ラジオ放送の觀世流「弓八幡(ゆみやはた)」を聴く。
後宇多院の宣旨を蒙り京の裏鬼門にあたる石清水八幡宮へ参詣に訪れた臣下は、神詫により天下泰平の願ひをこめた弓を袋に包んで奉納せんとやって来た老人と出逢ひ、身分の賤しい老人の代はりに弓の奉納を約束すると、やがて老人は末社の神であると正体を明かし、天下泰平の御世を言祝ぐ──

德川政權時代に「高砂」に取って代はられるまでは代表的な神祝曲だった云々、もともとは世阿彌が時代(とき)の為政者の代替はりを祝って作った曲のため、謠ひの文句もクニの平和祈念にかこつけて、だいぶ新為政者への禮讃に彩られてゐる。
現實には天下泰平でもない御世のもと、吹けば簡單に飛ばされてしまふ河原者がいかに後援者(チカラ)を繋ぎとめておくか、その生々しい才智の痕跡を後世の愛玩者たちはめでたく謠ひあげ、桑の弓と蓬の矢で事が足りる浮世であり續けることを、ひたすら願ひ奉る。