早朝にラジオ放送で、大藏流狂言方•善竹富太郎師追悼の「水掛聟」を聴く。
田んぼに引く水を巡って舅と婿が争ふ可笑しみを、善竹十郎師と富太郎師の父子がゆったりとした運びで魅せる十八分。
その善竹富太郎師が支那病菌のために亡くなったことを思ふと、私はこの病菌と「共存」だの「共生」だの、とてもそんな狎れた気持ちにはなれない。
一部では舞台公演などの再開が始まってゐるが、私は今はまだまだ、出かける氣にはなれない。
會場側がどれだけ防菌對策を徹底していやうと、無自覺な感染者にやって来られたら元の木阿彌、その事實は既に証明されてゐる。
もとより私は、まわりのお客を絶對に信用しない。
また自身も素人ながら演者として、この現状下でさうした人たちを前に演じたいとは思はない。
言ってしまへば、この業種はもっとも「不要不急」なのである。
演じること、観ること、それが私の活動の両輪である。
よって、片輪で走れるほど私は小器用ではない。
安心して観に行ける日、そして演じられる日が、本當の「事態終熄日」だ。
いまの有様は、
優秀な人財であったひとりの狂言方の命を、
無駄にしかねない。