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澁谷區郷土博物館・文學館の冩真展「昭和40年代の渋谷」を觀る。
街が、と云ふより、そこに湧いてくるニンゲンに嫌惡を覺えて、現在では日本で二番目に嫌ひな場所である澁谷なるが、
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交通の要所ゆゑに完全に無視も出来ず、結局は街であるがゆゑの恩恵に與ってゐる恩知らずな私である。
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今回の貴重な冩真たちを觀てゐると、街を通る道そのものに擴幅されてゐる部分はあっても筋に變化なく、現在の街並の原型はこの時代に固まったらしいことが窺へる。
今回目を惹いたのは、昭和四十四年四月に撮影されたと云ふ澁谷驛西口を捉えた一枚で、驛前に敷き詰められてゐるはずの敷石が一部を除いて失はれ、下の砂地が露出してゐる光景が収められたものだ。
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(❈現在の澁谷驛西口)
これは過激派の學生たちが剥がして投げつけるのを防ぐために予め撤去したもの云々、ちゃうどこの時代は安保闘争にセイシュンの捌け口を見出した學生クンたちが、所詮ムダな正義感に酔って暴れて、結局は社會組織にねじ伏せられることになる時代であり、砂地にのこる通行人の靴跡に、私は社會の彼らへの冷笑を見る氣がした。