終戰七十五年目となる。

私は完全に、残された映像と冩真でしか、その當時を知らない世代だ。
だが、それらの記録を目にするたびに、私は理屈抜きで米國は日本人の“生活”を破壊したのだと云ふ怒りを、新たにする。
悲しみよりも怒りを覺えるのは、もしかしたら私の先祖に、さういふ感情を抱ひてゐた人がゐたのかもしれない。
そして思ひ出すのは、
「“鬼畜米英”を叩き込まれた當時のニッポンの若者たちを手なずけるため、GHQが盛んに聴かせたのが、ジャズだった」
と云ふ、川柳川柳師の話し。
私は學生時代から新旧問はず洋樂と云ふものを耳が全く受け付けない性質(たち)だが、それを裏付けてくれるやうな噺を聴けたあの独演會はとても有意義だったと、今でも思ってゐる。
我が現代手猿樂では、洋樂とそれに類するものだけは決して取り入れない、私はさう固く決めてゐる。

支那發の人災病菌によってお盆の行事も多くが中止となり、私が毎夏樂しみにしてゐる神奈川県相模原市での薪能も然り。
七十五年前、明らかな人災によって、大勢の人が生命の危機に晒された。
現在(いま)、ヒトは再びその危機に晒されてゐる。
命があるから生きてゐられる──
そんな當り前すぎることをより深く考へたくなる、七十五回目の終戰記念日。