迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

「偲姿―オモカゲ―」21

2010-02-27 09:23:11 | 戯作
わたしは栗駒駅まで、彼を見送ることにしました。

どうしてもそうしたかったんです。

もちろん、役者としてではなくて、旅先で出逢った一人の人間として。

神社をあとにしようとした時、ちょうど夕陽が地平線に沈んだところで、空はその名残りに、まだ茜色に染まったままでした。

駅に着くまで、彼とは殆ど会話はありませんでした。

彼が前を歩いて、わたしはそのちょっと後ろを付いていく、そんな感じで…。

でも、会話なんて必要ありませんでした。

わたしの心は満たされた思いで一杯でしたし、彼も、現在(いま)という時間を楽しんで歩いているみたいで、心に共通の想いを持っている時、人は言葉を発さないものと、この時に知りました。


栗駒駅の前に着いた時には空はすっかり暗くなって、たくさんの星が瞬いていました。

星って、こんなにたくさんあるんだ、って思いましたよ。

めちゃくちゃ数が多いことを、よく「星の数ほど…」って言ったりするじゃないですか。

アレってこのことなんだなぁなんて、今更ながら実感したくらいの眺めでした。

そして、

「あ…」

彼が指差す先には、そこだけ丸くきれいに切り取ったような満月。

「きれいだな…」

白く静かに輝くそれが、空を仰ぐ彼を優しく照らした光景は、それこそ絵にしたいくらいの美しさでした…。

駅に入ると、彼が乗ってきたと云う列車が、そのままホームに停車していました。

しかし、復旧工事が済んでちょうど今から運行が再開されるところで、あと三分後に、東京行きのその列車が発車するとのアナウンスが流れていました。

わたしは入場券を買って、彼と一緒にホームへ走りました。

そんなわけで、彼との別れは、慌ただしいものとなってしまいました。

彼はデッキに立った時、自分の名前を、「近江章彦(おうみあきひこ)」と名乗りました。

わたしも、「高島陽也」と名乗りました。

「はるや、さん。男名前なんですね…。素敵だな。覚えておきますね」

ドアが閉まって、列車は彼を、近江章彦さんを乗せて、十数時間ぶりに東京へと走り出しました。

わたしは列車のテールランプが夜闇に吸い込まれて見えなくなるまで、ホームに立っていました。


そして、

「ありがとう…」

と、小さく、でもはっきりと、お礼を言いました。

あなたのおかげで、わたしは自分が本当にやりたい事を認識することが出来ました。

あの旅芝居の人たちとは、十月限りでお別れします。
ひと月かぎり。

そしたらわたしはすぐに東京へ戻って、女優になるための勉強を再開します。

もう一度、東京でやり直し。

それが現在(いま)のわたしの、本来の姿のはずだから。

大変すぎるくらい大変だけど、わたしはやる。

東京で、わたしはやってみせる。

東京発信のメディアに乗れてこそ、本流になれるのだから。

もう決して、こんな安易な道に逸れたりはしない。

それに、東京にいれば、また彼…、近江章彦さんにも逢える。

お互いに名前しか伝えられなかったけど、でも大丈夫。

信じていれば、想いは必ず通じる。

必ず、また逢える…。



―と、ここまでがわたしの実質的な大衆演劇体験談です。

って言うのがですね…。

ははは…。

あ、ごめんなさい、つい。

劇団ASUKAとは、実はそれから僅か二日後に、お別れしたからなんです。

いや、べつにクビになって追い出された、とかじゃなくて。

翌日、劇団ASUKAは次の公演地の、岩手県一関にある天然温泉がウリのスパランドへ移動して、その日はそこの宿泊施設の空き部屋に泊めてもらったんですけど…。

覚えてます?

岩手県一関市のスパランドで起きた、集団食中毒事件。

東京でも、けっこう大きく報道されたらしいですけど。

そうです、そうです、朝食で出された館内レストランの料理の食材が痛んでいて、しかも調理師たちはそれを知っていながら出していたと云う、アレです。

あの四十人近くにのぼった被害者のなかに、劇団ASUKAの面々も含まれてたんです。

そうですよ。わたし、あの事件の真っ只中に、居合わせてたんです。

幸い、わたしは寝坊してレストランの朝食を食べ損なったおかげで助かったんですけど、ガッツリ食べてしまった劇団の人々は、全員すぐに激しい腹痛と下痢と嘔吐に見舞われて病院へ緊急搬送…。

公演は中止どころか、スパランドの営業そのものが停止です。

わたしが「やっべ、寝坊したっ…!」って目が覚めた時には、劇団の人々は病院へ搬送された後でした…。

もちろんダメもとで、一座のなかで唯一連絡先を知っている杏子さんのケータイにとりあえず連絡しようとしたんですけど…。

「いや、待て……」


その日の昼過ぎ、わたしは東北本線の一関駅に、東京行きの乗車券を手に立っていました。

ええ。

思い切って、彼ら旅芝居の一座とサヨナラして、東京へ戻ることにしたんです。

ただ、本当に黙って消えるのは良心が咎めたので、一応杏子さんに、

『お世話になりました。座長にも宜しくお伝え下さい。 高島』

とメールだけはしておきました。

もちろん、身勝手だよなぁ、とは思ってます。

でも、自分の考えとはあまりにも方向性が違いすぎる大衆演劇にこれ以上身を置くことには、かなりの苦痛と限界を感じていたのも事実です。

「もう、これでいい。充分だ」と思いました。

だから、罪悪感よりも、案外スッキリした気分でした。

東京でなかなか仕事に恵まれないことへの焦りと苛立ちから、すぐに舞台に立たせてもらえると云う生田杏子さんの口車につい乗せられた形で、大衆演劇の世界を経験したわけですけど、まぁ、“いい経験”と言うよりも、“面白い”経験をしたひと月でした。

わたしの判断に対しては、逃げ出したとか、途中で放り出したとか、クビになるより性質(たち)がワルいとか、いろんな意見があると思います。

それでいい、と思います。

わたしは、これが神様が書いた「運命」と云うタイトルの、高島陽也役者ストーリーの決められていた流れだった、と思っています。


え?

ああ、東京に戻ってからのお話し、ですか?

はい、ありがとうございます。

ただそれはまだ、わたしのなかでお話しする内容が纏まっていないので…。

はい、纏まり次第、と云うことで。

その時は、いただいた名刺のところへ連絡すればいいんですよね?

はい。

では。

またいづれ。




〈続?〉
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