迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

文明の裏方たち。

2018-07-04 17:17:44 | 浮世見聞記
横浜開港資料館の企画展示、「金属活字と明治の横浜」展を見る。


中国の四大文明として「羅針盤」•「火薬」•「紙」、そして「活字 」が挙げられるが、部屋で読む本を切らせるとたちまち禁断症状に陥る私などは、活字といふ文明の恩恵に、もっとも与ってゐるクチだらう。

漢字の金属活字は、東洋におけるキリスト教の布教をにらんでヨーロッパで発達したもので、日本へは明治ニ年(1869年)、長崎に輸入されたのが始まり。

それまで木版だった日本の印刷技術は、この活版印刷の輸入によって多くの情報を短時間で伝へられるやうになる。

さりながら、ごく初期には肝心の金属活字の原版が少なかったため、初の日本語日刊紙「横浜毎日新聞」も、明治三年の創刊時はまだ木版活字を用ひてゐたと云ふ。

しかし明治九年には金属活字が本格的に導入され、さらに昭和初期には、ガラスで造った活字も業界には登場する。


私は150年前よりもたらされた西洋文明をいたずらに賞賛するものではないが、我が国の字体が、書いた本人しか判らないやうな草書体がいつまでも主流だったら、



私は今頃、本嫌ひになっていたやもしれぬ。


かくして活版印刷が普及すると、原版の文字を彫る「植字彫師」と云はれる職人たちは、いかに見やすい字体を編み出すか、日夜努力を重ねるやうになる。

そこに私は、偉大なる近代機械文明も、結局それを下支へしてゐるのは昔ながらの職人技──“人の手”なのだといふことに、気が付くのである。
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