
クルックホーンの事前質問に対する昭和天皇の英文の回答文書です。
非武装の平和という昭和天皇の回答。
英文の回答を書いたのは戦前外務大臣を務めた…幣原の晩年共に暮らした孫の…戦前軍縮条約を結んだ幣原は軍部から軟弱外交と批判されました。
昭和天皇はクルックホーンとの会見の2日後9月27日マッカーサーを訪ねます。
天皇は「平和の基礎の上に新日本を建設する」事を伝えました。
天皇が占領政策に協力する事を確認したマッカーサー。
日本政府に憲法改正を促していく事になります。
昭和天皇と側近たちもいち早く憲法改正に向けて動き始めます。
3年前に公開された…天皇と憲法の関わりが明らかになりました。
従来は敗戦直後の日本政府は憲法の改正に消極的だったと考えられてきました。
ところが敗戦の1か月余り後9月21日の昭和天皇の記述です。
憲法改正問題について調査を依頼していたのです。
白羽の矢が立ったのが戦前首相を務めた近衞文麿です。
天皇の下近衞はどのような憲法改正を目指していたのか。
当時近衞が持ち歩いていた手帳を初めてテレビで撮影しました。
手帳からは「民主主義の意味」と題したメモ書きが発見されました。
「国民多数の意向に従った」「君民一致」こそ新しい憲法にふさわしいと考えていました。
近衞は天皇の軍の統帥権など大権を制限する事で明治憲法の改正を進めようとしていました。
しかし同じ時期に近衞とは別の憲法改正調査が始まります。
新たな首相に幣原喜重郎が選ばれました。
幣原は内閣に憲法問題調査委員会を設置します。
元東大教授の松本烝治国務大臣を委員長に憲法の改正調査に乗り出しました。
ここに憲法改正は天皇の意向を受けた近衞と幣原内閣による調査が並行する事になりました。
ところがこのころ近衞を戦犯容疑者として訴追しようとする動きが進んでいきます。
東京裁判に向けてGHQが戦争指導者たちを次々に逮捕します。
この間「昭和天皇実録」によれば天皇は「近衞文麿による憲法改正調査」を気にかけその進み具合を何度も確認していました。
12月軍や政府の首脳に続いて皇族の梨本宮が逮捕されます。
更に近衞に逮捕令が出されました。
出頭当日近衞は服毒自殺しました。
近衞の死によって昭和天皇の下で始まった憲法改正の調査は挫折したのです。
ご覧頂いたように敗戦後間もなく昭和天皇は「平和国家の確立」を勅語で示しました。
平和国家という新たな目標は焼け跡の日本に広がりその後の平和の考え方に大きな影響を与えた事が分かってきました。
更に昭和天皇が早くから明治憲法の改正に向けて動いていた事も明らかになりました。
改正のための調査を命じられたのは元首相の近衞文麿でした。
しかし近衞の憲法改正はその死によって挫折します。
憲法改正の調査は幣原首相の下憲法問題調査委員会が担う事になりました。
こうした中マッカーサー率いるGHQは日本政府に憲法改正を促し注視していました。
次は敗戦の翌年戦争放棄の条文がどのように生まれたのかGHQと幣原内閣の憲法を巡る交渉を見ていきます。
元日に昭和天皇はいわゆる人間宣言を行います。
天皇を「現御神」とする神格を自ら否定しました。
GHQは平和国家に向かう日本の動きを注視していました。
それを示す記録がアメリカ国立公文書館に眠っていました。
アメリカ陸軍が撮影した記録アルバムです。
幣原内閣昭和天皇の動向などが報告されています。
学習院の授業風景です。
天皇陛下が初等科6年だった時の書の写真がありました。
写真のキャプションには新年の「書き初め」と記されています。
「平和国家建設」。
平和国家の理念が日本に広がりつつある事をアメリカは把握していたのです。
一方アルバムには東條英機ら戦犯容疑者の姿があります。
東京裁判の開廷を前に昭和天皇の戦争責任を追及する声が国際社会にありました。
こうした情勢を受けて幣原首相が動きます。
幣原はGHQにマッカーサーを訪ねます。
通訳もつけず2人で3時間にわたって話し込みました。
マッカーサーに一体何を伝えたのか。
会談の内容を伝える資料が残されています。
幣原の友人が会談の内容を聞き娘がそれを書き残しました。
幣原がマッカーサーに切り出します。
「どうしても天皇制を維持させたいと思うが協力してくれるか」。
マッカーサーが答えます。
幣原が提案します。
幣原が提案したのが「戦争の放棄」でした。
マッカーサーと幣原「大いに二人は共鳴した」と記されています。
天皇制の維持と戦争の放棄を伝えた幣原。
その真意は何だったのか。
天皇制を守ろうとした幣原。
戦争放棄の提案については次のように書き残しています。
「国民が子々孫々その総意に反して戦争の渦中に引き込まれるが如きことなきよう」。
戦争の放棄を提言した幣原。
幣原の下憲法改正調査を進めていた委員会でも平和国家の理念を新しい憲法に盛り込もうとする憲法学者がいました。
宮澤俊義です。
昭和天皇の「平和国家」の勅語を受けて東大で講義を行っていたあの人物です。
極秘の委員会の議事録から宮澤らの主張が明らかになりました。
「潔く裸になって平和国家としてやっていく」。
宮澤は明治憲法で天皇の軍の統帥権を定めた第十一条など軍の規定を全面的に削除すべきだと主張しました。
しかし宮澤らの主張は軍の規定を残置残しておくべきだという主張とぶつかります。
反対の中心となったのは委員長の松本国務大臣。
明治憲法の改正には消極的でした。
政府が作成を進めていた憲法改正案がスクープされます。
天皇を中心とする君主主義はそのまま認められていました。
GHQは直ちに条文を分析し「極めて保守的」と批判します。
マッカーサーはGHQが憲法の草案を作成する事を決断します。
マッカーサーが急いだ背景には極東委員会の存在があります。
連合国の日本占領の最高機関として2月下旬に発足しGHQを管理する事になっていました。
極東委員会にはソビエトやオーストラリアなど天皇制に厳しい意見を持つ国も加わっていました。
マッカーサーは新たな憲法の基本原則を自ら示します。
いわゆるマッカーサー・ノートです。
そこに後の憲法九条につながる「戦争の放棄」が定められました。
マッカーサーは戦争の廃止そして戦力の不保持交戦権の否認を打ち出します。
更に「自己の安全を保持するための」戦争つまり自衛戦争を否定しました。
マッカーサーはGHQ民政局に1週間で憲法草案を作成するよう命じます。
戦争放棄の条文を担当したのが…ケーディスは自衛戦争を否定した箇所を削除したといいます。
その理由を生前証言しています。
ケーディスによる修正です。
自衛戦争を否定した箇所が削除されます。
新たに「武力による威嚇または武力の行使」が加えられました。
これにより侵略戦争を明確に否定したのです。
GHQ草案が完成します。
新しい憲法草案では多くの人権規定が盛り込まれ天皇は象徴とされました。
翌日GHQは憲法草案を日本側に示し次のように伝えました。
日本政府はGHQ草案を受け入れます。
条文の検討が行われ政府による帝国憲法改正案の作成が進められる事になります。
4月戦後初の総選挙が行われ吉田茂が首相となります。
憲法改正案の条文についていよいよ衆議院で審議が始まろうとしていました。
ご覧頂いたようにGHQ草案を基に「帝国憲法改正案」が作られました。
第九条の基になった条文です。
幣原首相が提案した「戦争の放棄」はGHQによって憲法に規定されました。
GHQのケーディスが「武力による威嚇または武力の行使」を加えて侵略戦争を明確に否定しました。
これは「国連憲章」から引用しています。
そして「戦力の不保持」「交戦権の否認」も規定されました。
こちらは日本国憲法の第九条です。
冒頭には「日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」とあります。
ところがこの条文は改正案にはありません。
ではどのようにして生まれたんでしょうか。
実は衆議院の小委員会で国会議員たちが熱い議論の末に書き加えた事が新たな資料から分かってきました。
国会で帝国憲法改正案委員小委員会が始まります。
出入りが厳しくチェックされる秘密会でした。
小委員会の議員は14人。
各政党から法律の専門家らが集まりました。
およそ1か月にわたって憲法の条文を巡り議論を戦わせます。
秘密会だったその記録は戦後50年間封印されていました。
近年速記録が公開されます。
日本人の手で多くの条文が追加修正された事が分かりました。
第二十五条の生存権。
第二十六条義務教育の中学までの延長。
そして第九条。
この小委員会で「平和」の文言が加えられた事が明らかになりました。
九条の「平和」について提言したのは日本社会党の鈴木義男です。
後に司法大臣となる鈴木義男。
その主張は九条の冒頭に「平和を愛好する」という文言を追加する事でした。
ほかの議員からも賛同の声が上がります。
犬養毅首相の息子で後に法務大臣を務めます。
なぜ鈴木は「平和」の文言にこだわったのか。
法学者だった鈴木に影響を与えたのは第一次世界大戦後のヨーロッパとアメリカの留学体験です。
人類初の世界戦争となった…戦死者は1,000万人近くに上りました。
大戦後講和会議が開かれ平和を求めて国際連盟が設立されます。
鈴木は国際協調と戦争を違法化する新しい考え方を学びます。
帰国して東北帝国大学教授となりました。
しかし鈴木を待っていたのは軍国主義へ向かう日本でした。
教育現場に軍人を配属して軍事教練の強化が進みます。
この動きを鈴木は「殺人術を教える」と反対し新聞で訴えました。
「人類文化の理想が平和にある」。
辞職に追い込まれて弁護士となった鈴木は治安維持法違反に問われた人々の弁護に取り組みます。
戦争に突き進む時代の中で無罪を主張しました。
同じ頃日本は旧満州中国東北部に進出。
国際的な孤立の道を歩みだします。
国際連盟の勧告に反発した日本は連盟を脱退しました。
再び起こった世界大戦。
太平洋戦争では日本人だけで310万人が犠牲となりました。
なぜ2度の世界大戦を防げなかったのか。
その反省から…国際社会が協力して平和を維持しようとする動きが生まれました。
鈴木義男は国際連合が誕生していく世界を見つめていました。
戦後国会議員となった鈴木は発言しています。
国際関係史を研究する油井大三郎さんは鈴木義男の孫です。
九条に「平和」の文言を追加するよう主張した祖父の真意を問い直しています。
2度の大戦を経て国際平和に動き出した世界に日本が積極的に参加すべきだという鈴木の提案。
この提案を芦田委員長が受け止めました。
外交官出身の芦田均。
戦前軍部を批判するなどリベラルな政治家として知られていました。
芦田はある資料を持ち出します。
この時芦田たちが手にしていた外務省の資料。
私たちはこの資料を発見しました。
外務省は憲法の修正がどのような国際的な影響を及ぼすかを考察し注意を伝えています。
国際法規は憲法と共に尊重するよう求めていました。
なぜ外務省は国際法規にこだわったのか。
資料を作成したのは条約局長の萩原徹だった事が分かりました。
この資料を提出した理由を萩原は報告書に残していました。
戦前大陸に進出して国際連盟を脱退した日本の外交を「ドンキホーテ式外交」と指摘。
日本の伝統的な外交を破壊したと考えていました。
この資料から憲法改正への外務省のなみなみならぬ期待を油井さんは読み取ります。
「ドンキホーテ式外交論の基調をなしていたものであるから」。
「新日本が国際秩序の中にのみ存在し得る」。
萩原は新たな憲法で日本を国際秩序の中に位置づけたいと考えていました。
外務省が小委員会に提出した資料です。
「条約」「国際法規」に加え鉛筆で「これを誠実に」「遵守する」事が記されています。
これを受け憲法第九十八条に第二項が追加されます。
更に小委員会では芦田委員長がこの外務省の資料を九条の修正に生かそうとします。
各党の委員が争うように条文を提案します。
党派を超えて次々に条文の提案が出されました。
2日後の7月29日。
再開された小委員会の冒頭で芦田委員長が一つの案を示します。
鈴木が最後の「声明す」の削除を求めました。
憲法九条の平和主義が誕生しました。
こうして今から70年前に日本国憲法は誕生しました。
その第九条です。
第九条の冒頭の条文は衆議院の小委員会で加わりました。
鈴木義男の発言そして国際秩序条約の遵守を求める外務省の意向を受け14人の国会議員が党派を超えた議論の末に生み出した事が新たな資料から明らかになったのです。
それは国際連合へと歩み始めた世界の動きを見据え日本が積極的に平和を担おうとする考え方から生まれたものでした。
こうして誕生した平和国家。
そこには多くの犠牲者を出した先の大戦への反省の念が込められていたのです。
「国民主権」「基本的人権の尊重」そして「平和主義」を掲げた新たな憲法。
鈴木義男は新憲法を解説した本で次のように述べています。
敗戦の焼け跡から平和国家として歩み始めた日本。
日本国憲法は今年施行から70年を迎えます。
2017/04/30(日) 21:00〜22:00
NHK総合1・神戸
NHKスペシャル「憲法70年 “平和国家”はこうして生まれた」[字]

日本国憲法の施行から70年。平和主義の出発点が新たな資料で明らかになった。昭和天皇の平和国家確立の勅語に始まり、衆議院での議論を経て第九条が誕生するまでを描く。

詳細情報
番組内容
日本国憲法の施行から70年。平和主義の出発点が新たな資料で明らかになった。昭和20年9月、昭和天皇は勅語で平和国家の確立を明らかにした。しかし、GHQ草案の条文には平和の文字はなかった。その後、衆議院の小委員会で鈴木義男議員の発言を機に議論があり「国際平和を誠実に希求」する条文が第九条に盛り込まれたことが明らかになった。番組では速記録をもとに小委員会をドラマで再現。“平和国家”誕生の舞台裏に迫る。
出演者
【出演】鶴見辰吾,斉藤洋介,阿南健治,【キャスター】武田真一,【語り】中條誠子(引用ここまで)

安倍首相、現行憲法について自身の「代物」発言を撤回せず2015.3.6 19:55

http://www.sankei.com/politics/news/150306/plt1503060043-n1.html


安倍総理の日本国憲法に関する発言と日本国憲法第九十九条の憲法尊重擁護義務の整合性に関する質問主意書

提出者  逢坂誠二  平成二十八年五月十三日提出 

 

 

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