星浩特別編集委員の文書「集団的自衛権 理念と現実の溝」の中にある「集団的自衛権」の説明を見ると、政府説明を歪曲していて、大変意図的であることが判ります。この意図的解釈の流れは、安倍首相も、マスコミにもあります。以下検証してみます。
集団的自衛権行使の屁理屈は、結論を言えば、こういうことになります。
それはオーダーメイドの背広が、裕福になり、美味いものを食べすぎたことで、体型に合わなくなってしまった。そこで、健康上の問題から、体型を、オーダーメイドの背広に合わせるのではなく、更に、オーダーメイドの背広を作り続けてきたということに。しかし、食欲には勝てず、「メタボ」は改善されず、結果的には成人病が進行してしまい、終いには、命を失い、永眠してしまいました、ということが想像できます。
現在の日本は、9条の理念を忘れ、米軍や自衛隊への軍事費を増徴させる一方では、国民生活の基盤は疲弊し、崩壊過程をヒタヒタと進んでいる、というのが、実態ではないでしょうか?一部の軍事利益共同体=軍事オタクムラが煽る脅威に対抗する感情と論理を喝破することこそ、メタボになった体型を健康で文化的な体型荷までもどしていく努力、これが、今最も必要なことではないでしょうか?
そこで、星氏が決して語らない二つの事実と新聞記事を紹介しておきます。
一つは、国際連合に加盟する際の日本国政府の「約束」「確認」です。以下お読みください。
【日本の国連への加盟】 小泉親司『日米軍事同盟史研究 密約と虚構の五〇年』(新日本出版社02年11月刊)
サンフランシスコ「平和」条約の締結によって、日本政府は、国運への加盟申請をおこなった。これは、国連の「集団安全保障」体制への参加表明であった。
政府が、国連加盟にあたって提出した岡崎外相書簡(五二年六月十六日)は、つぎのようにのべた。
「日本国民は、国際連合の事業に参加し且つ憲章の目的及び原則をみずからの行動の指針とすることを熱望しています。日本国民の間には、諸国間における平和及び協力を助長しようとする国際連合の目的に対し、挙国的な共感がみなぎっています。よって日本国政府は、国際連合への加盟を熱意をもって申請するものであり、また、国際連合の加盟国としての義務を、その有するすべての手段をもって履行することを約束するものであります」
この経過について、西村熊雄元条約局長は、憲法調査会第三委員会で、つぎのように説明した。
「第一に作製いたしましたのが国連加盟申請文でございます。このときまた、憲法第九条の問題にぶつかりました。と申しますのは、国連憲章第七章の『平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に関する行為』の規範をみますと、国連加盟国はいわゆる平和維持のための集団的軍事行動に参加し、これに協力しなければならないことになっております。(略)安保理事会の決定する集団的安全保障措置が発動される場合には、好むと好まざるとを問わず加盟国はその義務を履行しなければならない建前になっております。したがって黙っておれば、日本は国連憲章の規定によりまして、当然安保理事会の決定する集団的安全保障のための軍事行動に参加し、またこれに協力をしなければならないことになります。いわゆる国際的軍事行動に参加する義務を負うことになりますが、これは一見憲法第九条の関係で実行できない国際的義務でございます。だから憲法第九条に基づく留保をする結論に達したわけであります。国際連合事務総長宛て加盟申請文の最後に日本政府の声明として、日本は国連に加盟した後は国際連合憲章から生ずる義務を忠実に果たす決意であるということを宣言いたし、そのあとに、ただし日本政府はこの機会に戦争を放棄し、陸海空軍三軍を永久に所持しないということを明らかにしている憲法第九条に対し注意を喚起するという一項をつけくわえておいたわけです。(略)外文部の友人から、日本政府として直接憲法第九条に注意を喚起するとまでいう必要はないではないか、間接的にそれをいった方がいいのではないかというサゼスチョッがございましたので、確定した文書では間接に言う事になりました。原文はご参考までに見ていただきたいと思いますので残しておきます。
(略)そこで憲法第九条をいわないで、日本政府はその有するあらゆる手段によって国際連合憲章から生まれる義務を遵守するが、日本のディスポーザルにない手段を必要とする義務は負わない、すなわち軍事的協力、軍事的参加を必要とするような国際連合憲章の義務は負担しないことをはっきりいたしたのであります」(六〇年八月一〇日)
また西忖元局長は、質問に答えて、「加盟申請は外務大臣の声明を添えて各加盟国に送付されています。また、その後ずいぶん長い間かかって日本の加盟は安保理事会と総会で審議されたのでございますので、日本の特殊条牛といますか、日本の加盟申請の特殊な意義は各加盟国の承知の上可決になったものだと思います」とのべた。
つまり、日本政府は、国連の「集団的安全保障措置」には参画するが、憲法九条の上から、軍事事行動に参加するようなことはてきない、という明確な立場を表明して、国運に加盟したのであった。(引用ここまで)
もう一つは、「権利があるのに、使わない」論という感情論・俗流論です。井戸端談義的話でゴマカシ・スリカエるという姑息なトリックです。この論理は、マスコミも使う手法です。ケシカラン話です。以下お読みください。
豊下楢彦『集団的自衛権とは何か』(岩波新書07年7月刊)
「俗論」の世界 「禁治産者」の規定?
集団的自衛権に関する従来の政府解釈に対して安倍が批判を加える場合、つねに真っ先に遡上にのせるのは、「国際法上保有、憲法上行使不可」という論理である。改めて安部の批判を見ておこう。
「権利があっても行使できない―それは、財産に権利があるが、自分の自由にならない、というかつての“不治産者”の規定に似ている」「権利を有していれば行使できると考える国際社会の通念のなかで、権利はあるが行使できない、とする論理が、はたしていつまで通用するのだろうか」(『美しい国へ』)
世に「俗論」と言われるものがある。一見すると説得的に思われるが、冷静に分析すると根拠のない議論のことである。右の安倍の議論はその一つの典型であろう。実は、今次の憲法調査会においても、こうした議論が焦点の一つとなった。二〇〇四年三月三日、参議院の憲法調査会において公明党の魚住祐一郎議員は、集団的自衛権についての従来の政府解釈を確認したうえで、「持っているけれども行使できないというのはこれはもう矛盾じゃないかというような立場から批判がありますし、また解釈の変更を求めるという意見があります。だけれども、その意見は、やはり国際法の次元と各国の憲法とか国内法の次元という問題とを混同しているのではないかというふうに私は考えております」と述べて、参考人の見解を問うた。この質問に対し、まず京都大学教授で国際法を講ずる浅田正彦は次のように答えた。
「権利を保持するということとそれから権利を行使するということ、権利を保持する能力と権利を行使する能力というのを峻別するというのは、法律学でいえばもう言わば常識でありまして、(中略)国際法においてもこれは同様であろうというふうに思います」「具体的な例を申し上げますと、……例えば永世中立という考え方があります。これは、主権国家であれば他国と同盟を結ぶということは権利として当然認められておるわけですけれども、しかしながら永世中立国は、自らは他国と同盟を結ばないという選択を行って、永世中立という制度はそれを自已に義務付けたわけであります」「日本も日本国憲法の解釈として、集団的自衛権を国際法上は保持しておるけれどもそれを行使、憲法上行使できないというふうな解釈をとっておるその解釈が正しいということを前提とすれば、それは十分あり得ることであって、これが論理的に矛盾しているとかあり得ないということでは全くないというふうに思っております」
ついで、東京大学教授で国際法を担当する大沼保昭も次のように答弁した。
「私も浅田参考人と全く同じ意見でありまして、……法的に権利を持っているのに行使しないのは矛盾であるということには全くならないと」「国際法上も、自分が本来、自国が本来持っている権利を自国の決断、判断によって拘束するということは十分あり得ることであって、国際法上持っている権利を日本が憲法上それを制約するということは法的に全くあり得ることで、それを矛盾と言うことの私は意味が全く理解できません」
もはや立ち入った説明は不要であろう。「権利を保持していても使用しない」ということは「常識」の問題であり、それが矛盾しているとか「そうした権利は権利ではない」という議論をすること自体が、その意味を「全く理解できない」ことなのである。安倍は「権利があっても行使できない」という状況を「禁治産者」にたとえたが、これでいけば、同盟する権利を保持しながら永世中立を堅持するスイスなどの国は、さしずめ「禁治産者の国家」ということになるであろう。(引用ここまで)
マスコミも集団的自衛権行使に手を貸す!証拠記事はこれだ!
自民幹事長「集団的自衛権、現行憲法で行使可」 2013/7/14 13:03
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK1400C_U3A710C1000000/?dg=1
自民党の石破茂幹事長は14日午前のNHK番組で、政府が「保有するが行使できない」と憲法解釈する集団的自衛権について「現行憲法で行使が否定されていると考えておらず行使は論理的に可能だ」と述べた。憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認に意欲を示したものだ。公明党の井上義久幹事長は集団的自衛権の行使を認めることに慎重姿勢を示した。
自民党は党憲法改正草案で、集団的自衛権を含む自衛権の明記を掲げつつ、改憲までの措置として、憲法解釈を変更して国家安全保障基本法を制定し、集団的自衛権の行使を可能にする案を参院選公約に盛りこんだ。石破氏は同法案の国会提出時期に関し「国民が望んでいるものをどう優先するかだ」と述べ、世論を踏まえ慎重に判断する考えを示した。
一方、井上氏は「憲法解釈をただちに変える環境にはない」と石破氏と一線を画した。ただ「解釈を変えなければならないような具体的な安全保障環境の変化があれば、連立政権の中で真摯に議論していきたい」と含みも残した。
日本維新の会の橋下徹共同代表は同番組で「国家の安全保障の方向性をきちんと憲法で明確化することが重要だ」と述べ、憲法解釈の変更でなく憲法を改正して集団的自衛権の行使を可能にすべきだと主張した。
民主党の細野豪志幹事長は「集団的自衛権の概念を認めることで、自衛権を行使できる範囲を無限に広げる議論にはついていけない」とし、個別の事案ごとに自衛権の行使の是非を検討すべきだとの立場を強調。みんなの党の江田憲司幹事長も「具体的なケースで議論したうえで政府は判断を法律で国民に示すべきだ」と歩調を合わせた。
生活、共産、社民、みどりの風の各党は集団的自衛権行使容認に否定的な見解を示した。(引用ここまで)
「否定的な見解」については、全く紹介していません。これぞ、印象操作!ウソとデタラメを振りまくプロパガンダの証拠!と言えます。こうした手法は、基本的には、どこのマスコミも一貫しています。