ラジオ放送で、金春流「箙」を聴く。
一ノ谷の合戰で、箙に梅花の枝を挿して戰ひにのぞんだ風流な若武者の奮戰譚。
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優雅なやうでゐて、曲中では兜を打ち落とされながらも敵方を斬りまくる血生臭い様が再現され、それは武勇譚と云ふより能樂が得意とするところの、修羅の苦しみのそのものではないか、と映る。
シテ(主役)の梶原源太景季は勝者側(源氏方)なので“勝修羅”物の曲ではあるが、大勢の人を殺してお手柄なのは現世にゐる間だけ、魂となったのちはそんな“榮譽”など奪衣婆あたりに剥がされ、ただ人を殺めたといふ罪だけが殘り責め苦の實刑に処される。
戰争に美學など、あるわけがないのだ。