昨日我が町のボランティアコーディネート協議会の呼びかけで
福島県いわき市小名浜地区のNPO法人ザ ピープルの農業支援へ出かけました。
暗いうちの5時30分出発 総勢38名で町内がほとんどでしたが
近隣の市町村からも数名の参加者もありました。
現地にはほぼ予定通り10時前に到着
風評被害で耕作をやめた畑を借りて、綿花作りをしている現場で
今回は最終作業の摘み取りでした。
毎日のようにボランティアが入り、今年は延べにして
5,000人ほどのボランティアを受け入れたとのことでした。
支援も時間が経過すると救援から、復興支援にと形を変え
その一つのモデル事業としてのオーガニックコットンのプロジェクトを展開している。
すぐに作業現場に案内していただく。
暑い時の草取りが大変な作業だったとか
白っぽく写ってますが、茶色の初めて見る綿花でした。
来年は隣町の畑も借りて、大きく発展させるという熱い思いが伝わりました。
この綿花で仮設住宅で暮らしていらっしゃる方たちが制作に携わられたコットンベイブ
1時間ほどで作業は終わり事業所に戻り、手作りのお弁当と暖かい野菜たっぷりのスープを頂く
その後事務局の名ガイドのKさんが被災した様子を案内してくださいました。
避難指示解除準備区域へという言葉が出ましたが、除染を進めて放射線の積載量が、
年間20ミリシーベルト以下になることが、確実になり、復旧復興支援をして
帰還できる地域をいうようです。
いわき市には他の市町村から28,000人ほどが避難しているという話でしが、
いわきから昼間その地域に住居や農地のある人は、通って作業をするが、
商店とか病院もないし、放射能の不安もあり、2地区を行ったり来たりの生活をする人が多いようだ。
解除されたからといっても、高齢化も進み、又その上過疎化も進み、
以前のコミュニティーの復活とはなかなかいかないようだ。
Jビレッジ前 原発事故に対応する活動拠点 富岡駅(JR常磐線)
福島第1原発から10キロ圏内で帰宅困難区域でしたが
除染が行われ見直されて立ち入れるようになりました。
2011年3月11日から時間が止まってしまったような風景です。
この地で生活していられた人たちはどんな思いをしていられるのでしょうか?
人影も動物も見られませんでしたが、
ひっそりと庭に小菊やバラが咲いてました。
ここで見た情景を書くのが、重たい気がしてなりませんでした。
その後小名浜に向かって塩谷岬を通り、復興支援の一つとして
水産物の買い物をして21時30分帰宅しました。
今回は現地に滞在する時間が短かったので、被災者と直接お会いする場面はありませんでしたが、
いくら除染作業を進めて、放射線量が低くなったから、帰還できるといわれても
どのくらいの人が戻ってくるのでしょうか?
原発の近辺の帰還困難区域はどうなるのでしょうか?
自然災害ならあきらめもつきますが、そこに住んでいた人々はどのように生活を立て直すのでしょうか?
車中から見る自然は美しく変わらないのに・・・・